毒親を「困ったクレーマー」のように・反応から対応へ

怒りを感じることはスタートライン、でも怒りに支配されっぱなしは良くない

自尊感情が低いと、自分を蔑ろにされても怒れません。そのままずるずると見て見ぬふりをしたり、何の疑問も持たずに受け入れてしまいます。親に対しては特にそうです。ですので「怒れるようになる」のは、自分の尊厳を取り戻すためのスタートラインです。

しかし一方で、「怒りに支配されっぱなし」もまた、健全な心の状態ではありません。

「親に人生をコントロールされたりするものですか。親なんか大っ嫌いです。むこうもそれは知っていますよ」

けれども私と話しているうちに、彼女はそのように怒りを煽られているという事実こそ、いまだに心をコントロールされている証拠なのだと氣づきはじめた。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」

この引用の状態は、親との分離において、多くの人が経験する過程の一つです。以下のような例も、「親に怒りを煽られ、心をコントロールされている」状態と言えます。

  • 「何もすることがない時」「一人でいる時」にはいつでも、親への怒りや憎しみが沸々と湧き上がる。
  • 親への怒り、憎しみに心が囚われ、自分自身の人生の目標や、やりたいことにエネルギーを注げない。
  • 親からの電話やメールがあると、一瞬「ああ、うんざり」と思うに留まらず、動機が止まらなかったり、夜眠れなかったりする。
  • 他の人からなら氣にしない些細な指摘も、親からされると受け流せず、過剰に嫌悪し、激怒し、後々まで引きずる。
  • 親が改心して謝罪し、態度を改めなければ、親から解放されず、私の人生は幸福にならない。

この状態が「悪い、ダメ」なのではなく、一つの段階と捉えて頂ければと思います。親との境界線がどのような状態か、整理すると以下のようになります。

  • 「蔑ろにされても怒れない」のは境界線がほぼない状態。
  • 「怒りに支配されている」のは境界線はあるが傷ついている状態。
  • 「分離が進み、反応ではなく対応できる」のが境界線が強くしなやかになっている状態。

「反応ではなく対応」とは、このサイトで取り上げている「毒になる親」「不幸にする親」「境界線 バウンダリーズ」でも異口同音に言及されています。しかしこの言葉だけだと抽象的で、具体的なイメージがつきにくいかもしれません。

今回は、「反応ではなく対応」が「ああ、こんな感じね」とイメージできるよう深掘りしていきます。

反応と対応の違い

人間関係において、反応的になると碌なことがありません。自動的・反射的に、ただ感情や、目先の損得だけで反応してしまう態度です。キレる、むくれる、言い訳する、言いなりになる、黙り込むなどがそうです。これは情動をつかさどる大脳辺縁系の、別名パニックボタンとも呼ばれる扁桃体に、脳が乗っ取られている状態です。

扁桃体は、好き嫌い、快不快、また恐怖を感じる役割があり、これを止めてしまうと私たちは恐怖を感じられず、生き延びることができません。ですので、反応は反応として受け止め、考える、大脳新皮質の前頭連合野を使って自制するのが対応とイメージして頂ければと思います。扁桃体は脳幹に近い、脳の深いところにあり、前頭連合野は脳の一番外側の前の方、おでこのあたりです。

扁桃体は生まれた時から完成されていますが、前頭連合野の完成は遅く、25歳頃と言われています。そして衰えるのは真っ先です。人間の成熟とは、前頭連合野が如何に使えているかとも言い換えられるでしょう。客観性、計画性、分別、戦略的な思考、意欲、創造性、責任も前頭連合野が担います。つまり大人の脳です。子供じみた「毒になる親」は、この前頭連合野が使えていません。ですので、「立場は子供であっても、親よりも自分は前頭連合野を使えている」と思えると、対応への自信になるでしょう。

毒親を「困ったクレーマー」のように対応するとは

「毒になる親」への対応は、「困ったクレーマー」に対応する時のやり方を応用します。クレーマー対応は大変ではありますが、原理原則がわかれば「誰かにできて、誰かにはできない」仕事ではありません。「クレーマーには対応できるが、親には中々できない」のは理由があります。クレーマーと親との違いも後述します。

クレーマーへの対応は疲れはしても、酷い自己否定感には通常なりません。以下のような境界線を明確にできる要素があるからです。

  • 元々は見ず知らずの他人。
  • 相手は「誰でもいいから」とっ捕まえて嫌がらせをしている。
  • 私個人としてではなく、職場の代表として対応している。
  • 職場の人と報連相をするので、客観的な視点を得られ、また孤独にならない。

時にはうんざりして「誰かあの人、どないかしてほしいわ!」などとボヤキが出るかもしれません。しかし本氣で「あの人が悔い改めて謝罪しなければ私の氣が済まない」とは思いません。クレーマーの人格や行為は、「自分の問題ではない」と線引きできているからです。「どのように対応するか」は職場を代表する自分の課題です。即ち課題の分離です。

親に対しても同様に「親の人格と行為は私の問題ではない。しかしどう対応するか、また受けてしまった不要な洗脳をどう解き、心を癒すかは自分の課題」課題の分離が、反応ではなく対応への前提になります。

クレーマー対応の鉄則は以下の通りです。

  • 事実に基づく。
  • どちらが良い、悪いの議論にはしない。
  • できることとできないことを明確にし、その根拠を伝える。
  • 丁寧に対応はするが、あくまでも対等。無闇に卑下しない。
  • 相手の挑発には乗らない。
  • 「まあ、これくらいなら」と安易な譲歩はしない。

これらも上記の前頭連合野を駆使してやっています。

また「ごく少数のクレーマーに、自分のキャリアの全てが支配される」ことはありません。職場の他の「困った人達」も同様です。しかし私たちは、よくこのことを忘れます。

良くも悪くも、親に影響を受けない人はいませんが、「親に全人生を支配されている」人はそう多くはないでしょう。「親に完全に支配され切ったわけじゃない。支配を受け、傷ついた自分もいるけれど、自分の中の何割かは、自分で自分を守り、学び、成長した」と改めて振り返ってみます。

「支配する親」は、我が子にいつまでも「自分よりも無知で無力で、自分に依存する存在」でいて欲しいのです。これもクレーマーと親との違いの一つです。「そうじゃない!私は立派に生きている」と自分が思えるようになることが大変重要です。

クレーマーと親との違いを明確にし、乗り越えると分離・自立が進み、「絡めとられない」自分になっていきます。以下にクレーマーと親との違いの代表的なものを挙げます。

クレーマーとの違い①愛の裏返しの激しい怒りと深い悲しみ

これがクレーマーと親との最大の違いでしょう。子供は親を無条件に愛し、信頼します。その打算のない愛情を利用され、踏みにじられれば、他では感じることのない激しい怒り、そして悲しみを体験します。「怒りを外に出す」大切さとやり方は、別の記事で詳述しましたので、ご参考にして下さい。

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クレーマーとの違い②親と自分を同一視しがち⇒「親と自分は別人格」に

また、子供は親と自分を同一視しがちです。他人が「この人の親、ひどいなあ」と思っても、その人に面と向かってそれを言うと、相手を傷つけてしまいます。「あなたの上司、結構ひどくない?それモラハラだよ?」と言われると、「やっぱりそうかな」になり得ることとの違いです。

ただでさえ、子供は親と自分を同一視しがちなところに加えて、「毒になる親」は子供の分離・自立を励まさず、喜びません。事あるごとに子供の自尊心を傷つけて、自立を阻もうとします。子供が自分を超える存在になってほしくないからです。

ですからより意識的に、自分の価値観や信念を磨き、深め、自己認識、即ちアイデンティティの土台を養っていくことが必要になります。

「だってあの人が、みんなが、誰それがそう言うから、するから」「だって同調圧力が」の責任転嫁の言い訳をしていては、自分からカオナシ、のっぺらぼうになってしまいます。境界線どころではありません。

「自分の一つ一つの選択が、アイデンティティの土台になる」この自覚の元に選択責任を負うと、自分の輪郭がはっきりしていきます。「確かに親は血縁者だけど、私と一緒にせんといてほしいわ」とサラッと思えると、「親と自分は別人格」になり、分離が進みます。

クレーマーとの違い③縁が切れるのが怖い・罪悪感がある・悲しい

親との縁が切れるのが怖い場合、何を恐れているのか自分に質問します。きょうだいや親戚に悪口を言って回る、罵詈雑言の電話がかかる、遺産を分け与えないなどが想定されるかもしれません。それらについても、「悪口は言わせておく。真に受けて信じる方が悪い」と割り切る。罵詈雑言が余りにひどい場合はストーカー被害の対策を取る。遺産を当てにしなくて済むよう経済状態を整える、などの対応が必要になるでしょう。

また罪悪感は「親を喜ばせないと自分が悪いような氣がする」になっているかもしれません。人を喜ばせたい氣持ちは美点ですが、「全ての人が喜ぶ映画や、口に合うお菓子はこの世にない」です。例えば映画デートに誘ったものの、期待外れで退屈してしまったとします。その際「期待外れだったかな?退屈させちゃったらゴメンね」と配慮はしても、過剰に自分を責めると相手も氣が重くなります。普通の心ある相手なら「そんなこと、見てみるまでわからないよ。氣にしないで。ね、お茶か散歩でもしない?」などと明るく切り替えて、二人の時間を大事にしようとするでしょう。

「こんな退屈な映画によくも付き合わせやがったな」と言ってくる、或いはむくれた態度で示す相手とは、それ以上付き合うのは考えものです。「親である自分を喜ばせないと/悲しませると罪悪感を感じるように仕向ける」のは、「よくも付き合わせやがったな」をやっています。自分が本当に悪いことをして、親が悲しむのに良心の呵責を感じるのとは違います。自分の機嫌のお守りを他人にさせる赤ん坊のまま、親に成ってしまった人の尻拭いを、子供であろうと他人がやってはいけないのです。

また悲しみは④で詳述しますが、無理からぬ感情です。しかしまた、悲しみは成熟した大人の条件でもあります。

クレーマーとの違い④失望に耐える力が必要

全ての人間関係に言えることですが、「私がこの失望に耐えずに済むように、あなたが変わって」をやってしまうと、誰でもなく自分自身が無間地獄に陥ります。

自分の親が、自分を愛していない、それどころかエゴのために利用し、踏みにじってきたと認めるのは非常に辛いです。情けなさ、悲しみ、寂しさがあって当たり前です。これらの感情は薄れはしても、消えてなくなることはないかもしれません。

②と関連しますが、自分の価値観・信念を明確にし、共感し、尊重しあえる人と繋がり合うことそのものが癒しになります。「血縁者であってもわかりあえる、尊重しあえるとは限らない。その代わり、自分は良い人とのご縁を繋ぐことができる」これもまた、自分が親に縋ってしまわないための条件になります。

信念らしい信念などない、「まあそこそこ上手く立ち回っとけばいいや」の人は、深い失望を感じることもないでしょう。誰にもわからない失望に耐える力こそ、その人の品位であり、成熟の目安だと私は思います。

クレーマーとの違い⑤着地点、ゴールが不明確、もしくは非現実的

クレーマーの対応は、譬え初めてであっても、腹を据えて、上司や関係部署とのコミュニケーションを密にすれば、繰り返しますが「誰かにできて誰かにはできない」仕事ではありません。

それは何故かというと「落としどころ、着地点、ゴールが明確」だからです。最大公約数的に言えば「他のお客様のご迷惑にならないように、出来るだけ長引かせず、早めにお引き取り頂く」になります。その共通の目標に向かって、関係者が心を合わせて動くからです。

親とのかかわりでは、この「落としどころ」が不明確だったり、或いは非現実的な望み(改心して自分の痛みに共感し、謝罪してほしい、など)になっていることがあります。それは例えるなら「一体どこへ向かって航海するのかわからない」「現実にはないユートピアに向けて航海している」です。目標を明確にするのは、取るべき道筋をはっきりさせ、自分から迷子にならないためです。

今の自分が置かれている状況や、精神的な限界を考慮して「今はこれがクリアできればOK」の目標を明確にします。その際「きょうだいや親戚にどう思われるか、言われるか」を考えてしまっては、目標がぶれてしまいます。何か言われた際の「嘘も方便」は必要に応じて考えておきましょう。血縁者であっても無理解な他人は無責任な外野に過ぎません。これも境界線を明確にすることの一つです。

また職場のクレーマー対応と同様に、信頼できる相手(配偶者、きょうだい、親友、カウンセラーやセラピストなど)に適宜相談すると、客観的になれ、孤独にならず、冷静な判断を下せるようになるでしょう。

親が未だに支配したがっても「知らんがな」と一蹴できると分離に

クレーマーが無理難題の難癖を付けてくると、「弊社としてはこれ以上、○○様のご要望にはお応えし切れません。お役に立てず誠に申し訳ございません」などと丁重にお断りします。そして内心では「こんな無理無茶、知らんがな。できへんもんはできへんの!」と毅然と境界線を引いています。

親が未だに罪悪感を刺激したり、怒りや脅しで操作しようとしても、同じように内心「知らんがな」で一蹴できれば、かなり分離は進んでいるでしょう。

分離は自立のための責任を負い、孤独に耐える力を養う必要があります。その過程では時に長い葛藤が生じ、エネルギーが費やされます。しかし紆余曲折の後には、このように私たちに自由をもたらすものでもあるのです。

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。