絡みつく親からの分離独立は難しくて当然
心が健全な親に育てられた子供は、親からの分離独立の際に、当の親から足を引っ張られることはありません。勿論、何もかもスムーズに分離独立するわけではなく、「親という壁」を子供が乗り越えて行く、そのプロセスを親自身も学びながら行われます。
子供が生意氣を言う、反抗する、或いはそれまでに見せたことのない動揺を見せる、むっつりと黙り込んで口をきこうとしない、等々。心が健全な親は、「親に向かってその口の利き方は何だ!」と口では叱っても、内心ではホッとできます。それは「子供にとってこの家庭は、『安心して』反抗できる場だ」という成績表を、親の方がもらったということです。
有害なコントロールをする親は、子供に絡みついていないと自分が不安なので、子供の健全な分離・独立を心底喜べません。子供の選択を後からくさしたり、「あんたにはそんなことは無理だ」と最初から道を閉ざそうとしたり。子供が自分のコントロール下にいることが至上命題だからこそ、コントロールする親なのです。
精神的に家を出る
心が健康な親なら「子供には自分より幸せな人生を生きてほしい」と願っているものです。しかしコントロールばかりする親は、「私を喜ばせろ」とか「私をしのいではいけない」というメッセージを子供に送り続けます。
有害なコントロールをする親も口では「子供の幸せを願っている」と言うものです。親がどう言っているかではなく、子供自身が「お母さん(お父さん)は、本当に自分よりも幸せに生きてほしいと願っている」と心で受け取れているかです。
そして試してみましょう。「親よりも幸せな人生を生きる」と自分に言ってみた時、どんな反応が湧き上がってくるかを。「親よりも」という言葉に引っかかりがあるなら「親とは無関係に」とか、「親は親、自分は自分の幸せを追求する」などと言い換えても構いません。
自分にそう言ってみた時の自分を、注意深く観察してみましょう。「勿論、その通り」と思えず、何か罪悪感とか「そうは言っても・・」とか、自分にブレーキをかける声が聞こえてきたり、何かモヤモヤしたりすれば、この引用のように「私を喜ばせろ」とか「私をしのいではいけない」というメッセージを受け取ってしまったかもしれません。
この表題の「精神的に家を出る」とは、親の有害なコントロール下から出て、自分独自の幸せを追求し、生きると決めることです。まず自分が決意しなければ何も始まりません。
「精神的に家を出る」下準備として、前回の記事を参考にして下さい。
「何故?」という疑問は、脳は「落としどころ」を欲しがるため自分の親が何故有害で過剰なコントロールをしたがるのか、その理由を知りたくなるのは当然のことです。脳は「落としどころ」を欲しがるからです。他人のことなら、関わりを持た[…]
分離に伴う心理的状態
有害なコントロールをする親は、子供が分離・独立しようとすることに罪悪感を植え付けていたり、或いは子供自身が自分の無力感に打ちひしがれて諦めてしまっていたりします。
分離しようとした時に湧き上がりがちな心理状態を、本書では以下の5つに分類しています。
①強い感情が生じる
罪悪感、不安、怒り、悲しみ、失望、見捨てられる恐怖、孤独、一方で舞い上がる気分など。②強い渇望が生じる
・「この苦しみがなくなったらどんなにいいだろうか」
・「心温まる幸せな家庭を持ちたい」
・幸せな家庭や親子を見ると「自分の家もああだったらどんなに良かっただろう」
・親に対する復讐心や「借りを返してもらいたい」気持ち など③強い不安が生じる
・「いつまでも怒りが消えないのではないか」
・「自分も子供をコントロールばかりする親になるのではないか」
・「自分は身勝手ではないのか」
・「親に『親子の縁を切る』と言われたらどうしよう」
・「精神的に自立すれば、親を傷つけるのではないか」
・「親に仕返しをされるのが怖い」 など④心が繊細になる
親への怒りだけでなく、その親を喜ばせようとしてきた自分への怒りや、情けなさを感じたり、不健全な要求に沿おうとしてきた自分を惨めに感じるなど。そしてそれらが、不眠や、逆に起き上がれないくらい延々と寝たり、食欲不振や過食、氣力の減退などを引き起こすことも。⑤内心の葛藤が生じる
・自由を感じる⇔「どうしたらいいかわからない」という不安
・親が困れば「ざまあみろ。思い知れ」と思う⇔その自分に罪悪感を抱く
・親を許すべきと思う⇔それはできないと思う などどんな強い感情が湧いてきても、それは子供時代から心の中に押し込まれてきたものが表に出てきているのです。イヤでも苦しくても、そういう感情が湧くということは、心の切り離しが効果を上げている証拠です。
上記のことを「通り過ぎた」人は、引用の最後の文章の意味がよくわかるでしょう。不安や怒り、失望、恨みや時には呪いさえ感じるでしょう。それは子供時代に、「そのまま感じて、表面に出しては生きてはいけない」から、分厚いマンホールの蓋をかぶせて押し込めてきたものです。
そうやって何とかサバイバルしてきた子供の自分をねぎらってあげた上で、それらを一度感じきって、外に出してしまう作業がどうしても必要なのです。自分一人では難しく感じる時は、共感性の高い、理解ある人に聞いてもらうのも良いでしょう。
適当な相手がいない場合は、「何に対して」怒ったり悲しんだりしているのか、目的語を補う質問を自分にしてみましょう。不安が強い人ほど、漠然とした言い回しになっているものです。
そして現実に起きたことの代わりに、どうして欲しかったか、それが貴方の望みです。その望みを得られずに辛い思いをしている、それが貴方だけの気づきです。
そしてまた、自分のそのままの、特にネガティブな感情を受け入れがたい人は、まず他の日常生活の中で「不快な感情を感じることはOK(但し「いつ、誰に向かって、どのように表現する、しないは大人である以上責任が問われる」)」になる、その練習をしてみることを強くお勧めします。
自尊感情は無条件のもの自尊感情(self-esteem)とは、「どんな自分でもOKだ」という充足感の伴った自己肯定感です。お金や能力や美貌や、学歴や社会的地位など条件で自分を肯定していると、その条件が消えたとたんになくなっ[…]
強い不安に苛まれることは次第になくなりますが、親に対する失望は消えません。失望を抱えながら生きる、諦めの見極めが上手になる、それも成熟した大人の条件です。それはまた、誰もが当たり前にできることでもありません。
完璧を目指して頑張ることの落とし穴完璧を目指して頑張ろうとすると、「完璧でないこと」を許せなかったり、逆に最初から「どうせやっても無駄」で何もしないになりがちです。「取り合えず、やれることはやってみる。やりながら修正を重ねていく」[…]
健全な境界線を引く
上記の作業が進むと、自ずと健全な境界線を引けるようになるでしょう。健全な境界線を引くとは、「自分は『いい人』ではないし、『いい人』にならなくてはならない、ということもない」がわかってこそできるものです。「いい子でなければ愛されない」が、罪悪感を抱かせる源であり、罪悪感を刺激することは、対人操作の常套手段です。
裏から言えば「『いい人』でいたい」「人から悪く思われたくない」⇔「人の目が気になる」打算があるうちは、自分から境界線を引くことは中々できません。人から簡単に操作されやすくなります。
自分の中のかなりドロドロした感情と向き合うことの意義は、「私は全然いい人じゃない」ことが腑落ちすること、その上で、「その時その時の状況において、最善と思われることをする」責任を果たしている自負を持つことです。
そして逆説的ですが、そのように生きている人が、人を見る目のある人にこそ「あの人はいい人ね」と評価されるようになります。名将は名将を知る、名人は名人を知るの諺通り、誰にでも好かれ、理解される必要はありません。
この境界線に決まった答えはありません。各人が置かれた状況に左右されます。本書では「目標は『心の平安』と『コントロールからの自由』」とされています。これら二つの目標が達成されるためなら、親からの電話に出なくてもいいし、LINEの返信をしなくてもいいのです。親子の関係は全く個人的なことなので、それこそ他人の目を気にする必要はありません。
もし、貴方のきょうだいが、貴方が親との間に境界線を引いたことを「以前とは違う」と感じ取り、心配しているようなら、適切なタイミングで話をする心づもりをしておくとよいでしょう。心づもりがあると思えるだけで、心の負担が一つ軽くなるかと思います。
安易な生き方に流されないためにも、葛藤から逃げない
10代の内ならやりやすかった親との分離を、大人の分別が着いてからやるのは難しく感じて当然です。しかしどんな人も、人生の積み残し課題をそのままにして、健全な心で生きることは不可能なようです。いつかどこかの時点で、向き合わざるを得ません。そしてそれも、早ければ良い、遅いのが悪いということもありません。心理セラピーはいつでもできるわけではなく、クライアント様の機が熟すのを待たなくてはならないのと同じです。
それでも一方で、誰にとっても人生の時間は有限であり、歳を取るにつれて氣力体力は衰えますし、頭の柔軟性も鍛えなければ落ちます。いきなり親との関係性に向き合うのが大変なら、日常生活の様々な困難、葛藤から逃げずに向き合える自分を是非育てて頂ければと思います。