【境界線と夫婦】察してちゃんにならず自分の氣持ちを正直に

結婚ほど境界線の混乱が起きやすい人間関係はない

境界線とは分離自立のためであるのに対し、結婚は元々他人だった二人が一つの単位を作るものです。恋愛時代はそれこそ互いの感情と情熱だけで成り立っていても、結婚した途端に日々の細々とした現実、即ち生活習慣、お金、時間、人間関係等の問題が押し寄せてきます。

ある人が結婚生活を「自分を鍛える道場」と例えていましたが、言い得て妙かもしれません。著者は「結婚ほど境界線の混乱が起きやすい人間関係はない」と述べています。

自分の感情に正直に・察してちゃんにならない

慣れ親しんだ相手ほど、自分の感情を正直に伝えるのは難しいかもしれません。そこには照れや、自分の弱みを見せたくない虚栄が働くからでしょう。仕事関係のクレームを入れる時の方が、例えば「担当者に中々連絡が付かなかったので、とても心配した。不安になった」などと言いやすいかもしれません。「担当者に連絡が付かないのが不安」なのは当たり前で、自分がかっこ悪いとか、恥ずかしいなどとは思いません。

妻や夫に、自分の感情を正直に伝えるのは勇氣が要りますが、時として二人の関係を大きく改善する契機にもなります。共感性のある人なら、自分の弱さをさらけ出した相手の率直さに心を打たれ、相手を思いやる氣持ちが湧くからです。しかしこれは、単に泣き喚いて感情的に訴えることでは勿論ありません。

本書に夫の飲酒に苦しむ妻の例が挙げられています。

私(カウンセラーでもある著者)は、妻の方に夫が飲酒をするとどういう氣持ちになるのか、彼に告げてごらんなさいと言いました。

「彼は自分のやっていることがわかっていないんだと感じます。私が感じるのは、彼は・・」

「いいえ、それはご主人の飲酒をあなたがどう評価しているかです。それについて、あなたはどう感じるのですか?」

「彼は氣にもかけずに・・」

「いいえ、違います。それはあなたが彼についてどう思うかです。彼がお酒を飲むと、あなたはどう感じるのですか?」

彼女は泣き始めました。「とても孤独で、怖くなります」彼女はついに自分が感じていることを言いました。

すると夫は彼女の腕に手を置き「君が怖がってたなんて、全然知らなかったよ。僕は君を怖がらせようとは少しも思っていなかったんだ」

この会話は二人の関係の転機となりました。

妻が夫の飲酒をどう評価し、夫をどう思うかと、夫が飲酒をすると妻がどう感じるのかの違いがわかることが大切です。人は評価されるとそれをジャッジと取りますが、感情を言葉にして表明されると、自分も感情が揺さぶられやすいです。

私たちは誰かの態度に不満を感じる時、大抵の場合「あの人がどうしてこうして・・」と態度や振る舞いのディテールを延々と話すか、「あの人ったらほんとわからず屋なんだから!」と人物評を話します。そうしたものではあるのですが、それに伴った自分の感情は、中々自分で意識出来ていません。

自分の感情は自分のものです。夫の飲酒に「孤独を感じ、怖くなる」のに、良し悪しはありません。上記の例は、夫が理解を示してくれましたが、「そんなことで怖がるなんて」と裁いたり、「そんなことを言われると酒を飲む自分が悪者みたいじゃないか」「飲まずにいられない俺の氣持ちがわからないのか」などと反発するケースもあるでしょう。

感情を率直に伝えると常に良い結果になりますよ、ということではありません。相手の反応が何であれ、自分の感情にまず正直に向き合い、そしてその感情を抱えた方が、何らかの行動を起こす必要がある、ということです。

夫婦間でありがちなのは「ムスッとして黙り込んでいる」ではないでしょうか?職場でこれをやっていたら「何を甘ったれてるんだ」「その口は何のためについている?」になってしまいます。即ち「察してちゃん」です。察してちゃんはかまってちゃんのバリエーションで、これをやって人間関係が好転することはまずありません。

自分の感情に正直に向き合い、表明できる自分であること、これは人間関係をこじらせない、察してちゃん、かまってちゃんにならない基本です。人が察してちゃんやかまってちゃんに嫌悪感を抱くのは、単にその行動が困るからだけではなく、自分の感情と「一体自分がどうしたいのか」に責任を持とうとせず、相手を都合よく動かそうとする狡さを感じ取るからでしょう。

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境界線を引いた表明の仕方とは

「ムスッとして黙り込む」よりも、「お願いだからお酒を飲むのをやめて。家族が傷ついているのがわからないの!?」と訴える方が、自分の思いの表明という意味では一歩進んでいます。ただこれはまだ、Youメッセージになっています。

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日本語だと主語を省きがちですから、わかりづらいかもしれません。「お酒を飲むのを『あなたが』やめて。家族が傷ついているのが『あなたは』わからないの!?」です。これを言って相手があっさり言う通りにしてくれるようなら、とうの昔に問題は解決していたでしょう。

そしてまた、仮に相手がこちらの要望通りにお酒をやめたとしても、「本当にそうだな。僕は家族を傷つけてきたんだ。こんな愚かなことはやめるべきだ」と自分の行動を省みて、自分で選んでお酒をやめるとは限りません。「だって妻がうるさく言うから」になってしまうと、飲酒はやめても、妻のせいにされ、夫が妻の被害者に成ってしまいます。そして自分の心からの選択ではありませんから、しばらくすると元の木阿弥になりかねません。

本当に欲しいものは、夫がお酒をやめることそのものよりも、「自分で考えて選んで」お酒をやめることではないでしょうか・・?これもまた、私たちは実はあまり意識出来ていません。

本書によると、境界線を引いた後の伝え方は以下の通りです。

「あなたがそうしたいなら、その飲酒癖をそのままにしておいてもいいわ。でも、私と子供たちはこの混乱の中にもういられません。今度酔っ払ったら、私たちはウィルソンさんのところへ行ってそこへ泊めてもらいます。そして全部わけを話します。あなたの飲酒はあなたの選択ですが、私がどこまで我慢するかは私の選択ですから」

あくまで、選択責任は自分にある、という原理原則が見て取れます。そして限界設定も自分が責任を負うことであると。

「あなたがお酒をやめないなら、もう家を出て行くわよ!」の単なる脅しではありません。飲酒癖をどうするかは、あくまで夫が決めることです。そしてまた、飲酒癖のある夫と共に暮らすかどうか、そうした夫に我が子を晒すかどうかは、妻自身が決めることです。

妻は夫に対し「あなたの飲酒癖をどうするかは、あなたが考えて決めることです」と宣言しています。このように言われると、夫は「だって妻が酒をやめろと言ったから」と妻のせいにして言い訳できなくなります。

これが「人それぞれ自由でいいじゃん」の、中立を装った責任逃れ、事なかれ主義とは全く違う点です。

選択とは、何かを選び取ることであり、選ばなかった何かは失うということです。夫は飲酒癖を選ぶなら、今の妻子との生活は失わざるを得ません。一人で暮らすか、飲酒癖を受け入れられる配偶者を探すかしなければなりません。

そして妻の方も、次に夫が酔っ払ったら、自分と子供の安全を確保する手段に出る代わりに、今の夫との生活は失うかもしれません。境界線を引くとは、この選択責任の重さをそれぞれが引き受けることでもあります。

更に踏み込んでいえば、選択とは、「美味しいとこどりはない」ということです。飲酒癖のある夫に傷ついているのに、この選択責任を避け、不平不満だけダラダラと言いつのるのは、相手のせいだけにして自分は動こうとしない「美味しいとこどり」です。更に真実は、二度と戻ってこない人生の時間を台無しにしているという意味で、自分で自分を損なっています。そしてそのことから目を背け、逃げていることにも氣づけません。

被害者意識に埋没している人に、私たちがやはり好感を持てないのは、心のどこかでこの「美味しいとこどり」の卑怯さと、自分で自分の人生を台無しにしている不遜さを感じ取るからなのでしょう。

尊重し合うバランスを取るための境界線

夫婦は二人が一つの単位を構成します。子供や親を含めた家族全体、或いは職場や友人の関係と違い、「上手くいっている時は良いけど、こじれると大変」なのは、二人の間にクッションになる存在がないからでしょう。時折、夫婦二人きりの家庭が犬や猫のペットを飼うのは、ペットの存在がクッションになるためとも聞きます。

ただペットの存在だけに頼っていては、根本解決にはなりません。二人が単位であるからこそ、天秤が釣り合うようにバランスを取る必要があります。

例えば夫婦の会話があるようでなかったり、あってもおざなりだったり、そうしたことに知らず知らずのうちに夫婦のどちらかが不満を溜め込むことも起きます。片方が「先に寝るね、おやすみ」と声を掛けても、もう片方はTVやスマホを見ていて返事もしない、など。こんなことから不均衡は起こり、それが徐々に亀裂になることもあります。

その時「あなたが返事をしないと、とても寂しい思いをする。一日の終わりをこんな氣持ちで迎えるのは辛い」と、自分の感情を所有し、伝える。その一歩を踏み出すことでしか、バランスは元に戻りません。

家族はいつも同じ家にいて、逃げ出されることはそうそう起きません。本当に情けないことですが、自分が向き合って解決すべき感情の腹いせを、「家族にわざと返事をしない」ことでうっぷん晴らしをすることさえあるのです。「あなたが『おやすみ』の返事をしないと寂しいと感じる」と告げること、それは相手の鏡になります。その時相手は、鏡に映った見たくない自分から眼をそらそうとして、何か言い訳めいたことを口走るかもしれません。

自分の感情を相手に伝えるのに勇氣が要るのは、事なかれ主義で先延ばしにした方が、目先の自分が傷つかないからです。しかし、二人の間の天秤はどんどん傾き、20年後のある日、突然離婚届けを突き付ける、突き付けられる事態になります。

傾いたままの天秤を元に戻そうとすると、反動が来てぐらぐらと揺れます。それが葛藤するということです。境界線は魔法の杖でもランプでもありません。葛藤耐性を高める日々の心がけあってこその境界線です。

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選択責任を負うという意識的な努力、自分たちの問題を先送りして波風を立てまいとする自己保身との戦いによって、境界線は育ち、夫婦のバランスが取れて行きます。それが互いを尊重し合う夫婦のあり方なのだと思います。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
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