内面化した親の強力な洗脳・ゆがんだ自己像を正しい自己像へ

親の声は神の声・心の中に住むイメージの親

ご相談内容で最も多いのは親との関係性です。私たちは子供の頃、周囲の大人から様々な影響を受けて育ちます。しかし大人のクライアント様から「学校の先生から受けたトラウマを解消したい」というご相談は今のところありません。多分、今後もないと思います。

一つには、教師など親以外の大人には、親に対してほどには期待を抱かないからです。人は自分の期待通りに成らないことに葛藤します。即ち、期待しなければ悩まないのです。

もう一つは、親の影響は子供の心に内面化されるからです。内面化とは、「心の中に住むイメージの親」のことです。そして単なるイメージだけでなく、「親の声は神の声」それくらい絶対的な影響を及ぼします。素直で物事を疑わず、信じやすい子供ほどそうなるでしょう。

私が小学校に上がるか上がらないかの頃の話です。母から「万引きをすると、死んだあと地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれる」と聞いて、震えあがるくらい怖かったのを今でも覚えています。万引きなど恐ろしいことは決してできない、と子供心に思いました。

成人後、他の人が「中学生くらいまで万引きしてたなあ」などとケロッとした顔で言っていると、「なんでそんなことが平氣でできたのだろう。平氣で言えるのだろう」と思いました。私にとっては成人後も、万引きは「閻魔様に舌を抜かれる」ことだったのです。

「親の声は神の声」は、良くも悪くも作用します。このエピソードのように「決して万引きをしない」とプラスの作用をするものもあります。逆に人生を縮こまらせたり、或いは他人を振り回したり、マイナスの作用をするものもあります。子供は「これはプラスだから聞いておく。これはマイナスだから聞かなくていい」などと区別はできません。

また言葉だけではなく、親が取った態度や行動も「神の声」になります。寧ろ言葉よりも、態度や行動の方がそうなりやすいでしょう。「子供は親の言った通りにはしない。親がした通りにする」親御さんたちからよく聞く言葉です。

そして私の例のように、成人後も強固に作用し続けます。但し、このエピソードのように全てを記憶しているわけではありません。忘れていても「声」は作用し続けます。だからこそ厄介なのです。

内面化した親は何故強力なのか?

教師など他の大人と違って、親は何故内面化するのでしょうか?そして「親の声は神の声」になるほど、内面化した親は強力になるのでしょうか?

本書では「まず親子の間には次の3つの事実がある」としています。

①親と子供は、もともと平等な立場にない。
②子供というのは、無意識のうちに親を理想化したり、真似したりする傾向にある。
③どんな子供も、親の愛情、注目、承認を必要としており、それを手に入れるために必死になる。

そして「心が健康な親は、この事実を良い方向に用いて、子供を情緒的に強くて健康な人間に育てようと努めます。ところがコントロールばかりする親は、子供をさらにコントロールするためにこれを用いるのです」と指摘しています。

心が健康な親が内面化するとは、お天道様のような存在になることです。植物が太陽の日を浴びてぐんぐん成長するようなものです。心の中にいる親を悲しませず、喜ばせることが、自分の喜びと心の強さになります。

またこれが「他人に悪く思われたくないから、いい人だと思われたいからこうする」という恐れや打算ではない、本当に相手を喜ばせたい、役に立ちたい、見返りを求めない愛の土台になります。そして見返りを求めないのが、勇気と誠実さでもあります。

有害なコントロールに使う罪悪感とは

逆にコントロールばかりする親は、恐怖と罪悪感を使って子供を操作しようとします。

「やってはならない行為を叱るため」の軽い脅し(「宿題をやらない子はおやつ抜きよ!」「もう、置いて行くからね!」)や、言って聞かせてもわからない小さな子供が、悪さをしようとしたり、危ないことをしようとしたら咄嗟に手を押さえたり、軽く手をはたいたりなどとは異なります。「存在そのものが恐怖に突き落とされる」類の恐怖と罪悪感です。

特に罪悪感は良心の呵責と見分けがつきにくいです。良心は自分の内側から湧き出るもの、他人に知られようが知られまいが「自分の良心に従ってよかった」と納得できます。一方、罪悪感で動いたことは「させられた感」が残ります。つまり罪悪感とは、外側から植え付けられたもので、本来の自分のものではありません。

親が罪悪感を用いて、子供をどう操作するのか、本書ではこう書かれています。

アメリカの「子供の人権を守る会」の創始者で、小説家、弁護士のアンドリュー・ヴァックスはこう語っています。

「子供を精神的に虐待する親は、高利貸しが『お金』を使うのと同じように『罪悪感』を使う。高利貸しは借り手が完済することを望まない。全額返済されない限り、利息を永久に取り続けることができるからだ。

それと同じように、子供を精神的に虐待する親は、子供に永久に罪悪感を持たせておこうとする。子供が罪悪感を持たなくなったら、コントロール力がなくなってしまうからだ」

コントロールばかりする親が、子供の心に内面化すると、心の中の親、もしくは現実の親を「喜ばせなくてはならない」「満足させなくてはならない」になります。これが「親のために存在している子供」の生きる動機です。

そしてそれができないことに、罪悪感、後ろめたさを感じ、時には自分を責めてしまいます。大人の理性を使って考えればよくわかることですが、これは全く不要かつ、子供の健全な心の成長を妨げるものでしかありません。これではまるで「小さな大人」です。幼いうちから芸能界入りして、大人ばかりに囲まれて育った子供が、成人後どこかいびつさを抱えてしまうのと相似形です。

心が健康な親の場合は、親を悲しませず喜ばせることが、子供自身の喜びと心の強さになるのと、全く正反対の結果になってしまうのです。

もし子供の頃「早く大人にならなければならないと思っていた」「子供らしくあることを歓迎されなかった」のなら、不要な罪悪感でコントロールされたのかもしれません。

心が成長するために不可欠な要因とその連鎖

ところで、誕生時の人間の脳は、脳幹という生命維持装置と、扁桃体という別名「パニックボタン」だけが完成されていて、残りは未完成のまま生まれてきます。この「パニックボタン」が、恐怖や不安を感じる源です。つまり、人間が本能的に求める安心は、生まれた時から自動的に感じられるものではありません。「安心を感じる」経験を積み重ねて、赤ちゃんの脳に「安心を感じられる箇所」が発達していきます。

赤ちゃんが養育者(主に母親)から、充分な愛情と世話を得られれば安心を、それらが得られず、大切にされなければ不安(ストレス)を感じます。そして安心/不安(ストレス)が、以下の図のように心の成長を育む、もしくは阻害する出発点になります。

この図を見て頂ければわかるように、心の成長とはつまるところ、「正しい自己像」を持つか「ゆがんだ自己像」を持つかに集約されます。そしてそれが自分を率直に、正直に表現しても大丈夫だ、という自己信頼感を持てるか、そしてまた、他人と健全な人間関係を育めるかの分岐点になります。人の目が過剰に気になってしまうのは、「正しい自己像」を持てないがためでもあるでしょう。

私の心理セラピーも、「心の成長を育む要因の連鎖」の中に、クライアント様を導き、クライアント様自身の実践と氣づきを通して自己像のゆがみを正し、「正しい自己像」を持つこととも言えます。これは、自分そのものではなく、自分を映し出していた鏡のゆがみを正すことです。「正しい自己像」なくして自尊感情が豊かになることはありません。

「正しい自己像」と「ゆがんだ自己像」の帰結

「心の成長を阻害する要因の連鎖」の結果、様々な問題が大人になってから現れるのは当然の帰結でしょう。

大人の世界は「あらかじめ決まった正解のない」問題が、次から次へと湧き上がってきて終わりがありません。職場でも家庭でも、社会全般においてもです。子供の時のように、親や先生に「正解を教えてもらう」ことはできません。

「正しい自己像」を持っていれば、時には人の助けを借りながら、一つ一つ問題を克服し、失敗してもそれを教訓にし、「正しい自己像」をより豊かで強いものにしていけます。

一方で「ゆがんだ自己像」のままだと、問題に正面から向き合う力がそもそも乏しいです。そのため責任転嫁や無関心を決め込んで逃げ、ただやり過ごして、一向に自分の自信になりません。そして漠然と「世界は自分を苦しめるもの」といった、被害者意識を持ちやすくなります。

第4章では、大人になって現れる諸問題の例を、人間関係や仕事、身体的健康などの項目で列挙しています。ここでは情緒面で現れる問題を引用します。

・悲しむことを許されなかった人は、今でも悲しみをうまく表現できない傾向が強い。

・いつもピリピリして心の休まらない家で育った人は、今でも常に身構えて暮らしている可能性がある。

・怒ってはいけないと教えられて育った人は、怒らなくてはいけない時でも怒れない傾向が強い。

・子供の時にいつも素直な感情を隠して自分をガードしていなければならなかった人は、感情的に無感覚になっているかもしれない。

・自分の気持ちを親に受けとめてもらえなかったり、子供らしい感情を抱くことを禁じられていた人は、今でも自分が本当はどう感じているかがよくわからなかったり、感情をどう表現したらよいのかわからない傾向が強い。

・怒り、恐れ、悲しみなどの感情を”ネガティブ”だからという理由で抑えられていた人は、自然にわいてくる感情や、ポジティブな感情まで抑えている可能性がある。

・「子供の幸せを取り上げる親」や「常に自分の都合が優先する親」に育てられた人は、何かよいことが起きると、反射的に他の何かを失うような気分になる傾向が強い。

自然な感情を失うと、問題を乗り越える本能が弱り「へたり込んでしまう」

子供の頃、親から精神的な虐待を受けて育った人の中には、「自分の感情を常に麻痺させておかなければ生きていけなかった」人もいます。成人後に、こうして自分で氣づける人は既に癒しのスタートラインに立てています。その自覚すらないことの方が、より根深い問題です。

上記の項目の中で、思い当たる節があった人、それを認めるのも辛い人もいるでしょう。今は辛くても、自然な感情を感じることを自分に許可する。それは困難から逃げず、乗り越えていく原動力、つまり本能の力を取り戻すために不可欠なプロセスです。

感情は本能と直結しています。小さな子供たちが元気いっぱいなのは、感情を押さえつけたり、恥じたりしないからです。泣いたり怒ったり、笑ったり、子供たちの自然で豊かな感情の表現は、多忙や責任で疲れ気味の大人を癒してくれます。「生きる」とは、生命の発露とはこういうことなのだと、私たち大人は子供たちから教わっています。

念のためですが、感情豊かと、感情的とは異なります。自然に自由に感じつつ、一方で大人はそれを「いつ、誰に向かって、どのように」表現する、或いはしない判断力・自制心が求められます。感情と判断力・自制心のバランスが取れているのが自尊感情豊かで、成熟した大人です。無闇に感情的になれば、それは有害なコントロールをしている親と同じです。

ところで、野生動物は人間と違って「怖くなるから考えない」「誰かが何とかしてくれる。やるのは私ではない」を決してやりません。そんな個体は死にます。

困難が生じた時、或いは理不尽な目に遭った時、自尊心を著しく傷つけられた時、立ち上がり自分を守れるのは、大人は自分しかいません。感情を押さえつけ、本能が弱ってしまうと、立ち上がり戦う力、或いは全速力で逃げる力を失い、その場にへたり込んでしまう、へたり込んだまま自滅してしまう。そうした人は野生を失った文明社会ほど多くなるようです。

「正しい自己像」と、自然な感情を取り戻すことは、ひとえに私たちが健全に生き延びるためです。そして自分の生き方が必ず他人に、社会に、良くも悪くも影響を与えています。氣づこうと氣づくまいと。自分の生き方を大事にするとは、その自覚を持つことでもあるのです。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
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