悩みとは期待と現実のギャップ
悩みとは一言で言えば、自分の期待と現実のギャップです。嫌だなと思うのは、現実が自分の期待通りになっていないからです。日本では電車が数分遅れただけでイライラするのに、外国だと気にならなくなるのは、日本での期待値が高いからです。そして通常人は、「自分の期待値が高いせいだ」とは思いません。
理想を高く持って努力する人ほど、葛藤が増えます。真剣に、そして「自分の選択に責任を持つ」生き方をすればこそ、葛藤は起きて当然です。「だって」で責任転嫁をしている人に、不平不満は出ても、自分を押し上げる葛藤のエネルギーは沸きません。
女子バレーボール日本代表の監督だった、中田久美さんを追ったドキュメンタリーが数年前にありました。選手たちの意識改革が思うように進まず、中田さんは葛藤します。
イタリアでの遠征合宿中、練習用のボールが2個なくなり、中田さんは全員の前でそれを叱ります。
「このチームは何かが足りない」
「何でボールをなくすの!しっかりしなさい!」と叱っていたのではありません。オリンピックでメダルを取るようなチームが、ボールがなくなっても平気、そのようなことはあり得ません。中田さんは一生懸命そのことを伝えようとしますが、中々伝わりませんでした。
深刻そうな顔をして聞いていた選手もいれば、「久美さんは何をそんなに怒っているんだろう」とでも言いたげな選手もいました。そうした選手がいるから、このようなことが起きるのですが。
やがてその綻びは、格下のチームに負けるという結果に現れます。
吉本興業・小藪座長「メンバーをAからEまでランク付け」
チームを率いて結果を出さねばならないリーダーにとって、人材育成は大変重要な仕事です。人材育成ほど時間とエネルギー、創意工夫が要るものはないでしょう。思ったようには中々報われないのも、人材育成について回る悩みです。
吉本興業の座長の小藪千豊さん(2022年8月の公演にて座長を辞めるとのこと)は、あるインタビュー番組で「メンバーをAからEまでランク付けしている」と言っていました。
Aランクのメンバーには、チャンスも与えるがダメ出しも厳しく、下になればその逆になる、そうしたランク分けです。ここまで細かくランク分けするかどうかは別として、企業でもそのようなことは行っているでしょう。時間も資源も限られているからです。
ランク分けにはメンバーの才能と、意欲、負けん気、打たれ強さなどもあるでしょう。どんな世界でも、才能に胡坐をかいて、最初は良くてもあっという間に追い抜かれてしまうことはまま起こります。
このランク付けは固定化されたものではなく、入れ替わりは当然あるそうです。
「今のこの人にどこまで受け入れられるか」
私たちも身近な人間関係において、この小藪さんのランク分けを応用することができます。「今のこの人に、どこまで言っても大丈夫か。自分を受け入れてもらえるか。もしくは自分が相手を受け入れられるか」
譬え家族であっても個々人、そして状況や事柄に応じて千差万別であり、流動的です。しかし私たちはしばしばこのことを忘れ、「誰に対しても、いつでも同じように」接してしまいがちです。そして相手が期待通りに振舞わないと腹を立てます。
これは誰でも分け隔てなく付き合うこととは異なります。相手を大事にすればこそ、「今のその人」を見極めようとする態度です。
そしてこれはまた、単なる忖度や迎合とは違い、自分が相手の出方に惑わされない、ふらふらしない軸があってこそできることです。踊りや武道で、体幹が鍛えられているからどんな体勢でも取れるのと相似形です。
人がああ言うからあっちへ、こう言えばこっちへ、突っつかれた方へふらふらと追いやられているようでは、即ち人の目ばかり、自分がどう思われるかばかり気にしていては、「今の相手を見る」どころではなくなります。「だってあの人が」とはこういうことです。自己保身と言い訳に終始し、誰のことも見ていません。
人の目を気にするとは「自分が人からどう思われるか」であり、「相手が何をどう感じ、考えているのか」を知ろうとする態度ではありません。本人は悩んでいるようですが、その間相手を思いやってはいません。極論すれば、相手は「いないことにされている」のです。「自分をいい人だと思っておきたい。悪く思われたくない」も動機において全く同じです。
またよくありがちですが、「とりあえず目先の波風さえ立たなければいい」も、本質的に大事なことを先送りすることになりかねません。
軸を持つための二つの質問
ふらふらしない軸を持ちながら、相手を見るためには、以下の二つの質問を自分にする習慣が必要です。
「大事なことは何か。何を優先するべきか」(価値判断、優先順位付け)
「この状況が続いたらどうなるか。それをしたらどうなるか」(結果予測)
「正しい/正しくない」から「何が大事か」へ私たちの心が深く傷つくのは、大事なものやことを傷つけられた時です。「どうでもいい」とはある種の救いで、どうでもいいことには私たちは余り悩みません。価値観のない人はいません。しかし多[…]
この二つの質問は、かなり意識的に自分にやらないとやりません。幼い子供に「宿題が先でしょ!ゲームばっかりしてたら宿題をする時間が無くなるでしょ!」と言っても、中々言うことを聞きません。即ち、優先順位付けと結果予測は、誰にとっても後天的な訓練の賜物です。そして「誰かにできて、誰かにはできない」類のものではありません。
「嫌だなと思う人から引き出しを増やしてもらってるよね」IKKO
中田久美さんは、上記のエピソードの後、選手一人一人に面談をします。それも別室に二人で差し向かいで、ではなく、体育館から合宿宿舎までの帰り道で、歩きながら対話をしました。
その動機は「みんなは何を考えているのだろう」でした。監督ですから、選手たちに「こうあってほしい」の期待はあって当然ですが、それと共に、今の彼女たちが「何を考えているのか」を知ろうとしました。
一体どれくらいの人が、自分の上司が「何を考えているのか知りたい」と思ってくれた、そんな経験をしているでしょう?親が我が子に対してでさえ、自分の不安を解消したくて干渉することはあっても、「何を考えているのか知りたい」「どう感じているのか知りたい」という態度を取れる人の方が稀です。
そうでなかったら、2022年5月現在、子供たちのマスク生活が2年も続いてはいません。外国ではもうマスクをしていない国の方が、ずっと多くなっているにもかかわらず。
思春期には「干渉されるよりまし」と思っていてもセッションのご相談で圧倒的に多いのは、親子関係に関することです。成人した子供が、親から受けた傷、刷り込まれた囚われに悩み、それを見つめ直し自身を解放するプロセスは一筋縄ではいきません。[…]
2021年の東京オリンピックでは、中田監督率いる日本女子バレーチームは予選敗退し、残念ながら結果を出すことはできませんでした。
但し心にとって重要なことは、結果ではなく、プロセスをどう生きたかです。どのような心がそこに込められていたかです。
上司は部下を育てるのが仕事ですが、同時に部下に育ててもらってもいます。一を聞けば十わかる部下ばかりでは、上司は成長できません。
イヤだな~と思っている人から、引き出しを増やしてもらってるよね。
「人にはいろんな感情と考え方があるもの。その十人十色のいろんな感情と考え方を、絶えず学んでいくこと。そうすると人間関係の『引き出し』が自分の中に増えます。引き出しは、楽しい人には増やしてもらえないのよ。だって楽しく付き合ってるときって、人間関係に悩まないから。
いろんな人がいるよね~って障害にぶつかったところから対応策が生まれます。自分で経験してはじめて『こういう人にはこういう風に接しなきゃいけない』ってわかってくるものなのよ。
いろんなパターンを知ることで、自分の対応のバリエーションを増やすことができるということ」
IKKO 心の格言 200
「いろんな感情と考え方を、絶えず学ぶ」とは、当たり前のようで当たり前ではありません。生身の人間から学ぶのは、本やセミナーでのお勉強とは異なり、葛藤が生じるからです。自分が傷つくからです。自分の軸がぶれないからこそやれることであり、それをやりきって得た気づきを自分の引き出しにするから、また自分の軸が強くなります。
ただただ被害者意識に埋没したり、自責だけをして、どちらにしても悲劇のヒロインに自分からなるのは、経験を「引き出しにしていない」のです。だから心の中が取っ散らかったまま、自分から余裕をなくし、疲弊していきます。そして「いっそのこと誰とも付き合わない」になりかねません。
達人とは変幻自在ができること・変幻自在のための引き出しづくり
私はクライアント様の引き出しづくりのやり方を提案したり、或いはクライアント様のもやもやとした感情を言語化し、気づきに変えて、「引き出しに入れやすくする」お手伝いはできますが、その人の引き出しはその人にしか作れません。パソコンのフォルダーは、自分しか作れず、他人にそのままあげても使えないのと同じです。
達人とは、自分の引き出しを常に増やしたり、要らなくなったものは削除したりして、刻々と変わる状況に変幻自在に対応できる引き出しを持っている人の事です。人間関係においても同じです。
この変幻自在に対応できる引き出しづくりは、生きている限り終わりはありません。この終わりのなさを知っている人が、そして終わりがないとは素晴らしいことだと感じ取っている人が、IKKOさんのように謙虚に「絶えず学ぶ」ことができるのです。