恨みに囚われたくないとは思っても【返報性の原理】
心ある人なら、好き好んで恨みに囚われ続けたいわけではありません。それでも中々恨みが消えない。これは犬猫でも持つ、本能に根差した「返報性の原理」によります。
「返報性の原理」とは、「お返ししたい、お返ししないと氣持ちが悪い」と反射的に感じる作用です。
試食販売などは、この返報性の原理を活用していると言われています。試食後、お店の人に愛想よく勧められると「何だか買わないと悪いような氣分になってしまう」心理です。
また、ある異性に好意を向けられると、余程相手を軽蔑しているとか、生理的に受け付けないとかでない限り、何となく相手のことを好きになってしまう。これも返報性の原理です。
笑顔を向けられれば、こちらも自然と笑顔になるなど、人間関係の潤滑油にもなります。接客業の人達が、笑顔で愛想よくお客様に接するのも、返報性の原理の重要性を、概念は知らなくても体感しているからでしょう。
よく自己啓発の本で「感謝しましょう。感謝が大事です」と書かれているのは、「受けた恩を『お返ししたくなる』、その行動を取りたくなるほどに、心から感謝しているか」ということです。言葉だけで感謝していても、「受けた恩をお返ししよう」と行動に移していなければ、その人は実際には大して感謝してはいません。
SNSでやたら「感謝」をアピールする人への違和感facebookなどでのSNSで、投稿やコメントにやたら「感謝」「ありがとう」などの記述をする人がいます。コメントの最後に、内容に全く関係なくはんこのように毎回「感謝」と書いているのを見て[…]
ポジティブな感情でもネガティブな感情でも、この原理は作用します。「ポジティブだからお返しして、ネガティブなものはお返ししない」などと、心、その中でも潜在意識はそのような区別をつけません。
ですから、理不尽なことをされて傷ついた場合、「思い知らせてやりたい!」と恨みの感情を抱くのも、この返報性の原理のためです。つまり、その人の心が正常に機能している証拠です。相手が家族・肉親・恋人など、情が絡む上に失うのが辛い相手だと「可愛さ余って憎さ百倍」になるものでしょう。
返報性の原理は、人間だけでなく動物にもあります。猫の糞尿被害の防止のために猫除けをすると、却って猫に嫌がらせをされるなども返報性の原理です。即ち本能に根差すものですから、これだけを止めようとするのは、残念ながら誰にとっても不可能なのです。
返報性の原理に沿って癒す-1:相対化
多くの人が無意識的に、この返報性の原理に沿って恨みの感情を緩和していると思います。その多くは「相対化」です。出来事そのものを「視野を広げて、小さく捉え直す」ことです。
例えば「実は私も、○○さんには同じような嫌なことをされてね・・」と打ち明けられると、「私だけじゃなかった」と孤立感が和らぎます。孤立感は「私が悪いのかな?」の自己否定感に陥りがちで、苦悩を絶対視してしまいかねません。相対化できず、自分を圧倒してしまうのです。
そして「○○さんが私にした嫌なことは、他の人にもしている。○○さんの資質の問題で、私の問題ではない」と視野が広がると、問題を切り分けられます。不快感は残っても、「思い知らせてやりたい!」と激しく恨む氣持ちは和らぐかもしれません。
他にも
「威張りたがるのは自信がない証拠。子供っぽい暴君にまともに悩むのは馬鹿らしい。こちらが大人になろう」
「あのお客さんに嫌がらせをされたのは、私がたまたまその場に居合わせたから。私が今日出勤でなければ、他の人が嫌な目にあっていた。経験の浅い新人に嫌な思いをさせなくて、良かったのかもしれない」
「上司なんて、まあそんなもの。〇〇さんはまだましな方だって。完璧な上司なんてこの世にいないよ」
等、日常的に自然にやっていることも多いでしょう。
この相対化は、脳の前頭前野を主に使います。認知負荷が高く、サボるとすぐに退化してしまう箇所です。また、感情が激しく動いている時には前頭前野は中々機能しません。所謂「吹っ飛んでる」状態では、まず悔しさをしっかり感じ切り、その後「ヤダったね」の自己慈悲で包みます。
抑圧でもなく外投げでもない・感情を「抱えられる」ために前回は「【腹側迷走神経の活性化】身体・神経系が安全を感じる重要性」について詳述しました。True Selfを生きるためには、まず身体の神経系が「安全だ」と感じることが基礎になり[…]
感情がある程度落ち着いてから、相対化の頭の体操をするのがコツです。
返報性の原理に沿って癒す-2:昇華
事柄によっては「小さくとらえ直す」ことができないものもあります。コロナワクチンの薬害に遭った人々は、同じ被害者や支援者と繋がって、悩みを絶対化せず、共感し励まし合うことはできます。しかし、それをしたからと言って「小さくとらえ直す」のは不自然でしょう。
泣き寝入りせず、国に罪を認めさせたい、平たく言えば「仇を取りたい」その一心で恨みや憎しみを、国家による自国民の殺害に抗うための原動力にしています。日本は法治国家なので、結局は裁判になります。グルになっている大手メディアは報道しませんが、有志が主にSNSを使って知らせようとしています。こうした無名の人達の尽力がなければ、知らないままの人も多かったでしょう。

悔しさをバネにして、「どうせ」で諦めずに、泣き寝入りしないのも、自分を大事にする心がなければできません。それを昇華と言います。返報性の原理を、もっと次元の高いエネルギーに変換することに使います。
他にも、ある芸能人の方が我が子を交通事故で失い、その後知名度を生かして、交通事故撲滅の活動をしているのも昇華です。
日常的な例で言えば、上司にこっぴどく叱られた、悔しい思いを嫌がらせで返すのではなく、その上司に一目置かせる存在になろう、と発奮材料にするなども同じ昇華です。
スペインのことわざに「幸福に生きることが最高の復讐」があります。このことわざは、単なる「見返してやれ」ではありません。「あの人のせいで私はこんなに不幸なんだ」の被害者ポジションに留まることを潔しとしない生き方です。
「傷つきはしたけれど、また様々な問題は今も解決の途上ではあるけれど、私は私を苦しめた人達の支配下にはもういない」これが最高の復讐です。
人生を深く揺るがす恨みは、最終的には「抱えたまま生きる」
コロナワクチン薬害で、愛する家族を奪われた人々、治療法が確立していない薬害に今なお苦しむ人々の恨みは、「自分たちを騙し苦しめた政府・厚労省、医師会、製薬会社、メディアが謝罪するのをこの目で見るまでは死なない」という発奮材料に昇華できるかもしれません。それでもなお、恨みそのものが消えてなくなることはないでしょう。
また、親に幼少期から尊厳を踏みにじられ続けた恨みも同様です。「親は私を裏切っても、私は私を裏切らない」内面的誠実さにより、自分の人生を大切にする原動力に昇華はできても、許し難さそのものは残るのが自然です。何故なら「その行為を許してしまったら、他のお子さんに同じことが起きても『許しなさいよ』になってしまう」からです。
こうした人生そのもの、自分のアイデンティティ、尊厳を深く揺るがす恨みは消えてなくなるのが不自然で、最終的には「抱えたまま生きる」ほかなくなるものだと思います。
恨みだけでなく、怒り、呪い、憎しみも、自分の中にある。
道義的に自分は悪くなかったとしても、否が応でも人生には起きてしまう。
それをごまかさずに見る目を養う。
そしてそれらをなかったことにせず、抱えたまま生きる、そのことそのものが「True Selfを生きる」です。
それを可能にする基礎は、身体の神経系に「耐性の窓」を広げ、養う習慣です。
恨みは交感神経の「戦う」モード寄りです。「戦う」モードが悪いわけでは決してありません。ですが、慢性化すると過覚醒状態になり、神経が休まらず、結果消耗しやすくなります。
「安全・安心・つながり・自然な喜び」の腹側迷走神経を活性化させることにより、交感神経の頑張りが、腹側迷走神経へ徐々にバトンタッチされていきます。そして「身体の神経系が『安全だ』と感じながら、許し難さや恨みは『そこにある』」という、一見矛盾した状態を保持できるようになります。これが両義性の耐性の現れ方の一つです。
「あれか/これか」の二値的で、反応的なあり方から、「相矛盾した要素を同時に抱える」両義性の耐性が、人間の成熟の条件のひとつと私は考えています。

