「No」を適切に言えるために
「No」と言うこと。
これを難しく感じる人は少なくないでしょう。
何故なら「No」と言われることを、あらかじめ期待する人はいないからです。
しかし、「No」を言えない、言わない人に付け込む人は枚挙にいとまがありません。
こうした相手に「付け込ませること」は、自分を大切にしていることではありません。また、付け込んでくる人のためにも、実はなっていません。
毅然とした態度をとることは、相手に味をしめさせない、誤った行動を繰り返させないためでもあります。
相手がその誤った行動をやめるかどうかは別として。
生きやすさのためには、自分のエゴのためではなく、自分と相手のために「No」を適切に言えるようになることも、大変重要です。
何故「No」と言えなくなるのか、5つの理由
「『No』と言えない」の主語は「私」です。
ですので、まずは自分の中の思い込みを解除したり、下に詳述しますが「断り方の引き出し」をあらかじめ持っておくなどして、自分が準備を整えておくことができます。
何故「No」と言えなくなるのか、その理由は千差万別ですが、主だったもの5つを以下に挙げます。
1.「嫌われたくない」自分の思惑
「俺のことを愛してるんだったら、コンドームなしでセックスしようよ」
こんなことを言われて「寝言ぬかすな!私の人生からとっとと出ていけ!」と啖呵を切って追い払えない場合、「彼に嫌われたくない、捨てられたくない」だから「No」を言えない、になっているでしょう。
依存心が強かったり、孤独に耐える力が弱いと、嫌われることを過剰に恐れ、「No」を言えなくなります。
2.「No」と言うこと=相手を否定すること
1と異なり、相手はそんなに無茶は言っていないし、断られたからと言って逆切れするような相手ではないのに、自分が「No」を言えない場合の方が、むしろ多いかもしれません。
飲み会の誘いや、急な残業、或いはおつきあいという関係性など、「こと」に対して「No」を伝えるのに過ぎないのに、相手の人格を否定することと混同している場合があります。
3.「No」と言うこと=我を通すこと、わがまま
「なんでも親の言うとおりにしておけば、『いい子』でいられる」「自分の感情や考えを伝えようとすると、親に否定される」こうした環境で育った人に多い思い込みです。
大切なのは「No」を言うことが即わがままではなく、その中身が、誰の何のためになっているかです。
自分の最低限の安全を確保するためや、他の人を守るために「No」を言わなくてはならないこともあります。
4.自分の考えよりも、周りを常に優先する癖。波風を立てたくない。
3とも関わりがありますが、「自分の考えを明確にし、伝える習慣が身についていない」「自分がどうしたいかから逃げ、人に決めてもらいたい」「相手への思いやりではなく、自分が批判されたくないから黙っている」こうした癖がついてしまっている場合、「No」が言いづらくなります。
3の裏返しで、なんでも親が先回りして、手出し口出しをし(「ああしなさい、こうしなさい」「あなたは私の言うことを聴いていればいいのよ」)、子供が責任を持って自分で決める習慣を身に着けていない、そしてそのまま大人になってしまった人に多いケースです。
確かに、周囲を不愉快にさせないために、今は自分の気持ちを抑えることが必要な場合も少なくありません。
「No」を言わずに波風を立てないことを優先する、協調性を重んじる日本人が取りがちな態度ですが、周囲への思いやりか、単に自分が傷つきたくないのか、振り返ることも大切です。
5.断り方がわからない
自分の思い込みの問題ではなく、スキルの問題である場合もあります。
下に詳述しますが、あらかじめ様々なパターンに備えて、自分の「断り方の引き出し」を持っておくと、瞬時に「No」を言いやすくなります。
「人」ではなく「こと」に「No」を言う
上記の2で見た通り、「No」は、「人」ではなく、「こと」に対してだということ、これを十分に腑に落としておくと伝えやすいです。
これは逆から言うと、自分が「No」を言われた場合、それを残念には思っても、自分の存在を否定されたように取らないことです。「こと」を断られたのに過ぎないのに、逆切れしたりすねたり、陰で文句を言っているうちは、人にも中々「No」は言えません。
「人」と「こと」を分けて考えられると、「No」を言うことに過剰な罪悪感を感じなくて済むでしょう。
例えば「あの人自身はいい人だけれど、酔うと下ネタがすごくて、あれが嫌なのよ!」「あの上司、まあまあ信頼できる人だけれど、あのしつこい言い方が嫌」など。下ネタやしつこい言い方が嫌だと思う、これはごく自然なことです。
ただ、下ネタが気にならない人もいますし、しつこく言ってもらわないとわからない、忘れてしまう、ということもあります。ただ今の自分が、それらを嫌だと感じているに過ぎません。
自分も「No」を言われて当然、それは自分の存在全てにではなく、ほんの一部、「こと」なのだ、と思えることが鍵になります。これには「ほれぼれとする完璧な自分でなければ愛せない」のナルシシズムを脱している必要があります。
「こんなことなら『No』と言ってほしかった」
また、「こんなことなら、はっきり断ってくれた方がよかったのに」と思った経験が、多くの人にあるでしょう。
飲み会の幹事さんなどは、「参加したくないなら参加したくないで、早めに言ってくれた方が助かる」ものです。
安請け合いをされて、締め切りに間に合わなかったとか、土壇場でキャンセルされたとか、「こんなことなら・・・」ということも世の中にはあります。
「早めに『No』を伝える方が親切」の事例を思い出しておくと、「No」を言いやすくなるでしょう。
「断り方の引き出し」の例
前述した通り、「断り方の引き出し」をあらかじめ用意しておくと、サッと「No」が言いやすくなります。以下はあくまで例なので、ご自分がしっくりくるように、ぜひカスタマイズしてみてください。
「先約があって」「多忙で」
常道中の常道。その時限りのお誘いはこれでお断りできます。相手も「気が進まないのかも」と内心思っても、大方はそのまま受け取ってくれます。
「興味が持てなくて」「苦手で」「好みではない」
「多忙で」だと「ではいつがよろしいですか!?」と粘られそうな場合は、はっきりと「興味がない」「苦手」「好みではない」と伝えましょう。これは相手を否定しているわけではなく、好みの問題なので、相手の体面を傷つけません。
「どうにも価値観(考え方)が合っていないようです」
「この人との付き合いを断りたいなあ」の場合、人格的なことを理由にしては相手を傷つけます。価値観、考え方が合わないのは良い悪いではありません。その人の価値観を尊重しつつ、ただ私とは合わない、と伝えます。
「私の限界を超えています」「責任を持てません」
特に仕事を断る場合は、はっきりと早目に。相手の問題ではなく、自分のキャパシティを超えている、と伝えると相手を傷つけません。できれば、「その代わり○○ならできます」や「△△さんを紹介しましょうか?」などと代案を伝えられると、誠実さが伝わります。
仕事の場合は「根拠と代案」を添えて
特に組織で働く場合は「できません!」だけでは、「できませんじゃない!何とかしろ!」になるでしょう。「今、○時までの締め切りの仕事を抱えているので、その後だったらできます」「その案は人員の確保が難しいので、お受けしかねますが、近日中に代案をお持ちします。いつまでにお持ちしたらいいですか?」など。
前向きに何とかしよう、という姿勢と、相手も困っていることを受け止めている、これが伝わると、心情を害しません。
余計なお節介には「それを決めるのは私ですから」と毅然と
「何で結婚しないの?」「※※したらいいのに、何でしないの?」など、誰にも迷惑をかけていないのにしつこく言われる。余計なお節介を焼かれることもあります。少しだけ聞いて「気遣ってくれてありがとう。でもそれを決めるのは私だから」とにっこり、きっぱり。
相手も、どうしても結婚してほしいわけでも、※※してほしいわけでもありません。それを言って「自分が優位に立った気分」を味わいたいだけの場合は、毅然とした態度で味をしめさせないことが肝要です。
嫌がらせには「相手にしない」や「質問返し」で
万座の前で「○○さんがあなたのことを××だと言っていたわよ~」など、同席している他人に嫌な思いをさせたくない、その気持ちの優しさに付け込んで、こんな嫌がらせを言う人もいます。他に誰がいようがお構いなしで食ってかかれる人に、こんなことは言いません。
例えば「へえ、そう、ふ~ん」だけ言って、視線を合わせない、思い切りスマホをいじりだすなどで「相手にしない」の「No」の態度も大切です。
相手が目上だとそうもいかない場合は、「△△さんは、そのことをどう思ってます?ぜひご意見を伺いたいです!」と質問返しで相手の意見を聞きだすのもひとつです。
「○○さんが~」を言った時点で、自分の手は汚したくない卑怯な態度をとったわけです。「あなたはどう思うの!?」と責任を持たせようとすると、十中八九逃げ出します。嫌がらせには毅然とが鉄則です。
「No」が言えるためには、心の中に強い「Yes」を持つこと
「No」を言えるためには、何が自分にとっての「Yes」なのかが自分でわかっていなくてはなりません。
前述の「俺のことを愛してるんだったら、コンドームなしでセックスしようよ」に「No」を言えるためには、「私はきちんと避妊してくれる人とだけ付き合う」という強い「Yes」を心の中に持っている必要があります。
自分がどうしたいか、何を大事だと思うのか、これが自分の人生に責任を持つということです。
しかし一方で、これらの自分の考えを持つことは、他人の反論にさらされうることでもあります。
だからこそ、多くの人は「長いものに巻かれろ」「寄らば大樹の陰」「だってあの人がこう言ったから」「誰かに決めてもらって自分は後ろについていきたい」をやるのです。
しかしそれをやっている間は、何が自分の「Yes」かがわからず、結果的に「No」を言うことはできません。
自尊感情、即ち「自分の存在を尊べること」は、何が自分の「Yes」なのかがわかっている態度にも裏打ちされています。自分の中に強い「Yes」がある人には、最初から「俺のことを愛してるんだったら、コンドームなしでセックスしようよ」と言ってくる人もまた、近寄ってはきません。