毒になる親は何故子供に謝れないのか

「親を変えようともがくゲーム」の根底には「一度でいいから謝ってほしい」

以前の記事「【怒りを外に出す】親を変えようともがく人生との決別」では、スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」からの引用で「親を変えようとするゲームをやめなければならない」と書きました。

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(毒になる)親を持ったほとんどの人は、自分の親が子供を理解し受け入れることのできる、愛情のある親になってくれるようにと、それこそあらゆる犠牲を払ってもがいている。そうして”もがく”ことで本人はエネルギーを使い果たし、日々の生活は混乱と苦痛に満ちたものになっているのに、その”もがき”はまったくむくわれることはない。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」

見出しの通り「一度でいいから『辛い思いをさせてすまなかった』と心から謝ってほしい。そして愛情のある親に変わろうとする、せめてその努力をしてほしい」・・一度ならずそう願ったことのない子供はいないかもしれません。

しかしそれができる親なら、毒になる親でも支配する親でもありません。或いは、感情を爆発させた子供に対して「親はその時は謝って見せたが、すぐに元の木阿弥になり、信じてしまった自分に腹が立って傷ついた」経験がある方もいらっしゃるでしょう。勿論これは単なるなだめすかしであり、二重に子供を裏切る罪深いものです。

今回は何故彼らは謝れないのか、謝ろうとは思わないのかを取り上げます。

上限の望みと下限の望み

頭では「親は変わらない」と知っていたとしても、「もしかしたら・・謝ってくれるかも・・」と心では儚い望みを掛けたくなるのが子供の切なさです。この「もしかしたら・・」は、自分が力を出し尽くし、やり切った実感が伴わないと、諦め切れず、捨ててしまえないものかもしれません。ですので、急いで捨て去ろうとしない方が、自分を否定せずにすむでしょう。

一方で、この望みを上限の望みとするなら、下限の望みは何かを考え、設定します。具体的には「毎日の生活に干渉されなければよい」といったあたりになるでしょう。

そして下限の望みは「対処する」責任を果たしながら実現し、その間に彼らなりのロジックを実感できると、少しずつ「もしかしたら・・」を手放せるようになるかもしれません。今回の記事がその一助になれば幸いです。

子供は親の所有物・親のために子供が存在している

まず、彼らの生存戦略の原理原則を知るところから始めます。

毒になる親は、その親も毒になる親でした。連鎖しているということです。但し、子供にはそれぞれに特性があるので、この連鎖は常に実現するわけではありません。彼らの戦略が、子供によっては通用しないケースも珍しくないからです。子供へのコントロールは無意識的なので、「このやり方ではこの子は支配できないから、違うやり方を考えよう」とまでは、余り考えてはいないようです。寂しがり屋な子供には、無関心を装ってニーズに応えないことでコントロールできますが、かまわれるのを嫌う子供には、同じやり方は奏功しません。だからと言って、その子に過剰にかまってコントロールしようとは通常しない、ということです。

心が健全な親は、「子供のために親が存在している」と考えます。望んで産もうが、そうでなかろうが、無力な幼子を健全に養育し、一人前の大人にするのが親の当然の務めです。そして精神的にも経済的にも自立していくことを、一抹の寂しさを感じたとはしても、「親の務めを曲がりなりにも果たせた」と自己承認できます。子供が社会人になり、昇進したら心から喜び、「一層精進なさい」と励ますことができます。

しかし毒になる親は、この考えがひっくり返っています。見出しの通り「親のために子供が存在している」です。即ち、子供は親の所有物です。ですから「子供には何をしてもいい」のが彼らのロジックです。しかし、このロジックは無意識に持ちますので、表面上それを認めることはないでしょう。

但し、子供は物ではなく人間なので、日々成長していきます。いつまでも「親の言うことを盲信し、疑いもなく自分を頼り切っている」幼児のままではありません。特に思春期以降、親とは違う人格を発達させるようになると、子供は自分の脅威と捉えるようになります。そして以下のロジックが完成します。

子供の非力さと自分への依存度を高めることによって、自分の立場を守ろうとする。
⇒正しいのは常に自分でなければならない。
⇒自分が誤っていた事実を認められない。

威圧的な親であろうと、かまい過ぎの親であろうと、子供に自分の面倒を見させる親であろうと、子供のニーズに無関心な親であろうと、原理原則は同じです。このロジックを毒になる親は代々受け継いでいます。裏から言えば、後からでも「あれは私の間違いだった」と心から認められ、行動を改められる人は、実際の親がどうあれ、毒になる親にはなりません。

毒になる親は「自分の考えが間違っていた」と認められない

良心の呵責に耐えられず、子供との信頼関係を損ないたくない親であれば、面と向かって謝れなくても、例えば「お父さんが『あの件は私が間違ってた。詫びを言ってたと伝えてくれ』って言ってたわよ」などと、もう一人の親から伝言してもらうなどします。子供は「お母さんに伝書鳩をさせるんじゃなくて、自分で言ってよ」と言ったり思ったりはしても、概ねの場合、その時点で父親を許す氣になれるでしょう。

毒になる親の場合は、この面子が邪魔をして謝れないのとは根本的に異なります。

「毒になる親」の場合は、ひとことでいえば考え方が常に自己中心的で、何事も自分の都合が優先する。例えば「子供はどんなことでも親のいうことを聞くべきだ」「親のやり方が絶対正しい」「子供は親に面倒を見てもらっているのだから、いちいち言い分を聞いてやる必要はない」などの考え方である。このような考え方こそ、「毒になる親」が育つ土壌である。

「毒になる親」は、自分の考えが間違っていることを示す事実には必ず抵抗する。そして自分の考えを変えるのではなく、自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする。

前掲書 下線は足立による

この「自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする」のは、後述する「事実の否定」と「責任転嫁」を主に用います。当然のことですが、これをされるとまともな話し合いにはなりません。仕事などの利害が絡む相手には立場上謝っても、利害打算がなく、「自分の方が圧倒的に優位である」立ち位置を崩す必要がない子供に対しては、やりたい放題ができてしまいます。

ナルシシストの親の特徴

毒になる親は、フォワードの引用文にある通り、自己中心的で自分の都合が優先します。それは誰もが持って生まれるナルシシズムが打ち砕かれず、肥大化した結果です。「ほれぼれとした自分でなければ許せない、認められない。ほれぼれとした自分の演出のために、どんな手でも使う」という生存戦略です。これが子供の心よりも世間体を優先したり、子供の自尊心を踏みにじる一方で、外食や旅行に連れて行ったり、物を贈ったりして「『自分は良い親だ』と自分が思っておきたい」偽善的な態度に出たりします。

ナルシシズムはどんな人にも、芯の部分は残ります。例えば来客の前に散らかった家を片付け、来客用の食器を棚の奥から引っ張り出す。それまで身なりに構わなかった人が、好きな異性ができた途端にお洒落に精を出すようになる、などです。この程度の小さな見栄はお互い許容範囲であり、度を越さなければ「そんなものだよね」と微笑ましく思えるものです。そしてこれは「自分を受け入れてもらいたい氣持ちと、相手を喜ばせたい氣持ち」双方があってのことです。

毒になる親のナルシシズムは上記のこととは明らかに異なります。相手は自分を飾るためのアクセサリーに過ぎません。ですから、そのアクセサリーが役に立たなくなったり、自分が氣に入らなくなった途端にポイ捨てします。そこには相手への尊重は全くありません。

ダン・ニューハース「不幸にする親 人生を奪われる子供」に挙げられた、ナルシシストの親の特徴の幾つかを抜粋します。

  • 自己重要感が異常に大きい。
  • 自分は特別で人と違うと思っている。
  • 人からの称賛を過剰に必要としている。
  • 人は自分に従うべきだと思っている。
  • 人を基本的に「自分にとって有用か、それとも脅威になるか」という見方で見る。
  • 自分の責任を受け入れず、人を非難する。
  • 人から批判されたり拒否されることに過剰に敏感である。
  • 完全主義的な傾向がある。
  • 他人の氣持ちを思いやる能力が欠如している。

このようにナルシシストの親は、本質的には共感性が低く、無責任です。しかし体裁は大変氣にするため、いわゆる「外面が良い」人が多いです。一見温厚で「ちゃんとした人」に見えることもあります。なので子供が親のことで他人に悩みを打ち明けても、しばしば信じてもらえません。

人の痛みを感じられず、無責任で、批判されるのが耐えられない毒になる親が、「謝っておかなければ自分が損をする。立場が悪くなる」打算が働かない子供に対して謝れないのは、当然と言えば当然です。「我が親ながら、人として情けない」と嘆息するのも分離の一過程になるでしょう。

毒になる親がよく使う2つの心理的防衛

どんな家族、或いは集団であっても、独自の力学が働いてバランスを取ろうとします。同じような個性の人が集まっているよりも、違う個性の人達の集団の方が、互いを補い合ってバランスが取れます。価値観はある程度共有できていないと、同じ目標を達成できませんが、旗振り役が得意な人、縁の下の力持ちが得意な人、「あの人が職場に来るとピリッとして背筋が伸びる」タイプの人、冗談を言って和ませてくれる人、様々な人がいてこそバランスが取れます。

健全な集団では、危機が起きた時にこそ、一致団結して乗り越えようとします。渦中では叱ったり泣きべそをかいたりがあっても、乗り越えた暁には却って絆が深まります。これも常日頃から、互いの信頼に支えられた、オープンなコミュニケーションがあればこそです。

「毒になる家庭」は、個性の違いを尊重するのではなく、親の考えに子供を盲目的に従わせることでバランスを取ろうとします。「口答えするんじゃない」「子供のお前が私に意見するのか」しかし、このようなバランスのとり方は、ふとしたことで簡単に崩れてしまいます。

フォワード「毒になる親」の或る事例では、二十歳の息子が、アルコール依存の父親について言及したところ、父親本人だけでなく、母親と姉もパニックを起こしました。「家族は誰も私に口をきかなくなった。まるで私など存在しないかのように無視し続けた」誰もが知っていて、見て見ぬふりをした事実を指摘した方が、偽りの安定を脅かした犯人扱いされたのです。

このように、彼らは自我が未熟で脆弱なため、現実の重みに耐えられません。その脆弱な自我を守るための、代表的な心理的防衛は以下の二つです。

事実の否定

「そんなことはなかった」「覚えていない」と事実そのものを認めない。「大したことじゃない」「大げさに考えすぎ」と矮小化する。別の問題にすり替えて揚げ足を取ろうとする。はぐらかす。言い分を聞こうとしない。無関心になり、意識の外に追いやって「なかったことにする」。

責任転嫁

「あんたが被害者意識が強すぎる」「あの子は変わった子だから(こんなおかしなことを言いだすんだ)」などと子供のせいにされる。もしくは「みんな昔からそうしてる」「世間がこうだから」「村の掟だ」など「主語を大きくして」責任から逃れようとする。


子供が勇氣を出して、親との対決をしても、その話し合い自体は不発に終わるのは、この二つの心理的防衛が起きるからです。しかし、却って諦めがつき、親に対する幻想が打ち砕かれるという意味においては、分離自立を大きく後押しすることになります。

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子供が境界線を確立した時に、毒親との関係性は事実上終わる

見出しの境界線とは、日常に置き換えれば「No」を言うことです。無思考のまま「皆がそうしている」「TVがそう言ってるから」で盲従するのは楽ですが、それは自ら家畜になることです。

「No」を言うためには、価値観がベースになった優先順位づけと、限界設定が必須です。限界設定は、社会的立場や能力など、ある程度客観的にわかりやすい事柄と、その時々の状況によって変化するもの、自分の性分、好み、信念によるものなどの「常に自分に問いかけていなければわからない」ものがあります。

盲従する「Yes」とは異なり、「No」を言うのは自己決定と言う責任が問われます。そしてこの責任に裏打ちされた「No」が言えなければ、真の「Yes」も言えません。

境界線を確立するには、息の長い意識的な努力が必要です。しかしこれも、誰かにできて誰かにはできない類のものではありません。関心のある方は、カテゴリー「境界線 バウンダリーズ」の記事の中で、やりやすい所から是非実践して頂ければと思います。

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見出しの通り、子供が境界線を確立した時に、毒になる親との関係性は事実上終わります。子供が親にとって「支配し、利用できる相手」ではなくなるからです。多くの場合、親の方から関わろうとしなくなります。

そして子供の方は、いつの間にか「謝ってもらうこと」に拘泥しなくなります。「謝ってほしい。でも無駄。でも謝ってほしい」の堂々巡りに消耗するより、急がば回れで自分の境界線を確立する、その習慣を身に着けた方が、結果早く楽になっていけるでしょう。

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