2つの過去への執着「あの頃は良かった」「納得できない」

「いつまでも後ろ向きになってないで!」では追い詰められる

もうどうにもできない過去のことなのに、執着してしまうのは何故でしょうか・・・?動物や乳幼児は「今、ここ」しか考えられません。過去や未来のことを考えるのは、計画や予測、反省や教訓のためなら大変有意義です。しかし、自分でも意識しづらい執着というエゴと結びつくと、自分で自分の首を締めてしまいます。

その際「それって後ろ向きだよ、いい加減前を向こうよ」と言われたり、或いは他人にならそう言ってしまうこともあるでしょう。しかし、「はい、そうですね」と切り替えられるのなら、誰も最初から悩みはしません。却って追い詰められてしまいます。

過去のことは、今更どうにもできない上に、後述しますが「大事にしていいこと」「自分が背負う問題ではないこと」「自分が受け入れるのを拒んでいる現実」等が、ごちゃごちゃに絡み合っています。なので丁寧に整理していかないと、自分で底なし沼に嵌り込んでしまいます。

過去に執着しているのは、大きく分けて二つのケースがあります。一つは「良かった過去」に執着している場合、二つ目は「こんなはずじゃなかった」と納得できない場合です。この二つが同時に起きているケースもあるでしょう。今回は事例を挙げて、過去に執着するとは何が起きているのかを深掘りしていきます。

①「あの頃は良かった」に執着している場合

現状が辛い時、過去を美化して考え、その美化した過去に執着していることがあります。

私自身の経験ですが、小学校四年生の時に東京から大分へ引っ越しました。最初の一学期は、中々環境の変化に馴染めず、先生もクラスの皆も良くしてくれたのに、東京が恋しくてホームシックに成ってしまいました。それも夏休みに、東京のお友達の家へ数日泊めて頂き、それで氣がすんだのかもうめそめそすることはなくなりました。

また百貨店勤務時代の30代の初めに、文具売り場のチームリーダーから、本社のバイヤーへ異動になりました。傍から見れば栄転だったのでしょうが、現場が大好きだった私はただただ辛く、また本社バイヤーの役割が非常に不明確だったので悩んでばかりいました。小学校四年生ではもうないのに、二言目には「売り場に帰りたい」と泣きごとばかり言っていました。正に「良かった過去」に執着している状態でした。

現状が辛いと、「良かった過去」がまるで救世主のように思えてしまうのです。ですので「あの頃は良かった」をやっています。しかしこれは、「被る」態度です。外側の状況に、自分の幸不幸が左右されるという世界観です。

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ここで当時の私の考えを整理します。

元の売り場での仕事がとても楽しく、やりがいがあった

このこと自体は、決して悪いことではありません。自分の大事なキャリアの一つであり、思い出でもあります。なので大切にして良いのですが、「今後売り場に戻ったからと言って、以前と同じように楽しく働けるかどうかはまた別」です。当時の私はこのことがすっかり抜け落ちていました。後年別の売り場のチームリーダーに戻してもらえたのですが、会社の状況の変化に伴い、チームリーダーの担当範囲がどんどん広がりました。そのため以前と同じような働き方ができたわけでもありませんでした。

本社バイヤーの役割が不明確

これは本社機能が後からできた会社に共通することかもしれません。そしてまた、このことは「私だけが背負い込んで解決できる問題ではない」のです。役割責任が曖昧なままで、上からと現場との板挟みは辛くて当たり前です。それは自分だけではない悩みで、皆黙って耐えていたのです。「今の自分の立場の限界を弁えた上で、現場の人達の役に立てることは何か」の質問を自分にすることが必要でした。しかし当時はまだ、このようなコーチングスキルが一般に広まってはおらず、ただ時間だけが過ぎてしまっていました。

売り場に戻りたいなら戻りたいで、本社勤務で何を積み重ねた上で戻るのか

本社に悪く言えば「塩漬け」状態になると、現場での実践が積めてないので、現場に戻った時に使い物にならなくなります。ですので変に長引く前に売り場に戻りたいと希望するのは尤もなことです。しかし、本社にいたその期間、一体何を積み上げてきたのか、まだ30代初めでは大した仕事はできなかったにせよ、勉強することはできたはずです。それは何だったのか、と現場に戻った時にどう言うのか。その心がけで本社で勤務していれば、ただグズグズと「ああ、売り場に戻りたい」と嘆くだけにはならなかったでしょう。

まとめると「元の売り場での仕事がとても楽しく、やりがいがあった」⇒そのまま大切にして良いこと、「本社バイヤーの役割が不明確」⇒自分だけで解決できる問題ではないこと、「売り場に戻りたいなら戻りたいで、本社勤務で何を積み重ねた上で戻るのか」⇒未来へ時間軸を伸ばし、そこから現在を振り返る。これら三つの考え方で整理できていれば、ただ「あの頃は良かった」と執着せずに済んだでしょう。

②「こんなはずじゃなかった」の納得できなさが執着になっている場合

特に失恋は別れ方によっては、納得のいかなさがその後の執着になりやすいです。相手が都合が悪くなるといきなり音信不通になるなど、不誠実な対応をされると傷つくだけでなく、非常に混乱します。恋愛でも「頑張ってしまう」人ほど、サンクコストの心理が働いて「これだけ時間と労力を注ぎ込んだのに、こんなポイ捨てみたいな別れ方なんてとても受け入れられない」になるかもしれません。

この場合の執着も、何に対する執着なのかを整理していきます。

お互い楽しく過ごしていても、愛しているとは限らない

まずそもそも、本当にお互いを愛しているのか、好きなのかに向き合います。一緒に過ごしている時が楽しかったからと言って、相手を愛しているとは限りません。キャバクラで盛り上がっているキャバ嬢とお客さんが、お互いを愛しているわけではないのと同じです。

恋愛においては、まず「お互いを知ろうとしているか、関心を持っているか」です。人間性、価値観、人生観、自分にだけでなく他の人に対する態度、視野の広さや教養、責任の取り方、等々です。「相手のどこが好き?」と訊かれて答えに詰まったり、「全部!」などと曖昧な答えになっていたり。また「彼氏(彼女)ってどんな人?」と訊かれて、具体的なその人の良さを挙げられない場合は、もしかすると「一緒にいるのは楽しかったけれど、それほど関心は持てなかった」相手だったかもしれません。

「何で私がこんな目に」から「他の人にもやっている」へ

また、最後の最後に「逃げを打つ」相手は、交際中はどんなに良い顔をしていても、本質的には「自分の都合で」付き合わせていたに過ぎません。そしてその態度は、必ず他の人にも取っています。誰かには見返りを求めない高潔な愛を注ぎ、他の誰かには自分の都合でポイ捨てをするということは起きないのです。「自分にだけじゃない。他の人にもそうだ」と観察し、視野を広げられると、被害者意識が軽くなり、執着が和らいでいきます。

不誠実な相手と付き合ってしまったと認めたくない

「いきなり音信不通になって逃げだすような相手なんて、こっちからさっさと別れた方が良いよ。あなたにはもっといい人が現れるよ」友達にならそう言えても、自分の場合は中々そう思えないことがあります。その場合、「相手が改心してまた付き合ってくれれば、自分が選んだ相手は不誠実な人ではなかった」というロジックが欲しくて執着しているかもしれません。「自分は不誠実な人に騙されたりしない!騙される私なんてみっともなくて認めたくない」はナルシシズムであり、自分の都合です。しかしこれがあると「あなたが誠実な人間に変わって」という無茶ぶりを願いたくなるのです。

これは相手の道義的責任(いきなり音信不通になるという不誠実さ)と、自分がそうした人と付き合ってしまった過失責任がごっちゃになっています。これをまず分けて行きます。いじめは道義的責任はいじめをする側に完全にありますが、「いじめのターゲットにならない努力をする」対処する責任は自分にあるのと相似形です。

不誠実な別れ方の道義的責任はこちらにはありません。交際全体の中では、もしかするとこちらにも反省するべき点は色々あったかもしれません。ですが、だからと言って「いきなり音信不通になって別れる」をやっていい理由にはなりません。

素直で人を信じやすい人ほど、不誠実な人のカモにされやすいのですが、一方で素直だからこそ良いことをぐんぐん吸収して成長した過去もある筈です。やはり素直な人ほど周囲からは可愛がられます。

素直さは素直さで残しながら、「ついつい見て見ぬふりをしてしまった相手の不誠実さ」は他にどのようなものがあったか振り返ってみます。素直な人は「人を信じたい」氣持ちも強く、それが「見て見ぬふり」をしてしまう原因にもなります。例えば「あれ?変だな?」の小さな違和感が3回以上重なったら立ち止まってよく考える、信頼できる人に相談するなどの対策を取っていきます。素直さの資質を補う、とイメージできると、「騙された私が馬鹿」とただ自分を責めるだけにならないでしょう。

プライベートでの「不誠実な人」は割り切りにくい

職場の「嫌がらせ目的のクレーマー」「嫌味連発の上司」「『わかりました』=『あなたの話は聞きたくありません』の部下、後輩」「どんなに説明しても同じ困ったことをしてくる取引先」等々には、ほとほとうんざりはしても、関係が終わってしまえば大抵の場合忘れてしまいます。職場は役割責任が明確であり、愛着のために付き合っているわけではないからです。相手に好意や愛着を感じるのは結果であり、「そうだったらいいよね」程度のおまけです。

プライベートの場合は、相手への愛着や好意がベースであり、またそれを失うことに人間の脳は激しく抵抗します。この人間の心理を知り尽くしているのが詐欺師であり、ナンパ師です。詐欺師、ナンパ師ではなくても「天使の仮面をかぶった偽善者」は同じです。

プライベートの人間関係の「納得のいかなさ」は、「こうした不誠実な人間はどこにでも、私の身近にもいて、彼らは人の好意や尽力を食い物にして恥じるところがない」を心で受け入れることが難しいためかもしれません。自分が裏表なく誠実に生きようとしてきた人ほどそうでしょう。

このサイトで何度となく書いてきましたが、最終的には「失望に耐える力」を自分が養うことに行きつきます。自分の価値観や信念に忠実に生きようとすればするほど、その力は必要になります。そしてこの力は右から左に得られるものではなく、自尊感情を高める習慣と同じく終生養い続けるものです。

「今の自分にはその力が充分あるとは言えない。しかしその意義は、この苦い経験を通して理解できた」のなら、過去の執着を手放すスタートラインから、既に歩を進めているでしょう。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。