【境界線に他者はどう抵抗するか①】怒りへの対処

境界線を育て、維持する際に起こりうる抵抗

自分独自の価値判断基準(何が大事かに基づき「私はこう思う。これを選ぶ」という態度。自分軸とも呼ばれるもの)と境界線(「No」を言える)は、自分自身の人生を生きるための基礎であり、かつ生涯養い育て続けるものです。

そしてただ何となく周りに合わせ、「皆がそうしている」「誰それがそう言っている」の責任転嫁をしていると、あっという間に価値判断基準は脆弱になり、結果「No」を言うことも出来なくなります。自分にとって何が「Yes」かわかっていなければ、「No」は言えないからです。

これは誰もがわかっていることなのに、かなり意識的で継続的な努力が必要なのは、抵抗が起きるからです。この抵抗に屈してしまう方が楽で簡単なため、人は簡単に境界線を失い、自分から根無し草、カオナシになってしまいます。一見常識的な「良い人」に見えても。

その抵抗には外側、つまり他者からの抵抗と、内側、即ち自分自身の抵抗があります。今回の記事では最もわかりやすく起こりやすい、他者からの怒りという抵抗について取り上げていきます。

「No」「私はそう思わない」と言った時に最も受けやすい抵抗は怒り

境界線とは「No」「嫌」を言うだけでなく、疑問を呈したり、自分の意見や他人とは違う考えを述べることも含みます。

クライアント様の声「セッションを受けて(疑問や反論を許さない母親・30代女性)」の記事にあった通り、「自分の考えと違うことを言われただけで怒り出す」のは、それをされた方も心が傷つくものです。

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こうした親の元に育った子供は、「何でも親の言う通りにしておけば波風が立たない」を学習し「指示待ち」「言いなり良い子ちゃん」になってしまったり、或いは鬱屈した感情を心の底に抱えたり、自分というものがあるようでなく、どんなに努力をしても土壇場で自分を信じ切れず、またその自分に嫌悪感を感じるという悪循環になりやすいです。

これは親の方に境界線がないため、「違う考えを受け止める」ことができないからです。子供は「親とは違う自分」を承認され、励まされて分離・自立への道を勇氣を持って歩めます。「No」を言うことに余計な罪悪感を持たなくなります。

そしてまた、境界線は壁ではなく柵です。通氣性があり、また柵には扉があって、出したり入れたりも出来ます。柵の外側で「あなたはそう考えるのね」と一旦受け止め、その上で「やっぱりお母さんはそう思えないな」。これがコミュニケーションです。受け止めた上で、柵の中に入れるかどうかは一回一回判断します。何でもかんでも同調したり迎合するのは境界線がない状態です。

「あなたはそう思うのね」「そう思ったのは、どうして?」など、相手の意見を聴こう、知ろうとせずにいきなり怒り出すのは、その人の自我が未成熟なためです。著者は「他者が彼らに『ノー』と言うと、彼らは欲しい物を奪い取られて『ママのばか!』と駄々をこねる二歳児と同じ反応をします」と述べています。

勿論、ほとんどの人にとっては、賛同されるよりも、反論される方がストレスが掛かるものですから、こちらが疑問や反論を述べる際は、賛同する時よりも丁寧に、より相手に敬意を払う配慮が必要になるでしょう。何かをお断りする時も同様です。

ところでシンポジウムや講演会では、参加者からの質疑応答の時間が設けられていることがあります。その場で出た疑問質問、時には反論と、それに対する登壇者の答えが、参加者全体へのより深い学びになることも大変多いです。相手の「No」を歓迎できる人は、こうした経験を積んでいるのかもしれません。ただ、こうした公の場では人の目もあり、あからさまに無礼な態度を取る人はそう多くはないでしょう。

遠慮のない相手、自分より下だと思っている相手、或いは匿名のSNSでありがちな「自分は匿名だから相手からはわからない」とばかりに、怒りをむき出しにして噛みついてくるのは、その人自身が未成熟で境界線がないから、即ち相手の問題です。

怒りに反応的にならないために

SNS上で或る投稿にちょっとした疑問のコメントを書いたところ、投稿主から「この女」呼ばわりの罵倒をされた、と話してくれた女性がいます。その時はショックで、腹が立って仕方がなかったそうですが、とにかく自制して完全スルーを貫いたとのことでした。

そんな時、正義感の強い人ほど「相手を正してやりたい」衝動に駆られるものでしょう。完全スルーは傍からはわからない胆力が要ります。この事件で彼女が心掛けたことは

  • 「こちらの言い分を言ってやりたいけれど、それを言ったらどうなるか」の結果予測をする。
  • 第三者の視点に立つと、どちらが理があるかがわかる。そして「相手が勝手に墓穴を掘って、自分からその中に飛び込んでいく」のがわかる。

の二つでした。見ず知らずの人にいきなり「この女」呼ばわりする相手に、まともな議論など不可能でしょう。何を言っても「恥をかかされた」「自分を否定された」としか捉えず、ますます逆上するのが関の山です。そしてその時だけに終わらず、後々まで粘着され、あることないこと中傷されたらもっと困るし、嫌だと想像できたので、彼女は「言いたいことをぐっとこらえる」ことができたそうです。

彼女は「この歳になって『馬鹿はほっときゃ自滅する』を目の当たりにした」と苦笑氣味に話してくれました。ネットは大勢の人が見ています。数万人の前で見ず知らずの人を「この女」呼ばわりしたのと同じであり、恥をかいているのは相手の方です。皆余計ないざこざを避けたいからわざわざ口に出して言わないだけなのを、当の本人は全く氣づかぬ愚を犯しています。

著者は「その人には怒らせておいて、あなたがなすべきことは自分で決めましょう」と述べています。客観的に考えて、自分に否があることではなければ、こちらは反省のしようがありません。著者の言葉は件の彼女の言葉を引けば「馬鹿はほっときゃ自滅する」とも言えるかもしれません。

また怒りの表現には、上記の例のようなわかりやすいものばかりでなく、無視、だんまり、或いは嫌がらせで仕返しをしてくるなどもあります。これも不愉快な思いがするのは、自分の「No」を尊重されていないからです。

つまりごく普通の良識ある人なら、「何が何でも自分の意見を通したいわけではなく、『私はあなたの考えに賛成はできず、良しとは思えない、或いは納得はできませんが、あなたがそう考えているのはわかりました』と言ってもらいたい」のです。それができないのは、繰り返しになりますが、ひとえにその人が人間として成熟していないからなのです。

ある政治家のツイッター(X)のコメント欄に「私はあなたの政治信条には必ずしも賛成はしていませんが、あなたの政治家としての生き方には深く共感し、応援しています」と寄せられているのを見て、私は大変感動しました。これが迎合せずに尊重する態度でしょう。このような多面的に物事を見られる品位の高い人は、他の場面でも「No」と言われたからと言って、いきなり相手に怒りをむき出しにしないのではと思います。

怒りで支配しようとする人はその内去って行く

怒りの全てが悪いわけでは勿論ありません。自分や他人の尊厳を冒された時、社会全体に害が及ぶ時、私たちは敢然と「No」を言えなくてはなりません。その時殊に無関心な人々に対して、「何でわからないの!?わかろうとしないの!?見て見ぬふりをするの!?」という悲痛さを伴った怒りとして表現されることも大いにあります。

この怒りと、境界線を示したことで相手が怒り出す、怒ってこちらの境界線をなくそうとする、即ち怒りによる支配とをはっきり分ける必要があります。支配欲に取りつかれた人は、恐れに満ちています。そしてそれは「自分の」恐れでしかありません。支配欲に満ちた人は、他人のことを考えていないと言っても過言ではありません。

つまりこうした支配欲に囚われた人は、他人を「利用できるか、脅威か」もっと言えば「獲物か、天敵か」としか捉えていないのです。対等な信頼関係や、見返りを求めない愛情を注ぐことが当たり前になっている人達にとっては、「同じように生活している人間に見えても、心底のところではわかり合えない」ものかもしれません。そして彼らは、相手が自分にとっての利用価値がない、或いは自分の損になる、即ち「支配できない」と思った途端に手のひらを返します。その後も相手の痛みを想像することはまずありません。野生動物が逃した獲物のことを考えたりしないのと同じです。

ですから、こちらが健全な境界線を育てようとし続けていれば、怒りで支配しようとする人はその内去ります。利用できる相手ではないとその内悟るからです。怒りを向けられたその時に、取れる最善の方法は上記の例にあったように、腹を据え、反応的にならない、相手につられて自分も怒り出さないことです。

そして最も肝心なことは、自分自身の孤独や不安のため、もしくは「私の身にこんな無残なことが起こるなんて受け入れられない」という、現実を直視する力の弱さのため、相手への失望に自分が耐えられないため、「私が孤独や不安や、失望に耐えずに済むように、あなたが変わって」と相手に執着してしまわないことです。これらのことは、全て自分の境界線の内側にあるものです。これらに耐える力を養うことこそ、境界線を育てることそのものと言って良いでしょう。

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