②有害な親の8タイプ・過剰なコントロール(支配)に苦しむ子供

親や家庭の真の姿を知るために

本書中、最もよく読まれているのは第2章の「有害なコントロールのパターン」ではないかと思います。

この有害なコントロールのパターンは、恐らく一つではなく、いくつかのパターンを兼ね備えているでしょう。その親のコントロールのパターンと、「何が引き起こされるのか」の典型を知ることにより、「今の自分」をより深く理解することができます。

こうしたことは「知って、何かのせいにして、留飲を下げて終わり」では意味がありません。その後の自分自身の取り組みの前段階の、整理のためです。親に繰り返し刷り込まれた有害なパターンを解消するためには、いくつかの段階を踏む必要があります。

以下の8タイプの表題は本書によりますが、括弧内の言葉は立による補足、解説は足立による解釈を含みます。

①かまい過ぎて子供を窒息させる親(過干渉)

子供の方が「もう勘弁してくれ!」に最もなりやすいのが、このかまい過ぎ、過干渉でしょう。子供はそもそも、自立・独立して、冒険や挑戦をし、自由になることを本能的に望むものだからです。その自由を獲得する旅の中で、人は他では得られない成長を遂げ、自信を育みます。

親の方が「見捨てられ不安」が強すぎると、子供の「分離・自立」に耐えられません。どの有害なコントロールをする親も、どんなに威張って見せたとしても、真の自立を果たせていませんが、このかまい過ぎの親はそれが顕著に表れています。

但し、親の方は自分の不安を愛情と履き違えています。子供は自分の延長、マジックハンド、高枝切りばさみであり、「自分の意に背いて独立し、自分の人生を生きようとする」ことは彼らにとっては裏切りです。高枝切りばさみが自分の意に背いた言動をすることなどあり得ないからです。

また、子供の独自の領域に簡単に侵入してきますので、子供は自分独自の価値観を育てられず、「これでいい」「これがいい」と自分で判断できなくなり、人の顔色を窺うようになってしまいがちです。

②子供の幸せを取り上げる親(「100点取ったら愛してやる」)

①のかまい過ぎとは逆に、子供との心の交流が極めて疎遠で、条件付きで愛情を与えたり、与えなかったりします。親を満足させれば与え、不機嫌にさせると引っ込める、という具合です。

どのコントロールをする親も「子供は親のために存在している」のは共通ですが、はっきりと「自分たちの老後の面倒を見なければ財産を相続させない」などと、子供がまだ10代の内から脅したりします。そうなると子供は「自分は親の人生の道具として生まれてきた」と強烈な不信感を抱き、自尊心を著しく傷つけます。

学校の成績や、交友関係、恋人なども「親が気に入るようにしなければ口もきかない」ことさえあります。学校の成績は「親の愛情と承認を得るため」になってしまうと、仮にどんなに成績優秀であっても、肝心の自己有能感が育ちません。自己有能感とは、実際の能力とは無関係に「私はやればできる」と感じ取っていることです。

頑張りや試行錯誤のプロセスを承認せず、成績という結果だけで「良かった、悪かった」と評価を下されると、「100点取ったら愛してやる」というメッセージを、子供は心の中に刻んでしまうのです。

③完全主義の親(ステータス崇拝/強迫観念的な要求)

②とも関連がありますが、親が過度な完全主義者だと、子供にプレッシャーを与え続け、結果「失敗を恐れる」「失敗が怖いから最初から挑戦しない」になり、肝心の自信を育めません。

過度な完全主義とは、親自身が「あるがままの自分で良い」とは思えていないからなのですが、通常はこの自己受容が多少不十分でも、子育てを通じて「少々のだらしなさを受け入れて行かないと、皆が追い詰められるだけ。『ここだけは外せない』ポイントだけ抑えれば良い」と親自身が学んでいきます。

有害なコントロールをする親は何が違うかと言えば、「自分しか見ていない」「周囲を、現実を見ていない」のです。完全に自己受容ができている若い親など、そうそういません。ただそれでも、「自分だけしか見ていない」か、「相手を、子供を、見ているか、見ようとしているか」で大きく結果が分かれます。

「完全な自分」であろうとして、ステータス崇拝(典型は子供の進学先や就職先の「ブランド信仰」。子供の希望、価値観は無視する)に走ったり、或いは過度な潔癖症など強迫観念的な要求を、子供にも自分にもして、お互い心が休まることがありません。

④カルトのような親(「お母さんは/お父さんは常に正しい」)

この「カルトのような親」とは、特定のカルト集団に属しているわけでは必ずしもありません。

子供がまだ幼く、判断ができない内は、親が「やっていいことといけないこと」をはっきりと示していく必要があります。子供は漠然とした不安の中で生きているので、「ここまでは行っていい、ここから先は行ってはいけない」と示してもらったほうが安心します。高層ビルの屋上で、周囲にフェンスがないと譬え真ん中に立っていても怖くなる、フェンスがあると安心する、そのようなものです。

こうした適切な規律、けじめをつけることは、子供の健全な自制心を養うために大切です。自尊感情の豊かさとは「自分がどうしたいか」の自発性と共に、この健全な自制心「怖くても面倒でも、やるべきことはする、やってはならないことはしない」のバランスが取れている状態です。健全な自制心の中身には、良心や品位、克己心、忍耐力などがあります。

カルトのような親の「お母さん(お父さん)は常に正しい」は、この健全な自制心を養うものではありません。親の意見と子供の意見が違っていたら、全力で否定する、やり込めようとしたり、無視したり、嘲笑したり。疑問や反対意見が許されません。子供は自分の信念を否定されますから、自尊感情は打ち砕かれる一方です。

③の完全主義と似ていて、「自分の(しばしば独善的で、非現実的な)正しさに従っておけば、不確実な現実から守られる」という幻想があります。有害なコントロールをする親は、どんなに強がって見せても、本音は現実世界が怖くて仕方がありません。だから何かにすがり、周囲をコントロールしなければ気がすまない衝動に駆り立てられています。

⑤支離滅裂な親(首尾一貫性の欠如)

感情が極度に不安定で、子供が同じことをしても、ある時は気にも留めず、ある時はわめき散らす。振り子が大きく振れていて、真ん中で安定することがありません。DVをする夫が、激しく妻を虐待したかと思うと、泣いて縋り付いたり、優しい態度を取って妻が逃げ出すのを防ごうとするようなものです。

感情や言動がジェットコースターのように激しく上がり下がりするので、子供は混乱する一方です。例えば、子供が友達の家に遊びに行こうとすると、親は見捨てられたかのような傷ついた顔をし、子供が出かけるのをやめて、家にいたらいたで、小言を言い続ける。どちらにしても子供は罪悪感を植え付けられてしまいます。

罪悪感で動くのは、良心から動くのと全く似て非なることです。罪悪感から物事の選択をすると、「だって○○が」の責任転嫁に陥りますし、結果が良くても自信にはならず、悪くても反省して次に生かすことをしません。他人軸で生きることの一つに、「罪悪感で動かされている」があります。

そして罪悪感で人を操作するのは、支配欲を満たすための典型です。仮に親の感情的な上がり下がりがそれほど激しくはなかったとしても、上記の遊びに行く/家にいるの「どっちを選んでも罪悪感を感じる」結果になる、そうしたことが頻発してたら、「首尾一貫性の欠如」のためと考えていいでしょう。

⑥常に自分の都合が優先する親(自分の損得が大事)

自分可愛さのために、他人に負担を懸けてしまう、それを全くしたことのない人はいないでしょう。ただ⑥は「常に」がポイントです。ここに良心の呵責はありません。自分の損得や、お楽しみが子供よりも優先していて、それに疑問を持ちません。

親が常に自分の都合が優先するのは、共感性に乏しいためです。人の痛みを自分の痛みのように感じる、これが思いやりの中核であり、「自分の目先の都合よりも、人が傷つき、辛い思いをしていることが耐えられない」が思いやりの動機になります。

子供が何か感情的に訴えている、それと自分のニーズ(家事や仕事、或いは疲労困憊しているなど)がぶつかることはしばしば起きるでしょう。子供に「今は待って」と忍耐を学ばせることも大変重要です。親はいつでも自分をあやしてくれるわけではない、それをいつでも求めていいわけではない、そして子供が自分で自分をあやせるようになる、これも健全な自制心の一つです。

共感性が豊かな親は、子供に忍耐させながらも、「これは単にかまってほしいだけか、何か大事なことを訴えようとしているのか」のアンテナを張っています。「常に自分の都合が優先する親」はそのアンテナはほぼありません。それがあると、自分の都合を優先できない、そうした単純な理屈です。簡単に言えば自己中心性が抜けきらないまま、親になってしまっています。

家族と食事に出かけても、親がテーブルでゲームばかりしている。ファミレスなどでしばしば目にする光景ですが、「今は何が大事か」を完全に見失っています。子供はその時、何の疑問も持たず「そうしたものか」と思うかもしれません。もしかすると、子供自身が親の真似をしてゲームに興ずるかもしれません。そうなると「目の前にいる人より自分のお楽しみ、自分の都合を優先していい」を子供も学んでしまいます。

⑦身体的な虐待をする親(衝動が抑えられない)

身体的、性的虐待をする親は、⑥の「常に自分の都合が優先する親」の人格を多く備えています。⑥の親が精神的な虐待で子供を苦しめるのに加えて、身体的な暴力で更に苦しめます。時折虐待する親が逮捕され、ニュースになりますが、その際親は必ずと言っていいほど「しつけのつもりだった」と言います。自分の衝動が抑えきれないことを、自己正当化しているのです。

どんな人も、自己正当化やそれに伴う言い訳をしてしまうことがあるでしょう。それは自分の自我が未成熟でもろいからです。真摯な反省は実は難しいものです。しかし、良心が死んでいなければ、言い訳をする自分をやましく思う心が残っていて、自分の歯止め、つまり自制心になります。自分より弱い立場の人間に暴力を振るう、それは自我のもろさのため衝動が抑えられないことと、良心が機能していない、この二つがあるためです。

そしてまた、子供自身も自分の親がこんな理不尽で恐ろしいことを、誰でもなく自分にやることを認めたくないがために親を庇い、その理由付けとして「僕が、私が、悪い子だからだ」と自己像をゆがめてしまいます。この自己像のゆがみが、「自分を表現できない」「自分の意志で選択できない」「世界を理由なく恐れる」という生きづらさの根本原因になります。どのコントロールのパターンも、それによるひずみを修正するのは努力と根気が要りますが、身体的な暴力はことのほか深く癒えがたい傷を残します。

⑧責任を果たせない親(子供に「親の親」をさせる/子供のSOSから逃げる)

どの有害なコントロールをする親も、親としての責任を果たしていませんが、上記の①~⑦に該当しない「責任を果たせない親」には、大きく2パターンあります。

一つは子供に「親の親」をさせる、子供に自分の世話をさせる。もう一つは、片方の親のコントロールを見て見ぬふりをしたり、子供を庇ったり守ろうとしない、です。

「親の親」とは、子供が小さいうちから、自分の愚痴のはけ口に使ったり、「具合が悪い」「うつがひどい」などとたびたび訴えて、子供に「大丈夫?」とかまってもらおうとするなどです。子供は基本的に親に幸せでいてほしいと願います。その無垢な心を意図的に自分のために利用しています。

もう一つは、殊に日本でよくありがちなのは、母親だけが子供が訴える様々な諸問題(引きこもり、摂食障害など)にかかりきりになり、父親は仕事にかこつけて、或いは自分の趣味に逃げて向き合おうとしない、というケースです。子供が父親からの愛情を諦めきれないと、ますます暴れたり、暴言を吐いたり、或いは摂食障害などの身体の症状に出たりして、無意識のうちに振り向いてもらおうとします。そうすると更に父親は逃げる、の悪循環が起こります。

そしてまた、片方の親からの有害なコントロールについて、もう片方の親に子供が訴えても「はっきり言わないあなたが悪い」など、子供のせいにされてしまいます。本当は「あなたは悪くない」のですが、それを認めてしまうと「じゃあ、どうしてあの時、お母さん(お父さん)は何もしてくれなかったの?」になるからです。

子供への有害なコントロールは親自身の問題の先送り

有害なコントロールの8パターンを見てきましたが、思い当たる節がいくつかあったかもしれません。完全に心が健康な親は、そもそも滅多にいないため、こうしたことを全くやらない親もいないでしょう。どんな善意の親でも、多少なりとも何かはやってしまうものだと思います。

ただ親の方が良心や共感性に富み、そして「子供のために親が存在している」「子供に親にしてもらえている」と心底思えていれば、最終的には子供は親を信頼するでしょう。「お母さんは(お父さんは)、世の中のどんなことよりも、自分を大事にしてくれた」それを魂で受け取った子供は、そうそう親を裏切れないからです。

ところで、子供への有害なコントロールは親自身の問題の先送りに過ぎません。親自身も、その親から共感してもらえなかったり、道具のように扱われてきた可能性が高いのです。しかしだからと言って、子供に有害なコントロールをしても良い免罪符にはなりません。

子育ての最中、その自分と向き合ってこなかった、そしてそのつけを子供に背負わせ、また自分自身にも背負わせています。そしてひいては社会全体にもつけを負わせている、ただ本人にその自覚はないでしょう。

だからこそ、誰にもわからない、誰からも評価されない、そしてそのプロセスでは時として苦しい思いをすることもある、自分と向き合う作業を大人はやらなくてはならない、と私は固く信じています。

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生きづらい貴方へ

自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。