【メタ認知能力】目先の不安や損得勘定で動かないために

「自分について知る」メタ認知的知識

「メタ認知」とは簡単に言うと「自分を客観視する」ことです。メタとは「~を超えて」という意味で、そのまま訳せば「認知を超える」になります。自分を利害の絡まない第三者のような視点で眺める力です。

その中でも自分自身についての情報をどう把握しているかを「メタ認知的知識」と言います。例を挙げると以下のような事柄になります。

  • 自分には何が出来て、何が出来ないか
  • 自分は何を知っていて、何を知らないか
  • 自分は何は理解できて、何は理解できないか
  • 自分は何を望んでいて、何を望んでいないか

学校の授業や会社の研修、セミナーなどで「質問が出るのはその人の学習が進んでいる証拠」と言われます。誰しも全くの初心者の内は「何か質問はないですか」と訊かれても、何を質問すればいいのかわからないものでしょう。「何がわからないかがわからない」状態です。学習や実践が進むと「これはどういうことかな?」「これは中々上手くできないけれど、どうやったらいいんだろう?」と具体的な疑問が出てきます。そして「私はそれがわからない/できないことを知っている」からこそ質問をします。

裏から言えば、ただ何もせずじっとしている状態で、「あんたどうしたいの?」といきなり聞かれても答えられず、せいぜい「もっと寝てたい、楽がしたい」みたいな答えしか返ってきません。人は何かに触れたり、実際にやってみたりして「これは楽しい、面白い、もっとやりたい」、或いは「これは大して興味がわかない、やりたくない」がわかってきます。また「外側から見ていた時は『こんなの簡単』と思ってたけれど、いざ自分がやってみると中々上手くできなかった」ということも。

メタ認知的知識とは、自分の外側の世界に心を開き、実際に触れることで得られます。恰も外国に行くと、国内にいるより日本の良い面も悪い面もわかるようなものとイメージすると、わかりやすいかもしれません。

そしてその時、「ああ、こんなことも出来ない、知らない私はダメだ」とダメ出ししたり、また逆に「こういうことを知ってる、出来る私ってすごいでしょ」とマウントを取ったりせずに、今の自分はそれ以上でもそれ以下でもないと受け入れてこそのメタ認知的知識です。

即ちメタ認知能力の高い人ほど「私はその件については寡聞にして存じ上げません」と正直に言えて、場合によっては「お調べして後ほどご連絡しましょうか」とか「私より詳しい○○さんを紹介します」などと率直に、自分を卑下することなく相手の役に立とうとすることができます。こうした謙虚さは、持って生まれた性格というより、メタ認知能力の向上によるものです。ですから、誰しも心がけ次第でこうした謙虚さを身に着けられます。

メタ認知能力は、人間の成熟を担う大きな柱の一つなのです。

メタ認知的技能・メタ認知的モニタリングとメタ認知的コントロール

まず自分について知る、知ろうとすることが上記のメタ認知的知識ですが、更にそれを踏まえて、「自分をモニタリングしながら最適な判断選択を下す。足りないところは補う」がメタ認知的モニタリング、また恐怖や欲望を上手にコントロールすることをメタ認知的コントロールと言います。客観視と自制心と言い換えても良いでしょう。

このメタ認知的モニタリングとメタ認知的コントロールを合わせてメタ認知的技能と言います。言葉自体は最近言われているものですが、大昔から意識的に戦略的に頭を使っている人がやってきたことです。

心理セラピーでは、クライアント様ご自身や周囲の状況をまず観察してみる、観察課題を次回セッションまでの宿題としてお出しすることがあります。この観察は認知的モニタリングと言って良いでしょう。

例えば何かにイライラする時、何に対してイライラするのか、どうあってほしいと望んでいるのか(人は「自分の期待通りに物事がなっていない時」にイライラします)、そのことが終わった後は忘れてしまうことか、終わった後もやはり残っていることか等を観察してもらいます。終わった後も残っている、何度も繰り返し心をよぎることは、「その人にとって」何か譲れないこだわりや、何らかの不安や恐れが潜んでいます。それを探るための観察であり、横文字を使えばモニタリングです。

こうしてモニタリングする力が付くと、自ずとイライラを否定はしないけれどまき散らしもしない、メタ認知的コントロール、即ち無闇に自分の感情を押さえつけるのとも異なる自制心が養われます。

自分を客観視する習慣があった上で「相手はどうなのか?」を知る

冒頭のメタ認知的知識「自分をどう把握しているか」は、他人や自分の外側の状況にも応用されます。

  • 相手は何が出来て、何が出来ないか
  • 相手は何を知っていて、何を知らないか
  • 相手は何は理解できて、何は理解できないか
  • 相手は何を望んでいて、何を望んでいないか

勿論エスパーのように他人の内面を知ることはできませんが、こうしたアンテナを立てて相手の「現在地を知ろうとすること」はできます。これをやらないと「求めても無駄なことを求め続ける」、そして「自分は疲弊し相手を恨む」「相手からはただ鬱陶しがられる」に結果的に陥ってしまいます。

相手に求めすぎずに潔く引き下がれる、諦めの見極めができる人は、余り意識はしていないかもしれませんが、こうしたことを常に考えているでしょう。それは自分自身をモニタリングしていればこそ、他人にも応用できます。自分にやっていないことは他人には尚更できないからです。

例を挙げると、30年ほど前、ある会社員(仮にAさんとします)の当時の上司が「アホ!ボケ!カス!」が当たり前の人だったそうです。当時はまだパワハラ・モラハラなどという概念はなく、「怒られている内が花」とAさんを含めた怒鳴られる方もわかっていました。

そしてAさんの同僚のある女性社員(仮にBさんとします)が、「やらない言い訳」ばかりしている人だったそうで、取引先の営業さんからも「あいつは仕事せえへんで」と陰口を叩かれていました。

当の上司は「お、Bは可愛いのお」とニコニコしながらBさんにおべんちゃらを言い、Aさんはそれを耳にすると「あ、Bさんは見切りをつけられた」と悟ったそうです。ほどなくして、Bさんはその職場を異動になりました。

Bさんの能力は勿論、意欲のありよう、周囲に負担を懸けても何とも思わない態度、そしてそれが周囲に与える影響を、その上司はつぶさにモニタリングしていた結果です。そしてまた職場の責任者である以上「これ以上Bさんを抱えていたら、他のメンバーの士気に関わる」と判断した上でのことでしょう。

「泣いて馬謖を斬る」ということわざがありますが、責任ある立場の人は時に「泣かずに馬謖を斬る」ことが求められます。「憎まれ役を買いたくない」「誰にでもいい顔をしたい」と言った未熟な打算があっては「泣かずに馬謖を斬る」ことはできません。当時のその上司に葛藤が全くなかったとは思いません。認知的コントロールに長けていればこその決断だったでしょう。 

コトバンク

デジタル大辞泉 - 泣いて馬謖を斬るの用語解説 - 《中国の三国時代、蜀しょくの諸葛孔明しょかつこうめいは日ごろ重用して…

感情とは不合理なものです。それを否定せずに大事にしながら、「相手や周囲の状況」「これを続けたらどうなるのか」の結果予測をした上で合理的な判断を下せるのが「賢く信頼に足る人」と評されます。30年前の話ですが、Aさんの心に残った出来事であった所以です。

メタ認知能力が低いと何が起きるか?

ではここで視点を変えて、メタ認知能力が低いと何が起きるかを考えてみましょう。

もう一度メタ認知的知識のおさらいをします。上記の例を使い、主語を「上司」「Bさん」に当てはめてみます。

  • 上司/Bさんは何が出来て、何が出来ないか
  • 上司/Bさんは何を知っていて、何を知らないか
  • 上司/Bさんは何は理解できて、何は理解できないか
  • 上司/Bさんは何を望んでいて、何を望んでいないか

Bさんは「自分の立場・責任」を理解できず、「言い訳して仕事をさぼる」ことを望み、「主体的に仕事に取り組み責任を果たす」ことは望んでいませんでした。

そして上司がこのことを知らず理解せず、また「職場の士気を挙げること」を望んでいなかったら、「憎まれ役を買ってでもBさんを異動させる」決断はできませんでした。だらだらとBさんは「それでいいんだ」と仕事を怠けることに甘んじ、真面目にやっている他の社員はBさんの尻拭いに追われて疲弊し、やがては上司への信頼が損なわれたかもしれません。

つまり上司は「自分が面倒な汚れ役を買いたくない」エゴのために、自分の責任を果たせなかったかもしれなかったのです。

また別の例を挙げると、2020年の3月末に、当時の菅官房長官が自民党の選挙応援のために沖縄入りしました。当時はまだ新型コロナがどのようなものかはっきりとせず、世の中は「自粛しろ!ステイホーム!」の大合唱の嵐だった時です。

ある人がこの菅官房長官の沖縄入りのニュースを聞いて、知人に「コロナって大したことないよね」と言うと、その知人は「マスクもしないで素手でベタベタ握手して!信じられない!」という反応だったそうです。

政権のNo2、危機管理の要の官房長官が、政府の仕事ではなく党の仕事で東京を離れて沖縄入りするということは、「コロナは大したことはない」とわかり切っていた証拠です。国の要人は私たち庶民が知らないことを知っていて当然です。

しかしその知人は、どうしてもそれが理解できず、平行線になってまるで話が噛み合わなかったそうです。「相手はそれを理解できない」を話をした方が理解しないと、「いや、だから・・・」と不毛な議論を仕掛けてお互い疲弊してしまいます。

自分の考えは考えとして持ちながら、「相手はそれを理解できるか、理解しようとする氣があるか」をモニタリングするのがメタ認知です。

「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。況や算無きにおいてをや」

メタとかモニタリングとか、横文字にすると如何にも耳新しい、新たな概念かのようですが、前述した通り判断力に長けた人たちが大昔からやってきたことです。

紀元前500年頃に書かれた孫子の兵法を引くと「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。況や算無きにおいてをや」算とは勝ち目、目算のことです。

孫子は多大な犠牲が避けられない戦争を安易に始めることを、厳格に戒めています。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」これは実際の戦争のみならず、私たちの日常の人間関係にも応用されます。卑近な表現にすれば「相手を見て喧嘩をしろ」と言ったところでしょうか。喧嘩をする甲斐のない相手の方が、現実には多いかもしれません。

Bさんにチャンスや時に叱責を与えたとしても、Bさんが責任感に目覚めるかの目算、菅官房長官の沖縄入りの件からコロナの実態を相手が洞察できるかの目算、これがあるかどうかで次に何をするべきかが決まります。

また孫子の言葉を引けば「戦うべきと戦うべからざるを知る」戦ってよい時と、戦ってはいけない時を知る。これは「どうせやっても無駄だから」と最初から何も考えずに投げ出すこととは異なります。メタ認知能力を使って「今がどの時か」を知る態度です。

これをしないと、自分の欲望と恐怖にただただ振り回されてしまいます。裏から言えば、目先の不安や損得に振り回されている人は、メタ認知能力を使えていません。手っ取り早く、ただ自分の不安を解消したい、自分が得をして損をしたくないだけに取りつかれています。

メタ認知能力は「常に自分が勝ち誇っていたい、思い通りに事を動かしたい。もしくは憎まれ役を買いたくない」こうしたエゴの欲望と恐怖に屈している間は、お勉強で知ったところで、本質的には身に着かないものかもしれません。

メタ認知能力は非常に合理性に富んだものでありながら、根底には「自分や相手を含んだ全体の最適解を実現する」大きな愛あってのもののように思います。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。