①弊社Pradoの心理セラピーを受けようと決めたきっかけはどのようなことでしたか?
「私の親は何か変だ」と氣づき始めたのは、30代になってからでした。それまでは親のことを全く疑わず「特別な人格者ではないにしても、まあまあ常識的な親に育てられた」と思っていました。
私は独身で親元から離れて一人暮らしをしていますが、毎年盆正月には帰省していますし、両親を温泉旅行に連れて行ったこともあります。
母は私が子供の頃から、自分の意見が絶対で、子供である私たちきょうだいが、異論反論を挟むことは許しませんでした。ただ子供の頃の私は、それに反発するというより、「そうしたものなのだ」と鵜呑みにしてしまい、従順に従うばかりでした。
母は弁が立つ人で、大きな声で威嚇するというより、理路整然と淀みなく話し、聞いている方は何となく説得されてしまう、というタイプです。子供の頃は理屈で勝てるわけもなく、母のことを「頭の良い人」とさえ思い込んでいました。
子供の頃や20代の頃はまだ「母の意見は正しい」と思い込んでいましたが、30代になり、組織の中で様々な人と同じ目的を果たすという難しさに直面していくと、私も私なりに、自分のものの見方ができてきます。
帰省した折、一緒にTVニュースを見ていて、母が漏らした感想と違う考えを私が述べました。番組の内容は忘れましたが、所詮茶の間の雑談です。「ああ、あんたはそう考えるのね」ではなく、とにかく自分の意見に私を従わせようとする執念が異様でした。その時に生まれて初めて「この人は何かおかしい」と感じました。
母は基本、他人のことには無関心です。それは子供だけでなく、父に対してもです。ですから普段は放任もいいところでした。しかし、ちょっとしたことで母の意に反したことを言ったりしたりすると、異常にコントロールして来る、疑問や反論が許されない。子供の頃はよくわからないままだったけれど、大人になってからその記憶が甦って、怒りが沸々と湧き上がってきました。
しかし、暴力や暴言があったわけではないですし、こちらから関わらなければ酷く干渉されるわけでもありません。しかし子供の頃に受けた母の巧妙なコントロールに対し、日に日に怒りが湧き上がってきて、「私はおかしいのだろうか?」と誰に言えずに悶々としていました。
Pradoのサイトの「親との葛藤」「不幸にする親」の一連の記事を検索で知り、何度も読みました。しかし一人で考えていても、悶々とする氣分が募る一方なので、整理ができればと思い、セッションを申し込みました。
② セラピー・セッションの中で、印象に残ったものはどんなことでしたか?いくつでもお答えください。
足立さんは私の話を聴いた後、私の怒りは決しておかしいことではないと言ってくださいました。そして「怒りを感じられて良かったですね」と仰って、その時は意外に思いました。
「自尊感情が低くなりすぎると、自分を蔑ろにされても怒れないんです。いじめが続いてしまうのも、いじめられた側が怒れない、戦うことはおろか、逃げることもできない、それすら考えられなくなってしまっているから、続いてしまうんです」なるほどとは思いましたが、やはりまだまだ自分の怒りを厄介者扱いすることは、そう簡単にやめられませんでした。
初回セッションの宿題は「どんな感情も否定せず受け止める」でした。次のセッションでは「母に対してこれこれの怒りが湧いてきた」と恨み節が止まりませんでした。そして「こんなことを言っていて良いのでしょうか?」と洩らすと、足立さんは「お母さんを恨むことに、罪悪感を感じていませんか?」と訊かれ、ハッとしました。
自尊感情は無条件のもの自尊感情(self-esteem)とは、「どんな自分でもOKだ」という充足感の伴った自己肯定感です。お金や能力や美貌や、学歴や社会的地位など条件で自分を肯定していると、その条件が消えたとたんになくなっ[…]
「せっかく育ててもらったのに」「親を悪く思うなんて」「恨む私は心が狭い恩知らず」・・こうした心の声が罪悪感を掻き立て、そして「良い子」を演じ続けてきました。それは母にとっての都合の良い子にしか過ぎなかったのにです。
「お母さんは○○さんが反論したり、疑問を持つことを許さなかったのですよね。その時、本当はお母さんになんて言ってほしかったですか?」
「『お母さんはこれこれだと思うけれど、あんたは違うのね』と答えて欲しかったです。そしてどうしてそう思ったのかを知って欲しかったです」
「どうしてそう思うかの背景を知ろうとする、それはプロセスを大事にすることですね」
誰だって、背景やプロセスを認めてもらいたい。よくわかります。職場でも、結果だけで評価されるより、それに至ったプロセスを上司が知ろうとしてくれるだけで、関係性は全然変わります。
それを無視し、私の考えを捻じ曲げて自分の意見に従わせようとする。それも誰かに迷惑が掛かるとか、社会的な損失を生じたり、危険で取り返しがつかないことなら、必死に反対するのは当然です。しかしどちらを選んでも良いようなこと、やってみなければわからないことなら「まあ、やらせてみよう」に何故ならないのか、母の不寛容さに腹が立って仕方がありませんでした。そしてここでは書けませんが、巧妙に自尊心を傷つけられたことが次第に思い出され、そのたびに怒りが湧いてきました。
足立さんは「思春期の頃に、反抗期らしい反抗期がありましたか?」と尋ね、私が「いいえ」と答えると、「遅れてきた反抗期かもしれないですね。反抗期は凄く重要で、その時親に反抗できないと、積み残し課題になります。今のうちに取り戻しましょう」と励ましてくださいました。その時漸く「私の怒りは大事な怒りだった」と受け入れることができました。
そして私が「嫌な上司とか困ったお客さんとか、別れた彼氏とか、他人にここまで激しく憎んだことはないです。彼氏に未練は残りましたが、激しく憎んだりはしませんでしたし、嫌だった上司も、異動になればその内思い出すこともなくなりました。親に対してはどうしてこんなにこだわってしまうんでしょう?」と尋ねると、
足立さんは「本能なんですよね、子供が親を恋い慕うのは。犬猫でさえ、特にお母さんが恋しいんです。お母さんに庇護され、愛されないと哺乳類の子供は死んでしまいます。だから、親から愛情を注がれていないと子供が認めるのは、死刑宣告を受けるようなものなんです。だから激しく葛藤します。魚類や爬虫類のような、卵を産みっぱなしの種は、親子の愛情を育むことはありません。人間の場合、ごく普通の共感性があり、自分の親とも分離自立ができている親なら、子供が注いでくれた無垢な愛情に感激して、愛情を注ぎ返そうとします。しかし親の方が分離自立に失敗していると、我が子を自分の延長線上に捉えてしまいます。だから子供が自分とは違う自我を見せることが怖いんですよ」
母が疑問や反論を許さないのは、私の問題ではなく、母の問題だったと段々わかってきました。
一方で「『嫌だ』と思ったり言ったりすることに罪悪感を感じる。何でも素直に従う従順こそが美徳」は、母からの刷り込みだったとは言え、自分が何とかしなければなりません。足立さんに何度も励まされ、まず自分の怒りを感じ切るようにしました。母に対して何度も何度も「なんてことをしてくれたんだ!」と怒り、そしてその内「この悔しさは一生消えないんだな」とある種観念するようになりました。
足立さんは「命や尊厳を揺るがされることは、受け入れてはいけないんです。例えば仕事の失敗とか、お客さんに言いがかりをつけられた悔しさとかなら、『失敗の悔しさを乗り越えて人は成長するもの』とか、『腹は立つけど、世の中一定数、変な人はいて、決していなくならない』などの氣づきにできます。そのような氣づきにできると、もうそうそう思い出したりはしないでしょう。でも尊厳を他の誰でもない自分の母親に傷つけられた怒りは、消えてしまうと思う方が不自然かもしれませんね」と話してくれました。
尊厳を傷つけられたことへの怒りは消えると思う方が不自然、確かにそうだなあと思うと、怒りそのものは消えませんが、母に対してああしてほしい、こうしてほしいとは段々思わなくなり、「一度でいいから本心から謝ってほしい」という氣持ちも次第に薄れていきました。
そして怒りは大事なんだと腑落ちするに従い、職場で「No」を言うことに躊躇しなくなりました。ただ仕事の場合は、単に「嫌です」では通りません。「それだとこれこれの理由で困るんですけど・・」と「嫌」というより「困りごと」として伝えると、角が立たないと教えてもらいました。自分の要望が常に通るわけではありませんが、「No」「嫌」に罪悪感を持たなくなったことは大きな変化だと思います。罪悪感から安易に迎合することは、相手にも自分にも、そして仕事にも不誠実だったのだと氣づきました。
③ また、あえて最も心に残ったものを一つ挙げるとするなら何だったでしょうか?
セッションが進むにつれ、夏の帰省をどうするかという問題が持ち上がりました。母に対する怒りがまだ生々しく、帰省するのは氣が重いと足立さんに伝えると「もし帰省しなかったら何が起きると思いますか?」と尋ねられました。父や母に「どうして帰省しないのか」と訊かれるのがまず嫌だということ、実家の近くに住んでいる兄夫婦に心配を掛けたくない、甥や姪に会えないのが寂しい。そんなところですが、一番は両親に「え!?どうして?」と訊かれた時に、正直なところを話す勇氣はなく、嘘をつくのも後でつじつまが合わなくなるのが嫌、という板挟みでした。
「帰省するという連絡は、どちらから取っていますか?」と尋ねられ、私からだと答えると、足立さんは「思い切って何も連絡しないのはどうでしょうか?案外、『娘が帰ると言うから帰ってきた』くらいに思っておられるかもしれませんよ」と。両親も私も、元々用事がなければ電話やメールをしないタイプなので、何も連絡しないのはやりやすかったです。7月末ごろ、父から電話があり「お盆はどうするのか?」と訊かれましたが「仕事が立て込んでいて、お盆の休暇がいつも通り取れるかわからない」と濁しておきました。その後もほったらかしておき、そのままお盆に入り、休暇は例年通り取れたのですが、実家には帰省しませんでした。
お盆の後、兄嫁からは甥姪の写真を貼付したメールが届き「今夏は会えずに残念でしたが、また会える日を楽しみにしています」との挨拶が添えられていました。肉親からは全く音沙汰無し(笑)兄はそうしたものだと思いますが、父や母は、私は思うほどには、私の帰省を大して何とも思っていなかったんだとかなり拍子抜けしました。
この顛末を足立さんに報告すると「罪悪感から帰省しなくて良かったと思いますよ。帰省そのものが良い、悪いではありません。他人から操作されて動いてしまうと、自分を裏切ることになってしまいますから」と仰いました。
そして両親に対して拍子抜けしたことを伝えると「『親の心子知らず』と言いますが、現実には『子の心親知らず』だと思いますよ」と。本当にそうだったと思いました。私がこれほど葛藤していたことも、両親に伝えたところで「何を言っているのかわからない」でしょう。
足立さんは「他人を『利用できるか、脅威か』という枠組みでしか捉えられない人は、残念ながらそう少なくありません。自我が未成熟で、ナルシシズムが打ち砕かれていないとそうなりがちです。他人を自分の延長線として捉えるのは『利用できる対象』ということですね。そして『利用価値がない』もしくは『脅威』と判断すると掌を返す。それをされた方は著しく傷つきますが、どんなに抗議しても通じません、残念ですが」と話してくださいました。
そして続けて「野生動物が『獲物か天敵か』としか対象を捉えていないのと同じです。逃げられた獲物のことをいつまでも考えたりしませんね。そんな暇があったらすぐ次の獲物を探さないと飢え死にしてしまいますから」
私の両親の態度はまさにそれです。そして他にもそうした態度を取る人はたくさんいるものだと思い当たりました。SNSの投稿に、内容の如何に関わらずベタベタと「いいね」をつける人、でも一旦「この人と関わっていると自分が損をする」と判断すると掌を返す人等々、私も大なり小なり経験があります。他人と対等な信頼関係を築いたり、自分の損得感情抜きに、愛情や思いやり、或いは正義感のために一生懸命になることなどないんだろうなあと思うと、同じ日本人であっても別世界に住んでいるとしか思えなくなりました。
「もっと親と仲良くしたかった。好きでいたかった」内は、どうしても相手に期待をするので、期待通りにならないことにイライラしていました。しかし怒りを感じきった後に、この帰省の一件があったおかげで、「もう生きている次元が違う人」と自然に思え、正月は帰省しないことを、今度はすっと決められました。どんな口実を使うのかはその時に考えればいいやと(笑)
怒りを感じ切り、受け入れ認めないと、足立さんがされた説明を、言葉だけで読んだり聴いたりしてもこのようには思えなかったでしょう。
④ 弊社の心理セラピーを受ける前と、受けた後とで、変化したことは何だったでしょうか?
母、そして父との関係性を改めて見直した半年間でした。自分の親が、子供である私をコントロールせずにはいられなかったことを受け入れるのは、本当に大変でした。私一人では無理だったと思います。しかし、以前のように「見て見ぬふり」「美しい嘘で塗りこめる」にはもう戻りたくありませんし、戻らないと思います。
一番学んだことは「尊厳を冒されたことへの怒りは否定してはいけない」です。今は激しく怒る氣持ちは収まりましたが、消えてしまったわけではない、それで良いのだと思えています。
そして怒り切ること、悲しみ切ることの大事さも、自分がやり切らなければわかりませんでした。「良い子」のままでいてはいけない、その意味がよくわかり、周囲の人に対しても、それを求めるのは相手を大事にしていないこと、そのことと、個別の態度や行動、考え方を改めてもらうようアプローチするのは別なんだともわかってきました。
⑤ 弊社の心理セラピーを受けるのを迷っている方に、メッセージをお願い致します。
私のような親に逆らわない「良い子」で育ってきた人、それに疑問を持たなかったがゆえに、大人になってから様々な生きにくさに直面している人に、セッションを受けてみてはとお伝えしたいです。勿論、その人ならではの機が熟してからですが。
また「怒っちゃいけない、悲しい顔を見せてはいけない」と自分を縛ってしまっている人にも。Pradoのサイトにたくさんの記事が書かれていますが、自分の実人生での実践を通さないと、やはり自分のものにはならないなあ・・というのが、私の率直な感想です。
一旦セッションは卒業しましたが、メンテナンスを兼ねて、年に一回くらいはセッションを受け、軌道修正ができたらと思っています。その際には、足立さん、またよろしくお願いいたします。