「怖いから知りたくない」が命取り・事実をあるがままに見る勇氣

問題解決にはまず事実を過不足なく知ること、だがそれが難しい

職場で顧客クレームなど何かのトラブルが起きた際、「だってあの人がどうたらこうたら・・」と上司に愚痴をこぼすと、「そんなことより、何がどう起きたのか、時系列で書き出してみろ!」と叱責された、そんな経験がある方、もしくは自分が上司の立場でそのように指導されている方もいらっしゃるでしょう。

問題解決は、まず主観や感情を入れずに状況を把握するのが基本のキです。

これは仕事に限らず、何でも同じです。しかし、殊にプライベートの人間関係になると、どうしても感情が先に立つので、そのようなことはどこかに吹っ飛んで、私怨に自分からまみれてしまう、そうしたものでしょう。

傷ついた自分の感情は否定せず、大事にしながら、「何が起きているのか。何が起きたのか」の事実をあるがままに見る、それは当たり前のようで、中々当たり前にはできない最たるものの一つです。

だからこそ、その目を磨く誰からも評価はされない地道な努力をし続ける必要がありますし、それが生死すら分けることも、長い人生の中では起こります。

同じ図でも違った意味づけを脳は瞬時にする例

まず、どんな人でも「脳はそもそもあるがままに物事を見ない」ことを、そして人は「見たいように見、聞きたいように聞き、理解したいように理解する」ものだということを、だからこそ「伝えたつもりで伝わっていない」は、起きて当然と肝に銘じるくらいで丁度良いです。

では「脳はそもそもあるがままに物事を見ない」について、同じ図を脳は別の意味に取ってしまう例を以下に挙げます。

これは何に見えるでしょうか?B?13?横にして「メガネ」とか「かまぼこ二つ」と言った人もいます。

では、下の図ではどうでしょうか?

そして更に下の図ではどうでしょうか?

人は同じ図でも、12と14の間に入れれば13と読み、Bとは読みません。AとCの間に入れればBと読み、13とは読みません。

人間の脳は文脈に当てはめて「意味が通るように」瞬時に理解しようとします。例えば漢字の誤変換があっても、「え!?意味がわからない!」と立ち止まることは余りなく、自分の脳が「再変換して」意味を取ろうとします。ですから、「そのままに見ようとしない」のが、いつもいつも悪い、駄目だというわけではありませんし、この場合は漢字の誤変換だと「わかった上で」意味を取り直しています。

しかし一旦思い込んだこと、しかもそれが自分の安全・安心、損得や、殊に人間関係に関わることだと、それを覆して「事実をあるがままに見る」のは非常に難しくなります。「あなたはあの男(女)に騙されている、目を覚ませ!」と他人がどんなに言っても、「でも・・だって・・」と自分からしがみつく、即ち、洗脳を解くのは容易ではないのです。

思い込みを覆されることに脳は痛みを感じる

信念や知識を覆す情報に触れると脳が「痛い!」と感じる

自分が絶対だと信じていることや、常識だと思い込んでいることを覆す情報や意見に接したとき、脳は基底核という部分に痛みを生じさせます。その痛みに耐えれば知識を新しくできますが、大半の人は痛みに負けてしまい、「今のままでいいや。だからこれは聞かなかったことにしよう」とするのです。このように考え方を更新しない回路が強化され、アタマが固くなることを「脳が閉じる」と言います。

響堂雪乃「二ホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ」

上述した通り、安全・安心、損得、人間関係に関わることだとこの脳の痛みが更に大きくなります。何故ならこれらは本能に属することだからです。いわゆる損切が難しいのは本能が抵抗するからです。

下図のマスローの欲求段階説の内、欠乏欲求は本能に属します。本能を脅かされると人は反射的に「生きていけない!」と思ってしまいます。それが本当かどうかは関わりなく。ですから例えばコロナワクチンの実態を知り、接種を止めようとしていた人ほど罵倒されたのは、極論すれば「あんた私を殺す氣⁉」と相手が恐怖洗脳されていたからです。

洗脳する側はまず恐怖を煽り、そして解決手段を差し出して安心させる。人は「こうすれば安心」と思い込んでしまうと自分から縋り付く、こんなわかりやすいマッチポンプはないのですが、「これは本当かな?」と現実を知ろうとする手間を省くとあっさりやられてしまいます。これは学歴とは関係ありません。

コロナ騒動においては「ワクチンを打たない人間は思いやりがない」など、非接種を貫こうとする人を共同体から排除しようとする洗脳も同時に行いました。マスクも同様です。「所属と愛の欲求」を脅かしたのです。人は恐怖と孤独に弱い、裏から言えば、安心と一体感を求める、この人間の本性を突いています。

また一旦信頼した人を中々疑おうとしないのも、欲求段階説の「所属と愛の欲求」が脅かされるためです。詐欺師やナンパ師が人当たりが良く、一見親切で、カモにした相手をおだてたり褒めたり、頼らせたり頼って見せたりして篭絡するのも、この「所属と愛の欲求」を人は簡単には手放せないとよくよくわかっているからです。だからこそ、おべんちゃらに乗らない、関係が浅いうちから変に褒めてきた人ほど用心する、承認欲求を手っ取り早く満たそうとしない心構えが身を守ります。

「バラ色の眼鏡」「黒色の眼鏡」はいずれも葛藤耐性の低さから

現実に向き合うことは、誰にとっても勇氣が要ります。体重計に乗ること、減っていく通帳の残高を見ること、こんなことでさえ「ああ、見たくない」と目をそらしたくなるのがごく普通の人間でしょう。

こうした葛藤に耐える力が弱いと、人は「バラ色の眼鏡」か「黒色の眼鏡」かを掛けて現実を見ようとします。

「バラ色の眼鏡」は誤った楽観主義です。「怖くなるから考えない。見て見ぬふり。無関心を装う」はその典型です。「自分だけは大丈夫」「〇回ワクチンを打っても何もなかったから今後も大丈夫」などの正常性バイアスも含まれます。

「黒色の眼鏡」は「現実の厳しさに耐えられない」ためにこそ、「望んだとおりにならなかった時に、がっかりして傷つかないように『保険』をかける」、そして「どうせ~に違いない」と最初から言い訳して現実逃避するために、過度に悲観的に物事を見ることです。

しかしいずれも、良い結果にはなりようがありません。私たちは、その時はどんなに怖くても、「現実をあるがままに見る」勇氣を養ってこそ、「では、どうしたらよいのか」の対処方法を考え、行動に移すことができます。起きてしまった出来事には、私たちには責任がないこともしばしばありますが、大人である以上対処責任は常について廻ります。

その対処をしようとせず、自分に都合の良い現実がお膳立てされるのをただ口を開けて待っている、それは楽かもしれませんが、心ある人からは決して一人前扱いしてもらえません。状況をよく見極めた上で「今は何もしない。打って出る時を待つ。或いは一旦引いて、英氣を養う」と判断するのと、口では文句たらたら言いながら、指一本動かそうとしないのは異なります。

「怖くなるから知ろうとしない」現実逃避が命取りに

上記の例で挙げた「体重計に乗るのが怖い」なら、体重が少々増えたり減ったりしても、それでいきなり死ぬことはありません。ですが、コロナワクチンの危険性、マスクの害、コロナの嘘、そしてそもそも「どれほどあくどい人達が、これらを長年計画していたか」を知ろうとしなければ、それは命取りになります。

お花畑で爆睡してる羊、としばしば揶揄されていますが、爆睡しながら殺されていることに氣づきさえしない、大変残念ながら令和の日本人の様相です。コロナ騒動を巡っては、日本は惨敗も惨敗です。

また今話題のコオロギの粉末しかりです。学校給食に入れられているのなら、親御さんたちは真剣に反対する、もしくはお弁当を持たせるくらいはやらないと、わが子の命を守れません。しかし、コロナ騒動から丸3年経っているのに、屋外でさえ子供にマスクをさせている親がまだいるくらいですから、「知ろうとしない」その怠惰に氣づかないかもしれません。

心のあり方においては、「私はそんなことしません!」ではなく、知るのが怖くてつい逃げたくなってしまう、その自分をまずごまかさなければ、スタートラインには立てています。その心の弱さは誰にもある、しかしそれが時には命取りになるのだと肝に銘じ、恐怖に支配され切ってしまわない自制心を養い続ける、これも意識的な努力なしには、どんな人でも実現できません。別の角度から言えば、意識的な努力次第で誰でも身に着けられる、思いやりや勇氣と同じです。

恐怖と欲望に反応的にならない・自制心を養う意義

人に限らず動物は恐怖を感じなければ身を守れませんし、食欲、性欲、睡眠欲がなければ生きられず、子孫を残せません。恐怖と欲望が即悪いのではなく、反応的になるのが命取りになるのです。

また日本人は不安を感じやすい遺伝子が、他の民族より突出して多いそうです。これは、日本列島が自然災害が非常に多く、また島国でよその地に移ることもできないため、心配性の人の方が生存に有利だったと推測されています。このこと自体に良い悪いはありません。心配性=ネガティブ、では決してないのです。

そして自制心と「事実をあるがままに見る」客観視は、脳の同じ箇所、前頭連合野が担います。脳の前の方、おでこのあたりです。脳の発達は後ろから前ですから、前頭連合野の完成は25歳頃と大変遅く、また衰えるのは真っ先です。生まれたての赤ちゃんは客観視したり自制したりはできません。赤ちゃんはそれでいいのですが、成人しても客観性や自制心に乏しいと「赤ん坊のまま体だけ大人になった」になります。即ち前頭連合野は人間の成熟を担う箇所です。だからこそ、かなり意識的に鍛え続けて丁度良いです。

恐怖と欲望に反応的にならないとは、「手っ取り早く恐怖を解消したり、欲望を満たそうとしない」ことです。例えば心配性を「念入りに調べ、考える」慎重さや、「前もって準備・予防する」地道な努力の原動力に生かせば、大変有意義なものになります。欲望も然りです。

反応的な人は「これをやったらどうなるか」の結果予測と、「何のためにこれをするのか」の意義目的をほとんど考えていません。有体に言えば視野が狭いのです。裏から言えば、視野を広げ、結果予測と意義目的を考える習慣が身に付けば、「旅行支援という餌を、税金を使ってまで撒いてワクチンを打たせようとする目的は何か。こんなことは前代未聞だ」とおかしさに氣づける筈なのです。

これまで見てきたとおり、あるがままに事実を見るのは難しく、そして勇氣が要ります。都合の良い現実しか見たくない、知りたくない、手っ取り早く自分が安心したいでは、自分自身も、自分の大切な人も守ることはできず、結果的に愛のない生き方になってしまいます。

自尊感情は「良心に立脚した価値観・信念に基づいて、自分がどうしたいか」の意欲と、客観視に裏打ちされた自制心のバランスがあってこそです。この二つが上手く機能していると「自分の人生を生きている実感」が湧き、外側の人やモノに依存しなくて済む、即ち真の自由を生きることができるのです。

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

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🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。