【境界線と子供・上】「『No』を言っても見捨てられない」積み重ね

自分の人生に責任を持つという教育

配偶者や自分の親、友人、職場の人達との境界線問題と、子供のそれとの決定的違いは、「子供の境界線は生まれた時は全くの0であり、親が健全な境界線を育てることを教え、援助し続ける責任がある」ことでしょう。職場の人材育成は、職務の範囲内という限定されたもので、子育てのような全人格と長期間に渡るものではありません。

著者は「親が子供に与えることができるもので、絆と強い愛着を形作ることの次に大切なのは責任感です」としています。責任感の強い子供は、大人になっても責任感が強いです。困難にあっても安易に投げ出さないので、周囲から信頼され、リーダーに推薦されることも多くなります。

無責任とは愛がないということです。責任感は氣持ちの優しさなどの持って生まれた性格とは異なり、後天的に育み、死ぬまでその質を高め続けるものです。子供の頃は自分自身と、家族や友人だけに責任を負っていても構いませんが、大人の場合は、仕事の責任は果たしても、社会のことには無関心で無責任では、成熟した大人とは言えません。

幼少の頃から、責任を持つことは負荷が掛かりはするけれど、ちやほやされるなどの外側からの評価評判に左右されない真の自信と、他人との信頼を育めるものだと、親が子育ての中で教えること、それは生涯を通じた財産になります。

しつけと罰の違い

ところで、しつけ(漢字では躾。身を美しくすること)と、罰は異なります。子供の虐待のニュースで、虐待をした親は必ずと言っていいほど「しつけのつもりだった」と供述します。勿論これは親の履き違えです。

罰は過去を振り返ります。過去に行われた悪のために支払いをすることに焦点を合わせます(足立注:罰金を支払うなど)。(略)しかし、しつけは前を見ます。しつけを通して学ぶ教訓は、同じ過ちを繰り返さないために役立ちます。

自分を責めることと、反省することの違いともよく似ています。自分をただ責めるのは罰していることであって、未来という前を向いていません。反省は、自分の過ちに向き合った結果、「もう繰り返さないためにどうするか」を考え、実践することです。

しつけとは、例えば前もって親子間で取り決めをした上で、「お弁当箱は帰宅後自分で洗うこと。それをしなかったら、翌朝のお弁当作りは自分でやること。その代わり、お弁当のおかずは冷蔵庫の中から使って良い」などとすることです。子供の発達に応じて、少しずつ負荷を掛け、自分の身を自分でしつけ(躾)る、これが子供の自律と自立、引いては品位となります。

また子供の内は、テストがなければ中々勉強しないものでしょう。苦手な教科は尚更です。しかし、大人になれば「テストがあるから勉強をする、なければしない」では大人の態度とは言えません。自分でアンテナを張り、必要と思うことを自分から学ぶのが社会人の勉強の仕方です。しかし、子供の内はそのような客観性や自制心はなくて当然なので、テストという箍(たが)を使って、我が身をしつけていきます。

テストも、ただ点数が良かった、悪かっただけで済まさず、間違ったところのやり直しを必ずさせる、これも「前を向く」ためのしつけの一環です。計算ドリルをサボると、算数のテストで良い点を取れない。「こんなことならドリルをさぼらずに、テストで正しく答えられた方が良い」・・これが「自分が蒔いた結果を自分が刈り取る」原則を実感することです。

罰は「〇点以下だったら、一週間おやつは抜きよ!」です。これでは罰を避けるための勉強になり、勉強そのものが憎くなってしまいます。ずる賢い子はカンニングの仕方の方を学んでしまうかもしれません。「〇点以上だったらご褒美」も同じです。「よく頑張ったね」と声がけはしても、勉強は何かの損得に動かされてするものではありません。この内的自発性も、健全な境界線の発達のために大変重要です。

親に「No」を受け入れてもらった子供とそうでない子供

本書に二人の12歳の少年が、同じように友達からマリファナを吸うのを誘われたけれど、一人は臆病者呼ばわりされても断り、もう一人は親から問い正されると「みんなやってる。何で僕の友達のことを悪く言うんだ」と、マリファナを吸ってしまったことを白状した話があります。

マリファナを断れた少年ジミーは、幼い頃から自分の「No」を親に尊重してもらえました。2歳の時、母親が彼を抱きしめ、彼がもがいて「おりる」と言うと、母親は我が子をもっと抱きしめていたい氣持ちを抑えて、彼を床に下ろし、「じゃあ、トラックて遊ぼうか」と言うのです。父親も同じように、彼の限界に氣を配っていました。

ジミーは境界線の訓練を受けていたのです。彼は恐れているとき、不快なとき、物事を変えたいときに「ノー」と言うことができました。この小さな一言が、ジミーに力を与えたのです。「ノー」のおかげでジミーは無力さや迎合的な立場から抜け出すことができました。

(略)

ジミーはどうやって(マリファナを)断ることができたのでしょう。ジミーはその頃までには十~十一年にわたり、愛を失うことなしに、自分にとって大切な人と違う意見を持つ練習をしてきました。ジミーは同調しないからといって、捨てられることを恐れなかったのです。自分の家族との間で、愛を失うことなしに何度もそれをやってきたからです。

この「同調しないからといって、捨てられることを恐れない」は非常に重要です。子供間の同調圧力は、時として大人のそれよりも強いです。「No」と言えば親が不機嫌になる、背を向けられる、愛情を取り上げられると学習してしまった子供は、友達にも「No」を言えなくなってしまいます。マリファナを断れなかった少年ポールはまさにそれでした。

自分のやりたいようにするためには、表面的に従っていればいいのだとポールが学ぶのに時間はかかりませんでした。彼は外側では大変従順になり、家族の価値観や支配に同意しているように見えました。夕食の献立であろうと、テレビ番組に対する制限だろうと、(略)どんなことでも彼は自分の思っていることは何でも内側に押し込んでしまうのでした。

境界線を持たないよう訓練された結果、ポールはおとなしく、礼儀正しい子供のように見えました。しかし、十代というのは、子供にとっては試練の時です。

(略)

ポールはつぶれました。彼は友人たちのプレッシャーに負けてしまいました。十二歳にして初めて「ノー」と言った相手が自分の両親だったとしても、当然のことではないでしょうか。

このポールのような子供、そしてポールがそのまま大人になった大人は、今の日本に溢れていないでしょうか・・・?マスクやワクチンを断れない。「職場でワクチン(未だ治験中なのに!)接種を強制されたら仕方ないよね」がまかり通ること自体が、私は異様だと思います。境界線が侵食され切った大人達が、どうして子供たちの「No」を受け入れ、尊重し、「No」には力があり、「No」と言っても自分は見捨てられず、愛を失うことはないと子供たちに感じさせることができるでしょうか・・?

マリファナだと日本人にはピンと来ないかもしれませんが、例えば避妊をしない交際相手を「切れない」のも同じです。親の目が届かなくなった年頃になって、親が「『No』を言っても見捨てられない」と子供の心に植え付け、育てられたかどうか、その真価が問われます。

満足の遅延を通じて忍耐を学ぶ

「No」を言うことはただわがままを通すことでは決してありません。寧ろその逆で、健全な自制心の発露です。上記のマリファナを断った少年が良い例です。

子育ての中では、この自制心を養うために「満足の遅延」を経験させます。「デザートはご飯の後」「ゲームや漫画は宿題の後」を学ばせます。この満足の遅延は、0歳児の時にはできません。絆作りが優先します。「お母さん(お父さん)は私を無条件に愛し、守ってくれる存在だ」と子供が心で感じ取る、即ち生後一年の間に基本的信頼を獲得した後でないと、満足の遅延を教えるのは難しくなります。

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満足の遅延ができないまま大人になると、衝動買いや過度の飲酒、ギャンブル癖等、依存症の温床になりかねません。「まあ、子供だし、これくらいは」と目を瞑ってしまう、これも大人の方が自制心が脆弱なため起きてしまうことでしょう。境界線が脆弱だということは、安易に葛藤を避け、先延ばしにする無責任さも産みます。

ですから逆に言うと、「満足の遅延を習得すると、目的意識のはっきりした子供になります」と著者が指摘している通りで、この明確な目的意識が、その人独自の価値判断基準を形成します。よく言われる「自分軸」とは、価値判断基準のことです。勉強は価値判断基準を磨くためであり、ただ闇雲に知識を詰め込むことではありません。

ゲームや漫画を何のためにぐっとこらえるのか、その時は余り意識していなくても、「より良いもののために、目先の『快』或いは『楽』を我慢する」を実践する、満足の遅延とはこの意味における忍耐を学ぶことです。これが長じて、ゲームや漫画を我慢することから、「他人からその時は誤解を受けたり、悪く思われても、やるべきことをやる」克己心に変わります。これが信念を貫く生き方、即ち「人がどう言うから、思うから」に左右される根無し草にはならない生涯の基礎になります。

境界線は「No」を言うことですが、私たちが「No」を言えないのは、しばしば何が「Yes」かが自分でわからない、決められないからです。だから「皆がやってること」「TVが言ってること」に合わせてしまいます。メディアのプロパガンダにあっさりと脳を乗っ取られてしまいます。子供の頃に「デザートはご飯の後」「ゲームや漫画は宿題の後」の満足の遅延を学ぶのは、実はこうしたことにも関係するのです。

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