セッションを受けて(コロナワクチン接種の後悔を乗り越えて・30代女性)

①弊社Pradoの心理セラピーを受けるのを決めたきっかけはどのようなことでしたか?

2021年に職域接種で2回、コロナワクチンを接種してしまいました。夫は「まだ治験中だし、会社も任意で良いって言ってくれてるんだし、様子を見たら?」と言ってくれていたのに、「皆も打っているし、国がおかしなことをする筈がない」と深く考えずに打ってしまいました。

夫以外の身近な人で、ワクチンに対する疑問をはっきり口に出して言う人はいませんでした。私の両親も当たり前に打ってしまっています。勤務先の会社は「あくまで自分の判断で。打たない人を差別的に扱ってはいけません」とアナウンスしていたので、ワクチンハラスメントがあった職場よりかは良心的な方だと思います。

接種後しばらく、頭痛が収まらず、不正出血がひどく、色々と調べるうちに、コロナワクチンがとんでもない物だったと知り、激しく後悔しました。一番すまないと思ったのは、二人の小学生の娘のことです。そして夫にも。夫は「こんなことなら、もっとよく調べて強く止めるべきだった」と私と一緒に後悔しています。自分だけじゃなく、夫や子供たちも苦しめることになるなんて・・。

しかし嘆いてばかりでも事態は良くなりませんので、今度こそ自分で色々情報を集め、試行錯誤しながら自分に合った解毒法を見つけることができました。具体的には、1日16時間以上何も食べない時間を作るファスティング(断食)を週2、3回。パン食をやめ、玄米を混ぜたご飯と具沢山のお味噌汁、天日塩、お漬物、納豆、海藻、根菜類、ヨモギ茶などを摂り、体を弱アルカリ性に保つようにし、意識的に歩いたりストレッチをして体温を上げるようにし、朝の起床時の体温が36.5℃以上を目標にする、等々です。

お陰様で体調は安定し、今は普通に仕事と家事、子育てをしています。しかしそれでも、将来の不安と、そして「何故、こんな風にあっさり洗脳され、ワクチン接種に乗ってしまったのか」という自分への後悔と怒りが収まりませんでした。そして二人の娘たちには、愚かな母と同じ道は決して歩ませたくない・・そんなことを考えている最中に、Pradoの様々な記事を目にするようになりました。

「コロナの嘘」というカテゴリーにたくさんの記事があり、「この人は『反ワクと思われたくない』なんて考えたことがないんだろうな」と、信念の強さを感じました。足立さんの子供たちのマスクや黙食に強く反対する文章を読み、私は学校に言われるがままに子供にマスクをさせていたことを恥ずかしく思いました。

「凄い人だなあ」と思う反面、「あっさり打ってしまった私を受け入れてくれるだろうか」という心配もよぎりましたが、これだけ被害の実態が明らかになっても、「打つ打たないは個人の自由」などと未だに中立を装っている事なかれ主義の人よりも信頼できると思い、ダメで元々と申し込む決意を固めました。

② セラピー・セッションの中で、印象に残ったものはどんなことでしたか?いくつでもお答えください。

初回のセッションで、それまでの経緯を縷々お話しました。叱られるかもと内心ちょっとビクビクしていましたが、そんなことはなく、足立さんは話を全部、頷きながら聴いて下さいました。そして何よりも、私の体調を氣づかい、「今は普通に暮らせていますが、将来のことを思うと心配です」と伝えると、「普通に暮らせるようになって、何よりですね。ちゃんと情報収集して、自分で試してみるのが一番ですね」と受け止めて下さいました。

そして「不安が消えないのは当然だと思いますよ。コロナワクチンがどのようなものか知れば知るほどそうなると思います。大多数の人は、そこからも目をそらして逃げてしまうんですよね。一時しのぎにはなりますが、自分の命を結局は粗末にしているんです、マスクと一緒でね」と、「不安は当然だ」と言って下さって、却ってホッとしました。変に「不安になってるとますます体調が悪くなるよ」とか、安易な慰めを言われると傷つきます。「知らないくせに何を言うんだ」みたいな。良く調べずに打った自分のことは棚に上げてますけど(笑)

足立さんは「コロナワクチンに関してはまだまだ情報が出てきている段階で、今なお断定的なことは言えません。根本的な治療方法は見つかっていませんし、心あるお医者さんたちが取り組んでいるのも、あくまで対症療法です。ですから打ってしまった人は不安が当たり前なんです。それをごまかしちゃダメ。国やマスコミが自分を騙しただけじゃなく、更に自分が自分を騙すことになるんですから。○○さんも、不安が原動力になったから、解毒のことを色々調べて実践したんでしょう?」と。私の反応を見ながら言葉を選んではいたと思いますが、それでも曖昧なことは仰いませんでした。

それから「○○さんの会社にも、少数派とは言え打たなかった人がいますね?その人たちと、打った人たちと、何が違っていたと思いますか?」と質問されました。「情報を知ってたかどうかだと思います」と答えると、「では、その情報を得ようとした動機って何だと思いますか?」と更に質問され、答えられずに黙っていました。

「○○さんが打ってしまったのは『皆が打ってるから』でしたね?他の人も似たような理由だったでしょう。何が何でも打つべきと思ってた人は、寧ろ少なかったんじゃないでしょうか?マスクも『皆がマスクしてるから』じゃなかったですか?」と痛いところを突かれました。

「『皆がやってるから』って、楽ですよね。その楽さが染みついてしまうと、それがひどい結果をもたらさない限り、疑問を持たないんです、人は。そして疑問を持たないとずっと続けちゃうんです。でも○○さんは、今回のことでそれじゃダメだ、大変なことになると骨身に沁みたのでしょう?だからセッションを受ける氣になったんですよね」と。確かにその通りです。

「同調圧力が」と言い訳したところで、誰も私の体調の悪さや不安を取り除いてくれたりなんかしません。「皆が」「同調圧力が」に自分が逃げ込んでたんだと氣づかされました。

また「会社の仕事で、『上からの指示で』『上司がこう言ってるから』って言ってないですか?」と、ワクチン接種とは一見関係なさそうなことを質問され、ドキッとしました。「それも繋がってるんです、今回のことに」正直に言って、その時はわかったようなわからないようなでした。

「会社の指示を部下に出すときに、『何のためにこれをやるのか』『これをやることで、誰に、どのような良いことが起きるのか』を自分の言葉で言えるようにしてみて下さい。そして自分で納得がいかなければ、指示した人に質問してみて下さい。質問して、はかばかしい答えが返ってこないこともあるかもしれません。その時はそれをそのまま受け止めて、もう一度自分の頭で『何のためか』を考えてみて下さい」と、初回の宿題を出されました。

その時は当たり前のことのように思っていましたが、実際にやろうとすると、自分が如何に考えずに仕事をこなすだけになっていたかに氣づかされました。「何のために」を考えない方が楽なんですね。これを考え始めると、自分が指示されてやる仕事でも「こんなこと、やって意味あるのかな?」とか、そうした疑問を感じるようになりました。

ただ一方で、自分の言葉で「何のために」が言えるようになると、自信をもって指示できたり、間違ったことをやってる部下に注意するのを躊躇しなくなりました。娘たちへの躾も同様です。「何のために」が抜けていると、ただ「やらされた感」が溜まっていくばかりですね。そして相手が指示待ちに成ってしまいます。そして「言われたことだけする」になり、応用が利かない。毎回「これってどうしたらいいんですか」を訊いてくる人は、「何のために」を考えてないんだなと氣づきました。

そして段々と、ワクチンを流されて打ってしまったのは「何のために」がすっかり抜け落ちていた、自分の態度の結果だったのだとわかってきました。自ら情報収集をした人は、「何のために」の疑問があったのでしょう。どう考えてもインフルエンザよりずっと軽い、死者の平均年齢は平均寿命を超えている風邪のために、莫大な税金を投入して治験中のワクチンを全国民に打たそうとするのは、「一体何のために」と疑問があったから調べ抜き、だから拒否することに迷いがなかったのだと思い至りました。

ただ何となく・・だけでは、ちょっと押されてしまうと流されてしまう。何が「No」がわからなければ、「Yes」もわからない、そしてそれは本やネットの情報に答えがあるのではなく、何が「No」で「Yes」か、自分が選んでいくことなんですね。

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③ また、あえて最も心に残ったものを一つ挙げるとするなら何だったでしょうか?

娘たちが成人するまで生き延びられるか不安だ、と口にすると、「毎日不安がよぎっても当然でしょう」と受け止めて下さいました。ここでも安易な慰めを言われなかったことが、却ってホッとしました。「一方で、お嬢さんたちの存在がなかったら、今どうなってたと思いますか?」と質問されました。

「もしかすると、ワクチンのネガティブな情報は知るまいと、自分からシャットアウトしていたかもしれません。娘たちがいなければ、もっといい加減だったかも」と答えると、「お嬢さんたちが○○さんのところへ来てくれたのは、他の何にも代えがたいことですよね」と。本当に、私は娘たちがいなければ、薬害を見て見ぬふりをしてしまい、自分を奮い立たそうとはしなかったでしょう。或いは夫に同じ愚痴ばかりこぼしていたかもしれません。

「お嬢さんたちが成人するまでは何とか生き延びたい、という思いがおありでしょうね。それが○○さんの何よりもの心の支えなんでしょう。お嬢さんたちの成人後は、どんな姿を見たいですか?」「・・そうですね、花嫁姿が見たいです」「花嫁姿の後は?」「孫の出産の手伝いができれば・・。私の母がしてくれたように」「お孫ちゃんが生まれるのは、お子さんとはまた違う喜びみたいですね」私にとっては何氣ない会話だったのですが、その後が意外でした。

「お嬢さんたちの花嫁姿と、お孫ちゃんが生まれたのをイメージできるような、写真かイラストを探してみて下さい。それを今回の宿題にします」え!?そんなこと!?とちょっと驚きました。

その次のセッションの時に、ネット検索で探したイラストを見せました。「素敵ですね。ではこのイラストを、手帳とか、いつも目にできるところに挟んでおいてください。そして『私はこの場面を必ず目にする。そのために今日は何を優先するだろう?』と毎日自分に質問してください」と宿題を出されました。

大げさに聞こえるかもしれませんが、そこから私の日常が一変しました。自分の毎日はこのためにあるんだということ、そして「何を優先するか」を自分に問い続けると、物事の取捨選択がはっきりできるようになりました。まず自分の体調管理を最優先し、仕事を同僚に手伝ってもらうことや、いい意味での家事の手抜きをするようになりました。どちらかと言うと完璧主義だったのが、肩の力を抜くことがだいぶんできるようになりました。それも根拠があるから、自信をもって手抜きができるんだと(笑)。

一方で、それまでよりももっと、食品添加物や農薬などに氣をつけるようになりました。必ず食品成分表をチェックしていますし、自販機の飲み物も基本的にミネラルウォーターだけ買うように、自然となっていきました。

はっきりとした将来のイメージが湧くと「めそめそ泣いていられない。そんな場合じゃない」と思えるようになりました。そしてまた、未だ年若いお子さんを残して亡くなったお母さん方の無念も考えられるようになりました。薬害に遭う前だったら、ここまで「自分のこと」としては考えなかったでしょう。そうしたお母さん方の分まで生き延びて、子育てというかけがえのない仕事をするんだ、それが使命だと思えるようになりました。

その後のセッションで「孫が生まれた後は、パタンと死んじゃうかも」と冗談めかして言うと、「お孫さんが何人生まれるかわかりませんよ。そしてその頃には、今と同じように次に目にしたい光景を自分で探せますね?私のセッションを受けなくても」と言われました。

足立さんは、「セッションを受けなくなっても、その後ずっと、自分でやれるように」を考えているんだなとわかりました。足立さんはよく「自尊感情を高めるのはスキルであり、型です。その型をクライアントさんの課題と日常の実践を通して身に着けるんです」と仰っていて、その意味が段々わかってきました。だからこそ、HPの記事で再々「自分でやること、丸投げはダメ」と書かれているのだと。誰かが救ったり、治してくれる、心が弱っているとついそれを願いたくなってしまいますが、それは自分を信じていないし、自分を蔑ろにしていることなんですね。

④ 弊社の心理セラピーを受ける前と、受けた後とで、変化したことは何だったでしょうか?

「生きるべきWHYを知る者は、人生のほとんどすべてのHOWに耐える」セッションを受ける前に、HPで目にしていた言葉です。以前は何となく、わかったようなつもりでいましたが、今は毎日の実感になっています。娘たちの花嫁姿を見ること、孫たちの世話をすること・・勿論、彼女たちに良いご縁があってのことなので、結婚を強いるつもりはありませんが。

この薬害に遭わなければ、ここまで真剣には考えず、ただただ仕事と家事をこなすだけの毎日で、娘たちの成長を見られるのも当たり前に考えていたでしょう。今は毎朝、目が覚めると「今日という日を迎えられた」、眠る時には「今日という日を無事に過ごせた」と、誰に言われるでもなく心に湧き上がっています。まさに「一日一生」です。

そして時間を見つけて、娘たちに手紙を書くようになりました。母である私が「流されて生きた」過ちと、娘たちには決してそのような生き方はしてほしくないこと、自分の頭でよく考えることの大事さ、等々です。今は娘たちはまだ大人の文章が理解できる年頃ではないので、彼女たちが中学を卒業するころに、冊子にまとめて渡せたらな、と思っています。これも生きる目標の一つになりました。

足立さんにそれを報告すると、とても喜んで、励ましてもらえました。

セッションを受けることで、ワクチン接種をただ後悔し、不安に苛まれる日々にするのではなく、後悔や不安が消えてなくなったわけではないけれど、それをバネにして、生きる目標を見つけられたと思っています。

⑤ 弊社の心理セラピーを受けるのを迷っている方に、メッセージをお願い致します。

私と同じような後悔を抱いている人は、たくさんいると思います。まず体のことが優先ですが、後悔や自分を責める氣持ちで堂々巡りになっている人がいたら、是非セッションを受けてみることをお勧めします。

私は娘たちの孫の世話をするまで必ず生きる、と強く思ってはいるものの、やはり望んだとおりになるかどうかはわかりません。接種したことの後悔は消えませんが、だからこそ、今の毎日を悔いなく生きようとしています。このように氣持ちを整理でき、勇氣づけられたのは、セッションを通さなければ一人では無理だったと思います。

接種者、非接種者関係なく、誰にとっても人生は有限で、いつ終わりが来るのかは誰にもわかりません。残された毎日を悔いなく生きたいと望む人に、お勧めしたいです。

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1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。