対決はしてもしなくてもよい、ただ「せざるを得ない」場面がやってくることも
親との対決とは、真正面から親と向き合い、これまでの有害で不健康なコントロールについてはっきりと発言し、踏みにじられた心を回復するプロセスです。
この対決を乗り越えた人は、著しく成長します。その後も起きる親や他人からのコントロールに屈しなくなり、素早く「No」を適切に言えるようになります。勇気に満ちた自分、即ち自尊感情が高い状態を維持でき、様々な困難に際して的確な判断を下せるようになります。不安を手っ取り早く解消したいがために、安易な方法に飛びつくこともなくなります。
但し、この対決にはリスクもあります。
スーザン・フォワード「毒になる親」では、親との対決を必要である、と力説しています。一方で、このダン・ニューハース「不幸にする親」では、対決はしてもしなくてもよい、としています。
私自身は、「やるなら慎重に。ただ『対決せざるを得ない』事態がやってくることもあるので、『いつでも対決できる自分になっておく』準備は必要」と考えています。対決せざるを得ない事態とは、例えば相続や介護の問題など、親が死に近づくにつれて避けて通れない事柄です。
今回は「不幸にする親」では第7章の一部、そして「毒になる親」の第13章を扱います。
対決の目的
対決の目的は、親に復讐するためではありません。怒りをぶちまけるためでもありません。また、親の謝罪と真摯な反省を求めるものでもありません。
子供の言い分に真剣に耳を傾け、心を痛め、謝罪し反省して、変わる努力をしてくれるような親なら、既に「不幸にする親」でも「毒になる親」でもありません。
スーザン・フォワードは「対決はなぜ必要か」について、以下のように述べています。
はっきりと”対決”するということは、心の最深部に横たわっている”恐れ”に顔をそらさず直面するということであり、それだけでも圧倒的に親のほうに傾いていた心理的な力のバランスを変えはじめることになるのである。
もしこの方法を取らなければ、残る道はその恐れとともに残りの人生を生き続けることしかない。そして、自分自身のために建設的な行動を起こすことを避け続けていれば、無力感や自分に対する不十分感は永久になくならず、自尊心は傷ついたままだ。
そして、実はもうひとつ、決定的に重要な理由がある。それは、あなたが負わされたものは、その原因となった人間に返さない限り、あなたはそれを次の人に渡してしまう、ということなのだ。
もし親に対する恐れや罪悪感や怒りをそのままにしておけば、あなたはそれを人生のパートナー(妻や夫)や自分の子供のうえに吐き出してしまうことになる可能性が非常に高いのである。
スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」(太字、下線は足立による)
最後の一文は、いわゆる連鎖してしまう、ということです。有害なコントロールをする親は、「その原因になった人間に返さなかったから」自分の子供に吐き出していたのです。
心の最深部に横たわっている親への恐れ、これが行動の動機になっている限り、自分の人生を生きることは難しくなります。親とは関わらなくなっても、「親のような態度を取る」上司や配偶者に、同じような反応をしてしまい、子供時代の続きを延々と続けてしまいます。
この恐れをごまかさず、向き合って乗り越え、そして「自分が負わされたものを、その原因になった人間に返す」、この二つは直接対決するにせよ、後述する手紙書きやロールプレイなどで行うにせよ、誰でもない自分の人生を生きるために大変重要です。
対決する前にクリアするべき4条件
「毒になる親」では、対決する前に以下の4条件をクリアするべきとしています。
1.その結果予想される親の「拒絶」「事実の否定」「怒り」そのほかのネガティブな反応によってもたらされるであろう不快な結末に、対処できるだけの強さが自分にあると感じられる。
2.ひとりだけで孤立しておらず、理解してくれる友人やカウンセラーなど多くの人たちから十分な励ましがある。
3.「手紙書き」と「ロールプレイ」による練習も十分してあり、「自己防衛的にならない対応の仕方」も十分練習してある。
4.子供時代の自分の身に起きた不幸な出来事について、自分には責任がないことがはっきり確信できている。
前掲書
つまり、対決は親からの分離・独立と、心の自由と平和を取り戻すための総仕上げなのです。
私は直接対決をするにせよ、しないにせよ、この4条件はクリアする努力がいずれにしても必要だと考えます。
1は親だけではない、操作的な人を見抜き、できる限り最初から関わらない。相手からターゲットにされない自分を育て、それでもなお出会ってしまった場合に対処できる自分になっておくこと。
2はどこへ行っても、信頼関係が築ける自分であること。引用文では「多くの人」となっていますが、心から信頼でき、相談に乗ってもらえる人が複数人いれば充分でしょう。
3の手紙書きとロールプレイについては後述します。「自己防衛的にならない対応の仕方」とは、反応的にならないことです。例えば、クレーマーに対応するときは「良い悪い、正しい間違っている」の議論にさせないことが鉄則です。事実だけをフィードバックしていくコミュニケーションスキルと、「何でもその場で決着をつけようとしなくていい。自分や相手が冷静さを欠いている時は、『一旦保留』にする」心構えがあるといいでしょう。
「あの人、どうにかして!」と悲鳴を上げたくなる心理ゲームとは「人を変えようとしてはいけない」・・・確かにその通りですが、世の中には「あの人、どうにかして!」と悲鳴を上げたくなる人がやはりいます。真に自立し、互いを尊重できる[…]
4は最も大切です。「親にとっての都合の良い子」は、「私が悪かったのかな?」と自分を責めてしまう癖がついていることがあります。大人になって自分の身に起きたことは、実際には「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」のです。
まず日常の中で、嫌なこと、困ったことを客観視し、「道義的責任と対応の責任」を分けて考える練習をすると良いでしょう。明らかに相手の悪意やエゴで傷ついた時、「騙された!」と怒りを感じた時、道義的責任は自分にはありません。但し「もう二度と同じ目には遭わない」自分になるために、何をするべきかの努力をする、その対応をする責任は自分にあります。それをごっちゃにしていると「騙された自分が情けない」と自分を責めて終わり、になってしまいかねません。
対決のリスク
ところで、対決には以下に挙げるリスクが存在します。
- 暴力や暴言、金銭的なことも含めた復讐
- 事実の否定:「覚えていない」「そんなことはやっていない」
- 責任転嫁:「あんたが言うことを聞かなかったからだ」「躾のつもりだった」「冗談を真に受けるお前が悪い」「過去のことを蒸し返して何になる」
- 恩に着せる:「育ててやったのに」「大学まで出してやったのに」
- 罪悪感を刺激する:「老い先短い老人にこんなことを言い出すなんて虐待だ」
- 泣いて謝って見せ、それ以上言わせない。
- こちらにはどうにもできないことを言う:「あんたは子供を産んでないから、親の氣持ちがわからない」
つまり「まともな話し合いにならない」可能性は十分にあります。その際、相手の操作に屈さずに、冷静に対応できるよう、想定問答集を作って練習しておく必要があるでしょう。
ですので、直接対決する場合にも、先に手紙を送っておくことをお勧めします。念のため内容証明郵便にしても良いでしょう。「届いていない」と嘘を言わせないためです。手紙を送っておけば、「直接対決をしようとしたが、言いたいことがほとんど言えないままだった」という事態を避けることができます。
対決を乗り越えると著しく成長するのですが、話し合い自体は不発に終わることもあります。しかし「対決しようとした」事実は残ります。望んだ結果にはならなくても、「自分が一歩を踏み出した」自信を得られます。
また暴力等のリスクを避けるため、手紙を送るだけでも構いません。手紙にどんな返事が来るか、もしくは何の返事もなければ、それが親からの「答え」です。
実際に対決するかどうかは、上記のリスクと、リスクを回避できる自分になっているか、それでもやはりダメージを受けてしまった際に、回復を援助してもらえる環境(これまでの経緯を良く知っているセラピスト、カウンセラー、配偶者や友人の存在)があるかどうか、慎重に見極めた上で踏み切ることを強くお勧めします。
手紙書きとロールプレイで氣づきを得る
上述した通り、直接対決する場合でも、先に手紙を送る方が望ましいです。
リスクを鑑み、対決はしない選択をすることもあるでしょう。また、対決しようにも親がすでに亡くなっている、高齢で心身ともに弱っている、認知機能が衰えていて込み入った話ができる状態ではない、というケースも多いでしょう。
対決の目的は心の最深部に横たわっている親への恐れを払拭し、「負わされた不当なものは、負わした人間に返す」ことですから、それが達成できれば手紙書きと、必要に応じてロールプレイでも構わないのです。
手紙書きとは
「相手に読んでもらうことが前提」で、自分の思いを文章化する、それだけで氣づけることもたくさんあります。自分が何に傷つき、何を一番伝えたかったのか、そしてそれは「当たり前のこと」だったと、自分で自分の傷つきを受け入れて行くのに役立ちます。
ただ、闇雲に書いても整理にはなりません。「毒になる親」では、両親が健在なら別々の親にそれぞれ書くこと、そして書き出しは「この手紙にこれから書くことは、今まであなたに一度も言ったことのないことです」から始める、とあります。
そして以下の4項目を必ず含めるとしています。
- あなたが私にしたこと。
- その時の私の氣持ち。
- そのことが私の人生に与えた影響。
- 現在のあなたに望むこと。
この項目通りに書こうとすると、却って筆が進まない場合もあるでしょう。その場合は一度存分に思いのたけを書きだし、それからA4用紙1枚、長くて2枚にまとめます。その中に上記4項目が含まれているかチェックすると良いでしょう。
できるだけ簡潔にまとめる意義は、ただでさえ相手にとっては耳の痛い話だからです。長いと最初から読む氣が失せたり、「長すぎて何が言いたいのかわからなかった」になりかねません。親が歳を取って認知機能が衰えていれば尚のことです。
またパソコンやスマホの画面に打ち出した後、紙にプリントアウトしてみると、より距離が取れて客観視できます。画面で見るのと、紙で見るのとでは印象が変わることがありますので、ちょっとした手間ですが、ぜひ試してみてください。
手紙を書いただけで、様々な氣づきを得て、氣持ちの蹴りをつけることもできます。時間をかけて何度も読み返し、「はっきり言葉にできた自分」を再確認する作業そのものが、自己承認になります。
ロールプレイとは
手紙書きだけでは物足りない、もしくは実際に対決をする場合は、その準備練習としてロールプレイをお勧めします。理解のある、そして口が堅い友人か、適当な相手が見つからない場合はセラピストやカウンセラーに謝礼を払って依頼しましょう。謝礼の相場は一時間当たり1万円+消費税を見ておけば良いでしょう。
友人に頼む場合は、いきさつと目的を簡潔に伝え、ロールプレイの後、フィードバックがほしいのか、もしくは何も言わないでほしいのか、先に伝えておきます。友人が親切のつもりで、聞きたくないアドバイスをあれこれ言ってくる場合があるからです。
ロールプレイのやり方は以下の通りです。
- 椅子にはす向かいか、90度の角度で座る。真正面だと「対決」の雰囲気が強くなるので、それをやわらげるため。
- 貴方がまず手紙を親役の友人・セラピスト・カウンセラーに向かって読み上げる。相手は黙って聞く。
- 座っている場所を交代し、相手が貴方役になり、貴方は親役になる。そして手紙を読み上げてもらう。貴方は親になったつもりでその手紙の内容を聞く。
- 貴方は立ち上がって、その場を横から眺める。関係のない第三者になったつもりで、今度は貴方役の友人・セラピスト・カウンセラーが空の椅子に向かって(親がそこに座っていると想定して)手紙を読み上げる。貴方は「関係のない第三者」としてその場面を眺め、手紙の内容を聞く。
- 2~4でそれぞれどのような氣づきがあったか確認する。不十分な場合は、2~4のいずれか、もしくは複数を氣のすむまで繰り返す。
シンプルなロールプレイですが、対人関係の解決に多く実践されているものです。
手紙書きもロールプレイも、大事なのは自分の氣づきです。
「魂を高める相手は、誰も親子兄弟の枠では選ばない」
このようなきっちりとした手順を踏まずに、思いがけなく対決する羽目になるケースもあります。人生は何が起こるかわかりません。その際は反応的になるなと言っても無理な話で、思わず感情的になってしまうのが人間の様相でしょう。
しかしその後、親への恐れを払拭し、怒りやくやしさや情けなさが消えなかったとしても、
「恐れから動かされていない」
「親に改心を求めなくなった。ただ今とこれからの自分の生活をかき乱されなければよい」
「自分が親の思い通りにならない、しないことに、罪悪感やうしろめたさを感じない」
「親に限らず操作的な人にされるがままにならない」
そうした境地になれれば、手順をきっちり守らなくても良いのです。
恐れとは、自分よりも強大な力を持っている対象に抱きます。別の言い方をすれば、その対象に自分が無力だと感じている、ということです。特に幼かったころに刷り込まれた内面化した親は、生殺与奪を握っている強大なものです。ですから、時には親に媚びてさえ、自分を守り生き抜こうとします。
この恐れがなくなった時、解放感を感じることもあれば、虚脱感、喪失感、失望を感じることもあるでしょう。親を尊敬していたかった人ほど、心の中にぽっかり穴が開いたような気持になるかもしれません。
精神的な成長を求める人、真面目に生きている人ほど、親に「同じようであってほしい」と無意識のうちに望んでいるのかもしれません。
君とダブルスペアを組もうとしているジャッキー・ビントは 妹のジョージィよりも君を選んだね
君をここまで育ててくれた宗方コーチも 妹の緑川蘭子よりも君を選んだ
そしてわたしも君のコーチを引き受けた時 娘のアンジーよりも君を選んだのだよ
ひろみ 必ずしもテニスの勝敗だけが人生の根本問題なのではない
生命賭けるものが スポーツであれ芸術であれ宗教であれ いかなる道であれ その道を旅していかに魂が成長するか 問うべきは常にその一点!
そして魂を高めるべく道を求める時 誰も親子兄弟の枠の中ではその相手を選ばない
極限の厳しさを 極限の愛情を 最高の世界を求め合い分かち合う相手として選ばれたのだよ 君は
宗方コーチからも ジャッキーからも わたしからも!
山本鈴美香「エースをねらえ!」
「魂を高める相手」は血縁とは関係ありません。「名人は名人を知る」「名将は名将を知る」と言われます。今は磨かれていない原石であれ、見る目のある人に「この人」と思ってもらわなければ、相手から選ばれることはありません。世間体を氣にすることほどくだらないことはありません。そんな暇があれば見る目のある人に選ばれる自分になっているかを考えた方が、余程有意義な時間の使い方です。
魂を高め合う縁は、親子兄弟に「求めなくても良い」「無理に求める方が相手にとっても迷惑」。これが明らかにするという諦めを踏まえた上での、失望を抱えながら、なお生き抜く姿勢だと私は考えています。