【境界線への自分の抵抗②】「べき・ねば」とコンフォートゾーン

一見矛盾するかのような「べき・ねば」とコンフォートゾーン

前回の記事のように、親からの洗脳や、満たされなかったニーズのために「No」を言えない人ばかりではなく、ある程度健全な子供時代を過ごした人であっても、境界線に自分自身が抵抗することはしばしば起こります。

一つは「べき・ねば」に過剰に囚われていること、もう一つはコンフォートゾーン、居心地の良い場所から動きたくないというものです。

自分の良心や信念に基づいた「べき・ねば」は、困難に立ち向かう勇氣の源になります。また私たちは誰しも嫌なこと苦手なことははやりたくないものなので、時には「べき・ねば」で自分の背中を押す必要もあります。しかし自分を罰する「べき・ねば」は、自分自身を縮こまらせます。「○○でない私はダメだ」が先に立つと、失敗や他人からの評価評判を過剰に恐れ、自由な選択に尻込みしてしまいます。境界線は不本意な「Yes」を言うことから、自分の自由意志による「No」を言うこと、即ち自由であることです。

また寒い季節に「こたつむり」になって動けなくなる、そんな経験は誰しもあるでしょう。精神的な「こたつむり」がコンフォートゾーンです。「こたつむり」は暖かく快適ですが、そこでやれることは限られています。えいやっとこたつから出て、寒い屋外に出て行ってこそ私たちは人生の幅を広げられます。これも上記の自分を罰する「べき・ねば」に囚われないことと、根は同根です。

しかし人間には、変化を恐れる側面があります。人間の体には恒常性、ホメオスタシスという機能があり、体温や脈拍が一定に保たれているのも、ダイエットをしても中々体重が減らず、また急激なダイエットは必ずリバウンドが来るのもこの恒常性のためと言われています。

職場で新たな取り組みを導入しようとすると、必ずと言っていいほど抵抗が起きるのも、人間は変化を恐れるからです。ただ最初の内はどんなにブツブツ言っていても、慣れてしまえばそんなことはすっかり忘れ、余程の不具合がない限り「やっぱり元に戻そう」とは言わないのが世の常です。これは新たな恒常性に上書きされているからです。

「人は安心の名の下に自由を手放す」

自由は価値観ですが、安心を求めるのは本能です。私たちは安心したいがために、あっさりと自由を手放し、自ら奴隷になり、囚人になります。この安心の中身には「だって」の責任転嫁も含まれます。「『惚れさせる』ことが目的の人には近寄らない」の記事に書きましたが、「だって誘ってきたのはお前だろう」の責任転嫁の卑怯さを、人は心の底で感じ取ります。自由と責任はワンセットであることも、こうしたことに現れています。

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本人は好みの異性を操作して、責任を負わず美味しい思いをしているかのようですが、相手の出方に未来が左右される状況に自らを置いてるという意味においては、その人自身が囚人なのです。そしてまた、そうした人と付き合いたいかを決めるのは、他でもない自分の領域です。

他者に支配されるのは、安全な牢屋にいるようなものです。全ての部屋の場所がわかっているからです。「地獄から逃げ出したくなかったのです。あそこなら全ての通りの名前を知っていましたから!」と言った女性もいました。

安心を求めること自体は本能なので消せません。ですので、私たちは何を恐れているのかが問われています。目先の不安や孤独感の解消のために、自らを囚人にしてしまっていないか、囚人になることこそを恐れているかと、私たちは何度でも自問する必要があります。

過剰な「べき・ねば」も、失敗や瑕疵を自分に許していないがためであり、「安全な牢屋」に自分を閉じ込めようとしているのです。

「やってみなはれ」サントリー創業者・鳥居信治郎

この過剰な「べき・ねば」やコンフォートゾーンに閉じこもろうとすることの反対は、チャレンジすることです。何事も慎重を期す性格の人は、充分に下調べをし、「失敗したところで大けがにはならない」小さな一歩を見極めて踏み出します。殊に自分のことだけでは済まない、家族や他人を巻き込む事柄なら、そうした慎重さは誠実さの証とも言えるでしょう。

ですから、最初の一歩を大きく考えすぎて足を踏み出せない人は、「これだったら私にもできる」小さな事柄をキャッチすることから、始めてみるのも良いでしょう。例えば街頭でのビラ配りやポスティングは、自分には中々一歩が踏み出しづらいけれど、チラシ印刷代のカンパならできる、自分の名前が出るような活動は諸々の事情でやりづらいけれど、匿名でできそうなことを探して実践する、などです。

自分にとっての小さな一歩を探してパッと踏み出せる瞬発力がつくと、咄嗟の時に「あ、ごめんなさいね、それはこれこれの事情でお受けできなくて・・」とさっと「No」が言いやすくなります。チラシ印刷代のカンパならできると一歩を踏み出すことと、「No」を咄嗟の時に言えることとは、関係ないかのようですが繋がっています。

ところで、標題の「やってみなはれ」は、サントリー創業者の鳥居信治郎氏の口癖でした。この「やってみなはれ」に励まされ、心が明るくなる、素敵だな、いいなと思う人が、決していなくならないのは、このあり方がやはり人として健全であることを、心のどこかでわかっているからでしょう。つまり「コンフォートゾーンの中に留まり、『べき・ねば』で自分を縛り付ける」のは、どこか温かい血が通っていない、生きていない、言われたことだけやっているロボットだと感じ取っているのです。

未知の事柄について強い恐怖を感じる人たちは、事前に「何もかも知っている」ことを強く望む人たちです。しかし誰でも、実際にやってみるまではどうすればいいのか分からないのが普通です。

仕事でも人間関係でも、普遍的な原理原則はありますが、状況は常に流動的であり「これをやれば上手くいく」という正解はありません。「やってみなはれ」は「やったら必ず望み通りになりますよ」では決してなく、「やってみなければわからない」です。

「わてに人を見る目がありまへんどした」

2018年に放映されたTVドラマ「琥珀の夢」は、鳥居信治郎氏をモデルにした一代記でした。

テレビ東京

テレビ東京 日経ドラマスペシャル「琥珀の夢」のオフィシャルサイトです。ベストセラー作家・伊集院静“初”の企業小説を内野聖…

若き日の主人公・鳴江萬治郎が悪友に騙されて、お金を大損するシーンがありました。窮地に立たされた萬治郎が或る豪商の元へ借金の申し込みに行き、その豪商から「何故、このようなことになったと思うか」と問われたところ、萬治郎は「わてに人を見る目がありまへんどした」と謙虚に答えます。

その答えを聞いた豪商は「お前が『あいつのせいでこんな目に遭わされた。悪いのはあいつだ』と答えたなら、お前に金は貸さなかった。そのように答えられるお前を見込んで、お金を用立てしよう」という意味のことを答えました。

これは借金だけでなく、全てにおいて言えることです。

私を含めたごく普通の凡人は、そうは言っても恨み節が出るものでしょう。悔しい氣持ちをごまかさずに感じ切るプロセスも大切です。ただその後、いつまでたっても同じところに留まっていては、私たちは成長できず、折角の経験を無駄にしてしまいます。

「わてに人を見る目がありまへんどした」・・最初から人を見る目のある人などいません。またこれは知識のお勉強で身に着けられることではありません。様々な人、それも良い人に出会うだけでなく、騙されて悔しい経験を何度も重ねないと養えないものでしょう。

「願った通りにはならなかったけれど、私は成長した」と言える学びを

学びとは、知識のお勉強だけではなく、自分自身の未熟さ、至らなさに直面し、それをごまかさないことそのものです。裏から言えば、読書や習い事やセミナー受講をどんなに重ねても、辛く悔しい経験を通じ、「私はまだまだわかっていなかった」という思いをしない人は、本当の意味で学んでいないと言ってよいでしょう。

ですから、どんな困難な状況に置かれようと「一体何で自分の何かを変えなければいけないのか。何で自分が学習しなくてはならないのか」とへそを曲げて怒り出す人は、自分から成長の機会を放棄しています。そして人間には現状維持はなく、成長か後退かしかありません。

昔は地域地域に「ご隠居さん」と呼ばれる知恵袋的なご老人がいたものですが、今はほとんど聞きません。価値観が多様化し、人に訊くよりまずネット検索する世の中になったためもあるでしょうが、やはり直にやり取りしてこそ得られるものもあります。少々辛口になりますが「自ら学び、自分の何かを変えようとせず、ただ歳を取って後退してしまった」ご老人になってしまうと、若い人達から「老害」と陰口を叩かれる羽目になります。

どんな人にも「願った通りにはならなかった。労多くして益なしの結果に成ってしまった。でもだからと言って、『だったらやらない方が良かった』とは思わない。あの経験があればこそ、様々なことを学んで私は成長した」そうした経験があると思います。私たちはかなり意識しないとこのような自己承認をしません。そして楽な方、安全な方をつい選びたくなるのも免れ難い人情でしょう。しかしその誘惑をはねのけて、「自分で自分を安全な牢屋に閉じ込める」ことに逆らっていく、それが境界線を育てることだと思います。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。