【境界線への他者からの抵抗③】今まで得ていたメリットを失う

「No」と言った結果、失うもの

境界線を育て、維持するのが難しいのは、相手からの怒りや罪悪感で操作されること以外にも、「それまで得ていたものを失う」からでもあります。

本書に挙げられた例で、裕福な父親がいつでも金で支配していたことに、息子が「No」を言うというものがあります。息子は父親から様々な経済的支援、例えば別荘での休暇や、カントリークラブの会員権、豪勢な旅行、そして父の死後は財産を相続するという遺言などを得ていました。

しかしその代わりに、息子だけでなく息子の妻子にも、精神的な支配を受けていたのです。この支配に抵抗すると、父親はあからさまに不機嫌になり、これまで息子にしてきた経済的支援を打ち切り、遺言も書き換えてしまいました。

息子は父親の支配から自由になった代わりに、親からの経済的支援を失いました。お金だけなら「そもそも親の財力を当てにできる人の方が少ないよ」と割り切れるかもしれません。しかしこの件を通して、「自分はこんなにも父親から愛されていないのか」という事実を受け入れざるを得ないこともまた、辛いものでしょう。

どんなに歪んでいて、また自分だけでなく妻子の心をも苛むものであっても、支配されていることに見て見ぬふりをして、「関係」そのものを失いたくない・・こうしたことも決して珍しくありません。「(本当は愛のない)親子関係を自分は得ている」と思っておきたい、それを失ったと認める方が辛い、ということです。親子間なら、いつか親の方が先に死にます。親の死によってー親が死んだ後も、それまでに刷り込まれた洗脳によって心を支配されることはあるもののー親に新たに支配され、心が傷つくことはもうなくなります。しかし夫婦の場合は、一生歪んだ関係に、誰でもない自分がしがみつき続けることも少なくありません。

何を失いたくないかにまず正直に

人はメリットのないことはしない、と言われています。不平不満を散々言いつのっていても、自分がその場から去ろうとしないのは何らかのメリットがあるからです。会社に不平不満を言うけれど、今得ている待遇による生活の安定は失いたくない、という例がわかりやすいかもしれません。

「会社に生活の安定を保証されているんだから文句を言うな」ということでは勿論ありません。真剣に仕事をすればこそ、会社の方針に納得がいかず不満が出ることもあります。「会社に不満はありはするものの、様々なことを考慮した上で、生活の安定のためにこの会社を辞めないことを自分が選んでいる」であれば、その人は主体的な人生を生きています。その上で何に「No」を言うかを考え実行し、また「今の自分の立場ではどうにもできない」限界を見極めて行く、これが境界線を明確にするということです。

これは夫婦関係にも応用されます。配偶者を愛していない、寧ろ憎しみさえ感じているのに、「今の生活水準を下げたくない」がために離婚はしないこともままあります。専業主婦の人や、仕事を持っていても充分な収入を得ていない人で、その人の年齢によっては「自活できるような就職先もないし、今更新たなスキルを身に着けることも難しい」ため、生きて行くためにやむを得ず結婚生活を続けることもあるでしょう。親戚の格好の噂のネタにされるのが耐え難かったり、社会的な立場のある人と結婚した人だとそうそう簡単に離婚できないこともあるでしょう。これもまたその人ならではの限界です。

この場合も、会社の例と同じで「自分は何を失いたくないのか」に正直になることが、境界線を持つ第一歩になります。「愛してはいない配偶者と、様々な事情で暮らすことを自分が選んでいるにも関わらず、配偶者に対してただ文句だけを言う」だと自分から悲劇のヒロインになり、また「悲劇のヒロイン」という言葉の通り、不幸に酔うというナルシシズムに自分から嵌り込むと、一生でも同じことを繰り返します。これで境界線が育つわけはありません。

「自分は何を失いたくないのか」を明確にし、それに責任を持つと、次は「配偶者とどのように関わるか。自分の心が壊れない距離感はどのようなものか」と建設的な手段を考えることができます。場合によっては新たなコミュニケーションスキルを習い、実践すると、より具体的な一歩を進められるでしょう。どこに境界線を設定するかは、こうした整理の上で自分自身が決めて行くことです。予め決まった正解はありません。そして人と比べることでもありません。

「No」を言わないために失う最大のものは自分自身

「No」を言うことで失われるものもありますが、「No」を言わないがために失うものもあります。その最大のものは自分自身です。

コロナの嘘に抗い、ワクチンの危険性を訴え、ワクチン接種と引き換えに自由と人権を侵害されることに「No」を言い続けてきた人の多くは、様々なものを失いました。肉親をも含めたそれまでの人間関係を失わなかった人はいません。そして仕事を失い、収入の道が断たれた人も世界中にたくさんいます。命を奪われた人もいます。

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しかし彼らは何よりも、自分自身を失うことの方が耐えがたかったのです。自分自身を失って、生きる意味などどこにもなく、それは自ら家畜になり下がるのと同じです。

こうした覚悟は一朝一夕に成るものではありません。それまでの人生の集大成として現れます。どんな選択も、その人のその時点での人生の集大成です。誰の目にも明らかな矛盾を見て見ぬふりし、安易な方に流されて、マスクをし、ワクチンを打ってしまえば、体の健康以上に自分自身を失います。「ワクチンを打っても(今のところ)無事な人の方が多い。死んだり障害を負った人は少数派でしょ」「今まで何度か打ってきたけど大丈夫だったよ」という問題ではないのです。

日々の勉強や、自分の言動を振り返るのは、人生の集大成に他ならない瞬時の選択を、より良いものにしていくためです。どんなに本を読んだりセミナー受講をしたり、ネット動画などでお勉強していても、日常の選択眼を磨くという意義目的を見失えば、「勉強した氣分になって満足する。そして現実は何も変わらない」罠に陥ってしまいます。

相手が「失うもの」に抵抗する場合も

ここまでは自分が失うものについて書いてきましたが、「No」を言われた相手が失うものも当然あります。本書には、長年弟にお金を貸し続け、滅多なことでは返済してもらっていなかった姉の例があります。このように「そもそもきょうだいにお金を借り続けて返さないこと自体が悪い」といったことばかりではありません。至極真っ当に、仕事やボランティア活動を、何らかの理由で辞めたいと申し出た時、その人の労力を当てにしていた方に必ず抵抗が起きるでしょう。「はい、そうですか、さようなら」と言われるのなら、内心「ああやっと辞めてくれる、せいせいした」とその相手は思っているのかもしれません。

「その人が今までやってくれたことをやめてしまうと、自分に損失が起きる」場合、その損失の度合いに応じて抵抗は強くなります。親が成人した我が子の経済的な面倒を見続け、それが既得権益化していると抵抗が起きて当然です。

また子供のゲーム課金の支払いを親がし続け、業を煮やした親がゲームを取り上げようとすると子供が暴れ出す、などもそうです。ここまで深刻なケースは、自分たちだけで解決しようとするのではなく、しかるべき組織や専門家に相談した上でどう境界線を引いていくのか、中長期的なプランが必要になるでしょう。「自分たちだけで抱え込まない」のも限界設定の一つであり、境界線の大切な要素です。

上記の「No」を言わなければ自分自身を失うのと同様に、少し長い目で見れば、自分も相手も共倒れになります。ゲーム課金の代金を親が一体いつまで支払い続けるのか、親の年金から支払う羽目になれば、それは一家が沈没してしまうことを意味します。

或いは深夜のとめどない長電話を断ろうとして、「電話は夜11時までね。そしてその日によっては、他に私に優先するべきことがあれば、電話の相手は辞退させてもらうわね。私は私の責任を果たさなくてはならないし、そんなことであなたを恨みたくないから」と言った時、相手が心から反省の弁を述べるとは限りません。「あら、悪かったわ、ごめんなさいね」と口では言うものの、またぞろ「聞いてよ、こんなことがあって・・」と涙ぐみながら電話を掛けてきて、元の木阿弥に戻そうとするかもしれません。「そうは言っても、相手の優しい心を刺激すれば、私を見捨てたりはしないだろう」と高を括っていることもあり得ます。

深夜の長電話を断って、壊れる程度のご縁であれば、いっそ壊した方が良いのです。境界線は、相手は自分を都合よく付き合わせていたに過ぎなかったということを、はっきりわからせてくれる鏡の役割をも果たします。そしてこちらに「後ろを振り向かない」覚悟があるのかも、境界線を育てる際には問われています。

埋め合わせができること・悲しみに耐えるしかないこと

「No」を言うことによって、私たちはこれまで得てきた様々なものを失います。ですから、その埋め合わせが必ず必要になることを覚えておきましょう。冒頭の例のように、贅沢な旅行の代わりに、近所の公園でのピクニックで休日を過ごすことになるかもしれませんが、案外子供たちはそれを喜ぶかもしれません。「お金がなくても家族が仲良く、楽しく過ごせる」その生き方のスキルを習得する絶好の機会にもなり得ます。

「No」を言ったがために失った人間関係は、失うべくして失ったものであり、その分新たな、本当に必要な出会いもまた得られるでしょう。しかし関係性によってはー殊に家族・肉親であればー新たな出会いによって心が癒され、明るくなることはあっても、失った悲しみそのものが消えてなくなりはしないでしょう。全く消えてなくなる、というのも不自然です。最後に残った悲しみを抱えて生きる、その悲しみに耐える力を自分が養おうとしないと「私がこの悲しみに耐えずに済むように、あなたが変わって」をやりたくなってしまいます。

境界線は引いたら終わりではなく、それが始まりです。自分にも相手にも抵抗が生じ、葛藤します。葛藤は不快なものですが、葛藤しないと私たちは中々現状を変えようとはしません。葛藤を乗り越えようと、腹を据え、頭を使い、一歩を踏み出し、声に出す勇氣こそが、私たちの境界線を育てるのです。

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