堂々めぐりになる慢性ストラテジー
心理セラピーが効果があるのは、心の悩みはほとんどの場合「自ら作り出している」からです。
きっかけは自分の責任ではない環境によるものも勿論あります。しかし、同じ環境にいる全ての人が「悩みにはまり込む」わけではありません。
どんなに劣悪な環境に生まれ育っても、「悪魔に魂を売り渡さず」自己教育に成功し、自尊感情豊かになることに自らを導いた人に何人も出会ってきました。
一方でどんな働きかけを周囲がしても、その手を自分から振り払い、不幸に溺れて行く人も。
心理セラピーでは「悩みから抜け出したいが、やり方がわからず堂々めぐりになってしまう」人に対しては援助が出来ます。
そしてこの「堂々めぐり」にはあるパターンがあります。
そのパターンを「慢性ストラテジー(戦略)」という7パターンとして抽出したのが、英国の心理セラピストのアンドリュー・オースティンです。
この「慢性ストラテジー」の7パターンを、以下に説明していきます。
①「もし~だったら(What if)」クエスチョン
自尊感情が低いと、困難を乗り越える自信がないため、「上手くいかなかった時にがっかりしないため、より深く傷つかないため」に、あらかじめ「保険」をかけようとしがちです。
「もし上手くいかなかったらどうしよう」「最悪の事態が起きたらどうしよう」など。これらの質問は、「上手くいかない」「最悪の事態が起きる」フレームで、物事を見ています。不安が強く、自分の問題解決能力に自信が持てないとつい考えがちな質問です。
この背後には「どうせダメだ」「やっても無駄だ」という努力を放棄するための言い訳が潜んでいます。しかし「どうせダメだ」「やっても無駄だ」を考えながら、粘り強く創意工夫することはできません。恋人との関係性を築くという、根気が要り、また結果が約束されない努力をするくらいなら、「振られて傷つく前に、自分から振る」という全く不合理なことを自分からやってしまいます。
最悪の事態を想定して、対策を立てることは必要です。例えば自然災害の場合は、根拠の薄い楽観主義は全く役に立ちません。最悪の事態を想定したら、その上で本来望むものに意識を向け、対策を立てる。最悪の事態の想定とは、そもそもこのために行います。自然災害で言えば、最悪の事態を想定した後、地域の住民の生命と財産をどのように守るかです。
また「上手くいかなかった時に、そこから学びを得て次につなげる」習慣がないと、「上手くいかないこと」を過剰に恐れ、排除することを望んでしまいます。結果「もし上手くいかなかったらどうしよう」の質問が、どうしても浮かんでしまうのです。
②「なぜ(Why)」クエスチョン
人間の脳は起きた出来事に意味づけをしたがります。「次に何をしたらいいか」に備えるためです。そして自尊感情が低ければ低いほど、ネガティブな意味づけをして、ここでもまた「保険」をかけようとします。
「あの人が朝『おはようございます』と言わなかったのは、私を嫌っているからだ」
「営業を断られるのは、私が無能だからだ」
「彼がラインを既読スルーするのは、私に飽きたからだ」
本当は、単に相手が聞こえなかっただけかもしれないし、その商品が今は必要ないだけかもしれないし、返信しなきゃいけないと思っていないだけかもしれません。しかし、「もし、そうでなかった時、もっとがっかりしないために」こうした「最悪の」答えをくっつけて自分を守ろうとします。ただ、この最悪の答えをくっつけて、あの人と仲良くなることも、営業の成績が上がることも彼とラブラブになることもありません。
特にWhyクエスチョンの主語が他人になると、「答えの出ない質問」になり堂々めぐりになります。「何であの人はあんなことをするのだろう」そしていかにもそれらしい答えを引っ張ってきて、自分を納得させようとします。「きっとあの人は親に愛されていないんだ!」など。これもあの人と良い関係を築くことにはなりません。
トラブルやミス、業績低迷などの原因究明をする場合であっても、Whyクエスチョンは何もしないための言い訳探しになりやすいです。ですので、細心の注意が必要です。「売り上げが上がらないのは給料日前だからだ。天気が悪いからだ。会社が宣伝広告費を削るせいだ」
改善策を引き出すための質問にならないと、「言い訳をして何もしないことに逃げる」という「トラブルよりも始末の悪いこと」になりかねません。
このWhyクエスチョンの代わりにHowとI、canを使うと効果的です。「私はあの人とどうやったら上手く付き合えるだろう」「どうやったら業績を回復できるだろう」「どうやったらトラブルを防げるだろう」などと自分に質問すると、堂々めぐりから抜け出せます。
③「たぶん」反応
現在の状況を訊かれた時に「わかりません」や「たぶん~です」の答えになると、現在地を測ることができません。
また、セラピー・セッション後「次に同じようなことが起きた後、これまでとはどんな違った選択ができますか?」と尋ねられた時にも「わかりません」「たぶん~です」だと、脳のナビゲーションシステムに目的地を入力できません。
これも「上手く行かなかった時に失望しない」ための「保険」をかけようとする心理が働いています。「上手くいかないこともある自分」を受け入れられないと、「たぶん」反応が出やすくなります。
人が迷子になるのは「現在地がわからない」か「目的地がわからない」、或いはその両方です。この「たぶん」反応があると、現在地も目的地もわからないので、結果的に迷子になってしまいます。迷子になるといつまでも、望むところへは行けません。
④変化よりも問題を自分から探す
これまで自分が進んできたことよりも、「まだこれが問題だ」「これが解決できていない」とマイナス面を自分から探す、ということが起こります。
これも先行きに対する不安感からきています。
ここで小さな実験をしてみます。いま目に映るもので、「青い物」がどれくらいあるか、1分間周囲を見回してできるだけたくさん記憶します。そして目を閉じた状態で「赤い物」がどれくらいあるか、思い出してみましょう。
おそらく、すぐにたくさんは思い出せなかったことでしょう。
「問題ばかりに意識を向ける」とは、「青い物」だけに意識を向けていることと同じです。そうすると、脳の中は「青い物」「問題」だらけになります。
「青い物」ではなく「赤い物」が欲しいのなら、「赤い物」に意識を向けない限り、存在していても脳の中には入ってきません。「青い物」を無視しろ、ということではありません。脳の中を「青い物だらけ」にしない、これも意識的に行うことが肝要です。
悔しさや怒りはきちんと吐き出したり、しっかり感じきってまず消化します。消化するとは、OKを出すことです。これが不十分だといつまでも問題に意識が向いてしまいます。その上で、「あの嫌な人と付き合う代わりに、どうしたいか」「この現状の代わりに、何が欲しいか」即ち「赤い物」に意識を向けると、ようやく問題から抜け出す道筋がつき始めます。
⑤否定的な名詞化
「私にはトラウマがあります」「私はうつです」「私はアダルト・チャイルドです」など、これらは全てプロセスであり「こと」なのですが、名詞化するとまるで「物」のように捉えてしまいます。
トラウマもうつもアダルト・チャイルドも、ウイルスや細菌のような「物」ではありません。
名詞化することで「厄介な『物』が自分に取り憑いている(だから誰かに取り除いてもらわなければならない)」になってしまうと、「自ら変化を起こす」ことが難しくなり、結果慢性化してしまいます。
これらの否定的な名詞化を、他人への説明の際などに便宜上使う場合でも、「これは『物』ではなくて『こと』なのだ」との自覚が肝要です。
⑥問題を「被る」態度
⑤の通り、「厄介な『物』が自分に取り憑いている(だから誰かに取り除いてもらわなければならない)」は、「この不快な反応は、良くも悪くも自分のパターンだ。だからこそ変えることが出来る」とは正反対の態度です。
困難な現実は、自分が起こしたことではないかもしれませんが、それに対する反応は自分だけのものです。
「この『問題』を誰かに取り除いてもらわなければならない」の間は、心の問題は決して解決できません。その典型が「だって」「どうせ」です。
⑦ノシーボ(プラシーボの反対)反応
プラシーボとは偽薬のことです。砂糖を固めただけの錠剤でも、権威のある人がそれらしく説得して飲ませると症状が改善する、といったことです。
ノシーボ反応はプラシーボ反応とは逆で、砂糖を固めた錠剤を飲ませただけで気分が悪くなってしまいます。
アーサー・バースキー(米国・ボストンのブリンガム&ウイメンズホスピタルの精神科医)によると、このノシーボ反応を示す患者は、「どんな治療を施されても、ほとんど何も解決しない」と最初から決めこんでいます。
こうした場合にも、他者からの介入は全く効果はなく、慢性化します。
根本には主体性の欠如が
これらのパターンについて、韓国の大企業の幹部に対して研修した際「まるで自分のことを言われているかのようだ」という反応が返ってきたそうです。
つまり能力・パフォーマンスが高い人にも、これらの慢性ストラテジーは起こりえます。
この慢性ストラテジーには共通して、人生に対する主体性の欠如と、「『保険』をかけておきたい、つまり困難を避けたい」という心情が見て取れます。困難を嫌なもの捉えていたり、困難を乗り越える自分を信じられないとそうなりがちです。
大なり小なり、困難を乗り越えてきていない人など存在しません。まず、自分もそうだ、と自覚すること。そしてその時の自分の態度を思い出すと効果的でしょう。誰かに丸投げをして、困難を乗り越えるというのは矛盾があります。主体性を発揮する勇気、これも自尊感情の大切な要素の一つです。