何故親はコントロールするのか・「私は悪くなかった」と氣づくために

「何故?」という疑問は、脳は「落としどころ」を欲しがるため

自分の親が何故有害で過剰なコントロールをしたがるのか、その理由を知りたくなるのは当然のことです。脳は「落としどころ」を欲しがるからです。

他人のことなら、関りを持たなくさえなれば「あんな人もいるんだね」で済むところを、親に対しては中々そうできないのは、親に対する期待が本能に根差すものだからです。本能に根差すとは、生死に関わることです。

親に対する期待とは、「無条件に愛されたい、認められたい」であり、また「親孝行したかった。仲良くしたかった」でもあるでしょう。最初から親を嫌う子供などいません。親と連絡を絶つのを断腸の思いで選ぶ子供も少なくありません。しかしその痛みは簡単には消えません。それほど、親の有害なコントロールは罪深いものです。

そして他人と違って、人は親と自分を同一視しがちです。特に日本は「あの親にしてこの子あり」など、親と子を別の人格と分けて考えにくい社会的背景があります。ですので「自分の親が有害なコントロールをする親だった」と認めると、「自分もそうなりはしないか?」と新たな恐怖を生むこともあります。だからこそ、「何故だったのだろう?」と理由を探してしまいます。

「私の親は何故理不尽なコントロールを繰り返したのか」を知ろうとする作業は、客観的な情報を集めることによって期待を薄めるため、と位置付けると良いでしょう。期待が薄まると、人間は悩まなくなります。

瓶の中のアルコールを親への期待とすると、客観的な情報を集めるのは、瓶の中に水を足してアルコール度数を薄めるようなもの、つまり相対化することと捉えて頂ければと思います。

この項は、本書では第5章の内容に、足立による補足を付け加えています。

トラウマ⇒恐れる心⇒自己防衛

本書では、有害なコントロールをする親は、子供時代に深刻な複数のトラウマを経験していることが多いと指摘しています。トラウマとは、親を失った、虐待、戦争や災害、病氣、貧困などの危機、親のアルコール依存症や精神障害、両親の不和などです。

トラウマが即、問題行動の原因になるわけではありません。思いやりのある大人が充分話を聞いてくれ、心を癒し、トラウマから回復できる環境ではなかったことが大きな要因です。引いては世界に対して「常に身構えていなくてはならない」になってしまいます。即ち「自分がコントロールし続けなければならない」慢性的な自己防衛に陥らせてしまいます。

自己防衛は、人間である以上どんな人もあります。一番多いのは言い訳でしょう。多少の言い訳は自分にも他人にも許容して行かなくては、人は完璧ではない以上生きてはいけません。

問題は何を恐れて、何から自分を守ろうとしているのかです。本書では、有害なコントロールをする親は、次の5つの恐れを抱えているとされています。

① 欠陥人間と思われることの恐れ

② 力がないと感じることの恐れ

③ 人から認められていないと感じることの恐れ

④ 非難や攻撃を受けやすい弱さを感じることの恐れ

⑤ 感情のコントロールを失うことの恐れ

例えば、誰しも③の「人から認められない」ことに寂しさ、悲しさを感じるものでしょう。しかしだからと言って、他人を苦しめるような言動は、普通の良識のある人は取りません。有害なコントロールをする親は、これらの恐れを自制し、自分で癒していく力がないために、最もコントロールしやすい子供にその矛先が向かいます。

彼等は自分が限界を抱えた人間であることを認められません。自我という心の器が充分に、健全に発達しないまま大人になり、親になってしまったので、誇大感が打ち砕かれず、その誇大感を維持しようと躍起になっています。それが有害なコントロールとして現れます。

誰しも成長する過程で認めざるを得ない次の3つの事柄を、彼等はあらゆる手段を使って決して認めまいとしています。

・この世には、私よりも力のある人はいくらでもいるし、私がコントロールできない状況はいくらでもある。

・この世には、私を必要としない人や、問題にしない人がたくさんいる。

・時間が過ぎていくことや、死や病気などは、私たちを謙虚にする。人間である以上、それは避けられない。

これらの謙虚さこそが、成熟の証です。自信のある人ほど謙虚だと言われるのは、この意味における謙虚さです。誇大感が打ち砕かれ、自分の限界を知る。それは痛みを伴いはしても一種の解放でもあります。「自分はそれ以上でも、それ以下でもない」と等身大の自分を受け入れられます。その結果、躍起になって自分を大きく見せることも、卑下して見せることもしなくなります。即ち自然体です。

有害なコントロールをする親は、この「等身大の自然体」ではないのです。そして子供の頃受けたトラウマは彼らの責任ではないにせよ、如何に子供じみた心象風景を抱えているかです。

本書の解説では、どうしても最大公約数的な一般論にならざるを得ません。上記の解説だけではしっくりこない場合は、個別具体的に客観的な情報を集める作業が効果的でしょう。以下は、私が提案するワークです。

<ワーク1>祖父母やおじおばの態度を観察してみる

親の場合は関係が近いだけあって、他人のように突き放して眺めるのが難しく感じて当然です。期待の裏返しの恨みつらみの感情が、どうしても湧いてくるからです。

親ほどには期待しない祖父母や、おじおばの態度を観察すると、客観的にわかることがあります。またおじおばが、貴方をコントロールしようとすることは滅多に起きないでしょう。ですので、感情をかき乱されずに観察しやすいです。ただし、祖父母は既に亡くなっていたり、また孫には甘いのが世の常なので、おじおばの方が観察しやすいかもしれません。

観察するポイントは、祖父母やおじおばが、親と同じ「子供にとって有害な態度」を取っていないかどうかです。共感性のなさや、身勝手さ、子供とコミュニケーションを取ったり遊んであげたりしない、自分の楽しみや都合を優先する、言うべきでないことを皆の前で平氣で言う、言うことがころころ変わる、言ってることとやってることが違う、など。

親兄弟とは言え別の人格ですが、やはり一つ屋根の下で子供時代を暮らしてきた間柄です。貴方の親と共通する資質があっても不思議ではありません。

特におじおばと貴方のいとことの関係性はどうか、いとこがおじおばを信頼し、健全な絆で結ばれているかどうか。大人になったいとこが、おじおばを慕っているか、もしくは、実家に寄り付かないか。子供時代、いつも辛そうな、寂しそうな表情をしていなかったかなど。

「あの祖父母に育てられたら、あんな風にもなるな」とか、「ああいう(望ましくない)資質は、あの家族ならではのものだったんだな」などと客観視できると、「自分の責任ではない世界で、有害な資質の種が蒔かれていた」と切り離して捉えやすくなるでしょう。

<ワーク2>親の他人への態度を観察してみる

祖父母やおじおばがいない、もしくは遠方に住んでいて観察できない場合、及び<ワーク1>より更に情報を集めたい場合は、親が他人に取った態度を観察してみます。勿論、いわゆる外面の良い人もたくさんいますが、その場合も虚栄心が動機になっているので、真の思いやりとは異なります。その相手に直接無礼なことはせず、いい顔をしていても、家では陰口を叩いていたことなども、「他人への態度」に含まれます。

ある人が高校3年生の大学受験の年、担任の先生が熱心な方で、夜に様子伺いの電話が時々かかってきました。当時はまだ携帯などなかった時代です。

ただ、その家庭は、親が早くに就寝する習慣で、先生からの電話は親が寝た後の夜10時過ぎにかかってきていました。生活習慣と価値観の違いなので、「先生、お気遣い本当にありがとうございます。ただ我が家は、10時ごろには床に就いていますので、お電話はできれば9時半ごろまでにして頂けると助かります」と丁重に伝えれば済むことです。

それを母親は「〇〇先生は非常識だ」と子供に文句を言うだけでした。子供の頃はただそのまま聞いていただけでしたが、先生がわざわざ家族との時間を割いて電話をして下さっていることへの感謝や、こちらの事情を丁寧に伝える問題解決能力がなかったことに、大人になってから思い当たりました。そして父親も、母親の態度を窘めるでもなく、自分が電話に出て先生に伝えるでもなく、黙って知らん顔をしていました。

相手の陰の苦労や、献身に思いを馳せないこと、丁寧に交渉するのではなく、ただ相手をなじるだけで自分は結局何もしない態度。これらは子供である自分にだけでなく、他の人に対しても同じなのだと氣づきました。父親の「面倒なことは貝のように押し黙ってただやり過ごす」態度もです。

親が自分にした嫌なことは、大抵他の人にもしています。ただ、それがわからないと、真に受けてしまい、ただ理不尽さへの怒りが残るだけになりかねません。

このワークの目的は、この例のように、人に対する望ましくない態度は親の資質の問題だ、と切り分けていくことです。

「私が悪かったのかな?」をなくし、分離しやすくなるために

このワーク1と2は、閻魔帳をつけることではありません。嫌な上司なら腹は立てても「あの人、そういう人なのよ」と切り分けて考えられる、しかし親の場合は中々難しいのが当然なので、敢えてこうした情報集めを意図的にやってみる、ということです。

嫌な上司を「あの人、そういう人」と割り切れると、対処の仕方を考えやすくなります。その割り切りができないと、期待しても無駄なことを期待して、期待通りに振舞わない相手に腹を立てるという更に無駄なことを延々と続けてしまいます。そして疲れ果て、挙句の果てに被害者意識に陥る罠に、自分から嵌りかねません。

また親の場合は冒頭に書いた通り、「愛されたい、認められたい」「好きでいたい、仲良くしたい」期待と、親と自分との同一視がどうしても起こりがちです。そのために理不尽なことをされると、真面目で氣持ちの優しい「いい子」ほど、「私が悪かったのかな?」と自分を責めてしまいます。それが自尊感情を大きく損なう原因となります。

貴方は何も悪くありません。ただそれを言葉で言われただけでは、心底納得できないでしょう。それができれば誰も悩みはしないのです。

今回の作業は「私は悪くなかった」「親の資質の問題で、それは私の問題ではない」と問題を切り離していくためのものです。これが次の「親からの分離・独立」のための下準備となります。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
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