非常に多い親との葛藤とのご相談
当Pradoのご相談の中で、群を抜いて多いのが「親との葛藤」に関わることです。
哺乳類の子供は、親、特に母親からの庇護を受けないと生きていけません。子が親を愛し、慕うのは哺乳類に共通して見られる本能です。本能を脅かされるとは死を意味することです。他人との葛藤とは異なって当然で、子供は長い期間苦しみます。しかし、親の方はまるで子の苦しみを理解できないケースの方が多く、それが更に苦しみの種になります。
親を受け入れるか、関わりを絶つかは自分を大切にした「結果」
クライアント様の置かれている状況は全て異なります。
当初は「親との関わりを絶ちたい」と思って来られたクライアント様でも、最終的に自ら、親を受け入れる選択をされる方もいらっしゃいます。
また「一切の関わりを絶つ」選択をされる方もおられます。
私がどのクライアント様に対しても取り組むのは、「ご自分の辛かった感情を受け止め、自分で自分を大切にする術を得ること」即ち自尊感情を高めることです。
これが出来るようになった「結果」、クライアント様の本音が、親を受け入れた方が自分を大切にできるのか、関わりを絶った方が自分を大切にできるのかを選んでくれます。自分の心が壊れないことを優先するのは、これもまた自分にしかできません。
「内面化」する親の言動
過酷な状況を耐え抜き、生き抜いてくれた、幼く小さかった自分、その自分があればこそ今の大人になった自分がいます。自棄になってぐれたり、人の道を外れるような迷惑をかけたりせず、真面目に生きて来た方がほとんどです。
大人になった今でも苦しい思いが止まないのは、この小さな自分がまだ潜在意識の中で「この辛さをわかって!!!」と訴えているからです。
親、特に母親の言動は、子供の心に「内面化」します。内面化した親の言動は、その子供の自尊感情を大きく左右します。
「自分はそのままで愛され、認められている」
「自分は親に存在を歓迎されている」なのか
「○○でないと、自分は愛されない、認められない」
「○○な自分は、お母さんが喜ばない。だから本当は○○したくても、それはしてはいけない」なのか。
後者の積み重ねが、自分の本音を押し殺し、
「自分がどうしたいかわからない」
「周囲の評価評判に振り回されてしまう」
といった生きづらさを引き起こします。
親の巧妙な支配に成人後も苦しむ子供
ほぼすべての家庭で、親のエゴによって子供が傷ついてしまいます。全くそれが起きない家庭も想像しづらいものです。しかしこれも、親の自尊感情の有無によって、相当大きく左右します。自尊感情とは品位の高さとも関係があります。「子供を自分のエゴのはけ口にするなんて、自分が恥ずかしい。耐えられない」これが品位です。この品位は、良心に支えられていればこそです。
子供を含めた他人を「利用価値があるか、或いは脅威か」という枠組みでしか捉えられない人は、そう少なくありません。一見真っ当な社会人に見えても。その人達がルールや礼儀を守るのは、相手を思いやってのことではありません。「社会通念上そうするもの」という思い込みや、「それをしなければ自分が悪く思われる。損をするから」という打算が動機だったりします。しかし、自分を決して裏切らず、一途に愛してくれ、自分に依存しなければ生きていけない子供に対しては、「自分が悪く思われたら損をする」という打算が働きません。だからこそ、本性がむき出しになりやすいです。遠慮の要らない相手にこそ、その人の本性が現れます。
また、子供が危険を察知して自分から逃れようとすると、途端に甘い顔を見せたり、心配している風や、泣いて後悔する風を装って、子供を繋ぎとめようとする。飴と鞭を巧妙に使い分ける、普段は天使の仮面をかぶっている親も大変多いです。これも当然、自分の支配欲であり、エゴでしかありません。
「自分は良い親に無条件に愛されて育った」と願わない子供はいないでしょう。だからこそ、親がどんなに理不尽なことをしても、子供は健氣にも親をかばいます。しかしこれは、現実をそのまま認めているわけではありません。「自分は良い親に無条件に愛されて育った」その物語が欲しいがために、現実の方をゆがめて認識してしまいます。成人後、時間がかかってもこの認知のゆがみを正して行かないと、生きづらさはなくなりません。
その認知のゆがみを正す過程で、怒りや、憎しみ、恨みつらみが噴き出すのは、癒しの一過程です。自尊感情が著しく下がると、どんなに自分を蔑ろにされても氣づけない、怒ることすらできなくなります。
大事なことは、認知のゆがみを取った後、親への失望を抱えて生きる力を得て、親や他の人からも支配されたり、操作されたりしない自分になることです。一生憎しみや恨みは消えはしないかもしれません。普通の生身の人間はそれで良いのです。が、それらを「噴出させ続ける」ましてや「関係のない配偶者や我が子や他人に撒き散らし続ける」のは、健全で幸福な人生ではありません。
イメージの中で、「親の体の中に入ってみて氣づく」こととは
セッションでは必要に応じて、「許しがたい相手の体の中に入ってみる」イメージを使ったワークをすることがあります。
これはクライアント様が充分準備が整い、またセラピストのガイドがあった上で行います。いつでもできるわけではありません。
イメージの中で親の体の中に入ってみて氣づくことは、幼かった自分にとっては恐怖の対象だったけれど、実際には「恐れる相手ではなかった」ことがほとんどです。親のがらんどうの内面や、親自身が恐れに満ちていればこそ、周囲を威嚇せずにはいられなかった、などがわかります。
これは頭でわかるのではなく、心で実感することが重要です。そのためにワークをします。
「弱い犬ほどよく吠える」という諺があります。しかし子供の自分に、それがわかるはずもありません。
大人になった後、セラピストという第三者の補助を得ながら見方が広がると、氣持ちは少しずつでも楽になっていきます。
子供が親の死をどう受け止めたかが、親の人生の成績表
また、今はまだ親が死んではいないけれど、「親の葬式に出たくない」と人知れず悩む方もおられます。「他人様に迷惑を掛けられないから」と親の葬式を出しても、「周囲は慰めてくれたけれど、自分は涙も出なかった」。これも偽らざる心情です。
以下のリンクは2022年3月の記事ですが、こうした需要は今後も増えるでしょう。私は個人的にはそれで構わないと思います。
一方、“やっぱり親は子どもが面倒を見るべき”という親世代の感覚は変わっておらず、親のきょうだいや親戚に責められて代行サービスを断念する人も少なくない。しかし、“自分がラクになるため”には早めに相談をしてほしいと遠藤さんは訴える。特に、親から長年依存されて苦しんでいる人に心を砕く。
「親との関係に苦しむ人は、“毒親”という言葉が生まれる前からたくさんいたと思います。もともと家族関係で精神的な苦しみを抱えたうえに、介護で肉体的な負担も増え、親を手放したくても、“子どもが見るべき”という世間の価値観に押しつぶされそうになっている。誰かに親を任せ、親から離れる選択肢があることを知ってほしいです」
「親との縁を断ちたい」「お金を払うから親の後始末をしてほしい」そう言って、約100万円費用がかかるという終活代行サービ…
「やっぱり親は子どもが面倒を見るべき」・・それができないから苦しむのです。その苦悩がわからない人は永遠にわかりません。安易な世間体の押し付けに、断固として「No」を言える自分になっておくのも、自分だけができる準備です。
「棺蓋(おお)いて事定まる」ということわざがあります。人の評価は、棺桶の蓋が閉まった後に定まるものだ、という意味です。
子供が親の死をどう受け止めたかが、「愛を遂行したか、エゴが愛を上回っていたか」の子から親への人生の成績表です。
自分の親が「エゴが愛を上回る人生だった」と認めるのは、子供としてこんなに情けないことはないでしょう。ですが、現実をゆがめたままで、本当は親の「言いなり良い子ちゃん」だったのに、「自分は良い親に愛されて育った」と自分をごまかしたままよりかはずっといいのです。自分をごまかすのは自己虐待であり、それも結局はエゴだからです。
「騙されたままよりかはずっと良かった」の人生に
自分の本音に忠実であること、現実問題として自分の望み通りにはできず、妥協せざるを得ないことが起きても、「これが私の本音だ」をごまかさないことです。それをごまかしてしまって、自分を信じ切ることはできません。真の自信とは、人からの評価評判に左右されないもので、それは日々自分に正直に生きているかに比例します。
「親が死んでほっとした」これを公言する必要はありません。しかしこの本音を恥じたり、ごまかしたりしない、それが自分の人生を大切にすることです。
自分は騙されていたと認めるのはとても辛く、たやすくはできません。まして親に対しては、です。ですが、「騙されたままよりかはずっと良かった」これが自尊感情の高い心のありようです。