①弊社Pradoの心理セラピーを受けようと決めたきっかけはどのようなことでしたか?
以前から自分は「0か100か」が強い自覚があり、周囲の人にも指摘されていました。でも「わかってはいるけど・・」で何をどうして良いかがわからないまま、月日が経ちました。
20代の内は職場での責任がまだ軽かったので、何とかやり過ごせても、30代に入って管理職になり、自分の面倒だけ見ていれば良いわけではなくなりました。
同僚たちは「ダメで元々じゃん」とか、「上手くいかなかったら吉本興業の人達みたいに『申し訳ありません!勉強させて頂きます!』って思い切り頭を下げれば済むことでしょ?命を取られるわけじゃなし」などと言うのですが、頭ではわかっても心からはそう思えない自分・・。
そうこうしているうちに、Pradoのサイトの「0か100か思考をやめるには・過度な一般化とナルシシズム」と「自分にダメ出しは実はナルシシズム・ほめられると否定する心理」の記事を検索で見つけました。ずいぶん痛いところを突かれ、でも「これは自分のことを言われてるな」と実感しました。
しばらくは、記事に書かれていることを自分なりにやってみようとしましたが、「これでいいのかな?」と今一つ自信が持てず「やっぱり一対一で、話をした方が良いな」と思い至り、セッションを申し込む決意をしました。
② セラピー・セッションの中で、印象に残ったものはどんなことでしたか?いくつでもお答えください。
足立さんは私の日常の悩みを聴いて下さった後、まず「どんな人でも、脳はざっくり考える方が楽。細かく詳細を認識する方が大変なんです。でも現実は『白か黒か』『0か100か』じゃないですね。脳を『グラデーションがあり、しかもマーブルになっていて動いているグレー』に合わせるのは、元々の特性に逆らうことなんです。
筋肉は使わないと衰えるのは皆同じですね。誰でも筋肉を維持増進するためには、日々の努力をし続けなければなりません。脳も同じなんですが、それを言う人が少ないんです」と説明されました。
「僕はずいぶんサボってきたんですね」と言うと、「細かく認識できる人は、育った家庭がそうだったか、人生のどこかの時点で『そうやった方が上手くいく』と学習したんだと思いますよ。小さな子供はクレヨンだって12色でしょう?ピンクは一つしかない、みたいな。大人になると、ピンクと一口に言っても様々なピンクがあるし、白も黒も、様々だってことがわかります。でも小さいうちはわかりませんね」と。つまり、後天的な努力次第だと励ましてもらえました。
足立さんは色々なたとえ話で説明してくれたので、「何故それが大事か」がわかりやすかったです。時にはご自分の失敗談も話してくれました。
「私はパンツ(ズボン)にちゃんとアイロンが当たって、折り目がナイフの刃のようになっているのが好きなんです。ですけど、うっかりアイロンを当ててなかったパンツを履いてた時があって、内心『しまった!』って自分に小さくイライラしてるんですね。クライアントさんはそんなことは氣にされないし、誰も『足立さんのパンツにアイロンが当たってなかったからセッションをやめます』なんて言わないのに。美容院で髪を切られ過ぎて、『当分家から出たくない!』とこの世の終わりみたいに大騒ぎしてる女の子と、五十歩百歩なんですね」と笑いながら話してくれました。
また以前足立さんが読んだ女性向けのコミックで、海外からのクライアントのアテンドを命じられたOLが、そのクライアントが計画通りではなく、自分が行きたいところへ行こうとする、それをその主人公のOLが、クライアントの希望を聴かずに自分の計画に合わせようとして、上司に叱られるという話もしてくれました。「君は相手を見ていない」と。
聴いていた時は「話は分かるし、面白いけれど、セッションと何の関係があるのだろう?」とピンと来ていませんでした。
その後、足立さんが感慨深げに「やっちゃうんです、誰でも。うっかりすると」と仰って、何かの意図があって話されたんだろうな、ということはわかりました。
そしてその日の宿題は「会社の人と話をする時に、相手が何を言わんとするのかを集中して聴く。そしてこちらから『こういう理解で間違いないですか?』と確認をする」というのを出されました。
その時の宿題は自分が意義がよくわかっていなかったこともあって、なおざりになってしまいました。そしてその次のセッションで「余りそういう機会がなかったので・・」と言い訳すると、足立さんはそれを叱るというより、前回のOLのアテンドの話の主旨を更に詳しく説明されました。
前もって計画を立てるのは当然ですが、相手の意向を無視して計画に合わせようとするのは、おもてなしになっていない。自分が(勝手に)作ったチェックシートに、チェックが付けば、自分が合格だと一人合点しているのだと。足立さん自身のパンツの話も同じだと仰いました。
その時やっと、「自分にダメ出しとは、自分が勝手に作ったチェックシートにチェックが付いているかどうかに自分が振り回されて、周囲のことをまるで見ていない態度だったんだ」と氣づきました。
この宿題の意味は、「相手をちゃんと見ていますか?」を実践できているかどうかだったんだと、やっと氣づきました。自分にダメ出しも、自分に厳しいつもりになっていたけれど、それこそ足立さんのパンツの折り目の話と同じで、「それは相手は求めていない」ことに自分が躍起になっていないかどうか。努力するポイントが違っていないか、そこを見直す必要があると、当たり前のことなのに当たり前にはできていないと氣づかされました。
そして「0か100か」も全く同じだったと。誰にとっての「100」なのか、自分で「100」と思っていても、相手にとってはそうではない、逆も然りですね。それがすっかり意識から抜け落ちていました。
③ また、あえて最も心に残ったものを一つ挙げるとするなら何だったでしょうか?
その日のセッションは「頑張っている自負がある人ほど、自分が作ったチェックシートに自分が縛られてしまう」というテーマになりました。
そして「もし、○○さんが、チェックシートに完璧にチェックが付いたら、どう感じますか?」と質問され、「ホッとして、安心します」と答えました。私にとっては当たり前の答えですが、足立さんの返しは意外でした。
「安心って、曲者なんですよ。人が安心を求めるのは本能ですが、この安心が『安心できた氣分』でしかないことが、とても多いんです。その氣分に浸ると、実際はどうかという検証を、中々人はしないんですね。例えば○○さんの会社でも、上の人が安心するためだけの資料作りをさせられるってないですか?」と。
確かにあります。そして私も含めた同僚が、それに不満を抱いていることも。足立さんは続けて「だからこそ、不安の耐性を高める習慣がとても重要なんです。不安を感じなくなったら人は死にますから、『これで耐性が充分高まった。もう一生取り組まなくて良い』ことはありません。自分は何に不安がっているのかの中身を検証すること、そして『それをやって実際にはどうなのか?』を検証すること、これもPDCAサイクルのC、チェックなんです」
不安を消すのではなく、耐性を高める不安を感じやすい人ほど、「不安を感じたくない、不安を消したい」と望みがちです。もっともな心情ではありますが、現実には不可能です。何故なら、不安は恐れから生じ、恐れは私たち人間が生き延びるた[…]
ここでPDCAサイクルを聞くとは思っていませんでした。PDCAサイクルとは仕事で使うものだと思い込んでいて、心のあり方にも適用するとは考えたことがありませんでした。
足立さんは徹底して、「現実にそれをやってどうなのか?」を検証する、その習慣の意義を伝え、私に身に着けさせようとしていました。
そして「偽の安心感で自分をごまかしてしまわない」ことも。それをすると、自分はそのつもりはなくても、知らず知らずのうちに相手に不誠実なことを結果的にしてしまいます。OLのアテンドの話が良い例です。例のOLは上司が叱ってくれたから良かったものの、実際には「自分にはそのつもりはなくても、結果的に不誠実で相手を傷つける」ことはたくさんあるだろうと思います。
また「本当は意味がないとわかっているのに、マスクをして安心したような氣分になる」ことを、足立さんがサイトの記事の中でも再々戒めていたことも、同じなのだとわかりました。それをすると、「手っ取り早く偽の安心感で自分をごまかそうとする」癖がつき、葛藤耐性が下がるばかりで、結果現実と向き合えなくなるのだと。
もう一度改めて、「相手の話の確認をする」宿題に取り組むと、「自分にダメ出し」も「0か100か」も、自分の頭の中にある世界、現実ではない観念の世界に、自分が囚われていたと段々わかってきました。何だか無駄なエネルギーの使い方を長い間してきたんだなあ・・と、悩んでいたようで、一体何をやってきたのかと少し自分をおかしく思えました。
そして「現実と照らし合わせて考えるようになると、『自分がダメかどうか』を考えなくなったし、『0か100か』ももっと考えなくなりました。無駄なエネルギーは使わなくなって、氣持ちが落ち込むことはなくなったけれど、現実と照らし合わせるって、すごく疲れますね。自分が勝手に作ったチェックシートにチェックを入れていた方が、寧ろ楽だったかもしれないです」と話すと、足立さんは嬉しそうに「そうでしょう?毎日筋トレやウォーキングをするのと一緒で、疲れるんです。でも、筋トレをせずに体がしんどい、しんどいと言っているのとは違うしんどさでしょう?この差がわかると、後は自分でやるようになるんです」と答えられました。
④ 弊社の心理セラピーを受ける前と、受けた後とで、変化したことは何だったでしょうか?
「自分にダメ出し」「0か100か」が、如何に意味のない事だったか、それは実践を通じなければ、言葉で聞いただけではわからなかったと思います。
意識のベクトルが180度変わりました。「現実と照らし合わせて考える」のは、自分の外側に意識のベクトルを向けることで、「自分にダメ出し」「0か100か」は、内側に意識のベクトルが向いている。その差を実感しています。
「今の自分の選択は、相手にとって、周囲の現実にとって、どうなのか」という観点を持つと、流動的な現実に対して、100点満点などあり得ないし、「押さえどころさえ押さえておけば、後はOK」「同じことを言ったりしたりしても、相手や状況によって結果は変わる。それはやってみるまでわからない」と、以前から上司・先輩方から散々言われてたことがやっとわかりました。
私が「前々から上司や先輩に言われてたことなんですけど、ここのセッションを受けるまでは腑落ちしていませんでした。何故でしょうね」と尋ねると、「上司や先輩方は、皆お忙しいですし、○○さんの話を、2時間なんの横入りもなく聴くことはできませんね?他にやらなければならないことはたくさんありますから。クライアント様一人一人のプロセスを聴いて、クライアント様の日常の中で『何故、それに取り組まなければならないのか』を腑落ちした上で、実践してもらうには、充分な時間を掛けた対話が必要なんです。私は様々なたとえ話でお伝えしましたが、これもストックが必要です。今の管理職の方が、そこまでする時間的、精神的余裕がなくなっているのも、無理はないと思いますよ」
そしてまた「現実と照らし合わせて判断選択する」ようになると、断ることに躊躇しなくなりました。以前は「人から悪く思われたくない」打算が働いていて、勝手に罪悪感を持ってしまっていましたが、これも相手や状況を見ていないんですね。自分の都合で自分が振り回されていました。安請け合いしないのは、「今のこの状況において、それを引き受けることが良いことか?」を考えた上でのことですから、断った相手の氣持ちに配慮することと、迎合して言いなりになることは全く違うと実感しています。
断っても「ごめん、今は○○で」と根拠を持って説明すれば、大抵の場合は「仕方がない」と理解してくれます。そして仮に相手がそれで機嫌を損ねても、そのことに罪悪感を持たなくなりました。「もうちょっと丁寧に説明した方が良かったかな?」と反省はしても、相手の感情のお守りはしない、その差がわかるようになりました。
世の中には断られたことに逆切れして嫌がらせをしてくる人もいます。そのことに良い氣持ちはしませんが、「そういう人」と放って置ける、課題の分離がしやすくなりました。以前なら、「自分が悪かったんだろうか?」とか、「何であんなことをするんだ」とか、自分や相手を責める氣持ちを引きずっていたと思います。されて嫌だったことはその感情を否定しないことと、その分精神的な距離を開けて巻き込まれないようにする、そうやって「それは相手の人格の問題、僕が引き受けることじゃない」と自然と考えられるようになりました。
以前は考えているようで考えていませんでした。戦略的に頭を使い、自分の感情を大事にすると、無駄なエネルギーを使わなくなり、反省はするけれど、無闇に自分を不甲斐なく思って蹴り飛ばさない、この違いがわかりました。
⑤ 弊社の心理セラピーを受けるのを迷っている方に、メッセージをお願い致します。
昔から言われている当たり前のことが、自分のものになるのは日常の中での実践と、「何故それをするのか」の意義目的が腑落ちする必要があります。この意義目的が腑落ちするのも、単に話を聴いたり、ネットの記事を読むだけでなく、実践を通し、様々な失敗や成功の両方の体験を積んでようやくわかります。
そして小さなことからしか実践できない、その小さなことが凄く大事なんだということも。
Pradoの心理セラピーは、セッションさえ受ければ劇的に何かが変化するというものではないです。それはそのような氣分に浸っているだけで、ロックコンサートの高揚感みたいなものですね。
着実に自分だけの力になり、結果人と比べたり、人からどう思われるかを最初から考えないようになりたい人にも、Pradoの心理セラピーを是非お勧めしたいと思います。