【癒されていない境界線】「No」をためらう8つの「でも」(上)

「Yes」と言う方が楽、でも楽が正しいとは限らない

きちんと境界線を引いて、「No」が言えるようになりたい、そうは思っても「でも・・・」とためらい、自分を引っ張ろうとする心の声が聞こえてくるかもしれません。

この「でも・・・」の続きにまず耳を澄ますことが大切です。

境界線を引けるためには、自分に正直であることが必須です。本心は「No」の自分をごまかして「Yes」と言う(本心がわかった上で、敢えてそれ以上に大事なことのために違う選択をするのと、自分の本心を最初からごまかし、「だって」と責任転嫁するのはまた別です)、これを重ねて人生が楽しくなる筈はありません。

自分の心に正直であるには勇氣が要ります。ごまかす方が楽なのです。ごまかして「Yes」と言う方が、目先の自分は楽です。しかし、楽が正しく、益になるとは限りません。

以下に挙げた項目は、よくありがちな「でも・・・」の後に続く言葉です。これらは皆、「No」を言う痛みを避けようとして、私たちが自分に囁く言い訳や誤解であり、また過去からの癒されていない傷でもあります。これらの言い訳をやめ、誤解を解き、そしてまだ癒されていない傷を一つ一つ乗り越えて、私たちは「No」を言う本当の大切さを自分のものにできます。

①「でも、境界線を引くなんて自分勝手」

境界線を引くことを、あたかも自己中心的な行為のように捉える人もいるかもしれません。「私に助けを求めている人に、どうして『それ以上は駄目』って言えるの?なんて冷たい、身勝手な」

著者は自己中心と管理責任の違いについて強調しています。「自己中心とは、他者を愛する責任を忘れて自分の願望だけに固執することです」境界線を引くとは、人の痛みや必要にお構いなしになることでは決してありません。

私たちの日々の必要は、私たちの管理下にあります。いわゆるかまってちゃんは、自分の精神的、情緒的な必要を自分で管理しようとせず、即ち責任を果たそうとせず、他人にその責任を押し付け、振り回す人のことです。

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私たちは心の動揺が激しい時、一人では心の重荷に耐えられない時、誰かに話を聴いてもらい「私は一人ぼっちじゃなかった」と慰められ、勇氣づけられる必要があります。表面的には愚痴や、恨みつらみになったとしても。そして心の重荷が軽くなった後、現実にどう対処するかが自分の管理責任を全うすることです。

勇氣づけられればこそ「何とかしよう」とします。自分の境界線の中にあるものを、「良いものは内に、悪いものは外に」の振り分けをします。迷った時には、信頼できる人に「これはどっちだと思う?」と相談したり、場合によっては弁護士やカウンセラー、セラピストなどの専門家に付き添ってもらうことはあっても、「境界線の中を整えるのは自分」の原則を外しません。上記のかまってちゃんには「何とかしよう」はありません。

本書にユニークなたとえ話があります。

限界の設定について理解するには、私たちの人生を神からの贈り物と考えれば分かりやすいでしょう。支配人がオーナーにかわって店をしっかり管理するように、私たちも自らの魂について同じことをする必要があります。境界線不在のせいで店の管理がずさんになるのであれば、オーナーが私たちに腹を立てても不思議はありません。

人は自分の魂を磨くためにこの世に生まれてきた、魂を磨けるのは肉体を持っている間だけ、霊魂は不滅だが、肉体を失ったら魂を磨くことはできない、と言われています。勿論生きてさえいれば魂を磨けるわけでは当然なく、意識的で継続的な努力が必須です。「良いものは境界線の内に、悪いものは外に」は、魂を磨くために良いのか悪いのかと考えると、判断しやすくなるでしょう。

心身の健康、自由意志、尊厳、感情を痛めつけて、自分を蔑ろにされ、利用されっぱなしになるのを許しておいて、魂を磨くことはできません。

②「でも、境界線は不従順のしるし」

従順こそが美徳と思い込んでいると、境界線を引く、即ち「No」を言うのは不従順で反抗的だと捉えても不思議ではありません。しかし大事なことは、聖書の言葉にあるように「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』と言いなさい」です。即ち「『いいえ』なのに『はい』を言う」ことこそ、迎合であり、他人と、そして自分への不従順になります。

たまにですが、親御さんから私の心理セラピーを受けるよう勧められたクライアント様が、本心から「セラピーを通じて、今の自分を何とか変えたい」と思っているのではなく、「嫌だと言えば、また親と揉めるのが面倒だから」という動機で来られることがあります。勿論私は「あなた自身の意志ですか?」と尋ねますが、その際正直に「本当は嫌だけど、親が受けろとうるさいから」と答える人はいません。

それでも、セッションを重ねるうちに、クライアント様が本氣かどうかはやはりわかります。心理セラピーで変化を起こすにはクライアント様にもそれなりのエネルギーとプロセスが必要で、「親と揉めるのが嫌だから来た」では人の心は変わりません。

著者は「内側の『ノー』は外側の『はい』を無効にする」「もし『ノー』と言えないのなら、『はい』とも言えない」と述べています。首尾一貫性を自ら失っては、境界線どころではなくなります。

「親と揉めるのが嫌で来てしまった」のなら、そのことに正直になるのが自分の心に「はい」を言うことです。そして「親に『No』と言えなかった自分」に向き合うか、それすら今はできないのであれば、「今は自分の何かを変えようとは思っていません」に正直であることです。

自分に正直になり切れず、表面的な「Yes」を言って従順のふりをするのは、結果的に自分も周囲の人も欺くことになります。

③「でも、境界線を引くと人に傷つけられる」

「No」と言うと逆切れされる、そこまでなくても面白くない顔をされる、「付き合い悪いな」と言われる、そうした恐れはあって当然でしょう。「そう、仕方ないわね」と優しく言ってくれたり、或いは「あなたは何故それに反対なの?」と言い分を聴こうとしてくれたり、そうしたケースの方が、寧ろ少ないかもしれません。

境界線は摩擦を生みます。その摩擦を乗り越えられるか、或いは分断を招くかはやってみないとわかりません。境界線を引くとは対決することでもあり、傷つくことを恐れていては境界線は引けません。だからこそ、熟慮と覚悟、そして自分を支えてくれる理解ある人達が必要です。

支配的な夫に対し「あなたの支配的な態度に迎合して屈することはもうしません。そしてあなたが大声を出して私を屈服させようとするのなら、今夜は友達の○○さんの家に泊まります。冷静に話し合うことができない内は、この家には戻りません」・・・このように勇氣を出して境界線を引いた結果、離婚に至る可能性もやはりあります。

境界線はお互いの関係性を映し出す鏡であり、リトマス試験紙です。上記のケースでは、夫は当座は面白くない氣分に浸るでしょう。この「面白くない氣分」こそが、境界線がもたらす痛みです。遠慮がなくなり自制が効かなくなった人の目を覚ますには、この痛みを経験してもらうのが一番です。自分が蒔いた種を自分が刈り取るとは、まさにこのことです。

真に心ある配偶者なら、そして支配的な関係を虚しく感じ、それをやめたいと心から思うなら、その痛みを体験して、改めて結婚生活に責任を持とうとするでしょう。そして実際に、より健全な結婚生活になった例も多々あります。

境界線を引くとは、自分は何は譲れないかを明確にしてこそのものです。自分が何者か、そのアイデンティティを明確にすると、それを受け入れられずに去って行く人もいます。そうやって去って行く人は、それがその人のその時点での人格の集大成です。互いをごまかしながら、本当は愛しても信頼もしていない関係性にしがみつくのか、清算して手放すのか、それは自分だけが答えを出せる問いです。

④「でも、境界線を引くと人を傷つける」

上記の③と表裏一体ですが、相手の感情を損ねることに、過剰な責任感を持ってしまうと「No」を言いづらくなります。本書に、娘が母親を訪ねるのを断ると、「45秒くらい」黙り込んでしまう母親の例があります。娘の方が根負けして訪問の日程を決めると、漸く口を開いてくれるのです。こうやって罪悪感を刺激して、根負けするのを待っています。

著者は「境界線は攻撃の武器ではなく、防御の道具」と述べています。「境界線を引くと人を傷つける」は、いつの間にか境界線を攻撃の武器と取り違えてしまったことによるでしょう。

友人の深夜の長電話に、毎晩のように付き合わされるのも似たようなことです。もし本当に電話に出られなければ、その友人はどうするでしょうか?他の人をあたるか、何か別の気晴らしをするでしょう。つまり自分で他の選択肢を探し出します。その友人の「気晴らしリスト」の一番上に、毎晩付き合わされていた人の名前が書かれていたに過ぎません。

共感性が高く、人のために頑張ってしまう人ほど、「私がどうにかしてあげなくっちゃ!」に陥りやすいです。俗に言う「しょってる」状態です。このような過剰な責任感は、氣づかぬ内に視野を狭めてしまいます。しかし狭い視野で物事が上手くいくはずはありません。しばしば言われる「肩の力を抜いた方が上手くいく」は、視野を広げて自分だけが抱え込んでしまわないということでもあります。

私たち自身も、「複数の援助先」や「複数のガス抜きの方法」を予め用意し、「これが駄目ならあれ。あれが無理ならまた別の方法」の心づもりがあると、相手にもそれをさせた方が、お互い氣が楽になると思えるでしょう。結果「No」を言いやすくなります。

※この記事の後編は以下のリンクよりご参照ください。

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