子供が氣づけない親の支配「必要なことをしない」

暴力・暴言などあからさまな支配はしなくても

スーザン・フォワードの「毒になる親 一生苦しむ子供」が日本で出版されたのは1999年です。それ以前は「親は子供を無条件に慈しむもの」という神話が生きていました。1980年代の後半には、チラホラと「アメリカでは子供に性虐待をする親がいるらしい」「アル中の親に苦しめられる子供がいるらしい」などと漏れ伝わってきました。しかし「アメリカだから」「日本にそんな親がいたとしても、極まれ」とここでも「事実の否定」が起きていました。

それから四半世紀が経ち「毒親」という言葉が日本でもすっかり浸透したように思います。

しかしそれでもなお、「自分の親は結構な毒親だったのではないか」「自分がされてきたことは、実は虐待だったのではないか」と子供自らが氣づき、認めるのは非常にハードルが高いです。認めること自体が苦痛だからです。また良識的であろうとする人ほど、「親のせいにするなんて」「被害者意識に嵌り込みたくない」と自制しようとするかもしれません。「実際はどうだったのか」を検証し、その過程で怒りや悲しみを感じることと、被害者意識に浸りっぱなしは異なります。しかし目に見えないことなので、中々その区別がつきにくいかもしれません。

暴力や暴言、食事をさせない、給食費を渡さないなど、あからさまな支配は相手にすぐに警戒され、逃げられてしまいます。また、学校の先生や近所の人などの周囲の大人が氣づきやすく、世間体を氣にし、またなまじ知恵が廻る親ほど、あからさまなことはやらないかもしれません。

そのため「やってはならないことをする」よりも、「子供にとって必要なことをしない」ことで、巧妙に支配し、自尊心を傷つけ、そして子供はそれに氣づかないまま大人になってしまうケースの方が、もしかすると多いのではと推測しています。「必要なことをしない」ことによって、子供が氣づかぬ内に自尊心を踏みにじれら続けるのも、暴力や暴言と同様に罪深く、成人後の「生きづらさ」の原因になります。

親に自尊心を傷つけられた弊害は尾を引く

学校教育によって子供の自尊心を傷つけられることもありますが、親によるそれとはまた違います。親からの言葉や、言葉以外のメッセージは子供の心に「内面化」するからです。この内面化されたメッセージが成人後の子供を一生支え、励まし続けるものになるか、「一生苦しむ」呪いになるか、親の心の健全度に大きく左右されます。

成人後の生きづらさは、持って生まれた資質や、学校等の家庭外の環境、どのような人と出会ってきたか、自分自身が勉強し、努力する習慣を身に着けたか等にも大きく左右されます。親だけが全ての責めを負うわけでもありません。しかし、親から巧妙に自尊心を傷つけられて、「生きやすくなる」ことはありません。その弊害は、中年を過ぎても長く尾を引いてしまいます。

子供の自尊心を傷つける「必要なことをしない」例

もし「暴力や暴言はなかったにせよ、私は親に本当に大切にされたのだろうか?もしかすると巧妙に自尊心を傷つけられたかもしれない」と迷う場合は、以下のようなことがなかったかどうか、振り返ってみるとわかるかもしれません。これらは「子供が健全に育つために必要なことをやっていない」「子供を心から大事にしていたら決してやらない」例だからです。

挨拶をしない

挨拶は「相手の存在を認め、尊重する」態度そのものです。家庭の中でこそ、挨拶は重要です。最も遠慮の要らない家族に取った態度がその人の本性です。家族に挨拶をしないのに「私は我が子や夫/妻を愛しています!」はあり得ません。特に「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」が親からあったでしょうか・・?

靴下や下着が破れていても取り換えない

「子供の頃、自分の靴下に穴が開き、それを母親の目の前で自分で繕っていた。大人になると、それが如何に異様なことかに氣づいた」と話してくれた人がいます。戦後まもなくならいざ知らず、子供の靴下代などいくらでもありません。ブラウスやスカート、ズボンはそれこそ世間体を氣にして破れたものを着せなかったにしても、外から見えない下着、靴下では「氣づかぬふり」をしていることもあります。

お小遣いでは手に入れられない物を持っていても関心を示さない

こうしたものをどこから、誰からもらっているのか、その背景に考えを巡らせないのは、子供の心に無関心だからです。本当に親に知られたくないのなら、目につかないところにしまい込んでおく筈ですが、わざわざわかるように置いておくのは、その子供からのサインです。言葉で言えない何かを訴えていて、それは誰でもなく親にわかってほしいのです。

子供の交友関係に関心を持たない

上記と関連しますが、学校の成績にはこだわっても、どんな友達がいるのか、学校で寂しい思いをしていないかに関心がない親もそう珍しくありません。中高生にもなれば、「学校ではどんな友達と付き合ってるの?」と訊かれても、面倒くさそうに返事をするでしょう。しかし内心では「うちの親はそんなに無関心じゃないんだ」とホッとするものです。

入院や震災時にお見舞いをしない

子供が親元を離れた後に入院した際、お見舞いをしない、遠方なら葉書の一枚も出さない親もいます。震災などの場合も同じです。渦中にいる時は「誰が見舞いに来た、来ない」など考える余裕などなくても当然です。ですので案外子供本人は氣づかなかったりします。

卒業や入試の合格を喜ばない

上記と同様に、子供本人は友達との別れを惜しんだり、新たな生活への関心で心が一杯になっていて、その時の親の態度まで考えが及ばないものでしょう。しかし子供の大きな節目に、親自身がホッとしたり、新たな門出を祝福していると伝えようとしない、最初から考えていないこともあります。成人後も、職場での昇進昇格を喜び、励ましたか。「あんたの仕事はクレーム処理係か(クレーム処理も大事な仕事ではありますが、管理職の仕事の中枢ではありません)」などと見下した言い方をしていなかったかどうかです。

これらのことは、その時は泣いたり怒ったりせずに、見過ごしてしまう方が多いでしょう。子供は「親は自分を愛してくれているはずだ」と信じたいので、自分から見て見ぬふりをしてしまいます。しかしいずれも「自分の存在を大切にされていない。尊重されていない」というメッセージが、無意識下に刻まれてしまいます。

またこれらはほんの一例です。その家庭独自の事例もあるでしょう。「当時は氣づかなかった『必要なことをやってもらえなかった』例」はどのようなものがあったか、勇氣を出して、そして時間をかけて振り返ると、傷ついていた自分に氣づくことができます。

「子供が親を超えた存在になること」に脅威を感じる親

では、一部の親は何故、子供の眼から見ればこのような異様なことを平氣でやるのでしょうか・・・?若干長くなりますが、フォワードの「毒になる親」から引用します。

子供が親から離れていくプロセスは思春期にピークを迎え、子供は親の価値観、好み、権威、といったものと対立していく。比較的安定している家庭においては、親はそのような親子関係の変化が作り出す心配事もたいていは耐えることができ、子供の離反や頭をもたげる独立心を、積極的に後押しはしないまでも黙認しようと努力することはできる。比較的理解のある親なら、自分が若かったころを思い出して「まあ、いまはそういう時期だから」といって見守ってやることができるのである。そういう親は、子供の反抗や離反は情緒の正常な発達のプロセスであることがわかっている。

ところが、心の不健康な親は、そのような理解を示すことができない。幼児期から思春期に至るまで、あるいは成人していればなおのこと、子供の離反はおろか自分と考えが違うことすら自分に対する個人的な攻撃と受けとめてしまう。そういう親は、子供の「非力さ」と親に対する「依存度」を大きくさせることによって自分の立場を守ろうとする。子供の健康的な精神の発達を助けるのではなく、それと反対に無意識のうちにそれをつぶそうとするのである。しかも困ったことに、しばしば本人は子供のためを思ってそうしているのだと考えていることが多い。このように親のネガティブな反応は子供の自負心を深く傷つけ、開きかけている独立心の芽を摘み取ってしまう。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」太字、下線は足立による

多少口うるさかったり、心配性だったり、「怒る時は本当に怖い」親でも、心が健全な親は「子供が親を超えた存在になること」を自分の子育ての成功と捉えることができます。これは考えてみれば当たり前で、「自分が選手だった時よりも、教え子の成績が良いこと」を誇れないコーチはコーチとは言えません。自分がメダリストにはなれなくても、教え子がメダルを取れれば、コーチ冥利に尽きるものでしょう。「自分はそのためにこそコーチになったのだ」と胸を張って言えるでしょう。

心の不健康な親はその逆で「自分がメダリストになれなかったのだから、お前がメダリストになるなどもってのほか」という非常に歪んだ考え方をしています。態度は高圧的だったり「かまいすぎて子供を窒息させる」であったりしますが、動機は同じです。

なので「事あるごとに、子供の自尊心は打ち砕かねばならない」のが彼らのロジックであり、それに憑りつかれればこその「毒になる親」です。

「親を超えた存在になること」に罪悪感や恐れを感じていないか

フォワードの「毒になる親」にも、ダン・ニューハースの「不幸にする親 人生を奪われる子供」にも、あるいは他のサイトにも「自分の親は『毒になる親』『コントロールを過剰にする親』だったか」のチェック項目があります。これらを参考にするのも自分の振り返りに役立つでしょう。

とは言え、チェックシート的なものには限界があります。一つには表現がどうしても最大公約数的になり、抽象的なために自分の身に起きたことに当てはまっているのかわからない場合があるからです。もう一つは、或る事例が当てはまったからと言って、その背景を顧みないと「毒になる親」かどうかはわからない、ということです。例えば「親が子供の身だしなみや食事のマナーに口うるさかった」のは、当の子供にとっては嫌な思い出だったかもしれません。しかし親の実家が来客が多かったために、その親自身が祖父母に厳しくしつけられ、何の疑いもなく「そうするものだ」と思っていた、というケースもあります。

ですので、一つ一つの行為があったか、なかったかよりも、親がどのような動機で子供と接していたか、或いは接しなかったかを考えた方がわかりやすいでしょう。例えば上記の「卒業や入試の合格を喜ばない」のは、「子供が親を超えた存在になることに脅威を感じている。しかし自分の世間体は満足させたい」が動機であれば、辻褄が合います。人が生きる動機はそうコロコロ変わりません。

そしてより大切なことは、子供である自分自身が「親を超えた存在になること」「親よりも、或いは親とは無関係に幸せになること」に罪悪感や恐れを感じていないかです。

子供は無意識の内に、「家庭の均衡を保とうとして」成人後も親よりも劣った、無力な存在でい続けようとすることがあります。親に「見下され続けること」さえも受け入れてしまうのです。幼少期の「家庭は自分の全宇宙。これが壊れると自分は生きて行けない」世界観は誰もが持ちます。子供を支配し、非力で自分に依存する存在でい続けさせたい親は、この子供の世界観を実に巧妙に利用し続けるのです。

「望んだ親子関係」は得られなくても・分離自立は一生の課題

「自分の親は心が健全で、自分の成長や幸福を心から喜んでくれるはずだ」と望まない子供はいません。ごく普通の良心的な人なら、親孝行の一つもしたい、余裕があれば温泉旅行にでも連れて行って、親を喜ばせたいのです。

心が健全な親なら「温泉旅行も嬉しいけれど、あなたが幸せで元氣でいてくれる方がずっと嬉しいよ」と望むものです。心が不健全な親は、温泉旅行に連れて行っても「あれが最後か。もっと寄越せ」とほのめかし続けます。はっきり言うケースもあります。他人なら「何、この人。頭おかしい」と距離を開けられても、親に対しては「事実の否定」の見て見ぬふりをやってしまう、それが子供の悲しさでもあります。

ですが人生の時間は有限であり、大人の私たちが責任を負うのは親の生き方、あり方ではありません。「自分は望んだ親子関係を得られなかった」と受け入れるのは、とても辛い作業で、長い葛藤が生じます。しかしそれを乗り越えないと、親に振り回され続けて貴重な人生の時間を浪費し、結果自分が果たすべき責任を果たせません。真の自信、そして自分を肯定できるのは「自分はやるべきことはやった。やり切った」と自分に対して思える自負心に支えられればこそです。

親が「子供が親を超えた存在になること」に脅威を感じているのは、子供の立場からすれば情けなく、悲しいことです。しかしそれは、あくまで彼ら自身の問題であり、子供であってもそれをどうこうはできません。脳は「本来なら関係ないもの」を瞬時にくっつけてしまう強力な磁石のような性質があります。この性質を分かった上で、課題の分離をし、そして分離自立をしつづける、それも外側からは決してわからない、責任に目覚めた自尊感情豊かな生き方なのです。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。