ブームで終わった「引き寄せの法則」
約10年ほど前ですが、「引き寄せの法則」が大ブームになりました。
「自分が発している波動と同じものが『引き寄せられる』、だから豊かになりたければ豊かな気分になりましょう」
「感謝しましょう。自分が如何に豊かかに意識を向けて感謝しましょう。そうするとその『豊かさ』の波動に応じて更に『豊かさ』が引き寄せられます」
などと「引き寄せ本」に書いてあると、
「そうか!自分のリソース(資源)に意識を向けることが大事だ!」
とその時は思っても
先行きは不安だし、
売り上げは中々上がらないし、
成績は思うように伸びないし、
「えー、あの人あんな人だったなんて!」といちいち傷つくし、
「ああ、またやっちゃった」と自分が情けなくなるし、
こんなことが積み重なると、「豊かさ」ではなく「欠けているところ」に意識が向きっぱなしになります。結果的に「豊かさ」は引き寄せられません。
そして生きていくことは誰しも、こうした不安、対人関係の悩み、自分に対する不全感がつきまとうものです。それが人が生きている証でもあります。
成功した人、お金があって幸せそうに見える人にも、こうした悩みがやはりないわけではありません。
では「引き寄せの法則」はでたらめのインチキか、と言えばそうではありません。
「引き寄せの法則」とは、実際には何をすることなのでしょうか?
ただ「何となく『豊かな気分』になること」と、何が違っているのでしょうか?
生きている限りつきまとう欠乏欲求
ところで、心理学者アブラハム・マスローの欲求段階説というものがあります。
人は低次の欲求を満たし、より高次の欲求に移っていく、というものです。
- 生理的欲求・・・食欲、睡眠欲、排泄欲など、体の生理的な欲求
- 安全・安心の欲求・・・心身の安全を確保したい、危険から身を守りたい欲求
- 所属と愛の欲求・・・仲間が欲しい、居場所が欲しい、一人ぼっちは嫌だ、という欲求
- 承認欲求・・・人に認められたい欲求、無視されたり、軽んじられることを辛く感じる欲求
- 自己実現欲求・・・自分の能力を最大限に生かしたい、最大限の「成り得る自分」になりたい欲求
- 自己超越欲求・・・自分自身や、自分の利益を超えた平和や神的存在へ心が向かうこと
この欲求段階説の内、生理的欲求から承認欲求を欠乏欲求と言い、自己実現欲求と自己超越欲求を成長欲求と言います。
「欠けているものを埋めたい」が欠乏欲求、「成長したい」が成長欲求です。
ただし欠乏欲求は、人が生きている限り、一旦満たされたら終わりではなく常につきまとい続けます。最高次の自己超越欲求を生きている人にも、当然生理的欲求も安全・安心の欲求もあります。
そして成長欲求には入ろうとして入るものではなく、この欠乏欲求を自分で満たす、その習慣が付いた結果としておのずと入るものです。
特に精神的な欠乏欲求(安心・所属と愛・承認)に関するものについて以下に説明します。
安心の欲求
この世に完全な安心はありません。
ですので「何が何でも上手く行かないと困る!!」ではなく、「上手く行かなくても、失敗しても、そこから学び立ち直れる自分」が育っていない限り、不安にさいなまれ続けてしまいます。
これは大きな失敗だけを指しません。日々の小さな「上手く行かなかったこと」を、ただ責めるのではなく、教訓にし、工夫し改善する、この習慣が大切です。
この習慣が身につくと、「前もって不安を綿菓子のようにふくらまして、自分から不安に押しつぶされる」ことはなくなります。
諦めとか開き直りではなく、「上手く行かないことは起きるもの」。この受容が必要です。上手くいかない=自分はダメ、は自己受容が不足しているサインです。
不安を消すのではなく、耐性を高める不安を感じやすい人ほど、「不安を感じたくない、不安を消したい」と望みがちです。もっともな心情ではありますが、現実には不可能です。何故なら、不安は恐れから生じ、恐れは私たち人間が生き延びるた[…]
所属と愛の欲求
またどんな人も、大なり小なり信頼を裏切られ、心が傷つくことは避けて通れません。
ですので、「孤独に耐えられる自分」を育てていないと、「所属と愛の欲求」が脅かされっぱなしになります。
同じことでも「近しい人」にされると嫌な気持ちになるのは人は、同じイヤなことでも、遠い関係の人なら「そんなこともあるか」で済ませられますが、近しい人がそれをすると「何でアンタがそれをするの!」と腹を立てます。例えば、ネットショッピングを[…]
承認欲求
そして他人からの、外側からの承認は、その時限りのものです。
常に自分を振り返り、自己承認をする習慣がないと、外側から承認を得よう得ようとする「くれくれ星人」「かまってちゃん」「かまわせてちゃん」になってしまいます。
承認とは褒めることではなく、「以前と比べて、自分はこのように成長することが出来た」と事実を認めていくことです。褒めるとは評価であり、評価は「良い/悪い」のジャッジをすること、そして上から下に「下す」ものです。一方で承認は事実を認めていくことですから、これに「良い/悪い」のジャッジはありません。
また、知識でのお勉強ではなく、経験から気づきを得ること、これを積み重ねると、おのずと自己承認できるようになります。
欠乏欲求を自分で満たす習慣
つまり、これらの精神的な欠乏欲求を自分で満たす習慣が付かないと、ずっと欠乏欲求に振り回され続けてしまいます。
その間、「既にある豊かさ」ではなく「欠けているところ」に意識が向きっぱなしになります。
頭だけで言葉だけで「感謝している」つもりになっていても、意識の80~90%を占める潜在意識が、「欠けている」方を向いているので、引き寄せの法則は実現しません。
「引き寄せ」のためには具体的な行動が必要ひところ「引き寄せの法則」が話題になりました。得たいものをイメージしてワクワクすればそれが手に入る、といったところですが、手に入れるためにはやはり行動が必要です。「ハワイのビーチで素敵な時間を[…]
欠乏欲求は、生存のために誰にとっても不可欠です。これ自体をなくすことはできません。
欠乏欲求を自分で満たす習慣がついて、ようやく「欠けているもの」から「既にあるもの」へ意識を向けられるようになります。
真に「相手を見る」ために
そして自分には既に満たされている、この実感を経て「ああ、ありがたいなあ」と感謝の念がわきあがります。
感謝は自信と同じく、頭でやろうとしてやるものではなく、わきあがってくるもの。そして流れ去る感情や気分(嬉しい、楽しい、つらい、悲しい)とは違い、境地です。
そして感謝すればこそ、恩に報いようとします。
恩に報いる行動に移さず、口だけで感謝をアピールしている人は、実際には大して感謝してはいません。
感謝の境地に至って初めて、真の意味で「相手を見る」ことができます。
自分の「欠けているところ」に意識が向いている最中は、相手を見ているようで見ていません。
ともすれば相手を、「自分の欠けているところ」を埋め合わせる道具くらいにしかー自覚の有無にかかわらずー思えなくなります。人間関係で人が深く傷つくのは、多くの場合、このことが原因と言っても良いでしょう。
相手ではなく、相手という鏡に映った自分私たちは子供のころから「人を思いやりなさい」と言われ、また仕事では「お客様のために」を言ったり言われたりします。どんな場面でも、さんざん「相手の立場に立つ」ことを言われ続けるのは、実はそれがたやす[…]
相手をしっかり見られればこそ、相手の期待に応えられます。そして結果として「豊かさ」が巡ってくる、引き寄せとはこの順序になっています。
引き寄せられるのは結果ではなくプロセス
かなり多くの人が「引き寄せとは結果が(棚から牡丹餅のように)引き寄せられるもの」と考えているようですが、これは誤りです。もしそうなら、受験勉強も、広告宣伝も、営業活動も、婚活も、スポーツジムも、Pradoの心理セラピーも、この世には必要ありません。
引き寄せはあくまで、「望む結果に至るための、その人にとって必要なプロセス」が引き寄せられる、ということです。ハワイに行きたいからと言って、イメージするだけである日目が覚めたらハワイにいた、ということはありえません。但し、「ハワイに行きたい」と思っていると、自ずとハワイの情報を目にする、耳にする、そんな経験をした人は多いでしょう。
そして自己超越欲求とは、何か特別にスピリチュアル的な境地に達することだけではありません。
相手の、人様のお役に立ちたい、そのために心を配ることそのものが喜びとなる欲求です。そしてマスローは晩年、自己実現欲求は自己超越欲求を果たした結果、得られるものと考えました。
平均的なセールスマンは「この商品はどうやったら売れるだろう」を考え、
優秀なセールスマンは「この商品はどうやったらお客様の役に立つだろう」を考えると言われています。
「どうやったらお役に立つか」のプロセスを、トライ&エラーを繰り返し、それに喜びを感じている人が、結果として売り上げという結果を引き寄せています。失敗する自分がダメだ、と思っている内は、失敗をも含めたプロセスを楽しめません。
自尊感情の豊かさとは、結果をコントロールしなければ!の恐れではなく、プロセスを楽しめる境地のことでもあるのです。