心理セラピーは症状がなくなること以上のもの
心理セラピーの目的とは、そもそも何でしょうか?セッションを申し込まれる際には、何らかの「困ったこと」を解消したくて申し込まれる筈です。
勿論「お金さえ払えば、自分を否定されることなく、誰かを独り占めして好きなことを話せる」「セラピストに常日頃の鬱憤をぶちまけたい」「かわいそうな私をかわいそうがってもらいたい」という目的もあるでしょう。そうした目的の方は、弊社のセッションは長続きしません。毎回必ず宿題を出しますし、次回セッションの冒頭で「宿題をやってみて、どんな氣づきがありましたか?」と私から訊かれるのが、段々嫌になって来るのでしょう。
「困ったこと」の解消が、症状がなくなることであれば、心理セラピー以外の療法が効果を上げる場合もあります。昨今では、身体のみならず、うつを始めとした精神的な不調も質的栄養失調が原因になっていることが知られるようになりました。ドーパミンやセロトニンなどの脳内伝達物質は主にはタンパク質、そしてナイアシンや鉄などのビタミン、ミネラルが原料であり、これらの栄養素が足りないとうつ症状を発症してしまいます。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
生命の基本 タンパク質 タンパク質とは何でしょう? 生命の根底をつくる最も大切な栄養素、それがタンパク質です。…
kotetsutokumiさんのブログです。最近の記事は「汗をかく夏こそ塩化Mg入浴が必要(2025年版)(画像あり)」…
心理セラピーの目的は、「症状がなくなること」以上のものです。
「誰もが他人を責め、そうすることで責任を逃れようとする」エーリッヒ・フロム
他では話せない、胸の内に抱え込んでいた悩みを一旦吐き出してしまうのは、それは目的というより、事実を客観視するための下準備のようなものです。また、一人で抱え込むと孤立感が深くなります。孤立は苦悩を深めます。セラピストでなくても、信頼できる誰かに話を聴いてもらうことは、自分の心が壊れてしまわないための大切なプロセスです。
但し、一旦氣持ちを吐き出して、感情と思考を整理し、起きた出来事を「距離を取って」眺める。そして不要な思い込みを解除し、傷ついた自尊心を回復しつつ、適切な「No」を言うなどの新たなスキルを身に着けて行くことと、「他人や時には自分を責めて、責任から逃れようとする。その自分を他人に肯定してもらおうとする」のは全く似て非なることです。
見出しのフロムの言葉を、やったことのない人はいないでしょう。自我が未熟な人ほど、「責任逃れをしたくて、誰かや何かをバッシングする」のです。また自分をただ責めて、反省や改善にならないのは、他人を責めるとその相手から反撃されるのが怖いから、自分を責めて見せれば「そんなことないよ!」と同情を引けるからでもあります。
道義的責任は自分にはないことであっても、対処する責任は大人である以上ついて廻ります。また選択責任は大人は自分にあります。選択した結果は、どんなに理不尽なことであっても自分しか負えません。だからこそ私たち大人は、判断力を磨き、同調圧力などの、圧力をかけた方は決して責任を取らないことには断固として抗う胆力を鍛える必要があります。
正義感や道徳心を失ってしまえば、もう人として終わりです。しかし、ただ「怪しからん!」だけで反応的になり続けるのも、成熟した大人の態度とは言い難いでしょう。「あいつ怪しからん!」に終始していれば、ともすれば「私は悪くない。あいつが改心しろ。私に良きにはからえ」の「私は状況の被害者」になってしまいます。
道徳心や正義感は、反応的な速い思考です。道徳心や正義感は保ちつつ、「大難を小難に」できれば良しとする。そのために自分が具体的に何をするのかを考えるのは、遅い思考です。例えば「その人のあり方はその人の問題。私の境界線の外にあるもの」「嫌悪感や怒りは自分の境界線を侵害されたサインとして受け入れる。『嫌な氣持ちにさせられた』の被害者意識に嵌り込むのではない」などの考え方も遅い思考です。遅い思考は意識的に鍛えなければ使えません。
心理セラピーは、この具体的な実践を通して、良心や広い視野に基づいた正義感や道徳心が自分の歯止めになりながら、「まあ、何とかする。何とかできる」その自分を養っていく場でもあります。
「家庭や子供を逃げ道に、今まで作った引き出しだけで終わらせようとしていた」北翔海莉
宝塚歌劇団の元星組トップスター北翔海莉さんは、中学の担任の先生に「あなたは背が高いから、宝塚音楽学校を受験してみたら?」と勧められ、何の準備もしていなかったのに合格してしまいました。ですから、成績は最下位で、辛くて辞めたいと何度も思ったそうです。しかし、努力の結果、潜んでいた才能が開花し、入団後は超遅咲きとは言え、トップスターになれました。
北翔さんは長年多くのファンから愛されていたスターでしたが、「辞めたい」と悩む心と、「やってみなければわからない」チャレンジする心との葛藤の連続だったそうです。
リンクの記事は、トンプコンビを組んだ 妃海風(ひなみふう)さんとのインタビューです。
退団後、北翔は松竹新喜劇の藤山扇治郎と結婚。男児出産後も舞台に立ち続けたが育児との両立に悩むこともあった。芸能生活25周年の舞台が終わった一昨年、「やりたいこともやり尽くした。ここで辞めようかな」と思った。
その頃、妃海も活動を休止し、自分を見つめ直していた。北翔は彼女にステージに戻るよう説得しながら、自分が引退を考えていることの矛盾に気づいた。「家庭や子どもを逃げ道に、今まで作った引き出しだけで終わらせようとしていた。私も、もう一度立ち上がろうって決心した」
【読売新聞】 宝塚歌劇団の星組の元トップスター、 北翔海莉 ( ほくしょうかいり ) と元トップ娘役、 妃海風 ( ひな…
引退して育児に専念するのが良いとか、育児を両立させながら芸能生活を頑張るのが良いとかは、他人が決められることではありません。自分の心に嘘をついていないかが問われます。「家庭や子供を逃げ道にしていた」その自分は、自分しか氣づけません。家庭や子供を逃げ道にするのは、家族にも、そして誰よりも自分自身に対して失礼なのだと、それはこの悩みを通してこそ悟れたことでしょう。
どちらを選んでも道義的に責められることではないからこそ、自分と深く向き合わなければ、「言い訳をして逃げる自分」に氣づけなかったでしょう。しかしそれは、痛い経験ではあっても、自分のエゴからの解放なのです。
人は自分の最大の課題から逃れようとする。意識的にせよ、無意識的にせよ
妃海さんが北翔さんを大変深く尊敬していることは、この記事にも現れています。そうした人望の厚い北翔さんでさえ、その時その時の、自分の本当の課題から、様々な言い訳をして逃れようとする、人間はそうしたものかもしれません。
但し、逃げたツケは必ず回り回って返ってきます。例えば、2025年夏現在、お米不足と高騰が問題になっていますが、根本原因は長年の減反政策と、農業従事者の高齢化です。それは一つには、消費者の無関心と不勉強のツケが、今になって回ってきたのです。
個人の精神史においては、他人から見れば「それから逃げたらダメでしょ?」とハッキリわかることと、例えば親から巧妙に自尊心を傷つけられ、本人も、まして周囲の人も氣づかないこととに分かれます。この二つが入り混じっているケースも多いです。
人間の三大悩みは、お金、健康、人間関係と言われます。人はえてして、対症療法で何とかしのごうとします。例えばお金なら、当座は節約したり、宝くじを買うなどです。しかしもっと根本には、「お金がないと不安」「お金さえあれば、とりあえず安心できる」という、欠乏を恐れる心があるかもしれません。この欠乏への恐れが拭えないと、一時的に収入が増えても、結局は欠乏が実現してしまいます。
欠乏への恐れからお金を貯めこもうとするのと、「何かの目的のために貯金をする」「いざと言う時のための貯金はある程度するけれど、生きたお金の使い方もする」のは、心のあり方が異なります。「健康のためなら死んでもいい」健康オタクと、健康に留意はするけれど、健康はあくまで生き生きと生きるための条件と捉えるのと相似形です。
また人間不信が強い人は、人を信じられない分、お金に執着します。人間不信をごまかすために、お金に頼ろうとしています。この場合、その人の最大の課題は人間不信を解消することです。しかし、お金に執着し続ける間は、自分の人間不信に向き合おうとは中々しません。
人間の一生は長いようで短いです。歳を取れば、氣力体力はやはり衰えます。自分と向き合うのはそれなりにエネルギーが必要です。そしてまた、人の脳はどんなに破滅的なことであっても同じことを繰り返すのが楽という特性が、万人にあります。これを断ち切るのは本氣で反省するしかありません。その反省は、ただただ自分を責めることに終始するのと異なり、勇氣が要ります。この勇氣は愛の条件の一つです。反省は誰もがすることではありません。
心理セラピーは、悩みの中から自分が真に取り組むべき課題を深く見つめ、これまでとは違う選択ができるための反省をし、自分に正直に生き、自分を愛するとはどういうことかを実感することを、セラピストと共に行っていく場なのです。