不安から「結果をコントロールしたくなる」と深刻に
「深刻にはならず、真剣になることが大切」
松岡修造
引用の松岡修造の言葉をご存じの方も多いでしょう。確かにその通りとは思うものの、いつの間にか真剣ではなく深刻になっているのが、私も含めた大多数の人の様相ではないでしょうか。
私の百貨店勤務勤務時代、売り場のチームリーダーが、しょっちゅうパソコンの売り上げ速報を見てはため息をついていました。それを見ていた私たちヒラの販売員は「そんな暇があれば店頭で声出しでもすればいいのに」と陰口を叩いていました。しかしいざ自分がチームリーダーになると、一日に何度も売り上げ速報を確かめずにはいられなくなり、やはりその度にため息をつくのです。それは真剣ではなく深刻に、自分から陥っています。
ところで、日本人は他の民族よりも飛びぬけて不安を感じる遺伝子が多いと言われています。
日本人が不安遺伝子を有することが多い理由は諸説あるでしょうが、古来より自然災害や地域紛争が多かったことと関連付ける説が有力です。つまり、同じ不安を共有する日本人同士が集団となって災厄を乗り越えてきた記憶が遺伝子上に残り、現代の日本人の気質を作り上げたのかもしれません。
新潟市医師会ホームページ
東ニイガタ友愛クリニック 瀬尾 弘志 これから来る冬を前に気分が落ち込む秋ですが、とくに11月以降はその傾向が強くなって…
日本人の真面目さは、この不安遺伝子も要因の一つでしょう。不安を感じなければ、それが悪く出れば「ちゃらんぽらん」「無責任」「いい加減」にもなります。
不安は慎重さに昇華すれば、誰もがわかっていて中々やらない準備・予防の原動力にもなります。引用の通り、日本は自然災害が多いからこそ、防災が必須です。しかし防災は「誰もがその必要性を否定はしないが、長期的な予算には反対が起きる」政策です。他の喫緊の課題に予算を充てようとするのが世の常でしょう。
但し不安に取りつかれて深刻になると、良い結果を生みません。売り上げ速報を見てはため息をついてばかりになります。不安はありながら深刻ではなく、真剣になる心のあり方とはどのようなものでしょうか・・・?
深刻な時と真剣な時の意識の向け方の違い
深刻になっている時は、「売り上げ速報を確かめずにはいられない」「もし恋人に振られたらどうしよう」など、結果の可否に感情が左右されています。誰だって結果が「どうでもよくない」から一喜一憂します。「今の彼女と別れても、いくらでも次があるわ」と思っていたら、お相手は「私のことほんとに好きなの?」「こんな人と結婚したって大事にしてもらえない」と氣持ちが冷めてしまっても当然です。
しかし一方で「あなたと別れたら、僕はもう生きていけない!」だと、「何だか重い・・」になるかもしれません。氣持ちが盛り上がっている付き合い初めの時期を過ぎれば尚のことです。これも真剣ではなく深刻になってる状態です。
では、深刻ではなく真剣にお付き合いをしている状態はどのようなものでしょうか・・?例えば以下のようなことが考えられるでしょう。
- 相手を喜ばせたい。相手の喜ぶ顔を見るのが自分の幸せ。
- 自分のことを知ってほしいし、相手のことももっとよく知りたい。
- 様々な不安や不満も、言葉を選んで伝えようとする。少々のぎくしゃくは乗り越えて、信頼関係を築きたい。
- 結婚を前提にお付き合いしているのは確かだけれど、大事なのは結婚届ではなく、お互いが「生涯のパートナー」になっていくこと。そのための交際。
「結婚というゴールで私を安心させて!」の自分の都合ではなく、相手との関係性を育てること、即ちプロセスに焦点が当たっています。
店の売り上げも同様です。食器売り場の或るコーナーを任された女性の販売員は、手が空いている時はずっと商品の陳列替えをしていました。「少しでもお客様に商品が目に留まるように。興味を持って足を止めて、最終的にはお買い上げして頂けるように」試行錯誤しながら陳列替えをしていたのです。彼女は店頭が暇な時に、ただ突っ立っているだけということはありませんでした。ですから、売り上げの数字も良かったように記憶しています。これも中々できることではありません。
下図のニューロロジカルレベルで整理すると、深刻な時は「結果=環境」だけに意識が向き、真剣な時は結果=環境と、価値・信念(何を大事にし、何を正しいと思うか)とそれによる行動が循環しています。
「不安材料が取り除かれてない今は不幸せ」だと永遠に深刻に
プロセスを大事にして行動に落とし込んでも、そうは言っても残念な結果になることも当然あります。お互い真剣でも結婚まで至らない交際もありますし、一販売員の努力だけで会社の経営が全て上手くいくこともありません。
不安が強い人ほど、「不安材料が取り除かれなければ安心できない」⇒「いつか不安材料が取り除かれる日が来る筈だ。来てほしい」⇒「そうでない今は不幸せな状態」と思い込んでいるかもしれません。何があってもなくても、文句たれたれ、不満たらたらとはこうした考え方が背景にあるでしょう。
人間の三大悩みは、お金、健康、人間関係と言われます。しかし責任ある大人の立場で、これら全てがクリアできている人などどれくらいいるでしょうか?また仮に今はクリアできていても、いつ問題が生じるかわからないのがこれら三つです。つまり「死ぬまでついて回る」ものです。これが「不幸のおんぶお化けが憑りついている」という「被る」態度になると、永遠に深刻になります。
重い責任を果たしながらも、深刻そうに見えない人は、不安を感じていなかったり、特別な後ろ盾があって不安材料がないのではありません。「不安が取り除かれなければ幸せではない」になっていないのです。「それも込みの人生」と受け止めています。
人が著しく成長するのは困難を乗り越えた時です。これは誰しも経験があり、わかっています。しかし「困難を乗り越えようと格闘している自分」を承認し、励ますことを、私たちは本当によく忘れます。「上手くいったら認めてやる」は、「100点取ったら愛してやる」を自分にやるのと同じです。
これは「全ての感情を大事にする」ことと繋がっています。常日頃から「不快な感情を排除したい」では、「嫌なことは取り除かれるべき」になってしまいます。怒りや恨みや憎しみは解消されるに越したことはありません。その感情にいつまでも振り回され続けるのは、健全な生き方とは言い難いです。しかし「無念の思いが一生消えない」ことも長い人生の中では起こります。コロナワクチンの危険性を訴え続けてきた人は、恐らく皆そうでしょう。無念さを生涯抱えながら生き、そしてそれに埋没しないのが成熟した大人のあり方だと思います。
自尊感情は無条件のもの自尊感情(self-esteem)とは、「どんな自分でもOKだ」という充足感の伴った自己肯定感です。お金や能力や美貌や、学歴や社会的地位など条件で自分を肯定していると、その条件が消えたとたんになくなっ[…]
生涯抱えざるを得ない無念も、真剣に生きていなくては感じられません。
再起力を削ぎ落す「こうでなければ幸せではない」
作家の宇野千代さんの生涯は、波乱万丈そのものでした。四度目の結婚相手だった北原武夫と共に経営していた出版社「スタイル社」が、巨額の脱税が明るみになり倒産します。不渡り手形が暴力団の手に渡り、お金を払えないと出刃包丁で脅されたこともあったそうです。火のつくような借金はやがて落ち着き、二三の銀行からの月割りの借金が最後に残りました。
やがて二人は別居生活になり、毎月月末にそれぞれが稼いだお金を持ち寄って、使いの者に銀行に届けさせていました。二人が顔を合わせるのはその時だけでした。
ついに借金を完済した時、宇野さんは夫君から離婚を切り出されます。既に夫には別の女性がいました。
その後まもなく、宇野さんはまだ誰も住んでいなかった那須高原に土地を買い、小さなプレハブの家を建てて移り住みます。東京には拠点を残したままでした。当時宇野さんは66歳でした。1964年当時の66歳は、今なら70代半ばくらいの感覚でしょうか。もう老境と言っても過言ではなかったでしょう。たった一人で、電氣もガスも水道もない那須高原に、布団と原稿用紙と、ろうそくや米味噌などわずかな荷物だけで移っていったのです。
沢の水は、透き通るように、きれいであった。米をとぎ、飲み水にもした。枯れ木を拾って来て、煮炊きもした。「まるで、原始人になったみたいだわ」と私は口に出して言って見た。仕事はいくらでも出来た。「仕合わせだなあ」とまた、口に出して言って見た。つい、この間、離婚届に判こを押して来たばかりであっても、仕合わせであった。これ以上、何をのぞむことがあろう。北原武夫と別れたことも、考えようによっては、一種の解放であった。
宇野千代「生きて行く私」
倒産も多額の借金も、夫に女性がいたことも、そして離婚も、あらかじめ望むものではありません。しかしそれでもなお、「こうでなければ幸せではない」は、私たちのレジリエンス、再起力を削ぎ落してしまうのでしょう。宇野さんはただの楽天家ではありません。深刻ではない真剣な生き方の断面が、こうした態度に現れるのだと思います。
「これ以上、何を望むことがあろう」と、私たちのうちどれくらいの人が、自分自身に言ったことがあるでしょうか・・・?
「それも込みの人生」だからこそ「幸福は幸福を呼ぶ」
誰しも「自分の親が結構な毒親だった。自分は愛されていなかった」と好き好んで認めたくはありません。ですので人は「事実の否定」をし、しかしその結果「親から自分の心を踏みにじられる」事態が続いてしまいます。
自己否定と自己虐待の悪循環以下の二つの記事は、弊社のサイトの中でも継続的にアクセスがあります。即ちどれだけ多くの人が「自分にダメ出し」をし、「優しくされると辛くなる」かの証でしょう。わざわざ検索するのは「こんなことが自分の人生にず[…]
「こんな惨めなことが、自分の人生に起きて欲しくない。とても受け入れられない」「こんな理不尽な現実に私は耐えられない。だからあなたが変わって」と宇野さんではない、私を含めた凡人は願いたくなります。「理不尽極まりないし、許しがたいけれど、そういうことは起きてしまうし、起きてしまった」最終的にはこの事実を勇氣を出して受け入れざるを得ません。それにも長い葛藤が生じます。葛藤は「嫌なことは取り除かれて当たり前」の被害者意識から抜け出し、「憎い相手の思う壺」にならないための原動力にできるのです。
宇野千代さんの父親は、今で言う毒親そのものでした。しかし宇野さんは父親を憎みませんでした。それは、彼女が十代の時に父親が亡くなり、成人後には苦しめられなかったこと、継母が大変良い人だったこと、そして何よりご本人の資質の掛け合わせのためでしょう。毒親育ちだから人生詰んだ、には必ずしもならないサンプルでもあります。
宇野さんが晩年「幸福は幸福を呼ぶ」と言いきれたのは、「理不尽さや辛さや悲しみも、それも込みの人生」という生き方だったからではと、私は思います。