【境界線問題の4タイプ】最も支配されやすいのは「迎合的な人」

境界線問題の4タイプ・迎合的、回避的、支配的、無反応

境界線問題は「No」と言えない人だけのものではありません。

最も「割を食う」のは、「迎合的な人」、即ち「自分が我慢すれば良い」と譲ってばかりいたり、また「怒ってはいけない」「怒らせてはいけない」などと、「何が正しいか」よりもとにかく波風を立てないことを優先し、結果中々「No」を言えない人でしょう。

この記事に関心を持つのは「迎合的な自分」に悩んでいる人でしょうし、支配的な人や無反応な人は、そもそも自分の境界線問題を指摘されただけで拒否反応を起こすかもしれません。

それぞれのタイプについては後述しますが、良いことに「いいえ」を言う回避的な人、他人の境界線を尊重しない支配的な人、他者の必要に耳を貸さない無反応な人も、当然のことながら健全な境界線を育ててはいません。

この4タイプは、どれか一つだけというよりも、同一人物が複数のタイプを重ねて持ち合わせ、また相手や状況によって違うタイプが顔を出す(自分より下と思っている相手には支配的で、媚びへつらいたい相手には迎合的など)こともよく起こります。

以下に境界線問題の4タイプを解説していきます。

迎合的な人・悪いことに対して「はい」と言う

いわゆる良い子で育った人の中には、従順こそが美徳であり、「No」を言うこと、「嫌です」「やめて下さい」「それには反対です」「それはおかしいと思う」と言うことは、不従順で反抗的な態度だと、特に親から刷り込まれた人もいるでしょう。

ただただ従順な「言いなり良い子ちゃん」は、大人にとっての「都合の良い子」です。親が子供をそのままに見て、「この子の特性は何か。何を好んで、何が得意で、何は苦手だと感じているのか」に関心を持ち、その子の特性を伸ばそうとするのではなく、「学校の成績が良く、そして学校や警察から間違っても呼び出されたりはしない、自分達に迷惑を掛けないお利口さん」の鋳型にはめて育てようとすると、そしてその子の性格が素直で真面目で、なまじ頑張り屋だと、親の承認欲しさに従順な良い子に育ってしまいます。

また自分の悲しみや怒りを、親に「どうしたの?一体」と受け止めてもらえず、「そんなことで怒るあなたが悪い。被害者意識が強すぎる。後ろ向きすぎる」などと裁かれてしまうと、「お母さん(お父さん)なんか嫌い!」などとはもっと言えない、思ってもいけないと無意識に自分を縛ってしまいます。そしてそれが親以外の他人にも応用され、表面的には愛想よく親切にしていても、内心では不平不満と恨みがましさを延々と抱え、頑張っている割には毎日が辛く、楽しくないと感じているかもしれません。

殊に反抗期らしい反抗期がなかった人は要注意です。反抗期の子供が「うるせえ!クソババア!」と叫ぶのは、「それを言った後にもっと自分が惨めになったり、危険な目に遭ったりしない」と心の奥底で感じ取れているからです。勿論親の方は、「親に向かってクソババアとは何だ!」と毅然として怒り、自分の境界線を安易に乗り越えさせないことが更に重要です。内心ホッとしたり、小躍りするくらい喜んではいても。

迎合的な人は、相手の機嫌を損ねるのを恐れ、そしてそれは自分のせいだとすら思い込みます。相手の感情の「お世話をしなくてはならない」と無用な責任感を自らに課します。人と違う意見や好みを持つことを極端に恐れ、映画でも食事でもTV番組の話題でも、自分がどうしたい、何が好きで何は嫌いと主張せずに相手に合わせてばかりいたり。或いは、本当は自分が悪くないことでもすぐに「すみません」を連発したり。

しかし余りにも度が過ぎると、自分では上手くやってるつもりでも、友人の方は辟易して「あなたって一体どういう人なの?」と却って不信感を持たれてしまいかねません。

更に悪いことには、「嫌です」「やめて下さい」が言えないと、悪い人たちの格好の餌食になります。電車内で痴漢をする人は、間違っても「この手誰の手ですか?」と自分の手を掴んで叫ぶ女性、よろけたふりをしてハイヒールのかかとで自分の足を思い切り踏んづける女性は狙いません。或いは、避妊をしない交際相手に「何考えてるの⁉この部屋からさっさと出ていけ!」と一喝できず、ずるずると応じてしまい、結果望まぬ妊娠をしてしまう例も、枚挙に暇がありません。まさに「悪いことに『はい』と言う」態度が生む悲劇です。

悪いことに対して「ノー」と言えないと、いろいろな面に影響が及びます。生活の中の悪を拒絶できないばかりか、悪を認識することさえできなくなることがよくあるのです。迎合的な人たちが自分は危険な、あるいは虐待的な関係の中にいると気づく時には、すでに手遅れになっているのが多いものです。霊と感情の「レーダー」が壊れていて、自分の心を見守る能力がないのです。

悪に対する怒りを失ってはなりません。しかし迎合的な「良い子」ほど、自分が如何に酷いことをされたのかもわからなくなっていることが、本当に珍しくないのです。

「悪いことに対して『はい』と言う」のは、悪さをしたいのではありません。本書では「過酷な良心」と表現されていますが、心理学的に言えば「超自我」の「べき・ねば」が強すぎ、他者を怒らせたり傷つけることに、不要で過剰な罪悪感を持ってしまっています。自分の尊厳を傷つける他者と対決できないのです。その他者が近い関係、殊に親や配偶者だと「家族を大事にすべき」に自分で自分の首を締められて、何をされても逃げることすら考えられなくなってしまいます。

自分を罰するような「べき・ねば」は、恐れであり、愛ではありません。自分を罰することと、自分の態度や行為を振り返って「次はどうする」の反省をすることは全くの別物です。

迎合的な人にとっては、恐れではなく愛に基づいた良心に沿って判断選択する習慣を身に着け、少しずつ譲り合うことや粘り強く忍耐することと、自分を痛めつけて相手を喜ばせようとするのは異なることを、学ぶ必要があります。

回避的な人・良いことに対して「いいえ」と言う

上記の「良い子で育った人」の中には、迎合的であるだけではなく、回避的、つまり自分が困難な状況にある時に助けを求められない、それどころか「いいえ、結構です」「私は大丈夫よ」と反射的に自分から断って、相手をがっかりさせてしまう人も少なくないでしょう。

何でも自分でやらなければならない、出来るだけ他人を煩わせてはならない、その心がけ自体は、本来自分がやるべきことでも他人に押し付けて平氣という態度よりかはましかもしれません。しかしどんなことでも、場合によりけりです。

「優しくされると辛い」人は、回避的な人と言えるでしょう。また例えば仕事を抱え込み過ぎて、パンクするのも同じです。自分の限度・限界をまるで自分が不充分で「悪い」人間かのように取り違えるのは、謙虚なようで実は思い上がりなのです。

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回避的な人は「ありがとう」と言うべき時に「すみません」と言ってしまっていないでしょうか?長年の習慣はすぐに変わるものではありませんが、「すみません」ではなく「ありがとう(ございます)」を意識して言ってみる、その際自分が何を感じたかを観察してみる、そんなことから自分の境界線を壁ではなく柵に変えていくこともできます。

支配的な人・他人の境界線を尊重しない

境界線問題で、最も悩まされるのは「支配的な人」でしょう。「No」を言われること、また言われなかったとしても、自分にとって不満足な状態に忍耐できず、他人を威嚇したり操作したりして支配しようとする大変「困った人」です。

支配的な人には以下の二種類があります。

強引な支配者

著者は「このような人たち(強引な支配者)はまるで『はい』しかない世界に住んでいるかのようです」と述べています。返事は「はい」か「Yes」か「喜んで」の三択、それ以外はなし、というジョークがありますが、強引な支配者はまさにそれを地で行きます。

今風に言えばマウントを取りたがり、或いは無理難題を言ってごねれば何とかなると思い込んでいる幼稚さの現れですが、周囲が面倒がってごね得を許してしまうと味を占めてしまいます。本人は幼児的万能感を満たし、自信が付いたような氣分になるかもしれませんが、本当に誠実な人たちはその内去って行ってしまいます。

また相手が去らなくても、少し氣にいらないことがあるとコロコロと仕事を変え、職場環境のせいにして悪態をつくなども同じです。仕事を覚えて職場に慣れるまでは、仕事を教える周囲の人にもエネルギーが要ります。自分のためにエネルギーを割いてくれた人のことなど爪の先ほども考えず、自分の都合や感情だけで辞めてしまいます。

しかしそれではいつまでたってもスキルが身につかず、自分に自信を持てず、ですが「投げ出した自分」を心のどこかで知っていて、その自分をごまかすために更に「強引な支配者」になる、の悪循環です。

操作的な支配者

操作的な支配者は強引な支配者より不正直で、策略家です。天使の仮面を被っていることも多いです。強引な支配者の方が周囲にわかりやすく、本人に薄々でも自覚がある場合もありますが、操作的な支配者にはその自覚はほぼありません。

彼らは他者に自分の重荷を背負わせるよう、そそのかします。罪悪感に訴えることもあります。

(略)

操作的な人は自分の中に他者を支配したいという欲求があることを認めません。自分の自己中心性を棚上げします。

子供に「絡みつく」親はこの典型でしょう。自分こそが子供の最大の理解者だと思い込み、それを演じ、実際には子供の自立を阻害するためならどんなことでもやってのけます。子供を依存させて支配します。

また迎合的な人や回避的な人が、「お返しを期待して」つまり自分に愛情を注いでもらいたくて、相手に親切にするのも実は操作的な支配です。

このことと、例えば「あの人は私が誘ったら付き合ってくれるけど、あの人から『どこそこへ行かない?』とは言わないな」と氣づいて、それに寂しさや疲れを感じるのはまた異なります。その氣持ちに正直になるのが限度・限界の設定の基礎です。

境界線の傷

意外に思うかもしれませんが、支配的な人は本人の自覚の有無に関わらず、境界線に傷を負っています。

支配的な人たちはしつけられていない人たちです。自分の衝動や欲求を抑制する能力がほとんどありません。「人生において欲しいものを得ている」かのように見えるのですが、それでもまだ自分の欲の奴隷なのです。

(略)

支配的な人たちは孤立しています。恐れや罪悪感、あるいは依存関係によって彼らと一緒にいる人たちはいますが、正直に認めるなら、支配的な人は自分が愛されていると感じることは滅多にありません。他人が自分と一緒にいるのは、自分が裏で操っているからに過ぎないと心の奥底で分かっているからです。

ジャンクフードは「舌の満足」をもたらしますが、「体の満足」はもたらしません。食べても食べても、飽き足らないのはそのせいで、本当に体に良い食べ物は「お腹がはちきれそうになるまで」欲しくなることはありません。支配による偽の満足と、愛による心の充足との違いも、似たようなものでしょう。

無反応な人・他者の必要に耳を貸さない

支配的な人ほどあからさまではないにせよ、愛が欠如していると他者の必要に耳を貸さない無反応になります。無関心を装って逃げてしまうなどもそうです。

子供が何か問題を抱える、不登校や引きこもり、摂食障害などで「全身全霊で悲鳴を上げる」、その際大変よくありがちなのは、母親一人が抱え込んで、父親は仕事や趣味に逃げてしまうケースです。多忙や仕事の責任の重さを言い訳にしています。

そこまで深刻なケースでなくても、片方の親が子供の心を抉るようなことを言う、そのことに子供が「やめて」と言っても、或いはショックのあまり黙り込んでしまっても、もう片方の親が「お父さん(お母さん)、やめなさい、そんなことを言うの」と戒めず、知らん顔をするなどです。無反応になることで、その場から「いなくなって」しまいます。体はそこに存在していても。

こうした無反応は、それをされた人の心をじわじわと蝕みます。しかし、無反応の当人にはまるで自覚はなく、良心の呵責さえありません。単なる鈍感とは根本的に異なり、家族や身近な人への無責任という愛の欠如が根底にあります。

境界線問題のマトリックス

境界線問題の要約は、以下の図の通りです。

境界線問題は、自分と相手の双方が、凸凹が合致して成り立ちます。即ち、「自分の責任を他人に押し付けたい」支配的で無反応な人たちが、「自分の必要は放り出し、他人の世話を焼いてその上文句を言わない」迎合的で回避的な人たちに吸い寄せられます。

本書の最初の方に「ナップザックと巨石」の例えがあります。ナップザックは自分自身の日々の責任です。巨石は自分一人では背負いきれない重荷のことです。支配的で無反応な人たちは、自分のナップザックをあたかも巨石のように他人に押し付け、迎合的で回避的な人たちは、他人のナップザックを背負った上に、巨石を運ぶのに助けを呼ぼうとしません。

「人は自由に憧れると言いますが、違います。人は面倒を見てもらうことに憧れる」デニス・プラガー

大人はまず、自分の面倒は自分で見なくてはなりません。裏から言えば「自分の面倒は自分で(つい手を出したくなっても)『見させる』」です。例えば、意中の異性とデートをしたいのであれば、相手に誘わせるように仕向けたり、誘われるのをただ待っているのは、自分のナップザックを相手に背負わせようとしています。それで果たして、その異性を心から尊重し、愛していると言えるでしょうか・・・?

デニス・プラガーの言葉に沿えば、「面倒を見てもらいたい、相手の責任を奪い取ってまで面倒を見たい」間は、私たちは尊厳に支えられた自由を生きられません。譬え自信満々に「見える」支配的な人でも、本質的には自らを奴隷にしています。

自分も他人も傷つける境界線問題

さて、この4つのタイプの中で、どれが自分にとって一番強い傾向か、また人間関係で傷ついたのはどのタイプの人からだったか、思い当たる節があったかもしれません。案外、お人好しに思われる「迎合的な人」に悩まされたこともあるかもしれません。迎合的な人が悪事に「No」と言えず、自分も巻き込まれたり、尻拭いに奔走したり。迎合的で回避的な人も、自分だけではなく他人をも傷つけることがあるのです。

ご自身の人間関係の悩みを、この4タイプのマトリックスを使って整理してみると、「人間関係で悩みやすいパターン」が浮き彫りになるでしょう。是非活用して頂ければと思います。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
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