対人関係の葛藤は「それを問題視しているか」の温度差から

「私はあなたに問題があると思うけれど、あなたはそれを問題視していない」

対人関係での葛藤が起きるのは、見出しの通り「私はあなたに問題があると思うけれど、あなたはそれを問題視していない」段階です。この段階で、人は相手に不満を持ち、説得や注意、叱責、懇願などをします。

「私の家族にセッションを受けさせたい」も、この段階で生じます。

「何度言っても通じない。変わってくれない」日常の細かなことでさえ、これが起きています。トイレの便座を下げない、服を裏返して洗濯籠に入れない、玄関の靴を揃えない、といったことです。注意される方は、その時口では「わかった」と言ったとしても、本音では「何がいけないの?」位にしか思っていません。なので何度でも繰り返します。

心理セラピーにおいては、もっと根の深い、互いの価値観や人生観、共感性や責任感などに関わる問題を扱っています。「変わってほしい」相手は主に家族です。次いで職場の上司や、部下、同僚になります。互いに責任がある、一種の運命共同体ですから、「もう放っといたら?」とあっさり割り切れなくて当然です。

人は中々変わりません。しかし全く変わらない人もいません。人が変化を起こす時、どのような段階を踏むのかと、変わらない時は何が起きているのかを、今回は深掘りしていきます。

変化を起こす6段階のステップ

人が変化を起こすには、以下の6段階のステップを踏んでいます。6段階のステップとは、プロチャスカとデクレメンテが、依存症患者の症状克服に当たり、発見したものです。

①熟考以前

「問題を問題だと捉えていない時期」全く問題視していないこともあれば(「一体何がそんなに問題なの?いいじゃん、別に」)、「はい、わかりました(うるさいなあ。さっさとそのお説教終わらせてよ)」「わかってるんだけどね~。まあ、いいか」などと表面的には氣づいていても、本音では何もする氣がない。或いは愚痴や文句は散々言っても、誰かから自分が何かをするように示唆されると「だって、でも」で逃げる。つまりは「誰かが何とかしてくれる(はず、そうあるべき)。やるのは私ではない」と余裕がある時。もしくは「被害者である自分」に満足しているため、周囲が何を言っても変わらない時期。

②熟考

変化⇔現状維持の間で心が揺れる時期。「痩せたい、でも食べたい。運動は面倒くさい。でも痩せたい」「何とかしなくちゃ、でもどうしていいかわからない。自信がない。問題に向き合うのはやはり怖い」この段階での葛藤が、変化を起こすエネルギーになります。

③決意

本当に変わりたいと心を決める時。「四の五の言ってられない!やるしかない!」

④実行

問題解決のための課題に取り組む時期。ダイエットなら、食事制限や運動をし、体重を落とす時期。仕事や趣味、学業なら、新たな技術や知識の習得に取り組んでいる時期。精神的なことであれば、自分のものの見方、考え方を変えたり、広げたり、新たに付け加えたりする時期。

⑤維持

ダイエットであれば、新たに身に着けた食習慣や、運動の習慣を続け、目標体重を維持している段階。

⑥再循環(リサイクル)

ダイエットであれば「1㎏増えちゃった!」時に、実行の段階でやったことを思い出し、取り組む時期。「1㎏増えちゃった!ああ、やっぱり私はダメなんだ」にならないことが肝要。だからこそ、「実行の段階で、自分が時に試行錯誤しながら取り組み、自分の引き出しにした」経験値があると、その引き出しから自分で問題解決の方法を導き出し、リサイクルできる。

この①から⑥も、一方通行ではなく、行ったり来たりはあります。特に行ったり来たりがあるのは①と②の段階です。

上記で挙げた、ダイエットを例に考えてみましょう。「体重が1㎏でも増えたら仕事が減ってしまう」プロのモデルと、「痩せた方が良いってわかってるんですけどね、でも・・」の一般人とでは、問題視の温度差が異なります。

プロのモデルは、①熟考以前と、②熟考の期間がとても短いのです。「わかってるんですけどね~。明日から頑張ります」のモデルさんは、ライバルに仕事を取られても文句は言えません。雇う側にしてみれば「プロ意識が低い」と判断するのが当然でしょう。

普通の人は①と②即ち「明日から頑張る」を何週間も、何ヶ月も先延ばしし続けます。つまりそれだけ余裕があり、「ダイエットの大変さ」と「高カロリーのものを食べたり、運動をしないことによるメリット」とを天秤にかけて、後者を選び続けます。そしてこの「変化を起こさないことのメリット」が、本人すら自覚できていないことがとても多いのです。詳しくは後述します。

心理セラピーにおいては、クライアント様が少なくとも②熟考の段階で、変化≧現状維持になっていないと始められません。よくありがちなのは「不平不満は散々言うけれど、自分では何もしない」これは結局「私に良きにはからえ」をやっています。つまり悩んでいるようで、①熟考以前の段階です。ダイエットと同じで「何かをする面倒や責任を引き受けるくらいなら、このままでもいい。でも現状に満足してるわけではない。(そして可哀そうな私を可哀そうがって下さい)」が本音です。この段階では、何をやっても堂々巡りになり、いずれ中断することになります。

対人間の葛藤が起きるのは「熟考以前」と「熟考」の段階

上述しましたが、対人間の精神的・感情的な葛藤が起きるのは、相手が「熟考以前」と「熟考」の段階にいる時です。まだ本氣で「問題を問題視していない」段階です。そして配偶者や子供、部下、同僚など、遠慮のない相手だと、問題視のハードルが上がります。悪く言えば「相手が機嫌を損ねても、許してもらえる。自分は見捨てられない」と心の奥底で思っているからです。ぬるま湯に浸ってぐずぐずしている状態と言っていいでしょう。相手が会社の上顧客だと、菓子折りを下げてすっ飛んでお詫びに行くことになります。

しかしその「蔑ろにされてる感」がまた、相手の心の傷を深くします。ですので、傷ついている方が、勇氣を出して「私は傷ついている」「私は困っている」と伝える必要があります。

以前の記事で、「あなたが境界線を(悪意なく)乗り越えていることが、私と私たちの友情を傷つけている」と率直に告げた友人の例を挙げました。

キースという男性は、借りたお金を中々返せずにいました。お金がないわけでも、自分勝手だったわけでもなく、ただ忘れっぽかったのです。お金を貸した側は、返ってくる迄その痛みは残り、借りた側はその痛みを考慮しない、キースもその例に洩れませんでした。

数か月前にキースにお金を貸した友人が、彼にこう言いました。

「僕は君に貸したお金のことについて、何度か尋ねたよね。まだ返事をもらっていないのだけれど、君がわざと僕の要求を無視しているとは思っていないさ。だけど、僕は君のその忘れっぽさのせいで辛い思いをしているんだ。お金を返してもらえなかったから、僕は休暇をキャンセルしなくちゃいけなかったんだよ。君の忘れっぽさは僕を傷つけている。それから僕らの友情をもね」

キースは驚愕しました。自分にとっては些細なことが、親しい友人にとっては多大な迷惑をかけていたことを深く嘆きつつ、彼は即座に小切手を切りました。

ヘンリー・クラウド ジョン・タウンゼント「境界線 バウンダリーズ」

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こうしたことを告げるのは、現実には親しい相手ほど勇氣が要るでしょう。もし、上手くいかなかったら、これまでの関係性を失うリスクがあるからです。しかし大事な相手だからこそ、ごまかさなかった率直さに、ごく普通の良心のある人なら心を打たれるものだと思います。そして、この友人はキースに「お金を返してほしい」とは言っていません。自分が傷ついていることだけを告げ、そしてそれを聞いた上での判断選択は相手に任せています。

私たちが本当に相手に望むのは、「自分が傷ついていること」をわかってもらうことではないでしょうか・・?謝罪や返金は、その心が伴っていなければ(うるさく言われるのが嫌だから、形だけ謝って返金するなど)虚しいものです。キースは友人の痛みがわかったので、即ち、問題を問題視できたので、①熟考以前②熟考、そして③決意もあっという間に通過して、④実行の段階へ移れたのです。

何故「現状を維持したい/維持してもいい」と思っているのか

実際に困った事態が続いている、色々な形で起きている、そしてそのことに私を含めた家族が傷ついている、それをどんなに伝えても、相手は変わらない。言葉を換えれば何故「現状を維持したい/維持してもいい」と思っているのでしょうか?これには複数の理由があります。主だったものを以下に挙げます。

「事実の否定」という強力な心理的防衛

「事実の否定」とは「見て見ぬふり」「臭い物に蓋」という最も原始的で強力な心理的防衛です。意識の外に追いやって「なかったことにする」「無関心を決め込む」もそうですし、「そんなことは大したことじゃない。どこの家庭でも起きている」などと矮小化したり、「お前が被害者意識になり過ぎだ」などと責任転嫁することもあります。

「仕事で忙しい。疲れている」「家庭のことは妻であるお前に任せている」などもそうです。勿論これらは、一時しのぎになるだけで、問題の先送りをしているに過ぎません。葛藤耐性が弱いと真っ先にやってしまう心理的防衛です。

現状を維持するのが楽で安全と思い込む

人間の体には恒常性(ホメオスタシス)という機能があります。体温、脈拍、呼吸などが一定に保たれ、内的外的要因が加わっても、元に戻ろうとする機能です。寒い時には身震いをし、暑い時には発汗して体温を一定に保とうとします。疲れると猛烈な眠氣に襲われるのも、「健康な状態を維持しようとする」恒常性のためです。急激なダイエットがリバウンドするのも、この恒常性のためです。

これは体の機能だけでなく、心理的にも「現状を維持したい」本能として現れます。マリッジブルーや、学生から社会人になる直前に不安になるのも同じです。

未知に対する不安だけでなく、例えば今ではどの職場でもパソコンが配置され、社内のサイトから各種通達を部署単位で各自でプリントアウトしているでしょう。しかし、パソコン・インターネットが今のように普及する前は、「通達の紙が配られないこと」に不満を漏らす社員もいました。合理的に考えれば、誰かが部署の数だけプリントアウトし、配布の棚に置き、部署ごとに誰かがその棚まで取りに行く方が効率が悪いです。しかし効率云々ではなく、要は「慣れたやり方を変えるのに抵抗が起きる」のです。これも、新しいやり方に慣れてしまえば、誰も元に戻そうとは言わなくなります。

どんなに困った現状であっても「慣れた今のままが楽で安心」「変化を起こすことそのものが怖い、もしくは面倒くさい、もっと酷い状態になったら自分が惨めになる」これも中々自覚しにくいのです。

例えばダイエットに成功したら、「太ってた○○ちゃんだったから付き合ってくれてた人」が去って行くかもしれません。「そんな人、最初から友達でも何でもないわ」と腹を括れないと、これまでの交友関係を失いたくないがばかりに、ダイエットが成功しない、ということも起き得るのです。

現実に向き合うことによって「見たくない恐れ」が浮上する

例えば配偶者が、夫や妻である自分よりも、義両親を優先している場合、配偶者に「見たくない、認めたくない、親に対する恐れ」があるかもしれません。その恐れを「親を大事にするのは当たり前だ」などと一見尤もらしい正論でごまかされると、「そういうことじゃない」と余計に傷つきます。親を大事にすることと、今の家庭を犠牲にしてでも親を優先するのは別物です。

同居別居に関わりなく、義両親に境界線を乗り越えられ、操作されるとストレスはたまる一方です。「親との葛藤」のカテゴリーで再々触れていますが、親からの操作は恐れと罪悪感によるものです。この親に対する恐れと罪悪感に直面するのは、親にとっての「都合の良い子」で育ってきた人ほど難しくなります。

誰しも「自分は親に愛され、承認されてきた」と思いたいのです。その子供として当たり前の願いが打ち砕かれるのは怖いのです。その恐怖を乗り越えるのも、また勇氣が要ります。

この場合、価値観の優先順位(何が大事か)、限界設定、結果予測(この状況が続いたら何が起きるか)などを配偶者に考えてもらい、「問題視するべきことを問題視する」環境づくりを困っている方がする必要があるでしょう。

葛藤に伴う自分の怒り、恨み、憎しみを受け入れられない

ダイエットなど、自分一人のことなら、上手くいかない自分にフラストレーションを感じたとしても、他人、特に親から謂れのない理不尽な目に遭ったことへの葛藤とは、比べ物になりません。その葛藤には、怒り、恨み、憎しみが生じて当然です。

葛藤耐性が低く、「良い子」で育った人ほど、自分の怒りや憎しみを受け入れられません。怒りを感じる自分を認めたくないのです。

この場合はまず、日常の中でいわゆるネガティブな感情を受け止める練習から始めます。そして感じるべき怒りはあり、「キレ散らかす」のではなく、きちんと意思表示するべき時も、大人にはあることを理解します。

例えば、今の岸田政権が、国内のことを顧みずに海外に税金をばらまき続けることに、有権者たる大人は怒りを感じなくてはいけません。国家であっても、個人であっても、蔑ろにされることに怒りを感じ、それを拒絶してこそ責任ある大人の態度です。

自分と大切な人を守るために、時として怒り、その怒りには、やはり恨みや憎しみも混ざっている、それが生身の人間なのだということを少しずつ学んでいくプロセスが大切です。

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葛藤は変化を起こすための大事なエネルギー

「変化を起こす6段階のステップ」で書いた通り、変化を起こすには葛藤のエネルギーが要ります。人は「このままでいい」と思っている時には変化を起こしません。

ところで、赤ちゃんは生後3~4ヵ月くらいになると、寝返りを打つようになります。その寝返りも、単に骨や筋肉が発達したから寝返りを打てるようになる、それが大事なのではないそうです。「向こうを見れば、何か氣になる見たいものが見られる」「寝返りを打てば、お母さんの姿を見られる」でも、仰向けのままでは見られない。その葛藤を乗り越えようとした結果、寝返りを打てるようになる、その内面の動機が重要なのだそうです。

そのことと、心と体が緊張して、泣き叫んだ結果ごろんと寝返りを打つのは、中身が違います。

私たち大人の精神的な成長も、生後3ヵ月の子供が寝返りを打てるようになるのも、原理原則は同じです。対人関係においては、もっと生々しい恐れや怒りや、その奥にある悲しみに向き合うこと、そして誰にとっても難しい失望に耐える力などが必要になります。

赤ちゃんは仰向けに寝たまま、お母さんが移動して顔を見せてくれる。これをやってしまえば、赤ちゃんは寝返りを打つスキルを身に着けられません。葛藤が怖いから、面倒だから、先延ばしにして逃げてしまう。これをやったことのない人もまた、いないでしょう。しかしその時私たちは、「向こうにいるお母さんの姿を見ようとして」寝返りを打とうとする生後3ヵ月の赤ちゃんに、その赤ちゃんのチャレンジに、劣ってしまっています。

自分を押し広げ、良い変化を起こすために葛藤をエネルギーにし続ける。このことそのものが「一生勉強。一生修行」なのだと思います。そして「一生勉強。一生修行」だからこそ人生は生きるに値します。それが「等身大の自分」ということです。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
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