お金はその人を映す鏡
お金とどう向き合っているかに、その人自身が現れます。
私は長く百貨店に勤め、ほとんどを売り場での接客販売及びその指導で過ごしてきました。
お会計の際、金銭授受をするトレーに、お金やカードをどのように置くかで、その人の人となりが透けて見えました。
丁寧に置く人、投げ出すように入れる人、様々です。
そしてお金がないないと言う人ほど、お財布の中身がレシートやポイントカードでパンパンで、お財布自体も傷んでいました。
また、机の引き出しに硬貨を入れている人で出世した人も、少なくとも私は知りません。
風水などでは金運アップには長財布が良いなどと言われていますが、これは意識の問題だと思います。上顧客でも二つ折りのお財布を使っている人もいました。
しかし、お金やお財布の扱いがぞんざいな人で、お金のめぐりが良い人はいない、これは断言してもいいでしょう。
安物買いの銭失いを繰り返している場合
お財布、紙幣、硬貨の扱いのみならず、それ以上にお金をどう遣うかにもその人が現れます。
安物買いの銭失いを繰り返している人は、人生のそれ以外の場面でも幸せではないようです。
どんな人にも、「良いと思って買ったけれど、失敗した」「間に合わせでつい安いものを買ったけれど、やっぱり駄目だった」という経験はあるでしょう。
完璧な人間はいませんから、そうした失敗もあって当然です。たまの安物買いの銭失いは、致し方ありません。
しかし、再々安物買いの銭失いを繰り返している、必要ではないのに、ワゴンセールなどでつい衝動買いをし、紙袋に入ったままの品が溜まっている、これが家計を圧迫している場合は要注意です。
自分を安く見積もっていると「それにふさわしいお金の遣い方」に
自己価値感(自分は価値がある存在だという実感)が低いと、自分を安く見積もりがちです。
実際の購買力とは関わりなく、9800円のシャツを一枚買って大事に着るより、980円のシャツをどんどん駄目にしては次々買う(汚れ仕事のために着捨てるなど、敢えてそれを選ぶ場合は除きます)、と言ったことが起こります。
他に以下のようなことがあれば、お金の扱い方に関して、自分を振り返ってみましょう。
- 今の自分の立場に見合う、或る程度良い服装や持ち物を揃えることをしない。
- 趣味の範囲を超えた、家計を圧迫するギャンブル
- 度を超えた課金制のネットゲーム
息抜きの範囲を超えていて、もうやめたいと思いながらずるずると続けてしまっている場合は、「これを続けたらどうなるか?」を怖くても考えないと、後からもっと大変なことになりかねません。
支配欲を満たすために買い物依存症になることも
どんな人も、商品やサービスにではなく、お金を遣ったことそのものに「快」を感じたことがあるでしょう。
失恋の後、やけ酒やけ食いの代わりに、やけショッピングをする人もいます。
それ位、お金を遣うことそのものに、人間は「快」を感じます。たまのことで、後から埋め合わせができる程度であれば、決して悪いことではありません。
またお店でお金を遣うと、お店の人は下にも置かず丁寧に接してくれます。ニコニコと愛想笑いをして大事にしてくれます。
そうすると、お店の人は「お客さんという立場」に頭を下げているだけなのに、まるで自分自身が偉くなったような錯覚をしてしまうことがあります。自己承認が足りない人、承認欲求を他人に満たしてもらいたがる人ほど、その錯覚に陥ってしまいます。
お金を遣うことそのものの「快」、お店で大事にしてくれることの「快」、これらの「快」に支配されてしまうと、買い物依存症に陥りかねません。
買い物依存症は、自分の支配欲、即ち幼児的万能感を満たしたいがために引き起こされる、と考えられます。一瞬、自分が世界の王様になった気分を味わえるからです。
低い自己価値感の埋め合わせをしているとも言えるでしょう。
その一方で自己価値感が低いと、値段が張るものにはお金を出せず、安物買いの銭失いを繰り返して「王様気分」を味わおうとします。
主体性が欠けていると、お金に振り回される
わかっているのに安物買いの銭失いをやめられない、これはお金に支配されている状態です。
私たちは知らず知らずのうちに、お金や、スマホや、ゲームや、インターネットの奴隷になってしまう、現代はそうした危険にさらされっぱなしです。またネット通販が当たり前になり、いつでも買い物ができてしまう、便利な反面、買い物依存になる危険性もまた増えています。ネット通販は、販売員という生身の他人の目がないので、青天井になりやすいです。
自分で決めるより、誰かに決めてもらってその通りにした方が楽、どんな人にもこうした「主体性を放棄したい」誘惑があります。
この心の隙をついて、お金、スマホ、ゲーム、インターネット等が忍び込みます。
そしてまた、安物買いの銭失いを繰り返す人ほど「だって、あの人が・・・」が多いようです。
嫌な人、困った人に出会わざるを得ないのは、生きていたら当たり前です。その時、愚痴が出ても、悔しさを感じても当然です。
しかし、気持ちをしっかり吐き出す、或いは自分で受け止めた上で、「このことから何を学ぶのか。今後自分はどうしていくか」を考えない限り、その「嫌な人」の奴隷になりっぱなしになってしまいます。
そうすると文句を言って相手を見下し、自分の方が上にいるようで、実は「私はあの人の奴隷」という暗示が潜在意識に入り、益々自己価値感が低くなってしまう、こうした悪循環にはまり込みます。
繰り返す安物買いの銭失いは、根本は人生の主体性を失っていることの、表面に現れた一つの現象に過ぎません。寧ろ、サインと捉えた方がいいでしょう。
そして「自分の人生の主人公は自分」、当たり前のことのようですが、これを生きることによってのみ「自分は奴隷ではない」という暗示を潜在意識に入れ、結果的に自己価値感が高まっていきます。
自分を安く見積もってしまう、これも自己虐待の一つです。これを止めるかどうかも、自分にしか決められません。