言いなり良い子をやめたい貴方へ・盲従から自己決定へ

「言われるがまま」になっていませんか?

真面目で氣持ちが優しく、若干氣の弱い、いわゆる良い人ほど、何かを断れない、例えば電話やLINEのやり取りを、「今日は(今夜は)これで失礼しますね」と自分から切り上げられなかったりするかもしれません。

或いは異性とのおつきあいで、相手が遠回しに、貴方の方からデートに誘わせるように仕向ける、相手を好きで、貴方が自分から頑張る人だと頑張ってしまう。でもそれが度重なり、貴方の氣持ちを利用された感が積もって疲弊する、こうした経験はないでしょうか?

もっと言えば、「マスクの着用をお願いします」「ワクチンを打ちましょう」と言われて、何の疑問も持たずに言われるがままになっていないでしょうか?

それを「こんなのは本当は嫌だ、おかしい、何とかしたい」と思えていればまだいいのです。疑問にすら思わない、素直に従ってしまう貴方に、悪い人間はどこまでも付けこんできます。

この悪い人間とは、謀略を企む極悪人だけでなく、上述したような、長電話に再々付き合わせたり、遠回しにデートに誘わせたりする、どこにでもいる普通の人でもあります。「いいから、マスクしなさい!変に思われるでしょ!」と子供に脅迫する親も含まれます。

「ルールを守らない奴はおかしい」と言う普通の人が一番危険なのです。ルール、マナー、常識と呼ばれるものは、「お互いのため」になっていなければ健全に機能しているとは言えません。マスクに感染予防効果はなく、有害無益でしかないのに「ルールだから」は、人権侵害の何物でもありません。治験中のワクチン接種を事実上強要するのは尚のことです。

自尊感情高く生きるとは「言われるがままになって、搾取されっぱなし。自分の健康や尊厳を傷つけてまで、誰かに譲ること」では決してありません。寧ろそうした生き方を、全身全霊で拒絶する、その心の力を養い続けることです。

「良い子」「良い人」でなかったら何を失うのか

いわゆる良い子とは、大人にとっての都合の良い子です。子供は大人からの承認欲しさに「こうやったら褒めてもらえる、認めてもらえる」を学習します。或いは大人の言うことに反すると、頭ごなしで押さえつけられたり、何度も人格を否定されると「自分がどうしたいか」を最初から諦めて、「大人しく言うことを聞いていれば怒られない。人格を傷つけられずに済む」と学習してしまいます。

反抗期らしい反抗期がなかった人は要注意です。その時期に何かを主張しても、親に無視されたり馬鹿にされたり、「そんなものは甘えだ」と取り合ってもらえなかったりして、不満を爆発できずに諦めてしまわなかったでしょうか?そのツケは成人後に、因果関係がわかりづらい形で現れます。

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ところで、人はメリットのないことはしません。他人から見てどんなに馬鹿げたことであっても、周囲の人のみならず自分をも傷つけても、その人にとってのメリットがあるからそれをしています。

「良い子」「良い人」でなかったら、何を失うと恐れているでしょうか?

  • 人から「そんな人だと思わなかった」と悪く思われる。自分を受け入れてもらえない。
  • 陰口を叩かれるかもしれない。
  • その場の波風が立つのが怖い。いざこざが面倒。

そんなところではないでしょうか。

そして「言われるがまま搾取されっぱなし。誰も代わって守ってくれない自分の尊厳を傷つけること」と引き換えにしてでも、これらを恐れ、避け続けたいのか、深く自分に、何度でも質問してみて下さい。死の間際までそれを続けても構わないのかと。

人間は社会的動物であり、仲間を失うことを本能的に恐れます。

また承認欲求も本能であり、好き好んで「悪く思われたい」人はそうはいません。評価評判を氣にしない人もたくさんいますが、「悪く思われたい」わけではなく、「わかる人にはわかる。わからない人は何を言ってもしてもわからない」「人の顔色を窺っていては、自分のやりたいことは決してできない」が腑に落ちているから氣にしないのです。

日本人は「自分がこれが正しい、良いと思うことをしたい」ではなく、「それがどんなに害悪をもたらすことであっても、自分が非難されない、悪く思われない、良い人だと思われることをする」傾向が余りに強いです。「良いことをしたい」と「良い人でいたい」は全く異なります。それがコロナ騒動のマスク着用率に如実に現れています。家ではマスクをしない、ということは、マスクが有害無益だと本音ではわかっている証拠です。この傾向が治らないと、大げさではなく国が滅んでしまいかねません。

盲従とは内なる神性を無視し自己決定を放棄すること

「言われるがまま」は盲従です。盲従とは心が盲目なまま従うこと、何でも鵜呑みにして従うことです。

人から教えてもらわなければわからないこともたくさんあります。しかし、人としてどうあるべきか、何が大事かは、その人の心だけが知っています。

誰の心の奥にもある神性、仏性、神や仏と言う言葉に抵抗があるなら良心と言い換えても構いません。この世を支配しておきたい人達は、人間の心の神性を断ち切り、何でも盲従する人間牧場の家畜にしてしまいます。その手段は、教育やメディア、多忙にさせて物を考えさせない、スマホを片時も手放させずに情報の洪水に押し流してしまう、お手軽な娯楽、自然とのつながりを断ち切ってしまう、ありとあらゆる方法が取られています。

日本と言う国は、そういう特権階級の人たちが楽しく、幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立ってるんです。

そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?今のままずうっと愚かでいてくれたらいいの。

世の中の仕組みや、不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼうっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことを大人しく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。

TVドラマ「女王の教室」

この「愚か」とは、学校のお勉強ができる、できないとは関係ありません。寧ろ「あらかじめ決まった正解をひたすら答え続ける」教育によって、愚かにされてしまいます。揶揄気味に言われる「受験エリート」は、自分の頭で考えることを放棄した暗記マシーンであり、そうした人ほど権威を盲信しがちです。

自由と自己決定は不可分・自由のない尊厳はない

それでも皆が皆、人間牧場の家畜になるわけではありません。自分の中の神性に繋がっている人ほど、その声に背いて生きることはできません。どんな手を使っても、決して支配できないのはこうした人たちです。

自由と自己決定は不可分です。自由とは勝手気ままでは決してありません。それはエゴの奴隷です。自分の神性、或いは良心、良心に基づいた価値観や信念、品位による意思決定をすること。それこそが自由であり、その自由を奪われれば人間は人間でなくなります。

そして自由のない尊厳はありません。

言いなり良い子ちゃんは楽かもしれません。「面倒を起こさない人」として、それが都合の良い人達には受け入れられやすいでしょう。しかしそれは、尊厳に満ちた態度と言えるでしょうか・・・?

「囚人でいる方が楽でいい。責任を持たずに済むから」

盲従しておいた方が、自己決定をしなくて済みます。誰かにお膳立てしてもらって乗っかるのが楽、指示してもらった方が要は楽なのです。そして何かあっても「だってこうしろと言われたから」の責任転嫁ができてしまいます。

支配する側だけが悪いのではありません。人間牧場の家畜にして盲従させたい側と、それに乗ってしまう側の共犯関係で成り立っています。

例えば、何度も刑務所に出たり入ったりを繰り返し、とうとう歳をとって身元引受人がいなくなり、刑務所が無料の老人ホームと化している現実があります。自己決定と自由を全く放棄し、それと引き換えに衣食住を確保する苦労をせずに済む、そうした態度の成れの果てです。

このページを読んでいる貴方は、決して刑務所に入るような人ではないでしょう。しかし「言いなり良い子」で自己決定を放棄する行きつく先は、自ら奴隷になりたがる、うっかりするとそういう誘惑がどんな人の心にも忍び寄ってきます。それはまるでシロアリがいつの間にか家を食い尽くすように、心を内側から破壊し、崩壊するまで氣が付きません。

この奴隷とはお金や、評価評判・世間体の奴隷、目先の面倒を避ける事なかれ主義の奴隷、「だって・どうせ」で逃げる無氣力の奴隷でもあります。

お子さんにこそ自己決定⇒自由と言う尊厳を

子育て中の親御さんに是非ともお願いしたいことがあります。お子さんが「これ、どうしたらいい?」と自己決定を避けて尋ねてきたとき、「どちらに転んでもいいこと」「失敗してもどうと言うことはないこと」であれば、少々面倒であっても自分で考えて決めさせる、その習慣を是非身に付けさせて下さい。自己決定は脳の前頭連合野を使うので、まだ脳が未成熟な子供ほど負荷がかかります。だから楽をしたくて、すぐに大人に訊いてくるのです。

しかし、その時こそ脳に負荷をかけて鍛えるチャンスです。筋肉は負荷をかけないと鍛えられないのと全く同じです。自己決定⇒自由と言う尊厳、これを繰り返し、お子さんの心に養って頂けたらと思います。自己決定をした経験と、それによる学びを得た自信、それが自尊感情高い子供に自らを導いていきます。自尊感情高い子供は、親御さんが「勉強しなさい!」とお尻をひっぱたかなくても、自ずと学びたくなっていきます。

そして実は、それは大人も同じです。

「悪い子になりましょう」

私が百貨店勤務をしていた20代の頃、同じ売り場にTさんと言うパートの女性がいました。仕事に厳しく怖い人で、新入社員で配属された一週間目に「あんたは行動が遅い」と叱られ、泣かされました。

後から知ったことですが、Tさんは配属された新人を泣かすので有名だったそうです。しかしどういうきっかけかはわかりませんが、私のことを氣に入ってくれるようになり、何年目かの年賀状に「いつもよく頑張っていますね。今年はもう少し悪い子になりましょう」と見事な毛筆で書かれていました。

まだ若く、それこそ「大人にとっての都合の良い子」で、それに疑問すら持っていなかった私は、その言葉の意味が分かりませんでした。

当時のTさんよりも年齢を重ねた今になってみると、誰もが言える言葉ではない、よくよくありがたい言葉です。そこにTさんの生き様が、凝縮されて現れています。

「良い子でいなさい」と言葉にしてもしなくても、命令し脅迫する人と、「悪い子になりましょう」と言ってくれる人と、どちらが愛に満ちた態度か、それは考える間もないことだと思います。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。