「友達のインスタを見ると落ち込んだり、イライラしたり」
インターネット自体が最近のツールですが、中でもSNS、取り分けインスタグラムはごく最近のものです。
若い人の中には、「友達のインスタを見ると、自分と比べて落ち込んだり、イライラしたりしてしまう」という人が珍しくないようです。
「インスタの写真なんて、沢山撮った中の『奇跡の一枚』だし、その人の生活のほんの一部分を切り取っただけだよ」と言われても、そして自分でもそれはわかってはいても、モヤモヤやイライラは解消されないようです。
もっと年齢が上がると、責任と多忙のために、他人の私生活などには構っていられなくなりますし、「芸能人でもないのに自分の私生活を見せびらかさずに済まない人は、本音のところは寂しく、虚しいものだ」ということが、他人から説明されなくてもわかってきます。しかしそれを若い人に説明しても、「はい、そうですね」と簡単に受け入れられるものではありません。もしそうなら、若い人達がこのことで悩んだりはしないのです。
若い人ならではの美しさ、素直さ、感性のみずみずしさはそれだけで素晴らしいものです。しかし一方で、若いということは、生きてきた年数が当たり前ですがまだ短いということです。昔なら、経験を経てからわかれば良かったことが、この情報過多の社会では追いつかなくなっているのかもしれません。
「他人のインスタに無駄に消耗している自分に嫌気がさす」貴方への考えるヒントです。
貴方は何のためにSNSを使っていますか?
まずは一週間、インスタや、他のSNSを見るのをやめてみます。いちいち「いいね」を付けなくても、それでもどうということはないことがわかる筈です。もし万が一「最近、私のインスタにいいねが付かないんだけど・・」とか何とか言って来たら、「今仕事が忙しくて」「デジタルデドックスの最中だから」などと答える心づもりをしておきましょう。SNSに心を乱されない環境づくりが最初の一歩です。
そして改めて「私は何のためにインスタなどのSNSを使っているのか」と自分に質問します。目的を明確にするためです。ただ何となく、友達がやっているから、「えー、何でやらないの?」と言われるのが嫌だから、になっていないでしょうか?それは「だって誰それが」になっています。「私興味ないし、時間を取られるのが嫌だから」などと反論したところで、相手は納得しないだろうから、お義理でアカウントだけ作っておいて後は放置ならまだ良いのです。人から言われるがままに登録して、そして人の投稿にイライラしてるのは、それは正に他人の人生を生きています。
ちなみに私は、個人のFacebookはやっていますが、それは既存メディア代わりの情報収集のためです。私は既存メディアを信用していません。TVは持っていませんし、新聞も大手ポータルサイトニュースも見ていません。間違った洗脳をされる一方だからです。厳選したほんの数人の「この人」と思う人の発信だけ、直接見に行っています。そして「これは」と思う投稿記事だけをシェアしたり、時には投稿主さんにお礼かたがた感想のコメントを書き、交流を楽しんでいます。後は本当に親しい直接の友達の近況報告にはいいねをつける程度です。
SNSにせよ何にせよ、自分が目的意識を持たなければ、他人に自分の脳を差し出す羽目になります。職場の他の人はもうマスクを外しているのに、何年経とうとただ何となくマスクを外さないのも「何のためにそれをやっているのか。果たしてマスクが感染予防効果があったのか」の目的を考えていないからです。
「自分にとって特にメリットがない」と判断したら、やめる決断も自分の選択に責任を持つ態度です。
自分だけの幸福の尺度を持つために
SNSに対する態度は、自分の生き方の断面の一つです。
他人と比べて一喜一憂している人は、「自分にとっての本当の幸福は何か」の質問を自分にしていません。そしてそれを決められるのは自分だけです。勿論若いうちは、見た目のかっこよさ、華々しさに憧れて、自分に合うかどうかもわからないまま足を踏み入れることもあるでしょう。それも若さの特権です。また逆に、「その時限りの頼まれ仕事」のつもりが、意外と自分に合っていて、ずっと続けることになった、そうしたことも人生には起きます。やり直しがきくことなら「ものは試し」のフットワークの軽さも視野を広げるのに役立ちます。
また自分自身の考えが変わったり、社会状況の変化で「思ってもみなかった」選択をすることもあります。
しかし何であれ、「自分にとってそれは幸せかどうか」を自分が自分に尋ねないと、一見幸せそうで華やかそうで、成功しているように見える他人の有様に、自分が振り回されてしまいます。
友人の「結婚しました」投稿を見ると、それだけで氣持ちが焦るものかもしれません。しかし結婚が幸せを運んできてくれるのではありません。精神的に自立し、思いやりのある男女が、互いの価値観や性格が合えば幸せな結婚生活になります。しかし互いが互いをサンドバッグにし合っている共依存夫婦もそう珍しくありません。「結婚しました」のラベルだけを欲しがっていないか、そしてそれは自分の心が真に望むことなのかを、自分に問えるのは自分だけです。
自分の好み、価値観、限界、優先順位を自分に訊く
自分だけの幸福の尺度とは
- 好み
- 価値観(何が大事か)
- 限界(体力、氣力、時間、能力、置かれている状況等)
- 優先順位
などの掛け合わせです。
好みや価値観は、あらかじめある程度自分でもわかることと、実際にやってみて、触れてみてわかることがあります。
例えば私は、セミナーやセミナーのオーガナイズは「やってやれないことはない」のですが、「自分から企画し売り込んでまでやろうとは思わない」のが本音です。集客や準備が大変ですし、客数を集めないと採算割れします。またセミナーは「なまじ勉強した氣分になって満足してしまい、小さな行動に移さない。行動目標を立てても、その後のフィードバックがなければ、その場だけになる」弊害があります。そのため、信頼できる方から「是非に」と頼まれれば条件次第で考えますが、自分からはやろうと思っていません。この価値観や限界を自分で明確にしておくと、他の人が「こんなにセミナーで盛り上がりました!」の投稿を目にしても、自分の心がそれでざわつくことはありません。
他にも、30代の頃は友人たちとお食事会を月一回程度催していました。普段はあまり行かない、各国料理のレストランをネットで検索し、予約を入れ、メーリングリストで告知をしていました。皆に楽しんでもらえたのでやりがいもありました。ですが今は、かつてのようにご馳走が食べられるわけでもなく、皆でお店でワイワイより、お寿司やお刺身などを買って来て、自宅で静かに頂く方が良くなりました。これも自分で明確にしておけば、他の人のグルメ投稿を「わあ、美味しそうだね」とは思いますが、すごく羨ましいとは思いません。
これらの幸福の尺度を一つ一つ自分に訊き、そしてその答えに忠実であること、それが等身大の自分を大切にし、他人の見た目の華やかさに自分が振り回されない、エネルギーを無駄にしない心のあり方なのです。