【ケーススタディ】傍観という無責任・片方の親の虐待を止めない親

父/母の暴力を止めない母/父

暴力にしろ、暴言にしろ、多くの場合、片方の親が子供を虐待し、或いは巧妙に自尊心を傷つけますが、もう片方の親はそれを止めようとしないことがままあります。傍観者になっていることが多い傾向にあります。

何故傍観者になるのかは、一言で言ってしまえば自己保身と言えるでしょう。情けないことではありますが、我が子よりも自分が可愛いのかもしれません。夫/妻からの報復が怖いとか、生活を夫の経済力に依存しなければならないなどの理由があっても、結果的に子供を見捨てていることには、結局のところ変わりありません。

しかし、子供がそのように氣づけるのは、客観的な判断ができる年齢になってからに、どうしてもなりがちです。沈黙することで「いなくなってしまう」もう片方の親に意識が向かなかったり、おろおろしているだけの親を、自分と同じ被害者だと捉えていることが大半のようです。それは、両親揃って、親として失格であるという惨めな現実を認めずに済む、ここでも「事実の否定」が起こってしまいます。

スーザン・フォワードのクライアントだった43歳の営業職の男性は、子供の頃、母親から暴力を受けていました。彼は美術や音楽が好きな繊細な性格だったそうですが、母親は「女々しい奴」と言って馬鹿にしていました。それだけでなく、手近な物を使って叩き、その男性クライアントはそんな母を恐れて押し入れに隠れていました。

いつも一人で泣いていると、父が来てなぐさめてくれた。母の癇癪と暴力についてはなすすべがないのだと父は言い、「可哀相に」と言って抱きしめてくれた。そして、もし私がもっと努力すれば、状況はもっとよくなるかもしれないと言うのだった。私はそういう父が大好きだった。父は家族のために一生懸命働いていたと思う。父はいつも一貫して温かい愛情を注いでくれていたと今でも信じている。

大人になってから、子供時代のことについて父に話そうとしたことは何度かあるが、その度に「もうすんだことだ」と言うだけだった。今更父を嫌な氣分にさせることに、一体どんな意味があると言うのか。問題は母親にあったのであって、父ではない。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」下線は足立による

「人は見たいように見、聞きたいように聞く」と言いますが、子供が親をかばう心情の根強さが如実に現れています。母親から暴力を振るわれている幼い息子に対して、「お前がもっと努力するべきだ」は、「それは父親であるあなたの役目でしょう!?」と思うのが常識的な感覚ではないでしょうか・・?このクライアントが、というよりも、人は身近な、しかも失いたくない関係性の相手に対して、ここまで事実を捻じ曲げる、その典型的な例のように思います。

自分を守らない親をかばう子供・親子の役割逆転

フォワードはこのクライアントについて、以下のように解説しています。

こうして彼は父を弁護し、問題への父の関与を否定した。それは、「父と過ごした愛情の通い合った時間」という、子供時代の唯一の幸せな記憶をそのままにしておきたかったからである。だが、酷なようなだが、真実を言うならば、彼は怯えた子供だった時に慰めてくれる父にしがみついていたのと同じように、今も怯えた大人としてその時の記憶にしがみついているだけなのである。暗い押し入れに隠れたまま外の現実を見ないでいる限り、彼は真実を正面から見据えることができるようにはなれないのだ。

前掲書 下線は足立による

本書の全編を通じた迫力は、フォワードのこの「真実に向き合わせる態度」に尽きる、そのように私には感じられます。それは勿論、甘くやさしいことでは決してありません。フォワード自身に「目をそむけたくなる人間のおぞましさ」から逃げない胆力があればこそだったでしょう。結果を出せたクライアントは、このフォワードの胆力に支えられ、そしてそれを自分のものにできた人達だったのかもしれません。

この父親は、自分の責任を全く放棄し、そして子供にかばってもらっています。ここでクライアントが父親の親をやってること、即ち親子の役割逆転が起きていることが見て取れます。それをやり続けていれば、クライアントは自身の人生を生きられなくなってしまいかねません。しかし、自分ではそれを父親への愛と履き違えてしまっています。

氣づけない子供自身の怒りの行先

このクライアントのように「親の親」をし、父親をかばい続けていれば、自分自身の怒りを自覚できず、その怒りは心の奥底に抑え込まれてしまいます。どんなに見て見ぬふりをし続けたところで、子供はやがて分別盛りの大人になります。「10歳にもなれば、長男以外の子供は奉公に出され、読み書きのできない親も子も、どうかすればそれっきり」だった昔と違って、現代は成人後も親との関係が密になりがちです。子供が働き盛りになり、そしてそれに反比例して親は衰えてくることを、親自身が受け入れられないと、益々子供の自尊心を傷つけるようにもなることがあります。

「誰でもない自分の親に、自尊心を踏みにじられてきた」ことを自覚できず、そして「この怒りは親へ向ける。関係ない他の人に撒き散らさない」節度を持たないと、関係のない、特に立場の弱い他人、もしくは家族、或いは自分自身に怒りの矛先が向かいかねません。

全国の刑務所は、子供時代に親から暴力を振るわれて育ち、内面にたまった怒りを適切な形で表現する方法を教えられなかった人間たちで一杯だ。

一方、怒りを自分自身の内面に向けた場合には、体の反応となって現れる。慢性的な頭痛、いつも体がだるい、いつも胃腸の調子が悪い、胃潰瘍、うつ病などがよくあるパターンである。本人は爆発しそうな”何か”を内面に抱えていることはわかっても、その”何か”が何なのかわからない。

前掲書

更には、思考停止の言いなりになることに、自ら「味を占め」、従順な家畜でい続ける、それが令和の日本で起きていることだと私は観察しています。3年以上にわたる「一億総マスク」、8割の日本人が「言われるがまま」治験中のワクチンを打つ、一億総自己虐待としか言いようがありません。日本人が「No」を言えない、言わない、抗わない。自尊心、自尊感情が如何に低いかが、このような形で露呈してしまいました。

「身近な人への怒りは、親への怒りが反応しているのかもしれない」と立ち止まって考える

この記事を探し出して読まれている方は、刑務所に入るようなやり方で、自分の怒りを発散したりは勿論しない人達でしょう。しかし、日常の「ありがちなこと」に、その怒りの出口を知らず知らずのうちに、無意識のうちに、見つけ出そうとする、それはこの記事を書いている私にも起きていることです。

頭の顕在意識では否定しつつ、しかし心の奥底に押し込められた怒りは、親ではなく身近な人々への次のような怒りとして現れることがあります。身近な人々、それは配偶者や子供、恋人や友人、職場の人々、同業の人々、或いは世の中一般や、政治家や芸能人なども対象になります。

  • 「どうして聞く耳を持とうとしないのよ!大事なことなんだからスルーしないで!」
  • 「辛さや悩みを訴えても、いつだって悪いのは私にされるじゃん」
  • 「いつも私に決めさせて、自分は決めずに逃げてたら楽だよね?それ卑怯じゃない!?」
  • 「あんたが大事なのは私じゃなくて、自分の世間体なんでしょう!?」

他にもたくさんあるでしょう。上記はほんの一例です。

身近な人々に、いつも同じような鬱憤を抱えていないでしょうか・・・?確かにその人達は「悪い」ことをしているのでしょう。それと同時に、上記のような言葉は「親に向かって本当は言いたかったこと、わかって欲しかったこと」だったかもしれないと、立ち止まって考えてみる、それは時に勇氣が要ります。自分の悲しかった子供時代を振り返るのは、その辛い感情を追体験することでもあるからです。

或いは、配偶者に不満を募らせ、愛していないのに「一緒にい続ける」のは、単に子育てや経済的理由だけでなく、「親に立ち向かうのは面倒だし怖いから、やりやすい相手を捌け口にし続ける」ためであることも非常に多いのです。元々は赤の他人だった配偶者を、一生「サンドバッグにし続ける」人生を自ら送ってしまいます。当然のことながら、これをして自尊感情が高まることは、やはりありません。

フォワードが「親との対決は必要である」と言いきる理由だと思います。しかし、この「毒になる親」がアメリカで上梓されたのは1989年であり、まだインターネットもSNSもなかった時代です。今の時代だと、復讐心を掻き立てられた親、もしくは「家族の均衡を壊した」と逆恨みしたきょうだいが、匿名でネット上に中傷する危険性が充分にあります。自分がインターネットを使って集客などをしている場合は、精神的ダメージだけでなく、経済的にも打撃を受けるかもしれません。

ですので、私個人としては、親との直接対決は積極的には勧めません。その代わり、「まだ自分の中に親への怒りが残っていた」場合は、その度ごとに「怒りを外へ出し、『それは親への怒りなのだ』と認識し直す」作業を、機が熟した折に、面倒がらずにやって頂けたらと思います。

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勇氣のなさは愛のなさ・勇氣を養うことの意義

傍観者だった親は、どんな理由があったにせよ、結果的に悪事に加担したことには変わりはないでしょう。そしてまた、更に厄介なのは自分に良心の呵責がほぼないことです。子供を殴る、叩く、それはやっては勿論いけないことですが、その自分への嫌悪や情けなさを感じ、後悔することも、まったくないとは言い切れません。しかし傍観者になって逃げる親は、「自分も被害者」という隠れ蓑をまとえる意味においては、寧ろより卑怯だとも捉えられます。専門家や、理解ある親戚等の力を借りてでも、我が子を守る責任は傍観者の親にも当然あって然るべきでしょう。

私たち人間は皆恐怖に弱く、足が震えて腰砕けになることもやはり起こります。しかし責任ある私たち大人は、それを言い訳にして愛を遂行することから逃げてはいけない、少なくとも、踏みとどまろうとする努力は必要だと思います。それは、次世代に負の遺産を残さないという、最低限の責任を果たそうとすることこそが、大人の矜持だからです。

勇氣を養うには、二つの道筋があると考えています。一つは「ちょっと面倒、ちょっと怖いけれど、これならやれる」小さな一歩を自分で探して、踏み出し続けることです。

もう一つは、良心に基づいた自分の信念を磨き、「自分を裏切ることは死ぬよりも辛い」その自分を育てることです。毎回書くことですが、これらも「誰かにはできて、誰かにはできない」ことでは決してない、誰にでもその道は開かれている、そのように私は考えています。

 

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