【境界線の原則】「No」を言う以前の生き方の原則(下)

※この記事の前編は以下のリンクよりご参照ください。

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「No」を言う以前に、毎日をどう生きるかの原則境界線の基本的な言葉は「No」であると、以前の記事でも述べましたが、これは目的というよりも、自分とは何者かであることを明確にし、人間らしさの中核である自由と尊厳を守るための手段です。[…]

⑥評価の原則・「No」がもたらす痛みを肯定的に評価する

「No」を言うことは、しばしば相手に痛みをもたらします。「人を傷つけたくない」氣持ちが強い人ほど躊躇し、また罪悪感を感じてしまうものかもしれません。

しかし自分の責任に目覚めた人は、時に相手に泣くほど悔しい思いをさせることこそが大切な務めと心得ています。この痛みが相手にとって価値あるものと評価しているからです。

負けた時にヘラヘラしているアスリートは、アスリート失格です。受験直前の模試で、D判定、E判定を貰ってケロッとしている受験生は、親御さんの方が青ざめてしまいます。「もしかして来年は予備校の授業料を支払うことになるのかも・・」「この子は事の重大さがわかっているんだろうか・・・?」

「引きこもりの息子に絡みついている母親」が、どのカウンセラーにも「あなたが息子さんの自立を阻害している。とにかく息子さんから離れなさい」とアドバイスされ、それに納得できずにカウンセラーを転々と渡り歩く、といったことがよく起こります。

要は自分の現状を肯定して欲しいだけで、悩んでいるようで何かを変える意志はないのです。ある程度経験を積んだまともなカウンセラー、セラピストなら、その経緯を聞いただけで何をするべきかわかります。「自分が憎まれたくない」「売り上げ欲しさ」のためにセッションを行うようでは、どちらがカウンセラーかわかりません。

⑦主体性の原則・反応的で受け身にならない

境界線を引き始めると、今現在境界線を乗り越えられたことに反応するようになるだけでなく、過去の境界線の傷の痛みが爆発することがあります。殊に「悪いことに『Yes』と言う」迎合的な人が、もうそれを止めて迎合しないよう決意し、舵を切り直すと、過去の鬱積した怒りが噴出します。 

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境界線問題の4タイプ・迎合的、回避的、支配的、無反応境界線問題は「No」と言えない人だけのものではありません。最も「割を食う」のは、「迎合的な人」、即ち「自分が我慢すれば良い」と譲ってばかりいたり、また「怒ってはいけない」[…]

これは自分が傷つけられてきたことを、長い間見て見ぬふりをしていた、その痛み、悲しみを吐き出すために大変重要なプロセスです。

しかしこのプロセスは、境界線の傷を癒すには必要ですが、より健全なものにするためには充分ではありません。要は残りの人生を「過去の痛みを噴出させる」に終始していて良いわけではない、ということです。

自分を傷つけた相手を許せなくても構いません。恨みや失望が消えてなくならないかもしれません。大切なことは、「その相手との関係性の中で、自分が欲しかったものは得られない」ことを承認することです。これを受け入れられないと、相手に「変わってほしい」をやってしまい、そのことに自分自身が無駄なエネルギーを使い続けて消耗してしまいます。

関わった人をできるだけ悪く思いたくない、人を良いように捉えたい人ほど、難しいかもしれません。しかし、ここまで深く貴方を傷つけた相手は、十中八九、そのことを何とも思っていません、残念ながら。

人を「利用できるか。さもなくば自分の脅威か」としか捉えられない人は、そう珍しくありません。良心や正義感に基づいて、何の得にもならない寧ろ傷つくようなことを、一生懸命やっている人のことを全く理解できない人も世の中にはいます。意外とそうした人が社会的地位が高かったり、人氣を得ていたりするものです。しかしそうした人達に、自分が批判されることの恐れはあっても、良心の呵責はほぼありません。

受けた傷を癒しながら、その出来事の中からこそ「何が本当に大事で、価値あるものだったか」を見極める目が必要です。それを得られなかったから傷ついたのだと悟れれば、深いまなざしを持った大人に私たちは成長できるでしょう。何がYesで何がNoか、より深い洞察を伴った取捨選択ができます。これが境界線を主体的なものにする、ということです。

しかし、ただ感情を吐き出すだけに終われば、一旦境界線の傷は癒されはしても、やはり似たようなことに傷つき、同じ過ちを繰り返します。それは真の意味で、自分の人生を主体的には生きていない、反応的になっている受け身の人生であり、健全な境界線を育てたとは言いきれないのです。

⑧妬みの原則・「自分が持っていない良いもの」を教えてくれる

妬みは、自分が持っていない良いものを、他人が持っていると知った時に感じる感情です。しかも、自分とはかけ離れた存在ではなく、自分とそう変わらないとか、或いは自分より下と思っている相手に抱きます。普通の庶民がハリウッドスターに憧れはしても、妬んだりはしないものです。

しかし、「自分が持っていない良いものを他人が持っている」と知っても、妬む人と妬まない人がいます。例えば、子供を産むことを諦めざるを得なかった人で、友達に子供ができた、子供たちと幸せそうな生活を営んでいる、子供が結婚した、孫ができたと知った時、自分の心が痛みはしても、妬んだりはしない人も勿論います。

妬まない人は、自分の境界線の中、即ち自分の人生、自分がやるべきこと、大切にしたいことに焦点が当たっています。妬む人は「自分のことがお留守」になり、他人に焦点を当て、陰口を叩くだけならまだしも、当てこすりを言ったり、嫌がらせをしたりします。自分で自分の品位を貶めています。妬まない人は一瞬「羨ましいな」位は思うかもしれませんが、「自分の品位は自分で守る」責任に目覚めています。品位も境界線の中にあるものです。

「妬みは醜い感情なので、感じてはいけません」ではありません。妬みを感じるとは、上述した通り

  1. 自分が持っていない良いものがある。
  2. それを他人が持っていることに焦点を当てている。境界線の外に意識が向いている。

この二つを教えてくれています。そしてその「自分が持っていない良いもの」が、今本当に必要なのか、得るために何かをしなくてはいけないのか、もしそうなら何から始めるかをまず自分に質問します。上記の「子供を産むことを諦めざるを得なかった」例では、子供を産むことではなく、子供がいなくても幸せで、充実した人生とは何かを問いかけ、そしてその通りに毎日を過ごしているかを自分に訊く、ということです。

⑨活動の原則・「お勉強」だけで満足していませんか?

「困った時の神頼み」をやらない人はいないでしょう。しかしそれは、信仰とは言えず、神を畏れ敬う態度ではありません。人間同士であっても、普段は知らん顔をしているのに、困った時だけ泣きついてくる友人には、本音のところではうんざりするものです。

カルト宗教ではないまともな宗教なら、「まず自分が真っ当な努力をしなさい。その上で、神仏に助力を願いなさい」と教えています。「天は自ら助くる者を助く」です。人も同じで、何でも丸投げしてくる人には辟易しますし、自分なりに試行錯誤して頑張ろうとする人を応援したくなったり、「何か手伝おうか?」と声を掛けたくなるものです。

そして単に「心ある人から応援されない」だけでは済まないのが、この世の厄介なところです。依存心、怠け心、楽して得したい、口を開けて「都合の良い状態がお膳立てされるのを待っている」、そうした厚かましさに巧妙に付けこんでくる悪い連中が、消えていなくなることはありません。

境界線は柵のようなもの、と以前の記事で述べました。柵だからこそ、風通しよく、内側から外を見ることも出来ますが、一方で柵の合間に雑草が生えたり、いつの間にかゴミが入り込んだりもします。自分の手で雑草を抜き、ゴミを掃除しなければ「内側に良いもの」は保たれません。

著者は「境界線の問題はイニシアティブの欠如によって起こる」としています。弊社のHPの記事をよく読んでくださってる方は、勉強好きな人が多いでしょう。最近の記事は大抵一記事5000字を超えています。今時この長さの記事を自ら読もうとする人は、知的好奇心の高い勉強家ならではです。

しかし勉強には、これもまた落とし穴があります。勉強しただけで何かをやったような氣分になって、それで満足してしまう罠です。勉強は大事ですが、まだ受け身です。イニシアチブを取って、自分の人生に働きかける姿勢ではありません。何か一つ小さなことから始めてみる、こうして漸く私たちは活動的になり、それが良い動機で良いことであれば、悪が忍び込んでくる隙がなくなっていきます。境界線が健全で、堅固なものに育っていきます。

⑩露呈の原則・「事なかれ主義」で有耶無耶にしない

露呈とは余り耳慣れない言葉かもしれません。著者は「あなたの境界線は他者から見え、関係の中で彼らに言葉で伝えられるべき」それが境界線が露呈することだとしています。

相手にとって歓迎されないであろうことを伝えるのは勇氣が要ります。私たちはこの勇氣が持てない時に「先延ばし」「事なかれ主義」「見て見ぬふり」をします。これらは手っ取り早く目先の波風を立てないからです。しかし真実を覆い隠す、即ち露わにしないこと以外の、何ものでもありません。

何でも馬鹿正直に伝えるのが良いわけではありません。氣の進まないお誘いを断るには「ごめんなさい、その日は先約があって」と言いますし、困ったお客には「あなたは出禁です」と言う代わりに、「大変申し訳ございません。私共では○○様のお役には立てられません。何卒ご容赦くださいませ」などと伝えます。これらは自分の本音がわかった上で、それを馬鹿正直に言ってしまえば百害あって一利なしだから、敢えて違う言い方をしています。

大切なことは自分の本音をごまかさず、出来る限りそれに忠実であることです。

妻が夫に自分の感情や意見を二十年間も言わずに、黙って譲歩しつづけることもあるでしょう。そしてある日突然、離婚届けを出すことで自分の境界線を「表現」するのです。

こうしたことも、大なり小なり妻のSOSは発信されています。著者は「あなたの気持ちを正直に伝えることは彼らの魂にとっても有益なのです」としています。この点に関しては、私は違う意見を持っています。

「どうせ言っても無駄」で最初から投げ出すとか、「相手が察するべき」の察してちゃんは、自分の心に責任を負っていません。口頭かメール、LINE、手紙などの文書で伝える努力は必要ですが、常にそれが奏功するとは限りません。最初から耳を塞ぐ、はぐらかす、逆切れする、「君はわかってない」と変に見下す、泣いて罪悪感に訴える、要は「まともなコミュニケーションにならない」ケースの方が実際には多いでしょう。

それでも自分が何をどう思い、何を選択するべきかに正直であること、それが自分の心に「Yes」を言うことであり、それができて初めて他人に「No」が言えます。そこまで準備した上で、「この人に伝えるべきか。伝えるとすれば、いつ、どのように伝えるか」を判断します。自分がどんなに傷つくことになっても、「こうまでしなければ吹っ切れない」ために敢えて伝える、即ち対決することもあります。それも大事な決断です。

しかし「この人にこれ以上言ったところで、憎しみが増すだけ。その後自分の心を立て直すにも、時間とエネルギーが取られ、他の大事なことが疎かになる」と判断して「言わない」選択をすることもあるでしょう。それもまた、同じくらい大事な決断です。

要は「事なかれ主義」で有耶無耶にして逃げることが良くないのです。相手ではなく、自分をごまかし、自分で自分の境界線を曖昧にしているからです。

境界線を引くとは「No」を言うことですが、それは本当は相手の問題ではありません。自分自身が何者であるのかを映し出す、それが境界線です。自分と正直に向き合っているか、その勇氣を養い続けているのかが問われているのです。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
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