人を羨む、妬むのは自分から無間地獄にはまり込むこと
人を羨んだり、妬んだりすることほど非生産的で、厄介な感情はないでしょう。但し、スポーツや学業などでは、「負けてたまるか!」の発奮材料にできれば良性妬みになります。
不快な感情の中でも見栄えが良くない「妬み」人間の感情は大別すると、快か不快に別れます。不快な感情は感じてはならない、と思い込んでいる人も少なくありません。[sitecard subtitle=関連記事 url=https://pra[…]
しかしそもそも、「負けてたまるか!」の範疇ではないこと、自分がどうあがいたところでどうにもならず、却って自分が惨めになる事柄もあります。例えば「あの人は早く結婚できて羨ましい」「あの人の方が美人で可愛くて羨ましい」「あの人は良い親に可愛がられて羨ましい」などです。
人を羨んだり妬んだりしないためには、自信を持つことと言われています。それは誰かと比べて自信を持つのではなく、「自分は自分」と心から思えることです。「自分は自分」の自己受容は自尊感情の一つです。そして誰もが右から左にできる簡単なことではありません。
ただ、自己受容の途上にあっても、人を羨んだり妬んだりしない人も沢山います。そのような人達はどのような考え方をしているのか、その7つの特徴を今回は取り上げていきます。
①「羨むようなこと」の裏の大変さを想像できる
身近な人が出世しても、安易に妬んだりしない人は「その裏にある大変さ」がわかる人です。抜擢されたのはあくまでスタートラインに立ったに過ぎません。それなりの地位に立てば立つほど、色々な人が色々なことを言ってきます。それらを取捨選択した結果責任は、お氣楽な「言ってきた側」ではなく、自分が負います。
「一兵隊で走り回っていた方が、どんなにか氣が楽」と何度も思っても、それをぼやく暇などありません。
美人であれば、ストーカーまがいの嫌な目に遭うこともあります。大きなお屋敷に住めば、掃除一つとっても大変です。やっかみ半分の嫌がらせを言ってくる人は、そうした想像力が欠落していると言っても過言ではありません。
②羨んだり妬んだりがそもそも「失礼でみっともない」
羨んだり妬んだりは、人との比較で生じます。人と比べるとは、その対象を自分より上か下かで推し量ることです。
人から見下されて良い氣持ちがする人はいません。また逆に、誰かを上に見て、ただ「凄いなあ、素晴らしいなあ」と思うのではなく、「誰それさんは私とは違うから・・」などと卑下した風な当てこすりを言うのも、また失礼なことです。
そう言われてやはり誰しも良い氣持ちはしないものです。皆、そのような態度は間違っていると心のどこかでわかっている証拠です。
羨んだり妬んだりは、相手に対して失礼であり、それをやる自分がみっともないと腑落ちしているから、最初からやらない、少なくとも態度には出さないのです。
③「不安を掻き立てられる」のは自分の問題
ちょっとしたお愛想で「まあ、羨ましいわね」と受け答えするのとは違って、心底相手を羨んだり妬んだりするのは、「あなたのせいで私が不快になった。だからあなたが何とかするべきだ」になっています。しかしその不快は本来自分のものです。そしてこの不快は「自分が得たい、または得るべきものを得ていない」不安から生じています。
「結婚しました」のSNSを見ても、自分が既婚者だったり、独身でも結婚願望がなかったりすれば、それを羨ましいとは思いません。「先を越された。もしかしたら自分は結婚できないんじゃないか」と不安を掻き立てられているから、相手が羨ましく妬ましくなっています。
海外旅行へ行った、どこそこのレストランで食事をした、こんな良い仕事を受注したなども同じです。自分の不安が刺激された⇒羨ましい、妬ましい、という順序なのですが、脳は大変素早く反応するので「元々は自分の不安」であることがわからなくなってしまいます。
この場合「私は何が不安なのか」と主語を「私は」にして立ち戻ります。不安なのは相手の問題ではなく、自分の問題です。例えば「もしかしたら、婚期を逃すんじゃないか」という不安にまず正直になります。そして、どんな婚活をしているのか、或いは婚活に踏み切れないのなら、自分の何が障害になっているのかに向き合います。
結婚や仕事など「相手あってのこと。自分の頑張りだけではどうにもできない」事柄もあります。やれることはやりつつ、「今はそういう時期」と改めて腹を据えるのも一つの方法です。
「相手に不安にさせられた」の被害者意識から、「何が問題であり、また今取り組むべき課題は何か」に発想を転換できれば、その時既に相手を羨んだり妬んだりはしていません。
④「自分がやるべき小さなこと」に集中している
上記③の続きになりますが、「自分が取り組むべき課題」は、中長期的なものもありますが、結局は「今日、何をするか」に行きつきます。そして今日できることは、必ずその人にとって小さなことになります。
例えば婚活中の人なら、LINEやメール、電話のやり取りを見直し、工夫を凝らす、身だしなみや挨拶などの礼儀を今一度点検する、次の婚活パーティの時に「壁の花」「だんまりお地蔵さん」になってしまわないよう、共感されやすい話題を仕入れておく、等々です。
「幸不幸は外側から『もたらされる』もの」の受け身では、こうした小さな創意工夫に落とし込む発想にはなりません。
また他の例では、疲れていれば「まず休む。そしてできれば出勤に困らないよう、洗濯ぐらいはしておく」などもそうです。最低限のラインから積み上げていく発想になると、減点主義にならず、結果他人と比べなくなります。これも「良い悪いではなく、現状の自分を受け入れる」態度の現れです。
休むことだろうと洗濯だろうと、「自分がやるべき小さなこと」に集中すればするほど、他人を羨んだり妬んだりしている余裕がなくなるのです。
⑤自分の幸福の尺度を持っている
他人を羨んだり妬んだりは、世間的な、ぱっと見でわかりやすいことが物差しになっています。安い居酒屋で飲んでるのはしょぼい、高級レストランならかっこいい、などです。
しかし幸福は自分の心が決めるものです。以前の記事で書きましたが、作家の宇野千代さんは、経営していた会社が倒産し、多額の借金を負い、やっと返済できたと思ったら、共に経営していた夫から離婚を切り出されました。世間的な尺度で測れば「何と惨めな、人生の敗残者」かもしれません。しかし宇野さんは自分を憐れみませんでした。
当時まだ誰も住んでいなかった那須高原で「仕合わせだなあ」と心から自分に言えたのなら、起きた出来事が何であれ、幸せなのです。それを他人がとやかく言うことではありません。
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⑥「本当に優れた人ほど謙虚で威張らない」がわかっている
羨んだり妬んだりしない態度は、自分が見せびらかしたり、自慢したりしない態度と表裏一体です。謙虚なふりをした卑下も、根は同じです。「自分を先に下げておいて、非難や責任から逃げる」卑怯さを、人は心のどこかで感じ取ります。それと、褒められた時に照れ隠しで「いや、そんな・・」と恥ずかしそうにするのはまた別です。
「金持ち喧嘩せず」と言われる通り、本当のお金持ちは威張りません。中途半端に小金を持ってる人ほど、「このジャケットは〇万円したんだ!」などと口に出し、周囲の顰蹙を買っています。桁が一つも二つも違う高価なジャケットを着ている人が、自分の隣に立っているのも知らずにです。
ジャケットは一つの例で、世界は広く、どんなことでも上には上が無限にあります。
「エースをねらえ!」の最終盤、物語の冒頭では超高校級と言われ、主人公岡ひろみが全く歯が立たなかったお蝶夫人とお蘭が以下の会話を交わします。
「あなたもあたくしもテニスが好きで 青春の情熱をテニス一筋にかけてきました でも緑川さん・・ あの素晴らしかった宗方コーチの愛弟子と言えるのは 結局岡ひろみただ一人だったと思いませんか」
「ええ・・その通りです!」
「エースをねらえ!」山本鈴美香
力のない人にはこうした態度は決して取れません。
本当に優れた人は目立たない、少なくとも目立とうとはしないのです。「名将は名将を知る」のことわざ通り、見る目のある人に見抜かれることはあっても。この態度が如何に抜きんでた境地かが、心でわかる。その時人と比べて妬んだり、或いは「私はあの人よりまし」などと偽の安心で自分をごまかそうとはもうしなくなるのです。
⑦誰の何のためにやっているのか
人を羨んだり妬んだりするのは、「自分はあの人よりも損をしている」という被害者意識から来ています。追い抜かれて悔しい思いをするのは当然ですが、それを発奮材料にするのではなく、妬んで嫌がらせをするようでは「それは誰のためにやっているのか?」になります。
また「エースをねらえ!」から引用しますが、物語の序盤、お蝶夫人とダブルスを組んだ岡ひろみは、緊張のために試合でガタガタになり、第一セットを落としてしまいました。セットの合間の小休止の時、同じ高校の誰かが「敵よりも頼りない味方の方が恐ろしいって言うけどほんとね!」と心無い中傷をささやきます。
それを耳にしたお蝶夫人はすかさず「だれです あたくしのパートナーを動揺させるようなことを言うのは‼」と叱り飛ばします。
この中傷した当人には、岡への嫉妬があったのでしょう。しかしその嫉妬を「足を引っ張る」ために発散してしまえば、結局はお蝶夫人の足をも引っ張ることになります。岡のことは勿論、お蝶夫人のことも、自分のチームの勝利すら考えていません。自分の不満と鬱憤だけです。
これはスポーツに限りません。仕事であっても、妬みのために誰かの足を引っ張れば、組織全体の成長を阻害し、回り回って自分の首をも締めることになります。①とも関連しますが、目先の快不快、自分の損得だけで反応し、多角的に考えられないとこうしたことをやってしまいます。
また並のセールスマンは「どうやったら売れるだろう」を考え、優秀なセールスマンは「どうやったら顧客の役に立つだろう」と考えている、と言われます。顧客の立場に立てば、同じ商品やサービスであっても、どちらのセールスマンから買いたいか、考えるまでもないでしょう。
仕事で同期や後輩に追い抜かされた、悔しい氣持ちは生じても無理はありません。しかしそれは、追い抜いた人ではなく、自分への悔しさでなければなりません。そうでなければ「どうやったら顧客の役に立つだろう」を自分が考えてはいなかった証明になります。
そのことと「自分は会社に正当に評価されていないのではないか」という理不尽さはまた別です。それは会社の人事に向けるべきものです。
スポーツでも仕事でも、誰の何のためにやっているのか。チームの勝利を心から望んでいれば、試合の最中に岡を動揺させるような中傷など心に浮かぶ筈はありません。顧客の役に立つことを寝ても覚めても考えているセールスマンも、誰かに越された越されなかったなどは、考える余地など最初からないのです。
妬む人は7つの特徴をやっていない、だからその人の問題
自信のなさのために、つい人を羨んだり妬んだりしたくなってしまう、その自分に悩んでいれば、それは解決のスタートラインに立っています。この7つの特徴の内、やれそうなものから取り組んで頂ければと思います。比べない、羨まない、妬まない人生が、どれだけ感情のエネルギーのロスがなく、その分自分のやりたいこと、やるべきことに集中できるか、実感されることでしょう。
また逆に「この人、こんなことで私を妬んだりするんだ」とショックを受けることもあるでしょう。それは相手がこの7つの特徴をやっていないがためであって、本人が氣づき、取り組まなければ変わりません。残念な思いはするでしょうが「あの人の問題」と切り分けて、状況によっては「真に受け過ぎず、スルーする」スキルを発揮して頂ければと思います。これも境界線を明確にすることの一つです。