【怒りを外に出す】親を変えようともがく人生との決別

他人への怒りとは異なる親への怒りの根深さ

親に対する怒りは、他人へのそれとは根本的に異なります。近所の人、友人、恋人、配偶者、職場の上司や部下、取引先には、その時はほとほと困っても、余程のことでない限り、縁が切れれば時間の経過とともに忘れて行くでしょう。

産みの親は世界にただ一人の父であり、母です。自分が何故世界に一人きりの父や母から、子供であるという理由だけで、けなされたり、尊重されなかったり、無視されたりしなければならなかったのか。彼ら自身の生育歴に原因があったにせよ、それを知ったところで「心は納得できない」ものでしょう。

この「納得のいかなさ」のために「もがく」、それは自然な心の動きです。しかし現実には、それがまた苦しみの種になります。仮に親と関わりを断っていたり、親が既に亡くなっていてもです。

(毒になる)親を持ったほとんどの人は、自分の親が子供を理解し受け入れることのできる、愛情のある親になってくれるようにと、それこそあらゆる犠牲を払ってもがいている。そうして”もがく”ことで本人はエネルギーを使い果たし、日々の生活は混乱と苦痛に満ちたものになっているのに、その”もがき”はまったくむくわれることはない。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」

フォワードは「”『毒になる親』を変えようとする努力”というゲームはやめるべきだ」と強調しています。私も、親との葛藤の終着点は、この「もがく」ゲームをやめ、ゲームに浪費していた精神的なエネルギーを新たな人生の責任や、自分のやりたいことに注げるようになることだと考えています。そして自分の人生に手応えを感じられれば、スペインのことわざの「幸福なることが最高の復讐」を果たしたと言えるでしょう。

このゲームを「自分から」やめられるためにこそ、怒りを外在化する、外に出すことの意義とやり方について、今回は触れて行きます。

怒りの外在化・言語化や意識化することの意義

怒りはしばしば圧力鍋のようなものと例えられます。「たまりにたまった怒りが爆発する」とは、圧力がかかり過ぎた鍋の蓋が吹っ飛ぶようなものです。

怒りを上手に処理するとは、圧力鍋をコンロから下ろし、自然冷却させるか、急ぐ場合は蓋に濡れ布巾をかけ、少しずつ安全に蒸氣を抜くようなことです。

圧力がかかった鍋を「怒りがたまった自分」とするなら、コンロは「自分を苦しめ、怒らせる親」です。そして一番の問題は、この圧力がかかった鍋は自分自身なのに、その存在に自分が氣づいていない、ましてコンロの存在をや、になっていることです。これが人生の様々な不具合を生じさせます。

親自身も、この「圧力がかかり過ぎた鍋とコンロ」の存在に、生涯見て見ぬふりをし続けてきたのです。しかし、今この記事に辿り着いている貴方は違います。少なくともその存在には氣づいています。この氣づくとは意識化のことです。意識化しないと無意識下で動いている自分のパターンを止めることはできません。

親に向かって怒りを表現するシュミレーション

外在化とは、この怒りの存在に氣づいた後、一歩進んで「それがどのようなものか」の中身をはっきりさせることです。「圧力鍋にどれほど蒸気がたまり、カンカンに熱していたか」を知る、そのために怒りを外に出します。

「毒になる親」では「親の写真に向かって大声で喚く」なども外在化の例に挙げられています。日本の住宅事情ではやりづらかったり、氣恥ずかしく感じる場合は、無理をする必要はありません。

家族や友人に話を聴いてもらうのも悪くはありません。ですが下手をするとお説教されたり、理解されずに却って孤独になったり、同じ話の堂々巡りになりかねません。

そして、他人に話す時は、当たり前ですが親のことを三人称で話します。外在化のためには、二人称(お父さん、お母さん、あなた、あんた、お前、てめえ、貴様、等々)で自分の怒りを表現した方が、「どれほど自分が傷つき、怒っていたか」がよくわかります。紙やパソコンやスマホのメモに、二人称で怒りを文章にすると、自分の怒りの中身が見える化します。どんな罵倒や恨みや呪いの言葉になっても構いません。言語化は意識化です。他人に話を聴いてもらう時は、ネガティブな感情を否定しない相手を選ばないと、ここまで生々しい感情を中々吐露できないかもしれません。

言語化が苦手だったり、もしくはそれだけで足りない場合は、体を使います。家に一人でいる時に、クッションや枕を思い切り床に叩きつけたり、枕を叩いたりなどです。ある女性は「親が突然訪ねてきた時のことを想定して」、ドアの前で傘で思い切り親を突く動作をし「帰って!帰らなければ警察を呼びますよ!」と心の中で(マンション住まいのため、声に出すのは憚られたそうです)叫び、シュミレーションしました。「そんなことまでしようとするなんて、どれほど自分が傷ついていたかよくわかった」と話してくださいました。

「どれほど自分が傷つき怒っていたか」を知ることが外在化の目的の一つです。これがそのまま自己承認になります。

また怒りも恨みも、「その原因になった相手」に向けることが大変重要です。それをしないと、「やりやすい相手をはけ口にする」卑怯なことを無意識にやってしまいます。「毒になる親」はまさに我が子にそれをし続けました。自分は同じ轍を踏まないための、大原則と捉えて頂ければと思います。

「圧力鍋をコンロから下ろす自分」の存在が自信に

このように外在化する試みは、「もう一人の自分が圧力鍋をコンロから下ろし、蒸気を抜く」ことです。真の癒しとはこのもう一人の自分を育てることであり、これが自分の人生に責任を持つことです。他人に鍋をコンロから下ろしてもらおうとするのは、依存になり、無力感が増すだけです。セラピストやカウンセラーは、あくまでガイダンスをする役割に過ぎません。

このもう一人の自分が存在していると自覚できると、「今後も怒ったり、傷ついたりはするけれど、圧力鍋をほったらかしにしない。手をこまぬいて『どうしよう、どうしよう』と言ってるだけじゃない。コンロから下ろして蒸氣を抜ける」自信になります。

そして「毒になる親」とは、「火が消えない」コンロのことです。心が健全な親も、時には子供を傷つけ怒らせることはありますが、すぐに氣づいて自分でコンロの火を消せます。怒らせることはやめ、子供に謝罪して関係回復の努力をするのが「コンロの火を消す」ことです。しかし「毒になる親」はそのようなことができない、しないからこそ、「毒になる親」なのです。

冒頭の「”『毒になる親』を変えようとする努力”というゲーム」とは、火の消えないコンロの修理を自分がしようとすることです。それが如何に危険で「やってはならない」ことか、イメージできるかと思います。私たちにできることは、そのコンロに鍋を置かないことです。修理されるかどうかは「自分が氣にする問題ではない」と思えると、「もがく」ゲームを自然にやめられるかもしれません。

勇氣ある父親・慈悲深い母親・好奇心旺盛な子供のバランス

怒りの外在化、外に出すとは、単なる鬱憤晴らしではありません。

傷ついている自分とは、傷ついている内なる子供、インナーチャイルドです。チャイルドなので、理屈だけでは納得しきれません。

そしてこのインナーチャイルドが「怒っても大丈夫。怒りを受け止めてもらい、癒される」と感じられるために、心の中に「健全な親」が住んでいる必要があります。心が健全な親に育てられた人は、自然と「健全な親像」を心の中に住まわせています。

ですから「毒になる親」に育てられた人は、自分で「健全な親像」を心の中に作り、住まわせる必要があります。上記の怒りの外在化を通して「圧力鍋をコンロから下ろせた」自分とは、とりもなおさず「健全な親像」そのものです。

もしかすると怒りを抱くことに罪悪感を感じるよう、親から洗脳されたかもしれません。しかしその罪悪感は全く不要で、「圧力鍋をコンロから下ろせる自分」が存在しているかどうかが問われています。「怒りが悪いんじゃない。いつまでも圧力鍋をコンロにかけっぱなしにして、蒸氣を抜かないことが良くない」と区別を付けられると、怒りを受け入れられるようになるでしょう。

心の中の「健全な親像」そしてインナーチャイルドとは、更に詳しく言うと以下のようになります。

  • 勇氣ある父親。困難に立ち向かい、乗り越える父親。社会の中で、様々な人と協力し合える知恵と実行力のある頼りになる父親。
  • 慈悲深い母親。子供の存在を丸ごと抱きとめ、時に慰め、時に喜び、優しい笑顔を向けてくれる愛情深い母親。
  • 好奇心旺盛な子供。フレッシュな瞳で世界をまっすぐに見つめ、世界の美しさ、輝きに驚嘆し、自分もその中へ入っていこうとする「成長する喜び」を生きる子供。

この三者が心の中にバランスよく住んでいるのが望ましいとされています。「毒になる親」はこのような父母像とはかけ離れているでしょう。しかし自分を癒し、氣づきを得て、或いは様々な人とかかわり自分の感性を磨き、こうした父母像を心の中に養うことは可能です。

「王様は裸だ!」と言える大人に

親が高圧的な態度や、暴力・暴言、様々な脅しや罪悪感で支配しようとしたのなら、「親は脅威」⇒「自分は無力」と刷り込まれても当然です。怒りを外在化するのは、この刷り込みを解くためでもあります。

親が「火の消えないコンロ」であれば、どんなに空威張りしてみせたところで、大迷惑ではあっても脅威にはならないでしょう。謝罪や関係回復の努力をしない、即ち子供を愛していない人は、自分を、そして人生を愛していません。多忙や、仕事の評価評判や、趣味習い事や付き合いで氣を紛らわせてはいても、「何のためにこの長い人生を生きなくてはいけないのか」と心の底で呪っています。そしてその惨めな自分から目を背けようとして、子供を支配し続けたのです。

裸の王様そのものです。

大切なことは、裸の王様に服を着せようとして、「本当は裸なのに『立派な服を着ている』」自分の期待通りの現実にしようともがかないことです。それが以前の記事で書いた「事実の否定」であり、冒頭の「もがくゲーム」になります。

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またフォワードの言葉を引用します。

”もがく努力”をやめるにあたり、もっとも困難な点は、「毒になる親」をそのままにしておくということである。

「毒になる親」をそのままにしておくとは、王様を裸のままにしておくことです。王様が服を着るかどうかは、王様が自分で決めるのです。私たちがやるべきことは「王様は裸だ!」と心底氣づき、それを自分自身に表明し、そしてその本音に忠実に生きることです。また裸の王様に自分の人生を侵入させない知恵と強さを養うことです。

「王様は裸だ!」と叫ぶ子供の口を塞いでしまっては、私たちは嘘の社会を生きることになります。「王様は裸だ!」と言えない子供を、私たち大人は増やしてはいけないのです。フレッシュな瞳でまっすぐ世界を見つめるとは、「王様は裸だ!」と叫べることです。

そして私たち大人こそが「王様は裸だ!」と堂々と言えると、傷ついたインナーチャイルドに報いることができます。その時には既に、「もがくゲーム」はやらないことの意義が腑落ちしているでしょう。

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