【境界線への他者からの抵抗②】罪悪感で操作されないために

怒りよりもわかりにくい罪悪感による操作

他者からの抵抗で、怒りよりもわかりにくいのは罪悪感による操作です。罪悪感で操作されていても、こちらは氣がついていないこともあります。そうすると味を占めた相手は更にエスカレートしていきます。

罪悪感で操作されるのは「それをしないと氣まずい思いがする」「自分が悪いような氣がする」といったことです。

罪悪感と、良心の呵責は分けて考えることが大変重要です。良心は自分のものです。一方で罪悪感は「他人から負わされる」ものです。良心に従ってやったことは、誰に知られなくても「やってよかった」と自分を肯定できます。自尊感情が上がることはあれ、下がることはありません。罪悪感からやったことは「嫌々、不本意ながら」なので、後でモヤモヤが残りやすく、自尊感情が下がってしまいます。

ですので、常日頃から「誰に知られなくても、認められなくても、自分の良心に従ってこれをやる/やらない」「会社の指示や、他人からの勧めがきっかけであっても、『私がそれを選んでいる』と意識する」の習慣づけをしておくと、罪悪感で操作されそうになった時にその区別が瞬時に付きやすくなります。裏から言えば、「人から○○と思われるから△△する」の責任転嫁の他人軸で自分が生きていると、罪悪感で操作したい人の格好のカモに自分からなってしまいます。

罪悪感による操作は多種多様・自分に起こりやすいパターンとは

本書に挙げられた罪悪感による操作の例を幾つか紹介します。

「あれだけいろいろしてやったというのに、よくも私にそんなことができるわね」

「本当に私のことを愛しているのなら、電話くらいしてくれたっていいじゃないの」

「家族のことを思っているなら、これくらいはやってくれるよね」

「よくもそんな風に家族を見捨てることができるものだな」

これらは脅しとセットになっていて、比較的わかりやすいものかもしれません。わかりにくい例では「自分が何もできない弱者・悲劇のヒロインを装う」「相手が根負けするまで黙り込んだり、逆にしつこく言う」「『○○さんがあなたのことを※※だと言ってたわよ』などと、第三者の言葉を引用して中傷する」など非常に多種多様です。

また操作的な支配者は、飴と鞭を実に巧妙に使い分けます。相手を油断させるために飴を使い、頃合いを見計らって鞭を振るいます。相手を「信じたい」人ほど抜けれらなくなります。一見真面目できちんとしている人でも、この手の飴と鞭の使い分けをしている人は枚挙に暇がありません。こうした人間の腹黒さをこちらが見て見ぬふりしたい、認めたくないと、操作されっぱなしになります。

ところで、どんな人にも「自分が操作されやすいパターン」がある筈です。氣持ちの優しい人ほど「放っておけない」氣持ちを利用されるとか、責任感の強い頑張り屋ほど「その人が動いてくれるように仕向けられる。面倒なことを押し付けられる」とか、正義感の強い人ほど「わざとかちんと来ることを言われて挑発される」などです。

【エクササイズ】

過去にされた「嫌だった操作のパターン」を幾つかピックアップします。具体的な場面を思い出して、

  1. その時の相手の言動 
  2. 当時自分が取った反応、言動 
  3. 操作されないために、今だったらどう振舞うか 

をシュミレーションします。

自分が操作されやすいパターンは、実は自分の長所の裏返しの場合もあります。長所は弱点にもなり得る、ということです。上記の「氣持ちの優しい人ほど『放っておけない』氣持ちを利用される」例がわかりやすいでしょう。氣持ちの優しさそのものは変える必要はありませんし、変えられないので、それを持ちながら「新たな考え方、戦略を補う」発想が大変重要になります。

「だって」と反応すると相手の罠に嵌る

ところでまた、罪悪感で操作されそうになった時に、うっかりやってしまいがちなのは「だって」と反応してしまうことです。これをすると、相手の罠に嵌ってしまいます。

「私のことを愛してるのなら、電話くらいしてよ、LINEやメールの返信ぐらいする時間もないの!?」・・・こう言われるとつい「だって」と反応したくなるのが人情ですが、こう答えて良い結果にはならないことは、多くの人が経験済みでしょう。これも心理ゲームの一つです。

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操作された時に嫌な氣持ちになるのは、「自分の負の感情や、責任、本来は自分がやるべき面倒な手間を誰かに押し付けたい」卑怯さを心の奥底で感じるからです。そして操作する人は、「人はつい反応的になる」心の隙を狙っています。

咄嗟のことだとつい「だって」が出そうになるため、まず一旦「心配したんだね」「どうしたの?一体」など、「相手の感情は相手が所有するもの」とボールを投げ返します。

ボールを投げ返すのは、まず自分が冷静になり、反応的にならない時間稼ぎのためです。そして「僕が連絡をしなかったことで、君を不安にさせたかもしれないね。僕がやらなければならないことが色々あるのは、君にとっては辛いのかな」などと返します。

要するに原則は、人々が感じている苦痛に共感するが、それが彼らの苦痛であることを明確にするということです。

この一文は非常に重要です。

上記の例では「電話やLINE・メールの返信がなくても、全く平氣。それで『自分が愛されていない』とは思わない」という人もいます。これにどちらが良い悪いということはありません。

「だってやることがたくさんあって忙しいんだよ。いちいちヒステリーを起こさないでくれよ」とは似てるようで異なる、その差を感じ取って頂ければと思います。「ヒステリーを起こさないでよ」だと「そうさせたのは誰なのよ!」の泥仕合になり、境界線がぐちゃぐちゃになります。

このケースでは、「あなたからの電話やLINE・メールの返信がないと、私はあなたに愛されていないんじゃないかと不安になる」が本来彼女が所有している問題です。このこと自体も良い悪いではなく、ただそう感じている、ということです。

そして彼の方が多忙だったり、どうしてもマメに連絡を取ること自体が苦痛なタイプであれば、彼自身の限度・限界を表明します。これが境界線を明確にするということです。

「あなたからの電話やLINE・メールの返信がないと、私はあなたに愛されていないんじゃないかと不安になる」恋する女性が抱えがちな悩みですが、これも程度によりけりです。一週間も二週間も返信がなければ「私たちって恋人同士なの?」と疑問に思って当然ですが、「真夜中であっても一時間以内に返信して!」では、ただ相手を振り回したいだけで、相手を愛しているとは言えません。

自分の不満や相手への要求が「普通の人ならそう感じても当然だよね。たまにはガス抜きしないとパンクするよね」と許容し合わなければ誰も生きてはいけない範囲なのか、「それをやったら相手が疲弊する、ボロボロになる」レベルなのかの見極めも大事です。境界線とは「何が何でも愚痴やぼやきを言わないでください」というものでもありません。

また彼の方も、「俺は忙しいんだ」を全ての免罪符にして構わないと思っていたら、恋愛に限らず、周囲の人と信頼関係を築くのは難しくなります。

人はしばしばこうした直面化を避け、有耶無耶にしてごまかそうとします。自分の正直な氣持ちのごまかしが、操作として現れるのです。それは一時しのぎにはなるかもしれませんが、操作された方は心の奥底で相手への不満や不信感が募ってしまいます。

罪悪感で操作する人は、自分の心の傷に向き合えていない

さて、ここでもう一度、上記の例を振り返ってみましょう。

  1. 「私のことを愛してるのなら、電話くらいしてよ、LINEやメールの返信ぐらいする時間もないの!?」
  2. 「あなたからの電話やLINE・メールの返信がないと、私はあなたに愛されていないんじゃないかと不安になる」

①は「私が愛されていると実感するために、あなたが電話やLINE・メールの返信をするべきだ」もっと言えば「私の感情のお守りをするのはあなただ」になっています。これが操作の温床であり、それに乗らない心構えが最も重要です。

②は自分の不安とその因果関係に本人が向き合えています。「愛されていないんじゃないかと不安になり、傷ついた」のは彼女の心そのものです。自分の感情、傷つきを「所有している」状態です。「それは自分のものなのだ」という責任を持った態度です。

ここまで自分の氣持ちに正直に向き合えると、辛さを訴えることはあっても、相手を脅迫して動かし、自分の感情の尻拭いをさせようとはしなくなるでしょう。真の誠実さとはこうしたことだと思います。

そして相手が「愛する人を悲しませたくない」と歩み寄ろうとするか、「そんなことで不安になるなんて、お前のメンタルが弱いからだろう」と突き放したり、「無反応な人」になってスルーして逃げてしまうかは、次の段階です。その相手の態度を見て、自分が「この相手とどこまで付き合うか」を一回一回考える、これが境界線を育てることです。

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愛と限界こそが唯一の明確な境界線であることを忘れないでください。

罪悪感で操作するとは、自分の心の傷、即ち自分の限界を自分のものにしていないため、自分の痛みを抱える力が弱いために起きています。

相手の心の傷、その痛みに共感し、寄り添うとは、何でもかんでも相手の望み通りに振舞うことではありません。それは迎合です。また全てを「あなたの問題でしょ」と突き放すことでも勿論ありません。その痛みを負った背景に思いを馳せ、自分自身が「あなたが辛い思いをするのは尤もだ」と共感し納得した上で、「自分にできること」をやる、裏から言えば「(今の自分には)できないことはできない」と表明する、境界線を育てながら人と関わるとは、その繰り返しなのだと思います。

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