【限度・限界の設定】境界線の最も基本的な言葉は「No」

人間関係で疲れている時は自分の境界線を見直すサイン

人間の悩みは突き詰めれば人間関係になります。そして私たちは往々にして、自分を傷つけた相手を恨んだり責めたり、そして相手に「反省して変わってほしい」と願います。

しかし、反省は誰もがするものではありません。自分を責めるのは簡単ですが、思わず目をそむけたくなる自分を直視し、「今後はどうしていけばいいのか」を考え、自分の考え方や行動を変えようとする人は本当に少ないのです。仮に口では「ごめんなさい。氣をつけます」と言ったとしても。何故なら「慣れた考え方ややり方」を変えるのはとても面倒くさく、多大なエネルギーと客観視のスキルが要るからです。

そしてまた、大人は自分のコンディションを整えるのは自分の責任です。それを他人が成り代わってやってくれることはありません。コンディションとは、健康、時間、金銭、感情、エネルギー、そして尊厳をも含みます。よく言われる「全て自己責任」とは、これらを守れるのは自分しかいない、また誰かのために手助けはしたとしても、その人の責任を成り代わって負ってはいけないという意味です。

精神的な疲れを慢性的に感じ、少々休んだくらいでは疲れが取れない、仕事や家庭生活、その他の関係性にやりがいや楽しみ、心の安らぎを感じられない場合は、自分が「侵されたくないもの」が侵され、エネルギーを奪われている、即ち境界線を見直すサインです。

※このカテゴリーでは、ヘンリー・クラウド ジョン・タウンゼント著「境界線 バウンダリーズ 聖書が語る人間関係の大原則」をテキストに、境界線について考察していきます。

境界線は壁ではなく柵

ところで、境界線を「相手との間に壁を作ってしまうこと」とイメージしてしまうかもしれません。

心の境界線は、壁ではなく柵とイメージして頂ければと思います。壁と違って柵ですから、柵の向こうにいる人や物事を見て、柵越しに話をすることもでき、また門を通して出入りができます。しかし、門から出入りするのではなく、柵を乗り越えてきたり、柵を壊そうとしたり、柵をこちら側に押してきたり、逆に自分が向こう側に押したりすれば、トラブルの原因になります。

そして門を通して「何を入れて、何を出す」かは、その中に住む人が決めます。自分が受け取りたくない品を門の中に入れませんし、他人が柵の中にあるものを勝手に持って出て行けば泥棒になります。

上述した「自分のコンディションは自分で整える」とは、柵の中に何を入れ、柵の外に何を出すのかは、そこに住む人しか決めてはいけない、決められないことだと考えるとわかりやすいでしょう。これが「No」「いいえ」を言うことです。「No」を言わなければ、受け取りたくないものがずかずかと入ってくることや、奪われたくないものが奪われることを止めることはできません。

本当は「そうしたくない。おかしい、変だ」と思っているのに、何かを「そうするように仕向けられる」のは、「本当は柵の外に出したくない大事なものを、不本意ながら自分で柵の外に出している」、或いは「柵の中に入れたくないものを、無理やり押し込まれている」ということです。「No」と言えずに、言わずに、モヤモヤするのはこうしたことが起きていますよ、というサインなのです。

境界線の原理原則「蒔いた種は自分が刈り取る」

また他人が無理やり柵の中から持って行ったり、柵の中に押し込めたりするだけではなく、自分から相手の柵の中に「本来ならその人が自分に与えるもの」を与えてしまっていることも、往々にしてあります。

本書の初めの方に、示唆深い例が書かれていますので、要約しながら引用します。

心理カウンセラーである著者の元に、好き放題の生活をしている25歳の息子を「直してほしい」という両親の依頼が来ました。当の息子は「自分に問題があるとは思っていないので、ここには来ていません」と両親が答えると、「その通りです。息子さんには何の問題もありません」著者がこう言うと両親は驚きました。

「息子さんには何の問題もありません。あなた方が息子さんの勝手な暮らしのために、金銭の支払いの肩代わりをし、不勉強のため退学になると別の学校を探してあげています。これらのことは息子さんの問題であるべきなのです。その問題をご両親は自分のものにしてしまっている。だから問題を所有しているのはあなた方なのです。息子さんに問題のいくらかでも自分で背負わせるお手伝いをしましょうか」

まだまだ何のことかわからず、いぶかしく思っていた両親に、著者は続けてこう言いました。

「息子さんはあなた方にとって、自分の庭の芝に水を撒かない隣人のようなものです。ところが、お宅のスプリンクラーをつけると、水はいつでも柵を飛び越えて、隣の芝に降り注ぎます。お宅の芝は枯れて行きますが、息子さんの芝は青々として、息子さんは『僕の庭の芝は調子が良い』と言うのです。

もしあなた方が、スプリンクラーの水が自分の芝に降り注ぐように調整すれば、息子さんは自分で水を撒かない限り、埃まみれの生活をするようになります」

「息子を助けないのは酷ではないか」と言った父親に対して、著者は「助けてあげることが今まで彼の役に立ってきましたか」と聞き返しました。

すると、父親は境界線を引く意義を次第に理解し始めました。

またある人から聞いた話ですが、少し前に引っ越してきたマンションの隣の住人がまだ若い男性で、夜中にしばしば友達を連れてきて、部屋で騒いで困っていたそうです。笑い声や時にはギターをかき鳴らして歌ったり、その晩は彼女は眠れなかったとのことでした。彼女はそうしたことがあるとすぐ翌朝に大家さんに電話をして、大家さんから彼に注意をしてもらっていました。

しかし案の定と言うべきか、彼は注意されてもしばらくすると元の木阿弥で、一年以上そんな生活が続きました。

何回目かの注意の後、彼の手書きのお詫び文のコピーが、郵便受けに入っていました。数日後、彼女がたまたま大家さんと顔を合わせた時にその話になり、大家さんは彼を呼び出して「もし君が騒ぐのをやめず、他の住人が堪りかねて引っ越してしまったら、入ってこない家賃分の損害賠償を請求するぞ」と話したそうです。そしてお詫び文を書かせて、自分で投函するようにと。

これは単なる脅しではなく、彼の行為の結果、刈り取るべき結果を示して見せたのです。

彼はただ注意されただけでは「はいはい、わかりました。(うるさいなあ。少しくらいいいじゃないか)」だったかもしれませんが、自分の行為のツケがどのように巡ってくるかを思い知らされると、自分の行動を変えざるを得なくなったのでしょう。それ以降、隣の部屋に彼の友達がやってくることはあっても、以前のような大騒ぎをすることはなくなったそうです。

境界線の原理原則とは「蒔いた種は自分が刈り取る」ということです。

自分の行いの結果を自分が引き受けるということです。

真っ当な「No」を尊重しない人と付き合い続けたらどうなるか

上記のマンションの住人の例は、夜中に騒ぐ行為は非常識だったとは言え、この話をしてくれた彼女に逆恨みして嫌がらせをするような、悪質な人ではなかったので、これで一件落着となりました。

彼女曰く「夜中に騒いでいる最中に、何度も直接苦情を言いたくなったが、相手がどんな人かわからないし、大家さんにもそれはやめて欲しいと止められていたので直接は言わなかった」「No」を言うことの難しさの一端でしょう。相手からの逆恨みを恐れたり、或いは相手の機嫌を損ねると自分が悪いことをしたように感じてしまうと、「No」を言うのが難しくなります。

しかしそれでもなお、我慢し続けることが何か良い結果をもたらすのか、自分のわがままではない、至極真っ当な「No」を尊重しない人と、付き合い続けたらどうなるのか、この結果予測ができるのも自分だけです。

真っ当な「No」に逆恨みしてくる人、逆切れして怒りだしたり、嫌がらせをしたり、罪悪感を刺激して操作してくる人たちに、絡めとられない賢さと勇氣を養ってこその境界線です。この賢さと勇氣を育てないと、自分で自分の境界線を貧弱にしてしまいます。地上から5㎝の柵では、形ばかりで柵の意味がありません。

例のマンションの住人は、他のマンションに引っ越ししても、恐らく夜中に大騒ぎをすることはないでしょう。この経験を通して、集合住宅や住宅密集地に住む以上、どこへ行っても同じなのだと学ぶ機会になったでしょう。ただ事なかれ主義で譲ってしまう、相手に境界線を乗り越えさせてしまうのは、彼の学習の機会を奪うことでもあるのです。

限度・限界を自分で設定するために

境界線を築くには、まず自分自身の限度・限界がわかっていることが必須です。例えばLINEのやり取りを切り上げたい、その限度・限界は、相手や状況によっても変わります。たまのことで、明日は仕事が休みで昼まで寝ていても良いのなら、夜中まで付き合うのもありでしょう。しかし再々のことだったり、今夜は早く寝る必要があったりすれば、限度・限界は変化します。

自分で「ここまで」と決めないのに、自己決定という責任から逃げて「あの人は夜中までLINEに付き合わせて・・」と相手のせいにして愚痴を言うのは全くのお門違いです。

そして限度・限界を設定するにあたり、自分の感覚や感情に正直であることが大前提となります。自分が疲れている、早く寝たい、これを押し殺してしまうと何が自分の限界かわかる筈がありません。これを頭で押さえつけてしまう人がとても多いのです。少々疲れていても我慢するべき時もたくさんあります。しかしそれも「疲れていることを無視し、押さえつける」のと、「疲れを自覚しながら表には出さない」のは異なります。

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頭、即ち理性を使うのは、自分の限度・限界がわかった上で「伝えるか、伝えないか。伝えるとすればどのタイミングでどう伝えるか」においてです。LINEを切り上げたいのであれば「明日は早いし、まだお風呂に入ってないの。だから今夜はこの辺で。とても楽しかった。またね、おやすみ」などとはっきりと、そしてLINEのやりとり自体が楽しかったのならその氣持ちは伝える、ということです。

上記のマンションの隣人の件で言えば、わざわざ彼を呼び出して、話をしてお詫び文を書かせた、このことに大家さんが理性の判断力を使ったので上手くいったのです。

本書に何度も「境界線を乗り越えられて不快な氣持ちになったのはあなたの問題」と書かれています。これだけを読むと理不尽な氣持ちになる人もいるかもしれません。「何で!非常識でいけずなのは向こうやん!」

これは「限度・限界は自分だけが決められること。そしてどう対処するかも自分の責任」という意味でしょう。その行為の道義的責任と、被害を受けた側の対処する責任との区別をつけてこそ、大人の判断です。

ところで、あるがままの自分を大切にするとか、等身大の自分を受け入れるとかは、表現は違えど「自分の限度・限界を自分で設定する」こととも言えます。これが自分を愛することの基礎と言っても過言ではありません。

そして「今夜は疲れてLINEのやり取りを切り上げたい」に良い悪いはありません。それが今の自分、その自分をきちんと表現するのが、自分の人生に責任を持ち、自分を愛することなのです。「今夜のLINEはこの辺でね」と言えることから、人生を変えていく、自尊感情を育むことは充分できるのです。

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