【境界線と自分・下】自己境界線問題の原因7つと境界線を引く練習

自己境界線問題の原因7つ

自分自身に「No」が言えないために、大なり小なり何かの不都合が起きているのなら、まずそれに正直に向き合うことから始めます。何にせよ、問題があることが問題なのではなく、問題とするべきことを問題視していないから、問題が続いています。

今現在の人間関係の悩み、過去の未清算のトラウマ、恨みや怒り、仕事上の問題、孤独や生き甲斐のなさ、等々。私たちはしばしば外側にある物事のせいにして、それらが取り除かれることを願ってしまいたくなります。自分には道義的責任がなかったり、社会情勢の変化等の不可抗力ではあっても、それでもなお、対処するのは自分しかいません。

境界線とは「良いものは内に、悪いものは外に」置くためにあります。今何かの不満や悩みがあるのなら、完全にはそうなり切っていないというサインです。

自己境界線問題の原因として、著者は以下の項目を挙げています。

1.訓練の欠如

成長過程において、限界を受け入れ、責任を果たし、満足の遅延をすることを、学びそこなった人は少なくありません。少し自分の思い通りに成らないことがあると、無礼な態度を取ったり、嫌がらせをしたり、やるべきことを放り出すのは、その人が小学生の頃からそうだったのです。

小学生の時に少々面白くないことがあっても忍耐できる子が、大人になって真逆の無礼な人間になることはありません。

2.破壊的であることが報酬を受ける

典型的なのは、アルコール依存症の親が手に負えない行動を取ると、他の家族が一致団結して絆を確かめ合うなどです。危機を乗り越えて絆を確かめ合うことは悪くなさそうですが、問題は「それ以外のやり方で絆を結ぶ」経験に乏しいことです。破壊的な危機に頼って絆を得ようとしてしまいます。

3.歪められた必要

例えば性欲は、本来は子孫を設け、またパートナーとの愛情の確認のための行為ですが、支配欲という情欲を満たすために歪めて用いられると、性欲の奴隷になり、自分に「No」が言えなくなります。飲酒もほどほどならリラックスや、歓談の助けになりますが、「本来満たされるべき必要から眼をそらす」現実逃避が動機になると、酒に逃げ、溺れてしまいます。

4.人間関係への恐れ

生後一年の間に親との関りの中で「基本的信頼」が育まれず、また様々な要因で自己否定感が強くなると、心の奥底では愛されたくても、自ら人間関係を遠ざけてしまいます。直接的に人を避けるだけでなく、オーバーワークや、過食、辛らつな態度や言葉を「使って」人を遠ざけてしまい、そして自分では中々それに氣づきません。

5.満たされていない感情的な飢え(幼少期の愛情の不足)

私たちは皆、最初の数年間に愛を必要とします。この愛を受け取っていないと、私たちの残りの生涯を通してそれを求め続けることになります。

完全に自分が欲するように、親から愛された人は、ほぼいないでしょう。ですからこの「満たされていない感情的な飢え」は、皆大なり小なり持っています。

この感情的な飢えが、他者との心温まる、対等な信頼関係において癒されず、人を「利用できるか、脅威か」としか見ていない人は少なくありません。打算的にしか人と関われないのです。そうした人は、どんなにいい人風に装っていても、危機の時ほど「自分が損をしても、傷ついても、大事なことのために行動し、発言する」ことから逃げてしまいます。氣づかぬふりの無関心や、事なかれ主義です。

そしてそれは一時しのぎにはなっても、肝心の「感情的な飢え」は癒されず、逃げたことにより自己不信と言い訳が心の底に溜まります。そしてそれをごまかすために、過食や飲酒、浪費、多忙、手軽な憂さ晴らしで埋め合わせようとしたり、もしくはちやほやされたくて仕方がない、その裏返しの人の目を過度に氣にするなどに現れます。

6.律法の下に置かれる(過度な厳格主義)

親や教師が過度に厳格で、「言った通りに従わないことは許されない」と、様々な弊害が起こります。自分で決めたことをけなされる(自分で買った服や、進路など)のも同じです。一つは指示待ち体質になり、自己決定を諦めてやめてしまうこと、もう一つは、自己決定を諦めきれない場合は、自己決定に不要な罪悪感を抱くようになることです。

自尊感情は「自分が決めて、その結果責任を負う」の繰り返しによって育まれます。傷ついた自尊感情の癒しを求めて、過食や衝動買いに頼ってしまうことも起きるのです。

7.感情的な傷を負う(虐待などの深刻なトラウマ)

著者は「子供の頃に放置され虐待された人たち」を例に挙げています。上記の5よりも深刻なケースです。

子供の頃の虐待が深刻なのは、自己否定感がどうしても強くなり、他人と健全な信頼関係が結べず、孤独になったり、逆に特定の個人に全面的に依存したり、その裏返しの支配、いじめに現れたりするからです。更に深刻な場合は、薬物の使用に走ることもあります。

自分自身に境界線を引く練習

自分自身の境界線問題を解決するにあたり、著者が何よりも強調しているのは「何でも自分だけでやろうとしないこと、他者との間に安全で信頼できる、そして率直で正直な関係を築き、その中で実践すること」です。

恰も、水道管や機械の修理のように、取扱説明書があれば、何かのマニュアルがあれば、解決するのではとイメージする人が少なくありません。それは安楽椅子に座って眠っている間に、催眠療法士がトラウマを解消してくれるのを期待するのと根は同じです。

「孤立していると、まず間違いなく霊的に脆くなる」と著者は指摘しています。腹を割って相談できる家族や友人がいる人は良いのですが、そうした人が見当たらない場合は、同じ悩みを抱えてる人同士のグループ・セラピー、グループ・カウンセリングも選択肢の一つになるでしょう。

自分自身に境界線を引く練習は、以下の通りです。

自分の本当の必要とは何か

例えば過食は、親、特に母親との葛藤や、恋愛や性的関係を含む異性への恐れなどが根底にあると言われています。全てのケースに当てはまるわけではありませんが、いずれにせよ「このような感情的に重たい状況に直面することに対する恐れが、食べ物を境界線として使わせているのかもしれないのです」。

前回の記事での「意志の力だけに頼らない」理由はこのためです。根底に潜んだ必要を満たさず、癒さず、過食を意志の力だけで止めようとすれば、過食ではなく今度はギャンブルにその出口を見つけるかもしれません。

何を恐れているのかに直面するのは勇氣が要ります。親を憎んだり恨んだりする自分にOKを出せ、かつ、自分の望み通りにはならなかった失望に耐える力を養わなければなりません。また異性への恐れがあるなら、恋愛感情抜きに信頼し、尊敬できる異性の友人を作るところから始めるなど、「自分ができそうなところから」一歩を踏み出し続ける息の長いプロセスが必要です。

失敗を受け入れる

境界線の発達はスキルです。自尊感情を育てるのも、生き方もスキルです。どんなスキルも失敗しながら体得するもので、例外はありません。マニュアル本だけ読んで、スキーやスケートを「転ばないように」滑れないのと全く同じです。

境界線が充分に育たず、また傷を受けている人ほど、「0か100か」になっているかもしれません。即ち「成功か失敗かの二択」です。

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実際には「成功するまで失敗する」のが試行錯誤であり、練習であり、努力です。しかしスケートで転ぶのと違い、境界線を引くのは心が傷つきやすいからこそ、思いやりと理解のある仲間のサポートが必要なのです。

そしてスケートが滑れるようになった人でも、全く転ばないことはあり得ません。境界線もまた同じです。「自分や他人を、取り返しのつかないほど著しく傷つけたのでなければ、反省してやり直しができる範囲であれば、まあ良しとする」或る種の氣楽さも、練習のためには大切です。それがないと、練習が憎くなってしまいかねません。

他者の思いやりのある忠言に耳を傾ける

キースという男性は、借りたお金を中々返せずにいました。お金がないわけでも、自分勝手だったわけでもなく、ただ忘れっぽかったのです。お金を貸した側は、返ってくる迄その痛みは残り、借りた側はその痛みを考慮しない、キースもその例に洩れませんでした。

数か月前にキースにお金を貸した友人が、彼にこう言いました。

「僕は君に貸したお金のことについて、何度か尋ねたよね。まだ返事をもらっていないのだけれど、君がわざと僕の要求を無視しているとは思っていないさ。だけど、僕は君のその忘れっぽさのせいで辛い思いをしているんだ。お金を返してもらえなかったから、僕は休暇をキャンセルしなくちゃいけなかったんだよ。君の忘れっぽさは僕を傷つけている。それから僕らの友情をもね」

キースは驚愕しました。自分にとっては些細なことが、親しい友人にとっては多大な迷惑をかけていたことを深く嘆きつつ、彼は即座に小切手を切りました。

「安易に貸す方も悪い」とか、「お金を銀行ではなく個人から借りておいて『些細なこと』はないだろう」などの、突っ込みはここでは措いておきます。

これがフィクションだったにせよ、いずれにせよこのように率直に、しかし相手をなじるでも非難するでもなく、自分の思いを言える人はそうそういません。このような友人がもしいたとしたら、生涯大切にするべきでしょう。

【エクササイズ】

このキースの友人を、もう一人の自分と想定します。そして自分の境界線問題の課題(先延ばし癖、運動や勉強をサボること、相手の話を真剣に充分に聴けていないこと、見通しの甘さ、誤った楽観主義、「どうしよう、どうしよう」だけ言って何もしない、等)を、この友人の言葉の「忘れっぽさ」と入れ替えてみます。

例:「僕は君の《先延ばし癖》のために、辛い思いをしているんだ。君の《先延ばし癖》のために、△△という困ったことが起きたんだ。君の《先延ばし癖》は、僕を傷つけている。それから僕らの友情もね

思春期の頃、空想上の親友を想定して、その親友に話しかけていた人もいるかもしれません。「アンネの日記」のアンネが「キティ」という空想上の友人に向けて、日記を書いていたようにです。大人になってやるのは照れ臭いかもしれませんが、エクササイズとして取り組んで頂ければと思います。

こういう風に空想上の友人である「もう一人の自分」から言われたとしたら、どう感じるでしょうか・・・?「私ってダメだなあ」とただダメだしするよりも、もっと深く心が揺さぶられないでしょうか・・・?

行動の結果を教師として歓迎する・真の反省

私たちは理不尽な人権侵害には断固として拒絶しなければなりませんが、自分の無責任さによる痛い結果は受け入れる必要があります。私たちはしばしば、拒絶すべき人権侵害には唯々諾々と従い、自分の無責任さによる結果は言い訳や見て見ぬふりをして受け入れないのです。

心ある親は、夏休みの宿題をサボっていた子供に泣きつかれても、安易に手伝ったりしません。「先生に叱られてきなさい!」とお灸を据えられる方を望みます。その方が、ゆくゆくは子供のためだとわかっているからです。

私たち大人も、天の神様が私たちの親だとして、「先生に叱られてきなさい!」と言ってくれている、そう捉えると、自分の無責任さ、視野の狭さや、無知不勉強、無関心、勇氣のなさ、怠惰による結果を受け入れやすくなるかもしれません。

批判的な親にもならず、救助隊になるのでもなく

自己境界線問題を抱えていない人はこの世にいないでしょう。だからこそ、皆凸凹はあるにせよ「お互い様」で、助け合い、支え合う必要があります。

そしてこの点に関して、著者は私たちが陥りやすい点を二つ挙げています。一つは「批判的な親」になること、もう一つは「救助隊」になることです。

「批判的な親」とは、失敗すると「だから言ったのに」「さあ、この経験から何を学んだの」と先に言ってしまう態度です。経験から学ぶのは、失敗を繰り返さないために大切ですが、動揺した感情を鎮め、客観視できた上で「最後に」学ぶものです。そしてまた、数年かそれ以上たってからでないと、わからないこともたくさんあります。

「救助隊」とは、共感的な人ほど「何とかしてあげたい」衝動を抑えられないもので、本書の例によると「家人が酔っ払っている時に上司に電話して『病氣で休みます』と言う」「遅刻する人がいると、その人をおいて先に食事を始める代わりに、皆を食卓で待たせる」などです。有体に言えば「甘やかさない」ことです。「その人が蒔いた種を自分が刈り取ってしまう」はやってはいけない、という原則です。

「批判的な親」「救助隊」どちらも、うっかりするとやってしまいます。自分が努力している自負がある人ほど「だからあれほど言ったのに」が喉元まで出かかるものでしょう。ゆめゆめ「わたしはやりません!」と思わないことが肝要です。

また共感性が高く、人の痛みに敏感な人ほど、「苦しみ=取り除かれるべきもの」「だから取り除いてあげなくっちゃ」と過度な一般化をしていないかも振り返る必要があるでしょう。苦しみには大別して、「道義的に許されるものではないこと。受け入れてはならない、起きてはならないこと」と、「私たちを鍛え、成熟させる苦しみ。どんな人生にも起きるもの」があります。「道義的に許されない、受け入れてはいけない苦しみ」であっても、それをきっかけに成熟していく人も古今東西少なくありませんが、だからと言って、その存在を許容して良いわけではありません。

苦しみのない、ただただ安楽な人生が本当に良いのか、そうしたことを考える大人が本当に減り、若々しさと幼さが混同されているように、私には思えてなりません。

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1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。