「子供である自分を親の世間体の道具にされた」癒されがたい傷
自分の進学や就職、果ては結婚相手まで「親の世間体大事」で決められてしまった人は、「自分の人生を生きられなかった」悔しさが長い歳月を経ても残ることがあります。進学先の学校や、配偶者が仮に良かったとしても「それとこれとは別」の痛みです。自分の自由意志を尊重されず、自分の人生を親のアクセサリーにされてしまった、そこに「親は自分に無償の愛を注いでくれてはいない」癒されがたい悲しみが伴うからです。殊に学校が自分に合わなかった場合は、二度と来ない大事な青春を「親に台無しにされた」恨みが深くなって当然だと思います。
「子供である自分を親の世間体の道具にされた」傷は生涯残るものなのかもしれません。仕事のやりがいや、配偶者や子供との団欒、共感できる友人などの他の幸福ではーその痛みが軽くなることはあってもー埋め合わせきれないもののようです。
何年経っても消えない悔しさ・・何故?最も多い親との葛藤のご相談の中でも、進学先の進路や、結婚相手を親の体裁、世間体のために決められた恨みは、何年、何十年経っても消えるものではないようです。それは進学先の学校が自分に合わなか[…]
世間体とは「内面化された他者」
世間体とは実際には、具体的な世間の誰それのことではありません。「内面化された他者」と呼ばれるものです。「人から嫌われたくない」「排除されたくない」「評価されたい」といった、孤立と評価評判の恐れがまず存在しています。これらは、人間の普遍的な恐れと欲望であり、それ自体に良い悪いはありません。
これらの普遍的な恐れと欲望に、「自己決定を避けたい」⇒「『誰かや何かがそう言ったから』にしておきたい」責任転嫁が混ざると、本来は自分の恐れや自己決定の回避が、「世間」という他人を装って、自分の内面に住み着いてしまいます。
「内面化された他者」とは、世間以外にも、政府やメディア、会社、親や教師など、「自分よりも権威がありそうな存在」になりやすいです。子供が小学校に上がると「だって先生がそう言ったんだもん!」と、身近な親よりも、より権威を感じる先生の言葉に判断を依存するようになるのが典型です。
大人は「だって先生がそう言った」から、「自分はどう考えるのか」の選択責任を負えるようにならなくてはなりません。権威のありそうな誰それがどう言おうと、それが正しさの保証には全くならないからです。ですが「先生」が「世間では」に横滑りするのが、情けないですが日本の大人の大多数なのかもしれません。
「自分で調べて判断せよ。権力者やメディアは嘘をつくからだ」ロバート・ケネディJr.
子供の方は、「自分は『世間』の被害者」にしておきたい親の卑怯さと、それが親自身のことに留まらず、選択権がなかった子供の頃に、自分の人生を左右されてしまった悔しさ、そして親の方には良心の痛みなどなく「して当然」位に思っている共感性のなさ等で、二重三重に苦悩が深くなりやすいです。
殊に子供の方が「事実をベースに考え、判断する」冷静で合理的な思考をするタイプだと、親の「世間体大事=感情的な防衛」とは全くの平行線になってもおかしくはありません。「どうしてわからないの!」の懊悩が深くなって当然だと思います。
「世間体大事」の弊害は社会全体に及ぶ
ところで、ダン・ニューハースの「不幸にする親 人生を奪われる子供」で述べられている「常に自分の都合が優先する親」は世間体大事の親と言えるかもしれません。このタイプの親は、ナルシシスト的であるとしています。本書で挙げられているナルシシストの特徴の幾つかを以下に引用します。
・自己重要感が異常に大きい。
・自分は特別で人とは違うと思っている。
・人からの称賛を過剰に必要としている。
・人は自分に従うべきだと思ってる。
・人を基本的に「自分にとって有用か、それとも脅威になるか」という見方で見ている。
・自分の責任を受け入れず、人を非難する。
・人から批判されたり拒否されることに過剰に敏感である。
・他人の氣持ちを思いやることができない。
「不幸にする親 人生を奪われる子供」ダン・ニューハース
親や家庭の真の姿を知るために今回取り上げる有害なコントロールのパターンは、一つだけではなく、いくつかのパターンを兼ね備えていることの方が多いかもしれません。その親のコントロールのパターンと、「何が引き起こされるのか」の典型を知るこ[…]
特に「人、即ち子供は自分に従うべきだ」になっていると、子供は反抗期らしい反抗期を送れなくなります。そうすると自我の発達が不十分なまま、大人になっても「No」と言えない、「これはおかしい、間違っている」と表明できない、思考停止して言いなりになるといった弊害を生んでしまいかねません。
2024年2月、私が免許更新に行ったところ、もう諸外国ではコロナはとうの昔に過去の出来事になっているのに、更新センターで働いている人はまだ全員マスク、講習会会場ではアクリル板、「一席空けて座って下さい」のソーシャルディスタンス、4年前から時間が止まったままでした。如何に日本人が思考停止した従順な羊になっているかが、このようなところにも現れているのかもしれません。
親のというよりも日本人の「世間体大事」は、このように社会全体の思考停止、事なかれ主義を生み、根深い禍根を残してしまう、私にとっては苦い思いがした一日でした。
「世間では」の振りかざしは「私がおかしいのかな?」と子供の感覚を狂わせる
自分で判断する責任放棄や、「大多数に合わせれば自分は傷つかない」の卑怯さだけではありません。「世間では」の振りかざしは、特に子供にとっては「私がおかしいのかな?」と自分の感覚を信じられなくなる、ガスライティングという心理的虐待にもなります。ガスライティングについては、以下の記事をご参照ください。
何故True Selfの本音を信じられなくなるのか?子供の頃は自分の本能に忠実に従えるのに、何故、歳を取るにつれてTrue Selfの本音を信じられなくなるのでしょうか・・?2026年7月末、35℃超えの猛暑日なのに、屋外[…]
「世間では」のバリエーションとして、「あんたは変わってる」「空氣が読めない」「そんなことやってるのはあんただけ」「皆がそうしてる」等、枚挙にいとまがありません。特に親の言葉は、子供の心に内面化しやすいため、子供は自己決定に自信が持てなくなり、先の更新センターのような思考停止した従順な羊へ邁進しかねません。
同調圧力に屈してしまう/「ちゃんとしてます」アピール
ところで「世間体大事」には大きく二つがあると考えられます。一つは「本当はそうしたくないと思っていても、他人と違うことをする勇氣がない」同調圧力に屈してしまう場合と、もう一つは世間に向けて「ちゃんとしてますアピール」がしたいナルシシズムの場合です。この二つが重なり合うこともあるでしょう。
同調圧力に屈してしまうのは、「結果責任は自分が負う」大人であれば、責任ある態度とはやはり言い難いのですが、それでも「自分の本心はこれだ」という自覚が薄々でもあります。ですのでこの場合は「自分の本心に従うことを、小さなやれそうなところから一歩を踏み出す」成功体験を少しずつ積み、勇氣を養うことが出来ます。
同調圧力にめげそうになる自分を虐めず、否定せず、「ヘタレな私だけど、小さなできるところからやってみようよ」と自分を励ます態度が勇氣そのものです。
一方で「ちゃんとしてますアピール」の典型は、「私ちゃんとしてマスク」の偽善であり、これもまたナルシシズムと言えるでしょう。
ナルシシズムとは、周囲の他人を自分の鏡にすることでもあります。幼い子供が母親に「見て見て!」をやりたがります。その時、母親が「わあ、凄いね!」「良かったね」と映し返す、ミラーリングが不十分だと、大人になっても「見て見て!」を無意識の内にやってしまいます。承認欲求自体は、健全な大人でも持つ本能です。その承認欲求が「自分の励みにする」高度な昇華にならず、幼児的な「見て見て!」のままに留まると、他者を鏡にするのです。
マスクに感染予防効果はなく、寧ろ有害無益であり、また子供たちの心身の発育に長期的に有害であることを「知っていても」、このナルシシズムに囚われてしまうと、「私ちゃんとしてマスク」はやめられなくなってしまいかねません。
「ちゃんとしてますアピール」は、「一体それは誰のためにやっているのか?」という疑念を、周囲の、特に良識的で思慮深い人の心に引き起こすことがあるのです。
自分が「同調圧力が」「人の目が」を言い訳にしない
「だって同調圧力が」を言い訳にしている内は、自分も自分の大事な人も決して守れない、それがはっきりしたのが、2021年から続くコロナワクチンの薬害です。「だって同調圧力が」の言い訳は楽なのかもしれません。しかし結局は、自分にも他人にも愛のない行為であり、個々人の苦しみのみならず、国家の危機をも引き起こしてしまいかねません。
ナルシシズムは良心の呵責を伴いません。「同調圧力が」「人の目が」を言い訳にするのも、尤もらしく聞こえやすいです。しかしそのことが、人の一生に癒えがたい傷を残してしまいます。そのご相談は絶えてなくなりません。だからこそ、「内面化された他者」から自由になる。自尊感情豊かに生きることを、それこそ誰に知られなくてもやり抜かなくてはならない、それが品位と良識のある大人の責務だと私は考えています。

