被害者意識どっぷりも、怒りを押し殺すのも人生が好転しない理由

「意識が現実を創造している」とは

引き寄せの法則について、見聞きされたり、実践されたことのある方は多いでしょう。ざっくり言うと、自分の望む未来に意識を向け、恰もそうなったかのような感情に浸り、自分の望みの周波数に合わせると、その望む現実が引き寄せられるというものです。

これは「意識が現実を創造している」とも言い換えられます。例えば、異性にもてる人は「自分はもてない」とは思っていません。「私って異性から全然相手にされない、魅力のない人間だ」と思っている人が、異性からモテモテになることはやはりありません。「私は異性にもてるだけの魅力がある」と内心であっても思うからこそ、異性の前で魅力的な振る舞いをするように自ずとなります。その結果として更に「あの人、素敵ね」になる、そうした順序なのだと思います。

この程度のことは「それはそうだよね」とすぐ賛同できたとしても、我が身に起きている理不尽さが、「自分の意識が現実を創造している」と言われれば、「何でよ!私が何をしたって言うの!」になるのが、私も含めたごく普通の人情でもあるでしょう。

「自分を被害者だと思っている間は薬害は治らない」

ところで、コロナワクチンの薬害については、ネットから情報を得ている人はよく知っている、TV報道だけを信じて無関心な人は全く氣づかない二極化が進んでいるかのようです。

あるお医者さんが「何故このようなことになってしまったのかの深い反省と、その自分を変えようとする努力をすれば薬害は治るが、自分を被害者だと思っている間は治らない」と仰ったそうです。これも、上記の「意識が現実を創造している」に照らし合わせれば、その法則通りになっているでしょう。

自分を被害者だと思い続けながら、様々な解毒に取り組んでいても、ある程度の症状の改善はできたとしても、結局は「私は薬害の被害者⇒治らない」が実現してしまう、ということです。

それでは、見て見ぬふりの無関心になるのが良いのか、体に不調が出ても、最初からワクチン薬害を除外し、「歳のせい、ストレスのせい、更年期のせい」と思っておくのが良いのかと言えば、それも全く違います。無関心は、「責任を取りたくない」「乗り越えるべき困難に直面したくない」意図が無意識のうちに働いている、被害者意識の延長でもあるからです。

但し、人間の認知リソースには限界があるので、余裕がない状態では「そうなりたいわけではないけれど、結果的に無関心になる」ことも人には起きます。このことと、余裕があろうとなかろうと、「見て見ぬふりの知らんぷり」とは、区別を付けることも大切になるでしょう。

道義的責任と「何故このようなことが起きたのか」の因果関係の区別

コロナワクチン薬害も、自分の親が結構な毒親で、子供の頃に理不尽な酷い目に遭ってきたことも、心の面でやるべきことは実は同じになっていきます。

見出しの通り道義的責任と、「何故このようなことが起きたのか」の因果関係の区別を付けることが大変重要です。騙してワクチンをゴリ押しした方に道義的責任はありますが、職を失う覚悟をしてもワクチン接種を拒絶した人も、少数派とは言え存在します。その人達は何を感じ考え、どう選択して今の結果に至っているのか、ということを考えるのが、因果関係を考えることになるでしょう。

こんな当たり前のようなことでも、脳は単純化し、実際には関係ないもの同士を瞬時にくっつける特性が万人にあるので、「わかってはいるけど、混同し勝ち」なものの一つかもしれません。

例えば、万引きは法的にも道義的にも、万引き犯に100%責任があります。ではだからと言って、お店の人が「万引きをされにくい店づくり」をしなくて良い理由には決してなりません。万引きはその場の出来心もありますが、それよりも多いのは、前もって下見をして「万引きしやすい店とタイミング」を見計らっているケースです。販売員が売り場の隅に集まって、私語雑談に夢中になり、商品の陳列が乱れていても知らん顔では「さあ、万引きしてください」と言っているようなものです。

同様に、自分が子供だった頃に、親の支配欲というエゴのために、自尊心を踏みにじられ、しかし判断力が未発達の子供の自分には氣づくことすらできなかった、その意味における道義的責任は自分にはありません。

しかし客観視ができる大人になってから「一体何が起きていたのか」を検証し、振り返り、そして判断力と選択の自由がある大人になった今は、同じ轍を踏まないための意識的な取り組みが必要になるでしょう。「万引きをされにくい店づくりとはどのようなものか」を考える責任はあるのと相似形です。

「コロナワクチンにせよ、万引きにせよ、親との関りにせよ、被害に遭ったのは事実だし、悔しさも怒りもある。しかし今の私は『あいつらのせいで』だけにはなっていない。自分の過去の選択を振り返り、二度と同じ轍を踏まないための努力はしている」と言いきれる人と、
「私の何が悪いって言うの?」から一歩も動かない人と、
同じ被害に遭った人であっても、受ける違いを感じ取っていただければと思います。

心の奥底の怒りを二人称で外に出す

但しそうは言っても、感情、特に怒りや恨み、憎しみ、悔しさは、そうそう簡単に消し去れるものでなくても、無理はありません。押し殺し抑えつけたり、見て見ぬふりをして表面的に「なかったこと」にしてしまうと、却って「何故だかわからないけれど、人生が上手くいかない」になってしまいかねません。以前の記事で、「義父や母親のBFたちに、性的虐待を受け続けたことを『許したつもり』になっていたけれど、心の奥底の怒りは解消されず、鬱を発症していた女性」の例を挙げました。

関連記事

「許し」は副産物・「許さなくてはならない」と思わない方が良い自分を苦しめた親を許すことができるか、もしくは許すべきか、そうした問いは非常に苦しいものだと思います。「不幸にする親」の著者ダン・ニューハースは「私は、『許し』は[…]

彼女はグループ・セラピーに通う中で、ある日怒りがほとばしり出て、漸く自分が長い間見て見ぬふりをし続けていた怒りに氣づけました。氣づくとは意識化するということです。無意識に潜む怒り⇒意識化する⇒感じ切って自分の外に出してしまう、という順序を踏んで解消していきます。

信頼できる他人に話を聴いてもらうのも、勿論悪くありません。共感してもらうことにより、孤立感が和らぐのも、癒しのための大切なプロセスになりえます。但し、根深い怒りや恨み、理不尽さであればあるほど、他人に聴いてもらうだけでは、やはり中々解消しづらいこともあります。例えば職場の愚痴なら、居酒屋で同僚と鬱憤晴らし大会をして解消できても、親への怒りは居酒屋の鬱憤晴らし大会でどうにかできると考える方が、やはり無理があります。

この場合、一人でいる時に二人称で怒りを外に出すことをお勧めしています。「うちの親がね・・」という三人称で聴いてもらうのと、「あんたのことは嫌いだったんだよ!」などと二人称で吐き出すのとでは明らかに違いがあります。これはやってみてこそ、その違いが実感できます。但しこれもまた、機が熟さないとできないこともあるので、ご自身のペースを大事にして頂ければと思います。詳しくは以下の記事を参考にして下さい。

関連記事

他人への怒りとは異なる親への怒りの根深さ親に対する怒りは、他人へのそれとは根本的に異なります。近所の人、友人、恋人、配偶者、職場の上司や部下、取引先には、その時はほとほと困っても、余程のことでない限り、縁が切れれば時間の経過ととも[…]

そして二人称で吐き出すと、改めて「本能ではずっと前から、子供の頃から実は氣づいていた、わかっていた」ことにも氣づきやすくなります。家庭の外に放り出されては生きて行けない子供の頃は、その本音は蓋をせざるを得なかった、しかしそれでもなお、本能が教えてくれていた本音通りに生きた方が、当然のことながら自分の生命を生かすことができるのではと思います。

本能を押し殺すとは、思うに緩慢な自殺以外の何物でもありません。頑張っている割には人生が楽しくない、憂さ晴らしをしてもその時限りになっているのは、恐ろしいことに、この緩慢な自殺をやっているためかもしれないのです。

「あんなことされて、嫌だったね」の自分の感情に還元する

また、ここまで激しい怒りでなくても、内心であっても「あの人がどうしてこうして・・」と、いつの間にか自分の過去の傷つきを、「他人を主語にして」その痛みを外に投げ、相手を責めることを、何度も何度も繰り返していることが、多くの人にあるかもしれません。

それもとてもわかりづらいのですが、実は被害者意識になってしまっています。そして過去の物語を延々と繰り返し、「古い自己」が生き続けると、当たり前のことですが、新たな、幸せな人生を生きられなくなってしまいます。そして「あの人がどうしてこうして・・」の内容自体は、ごくごく正当なことであればあるほど、やめられなくなりがちです。

その場合は、「あんなことされて、嫌だったね。辛かったね。本当に怖かったよね。でも、よく耐えたよ。ありがとう」などと、自分の感情に還元し、そして耐えた自分を労って感謝できると、その時にはもう被害者意識にはなっていません。

関連記事

自尊感情は無条件のもの自尊感情(self-esteem)とは、「どんな自分でもOKだ」という充足感の伴った自己肯定感のことです。お金や能力や美貌や、学歴や社会的地位など目に見えやすい条件で自分を肯定していることも、世の中に[…]

日本人は何故幸福でないのか・・?

ところで、世界一と言って良いほど便利で快適な社会を実現している割には、日本人は何故幸福でないのでしょうか・・?勿論政治の酷さや、所得が右肩下がりになり、ガソリンや食料品などの生活必需品の値上がりや、税金や社会保険料が上がって手取りが増えず、生活が苦しくなっていることも、大きな要因であることは否めません。しかしこれらは「結果的に引き起こされていること」ではないかと、私は考えています。

昔から言われていることですが、日本人の多くは悪い意味での受け身であり、お客さん意識が強い、それに反論する人はそうそういないのではと思います。また、被害者意識が強いのも、昔からの国民性と指摘されています。

I use「我使役する」王道の生き方

では、この悪い方の国民性を改めるにはどうすれば良いのでしょうか?

貼付の動画は西洋占星術家マドモアゼル愛さんの「やぎ座が教える王道の生き方『アイユースしているか』」です。やぎ座のキーワードはI use、「我使役する」、「私が使う」ではなく、「私を使う」意味だそうです。以下にこの件についての愛さんのお話を要約・引用します。

私たちの失意の本質は、I useができていないので、この世からはじかれるのです。王様だってI useをしなければならないのです。王様が天に跪いて、民の安寧と平和を祈る姿を見た国民は、自分も同様にI useを始めるのです。

私たちは皆弱いので、未来はどうなるのか、お金や健康状態が不安になります。しかしこの不安を確実に乗り越えさせてくれるのはI use、I useを忘れた時に私たちの人生に危機が訪れる。自分という身がある以上、私たちはI use「我使役する」ことで社会と繋がらなければならない。お金がもらえなくたってI useできる。

useする質をどんどんあげることで喜びが高まっていく。「私は歌を歌って、人を慰めたい」も、とても素晴らしいこと。しかし下手な歌はやはり聞きたくない。I useのために、努力と創意工夫をする。その姿がある時、私たちはこの世で生かされる保証をもらえる。

どんなに能力がなかったとしても「石を一個片付けるだけで、躓く人がいなくなる」そういう生き方が王道の生き方。未来に対する不安や恐れがI useすることで消えて行く。不安の解決は「あなたは自分をどう使いますか?」使っている内は生かされる。

大木はたわわな実を実らせ、我は何一つ食べることなく、鳥に与え、人に与え、たわわな実を実らせることでI useし、永遠性を生きる。

(下線、太字は足立による)

このことは、同じ境地に達した人たちが、表現の仕方は違えど同じことを言っています。

ノートルダム修道会の修道女、渡辺和子さんが、修道女になる前の修練女として、アメリカで修業をしていた時の話です。渡辺さんは、テーブルにお皿を並べる仕事を命じられました。修道院に入る前は、大学で英文秘書としてバリバリ仕事をしていた渡辺さんにとって、お皿を並べる仕事は口にこそ出さなかったものの「つまらない雑用」でした。その様子を見ていた先輩の修道女が、渡辺さんにこう尋ねます。
「あなたは何を考えて仕事をしていますか?」
「別に、何も」
「あなたは時間を無駄にしている」
驚いた渡辺さんに、その修道女はこう言いました。
「その席につく一人一人のために祈りながら、お皿を置きなさい」

私はこの話はずっと前から知っていますが、歳を重ねるごとに、それはたやすくはない、しかしそれでもなお、万人に開かれた道だと実感しています。

【音声版・境界線とは「No」を言うこと・流されない生き方のために】


【このような悩みを抱えている方へ】

・適切な「No」を言えるようになりたい。迎合したり、操作されたくない。自分の意志で人生を生きたい。
・流されてしまったことに後悔している人。「もうあんなことは繰り返したくない。自分の子や孫に、同じ過ちを犯してほしくない」「どうやったら流されずに、勇氣を持って断れるようになるのかを知りたい」

【音声教材を聴くことによって得られる効果】

・何故「No」を言うことが大事なのかが再確認でき、やりやすいところからチャレンジできる。
・「No」を言うために必要なこと、限界設定、責任、結果予測、選択肢を増やす等、「遅い思考」を鍛える意義がわかる。
・親に反抗できなかった人は、親(大人)の言いなり良い子になることをやめる決意ができる。自分と親の関係性を見直すきっかけにできる。
・日常の中で小さな「No」に躊躇しなくなり、「他人にどう思われるか」ではなく「自分がどうしたいか」「何が責任を果たすことなのか」で物事を取捨選択し、たとえ結果が思わしくなくても、「自分が選んだ」ことそのものに対しては自負を持てる。

【全6回のテーマ】

第1回  結果を負うのは自分しかいない。「No」を言わなければ「Yes」と言ったと見なされる (約17分・無料で公開します)

🔗第1回 要約・氣づきメモ

第2回 「No」を言いづらい時、何を恐れているのか (約17分)
第3回 「人は安心の名の下に自由を手放す」責任と結果予測 (約14分)
第4回  速い思考と遅い思考・現実を見ることと選択肢を広げること (約18分)
第5回  思春期の頃、親に対して「うるせえ!クソジジイ!クソババア!」と言えましたか? (約15分)
第6回  境界線の内側には良いもの、外側に悪いもの・境界線は真の自由と自立のために (約16分)

5500円(税込み)振込み手数料はお客様負担になります。

まず第1回を試しに聴いて頂き、ワークに取り組まれた後、「もっと勉強して実践したい」方は、以下のフォームにてお申込みくださいませ。
振込先の銀行口座をメールにてご案内します。お振込み確認後、URLとパスワードをメールにてお知らせいたします。

もし、お申し込み後2、3日経っても、弊社からのメールが届いていない場合は、受信メールのゴミ箱に入っていないかご確認くださいませ。
やはり届いていない場合は、大変お手数ですが、弊社へメールかお電話にてご連絡くださいませ。


    ※「音声版・自尊感情を高める習慣」のご案内は、こちらのリンクをご覧ください。
    関連記事

    1回約20分、6回コースの音声教材です。第1回 自尊感情とは何か。何故大事か第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う第4回 期待通りに成らない現実を受け[…]

    IMG

    NO IMAGE

    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。常に等身大の、それ以上でもそれ以下でもない今の自分から出発します。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。