【境界線と友人】親切で相手を支配する氣づきにくいエゴ

役割責任がない、好意と愛着だけで結びつく友情だからこそ

親子、夫婦、職場の人間関係とは異なり、プライベートの友人関係には役割責任がありません。互いの好意、愛着、共感だけがベースになっています。友人を「愛する」責任はあっても、親や職場のように「立場として~しなければならない」ことは想像しにくいでしょう。

そして基本的に立場は対等です。うんと年齢が離れている場合、年長者に対する敬意は払っても、「友人同士である」こと自体はお互いがイーブンな関係性です。

また恋愛とは異なり、「結婚するか、別れるか」というゴールもありません。何となく疎遠になる、或いは何となく続いている、そうしたものでしょう。

職場や家族のような運命共同体ではない、ある意味曖昧な関係だからこそ、境界線問題が有耶無耶にされたまま続く可能性もあります。「境界線問題の4タイプ」の中の、特に迎合的な人がどのような問題に巻き込まれやすいか、以下に見て行きます。

「境界線問題の4タイプ」は、以下のリンクをご参照ください。

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迎合的な人同士

本書に「自分は本当は筏下りではなく、コンサートに行きたいのに、相手はきっと筏下りに行きたいに違いないとお互いに想定して、『筏下りに行こう』と言って誘いあう」二人の友人の例があります。

そして二人とも本音は筏下りは嫌で、半分くらい下ってびしょぬれになり、疲れ切ったところで「君が筏下りに行こうなんて言ったから・・」「僕はてっきり、君が筏下りに行きたいのだと思ってたよ!」と本音を打ち明け合い、二人ともしょんぼりします。

「お互いをガラス人形のように扱うのはそろそろ止めにした方がいいかもな」

第三者から見れば、可愛らしい失敗談ですが、思い当たる節がある人もいらっしゃるかもしれません。

自分の希望を述べる前に(この場合は「僕はコンサートに行きたい」)、相手を失望させまいとして「No」を言わない、或いは「No」と言われるのを過剰に恐れるとこうした事態を招いてしまいます。

コンサートか筏下りか、仮に二人の希望が食い違ったところで、それは互いを否定することではありません。他に一緒に行きたい人を探して誘い、それぞれ別々に楽しめば良いだけなのに、何故それができなかったのでしょうか?

著者は「互いに対して親切にすることで相手を支配していたことを認める必要があります」と指摘しています。親切そのものが悪いわけではありません。しかし過剰な世話焼きや迎合には、「相手を支配したい」エゴが実は潜んでいます。親切ごかし、お為ごかしというものです。如何にも心配しているかのように近づいてきたり、理由もなくやたら差し入れをする相手に、胡散臭さを感じることも起きます。

「僕はその日はコンサートに行きたい。筏下りはあまり好きじゃない」と率直に表明せずに、迎合すること。これは自分の本音を否定し、かつ、実は親切と言う名の首輪を相手に着けて、相手を支配する、友情の仮面を被ったしがみつきなのです。

迎合的な人と強引な支配者

上記の迎合的な人同士のケースは「どっちもどっち、お互い様」ですが、迎合的な人と強引/操作的支配者、迎合的な人と無反応な人のケースは、迎合的な人が割を食い、不満を抱えます。相手は痛くも痒くもありません。ですので、迎合的な人が対処する必要があります。

強引か操作的かは、線引きが難しいものです。操作的な支配の方が、手が込んでいて巧妙であり、本質は強引な支配と変わりありません。

強引な支配者は「だって必要なんだもん」の一言で、迎合者から何でも奪い取ります。それが車の鍵でも、三時間長電話に付き合わせることでも。強引な支配者は「はい」か「Yes」か「喜んで」のいずれかの返事しか受け取ろうとしません。そのためには迎合者が根負けするまで、どんなことでもやり続けます。

迎合者は摩擦を避けること、波風を立てないことが正しくて良いことだと思い込んでいるかもしれません。それも場合によりけりです。自分が毅然とした態度を取れず、事なかれ主義で逃げているだけなのに、その責任を相手の強引さのせいにしてしまっては、何も事態は変わりません。

迎合的な人は、自分を強引な支配者の犠牲者だと思ってはいけません。自分から進んでさあ召し上がれと力を差し出しているのですから。自分の力を放棄することは、迎合者が相手を支配するやり方なのです。迎合的な人は、強引な支配者を喜ばせることによって支配します。

サド・マゾの関係はまさにこれです。サディストが支配欲に囚われているのはすぐ想像がつくでしょう。マゾヒストは、相手に「支配させることで、支配する」のです。迎合的な人にとっては耳の痛い話かもしれません。耳が痛い話ほど「認めるのが怖い図星」です。ですから、時には「良薬は口に苦し」で、これを認めることが、この関係性を終わらせるための第一歩であり、肝になります。

迎合的な人と操作的な支配者

「頼りになるのはあなただけよ」「まったくもう、仕方ないわね」の馴れ合いが延々と続きます。

自分のルーズさのために、悪氣はなく結果的に操作するケースと(事前に計画を立てておかないがために、ベビーシッターの手配が間に合わず、ぎりぎりになって友人に頼むのを繰り返すケースが本書に挙げられています)と、相手を「舐めてかかって」自分がやりたくないことを押し付けてくるケースがあります。

前者の方は、迎合的な人が限界設定をし、きちんと話をすれば改めてくれる可能性は大きいでしょう。(「ごめんなさいね。知らず知らずの内にあなたの厚意に甘えていたわ。あなたとの友情を私も大事にしたいから、氣をつけるわね」)それをして相手がへそを曲げて怒り出すようなら、迎合的な人を「都合よく」付き合わせていたに過ぎません。

後者の場合は、相手が心を痛めて改心することはまずありません。押し付けられるたびに「No」を言い、そして他の選択肢を相手が探すようになるのを待つしかないでしょう。こういう「舐めてかかる」相手は、本当に自分の友人なのか、自分の心と起きた出来事を観察し、関係性そのものを見直すことが必要になるでしょう。

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迎合的な人と無反応な人

本書にマーシャとタミーの二人の女性の話があります。マーシャはタミーを映画や食事に誘うばかりで、タミーはそれに返事をするだけ、自分からは何もしない、というパターンです。

マーシャが頑張れば頑張るほど、タミーにとっては「あなた誘う人、私返事をする人」になっています。マーシャがそれを不満に思うのなら、自分の限界設定をするところから始める必要があります。

ここでも著者は、マーシャに対し「自分が計画を立て、電話をし、全てをやろうとすることは、親切なふりをして実は愛を支配しようとしていることだと氣づくでしょう」と指摘しています。どんな関係性においても、互いに与え、受け取り合うことを重視する姿勢が現れています。「与えることで支配する」氣づきにくいエゴを、厳に戒めています。

迎合的な人はただただ被害者というわけではありません。氣づきにくい自分のエゴに向き合って初めて、「それは私の間違いだった」と、迎合することを止める、その意義を実感し、境界線を引く勇氣を養えるでしょう。

マーシャが何でも自分でお膳立てしていることに不満があるのなら、「代わりばんこに」電話したり、計画を立てたり、誘ったりすることを、タミーに提案します。それで友情が壊れるようなら、タミーにとってマーシャは「向こうから誘われれば乗るけれど、自分から誘うほどではない」相手だった、それを認めざるを得ません。これは良い悪いではなく、ご縁というものでしょう。

その場合、マーシャは悲しい思いをするでしょうが、悲しみ切った後、「代わりばんこに」誘いあえる友人を見つける新たな旅に出ることができます。

このケースは恋愛にも当てはまるでしょう。「相手に惚れさせることそのもの」が目的の場合、貴方を「マーシャにさせる」ことだけが欲しいのです。それは貴方を見ていないし、大事だとも思っていません。自分の虚栄心と支配欲を満たすための、道具にしているに過ぎないのです。

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友情は制約も上下もないからこそ

冒頭に書いた通り、友情は職場や家族とは異なり、ただ相手への好意、共感、愛着をベースに成り立っています。だからこそ壊れやすく、またかけがえのないものと言えるでしょう。

役割責任や、利害や立場の難しさが絡まない友人同士の境界線問題をまず俯瞰し、そしてこれをさらにより責任の重い夫婦間、子供、職場の人、そして何より自分自身に応用していきます。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。