「これってどうなの?」と疑問に思う力・「考えさせない」洗脳サイクル

問題を問題視しないと、人は問題に取り組まない

何でもそうですが、問題があることが問題ではありません。問題とするべきことを問題視しているかが重要です。しかし一方で、人はそれよりも目先の安楽さ、ストレスがない方に飛びついてしまい、「ストレスがないから問題がない」と勘違いします。

以前、ある受験生のお母さんとの会話で、私が受験生だった頃、模試でD判定を貰って職員室で泣いた話を何気なくすると

「泣くぐらいじゃないとダメなのよ!うちの子はDでもEでも馬耳東風なんだから・・・」と言われました。

職員室で泣いていた当時の私は、まるでこの世の終わりかと思うくらい深刻に悩んでいたのですが、客観的に見れば「D判定でも馬耳東風の方が、事態はもっと深刻」です。

人が「説教をしたくなる」のはこういう時です。「あんたわかってるの!」「ちょっとは落ち込め!」しかし本人がその気にならないと事は上手くいきません。言われた時に「しぶしぶ従う」ではすぐに元の木阿弥になってしまいます。

自尊感情の中身に問題解決能力があります。問題解決能力とは、解決の手段をあらかじめ知っていることでは必ずしもありません。寧ろ前もってはわからない事がほとんどでしょう。

問題が生じた時に「何とかする、何とかできる」と思える自己有能感と同時に、「問題の芽が小さいうちに摘み取れる」観察眼、視野の広さ、怖くても事実と向き合える葛藤耐性も含まれます。

「問題とするべきことを問題視しているか」は裏返せば「大事にするべきことを大事にしているか」です。

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これも当たり前のようで、当たり前にはできない、うっかりすると失ってしまう能力です。

何を疑問視し、問題視するかで人生は決まる

問題解決能力が高い人とは、「問題の芽が小さいうちに摘み取れる」人です。凡人にはわからない小さな芽を見逃さないのが達人であり、小さなうちに手を打ってしまうからこそ、「すごいことをやったようには」周りの人には思えません。「名将は名将を知る」「名人は名人を知る」と言われる所以です。

「問題の芽が小さいうちに」氣づくとは、「あれ、おかしいな」「これはどうなんだろう?」と疑問に思うことです。人は一旦疑問に思ったことを、そのままにしておくのは氣持ちが悪く、落としどころを探そうとします。しかし、当たり前と思ってしまえば、疑問に思うことはしません。

ひとつの職場に長年どっぷりの人より、新たに配属された人の方が、フレッシュな目を持っていますので「これはどうなんだろう?」と氣づきやすいのはこのためです。

そして目先のことだけではなく、長期的視野で考えられないと「問題にするべきことを問題視」しません。2020年のコロナ騒動の初期、緊急事態宣言を出すことに猛反対していた人は、「こんなことをしたら連鎖倒産が起こり、自殺者が出る」と先々のことを読めていました。案の定、経営体力の弱いところからバタバタと倒産していきました。そしてあまり大きくは報道されていませんが、立場の弱いシングルマザーの親子心中など、痛ましい自殺は今もなお後を絶ちません。

緊急事態宣言を出せ出せと言っていた人は、「自分は毎月給料や年金が出るから生活は困窮しないし、自殺はしない。それよりも自分がコロナに罹るのが怖い」だけで反応していました。

子供のマスクも同じことで、目先の「マスク警察に絡まれたら怖い」「他の人と違うことをするのが怖い」か、「子供にしっかり酸素を吸わせないと心身の発育に取り返しのつかない害を及ぼす」のどちらを問題視しているかで、子供にマスクをさせる、させないが変わってきます。

人は能力や社会的地位、年収などで人を推し量りますが、それらはあくまで副産物です。「何を問題視しているか」で既に人生は決まったものと言っても過言ではないでしょう。

コロナの嘘を見抜けた人は、2020年の段階で「こんな前代未聞の休業要請やら、一斉休校やらをやらなければならないほどの感染症なのか」「日本には結核などもっと深刻な感染症があるのに、何のためにこんな前代未聞のことを、国を挙げて、全世界中でやるのか」と疑問に思い、自ら調べた人です。

「考えさせない」恐ろしさ・洗脳サイクル

以下の図は「洗脳サイクル」と言って、人が物事を疑わず考えず、鵜呑みにしてしまうと自分から洗脳を深くしてしまうメカニズムです。

TVが洗脳装置と言われるのは、「考える隙を与えない」からです。朝昼晩と流れている情報番組は、仮に「え!?これおかしくない?」と視聴者が一瞬思ったとしても、すぐ次の話題に移り、考えさせる暇を与えません。そして「疑って、考える」のは時間がかかり、鵜呑みにするのは一瞬です。

またTVのコメンテーターは自由に発言しているわけではなく、「番組の意向に沿った、視聴者に『こう思わせたいこと』」しか言えません。ましてスポンサーやその上の電通の意に沿わないことは絶対に言いませんし、言えません。しかし、そうしたからくりを知らないと「この有名人がそう言ってるのだから」と、権威に弱い人ほど説得されてしまいます。

自分で考えさせない、あらかじめ決まった答えを解答させる教育や、「これが常識、ルールだから」で押し通すのも同じです。常識やルール、マナーは、交通ルールやスポーツのルール、食事のマナーなどのように、「お互いのため」になっていなければ、健全なものとは言えません。子供の心身の発育を著しく阻害するマスクや、黙食などは「マナー、エチケット」の仮面を被った人権侵害以外の何物でもありません。

思考放棄したロボットではなく、人間でありたければ、私たちはもっと、自分の頭で考える必要があります。情報過多になればなるほど、人は自分で考える頭のスペースをなくしますから、どんどん馬鹿になってしまいます。小さいお子さんをむやみに塾やお稽古漬けにすることには、私は反対です。発育途上の子供の脳こそ、その子本人が自由に感じ、考える時間がたっぷり必要です。それが自尊感情に不可欠な自発性を生み出すからです。

ところで、心理セラピーでは上の図の「疑わない・考えない」の反対、普段考えてはいないことを「考えてもらう」ことをやっています。ですから、クライアント様にもそれなりのエネルギーが必要で、疲労困憊している時は、まず休養してくださいとお願いしている所以です。

思い込みを疑って解除する、別の表現で言えば氣づきを得る、それはその人本人にしかできません。私はあの手この手で「クライアント様ご自身が考えて、思い込みの枠を広げるお手伝い」「氣づきのヒントの提供」をやってるだけなのです。

「勉強したいと思うのが人間」

当然のことながら、全ての人が心理セラピーを受けるわけではありません。心理セラピーなどなくても、自分で洗脳サイクルを解除し、氣づきを得て行く、本当の勉強をし続ける人もいます。

人間の学習の動機には、①食欲を満たす、②より魅力的な異性を得て、優秀な子孫を残す、③恐怖を避ける、④好奇心を満たすの4つがあると言われています。人間の脳も、他の生物と同じく「生き延びて、子孫を残す」使命のためにあるからです。年頃になった子供が、誰も教えようとしないのにお洒落に精を出すようになるのは、②の動機のためです。

食欲を満たすためや、恐怖を避けるために学習し続けるのは限界があります。よくやってしまう「脅して」勉強させようとすると、その時はやったとしても、勉強が苦痛の対象になってしまいます。賢い教師は、子供の好奇心を刺激して、自ずと学ばせようとします。

「先生、どうして勉強するんですか、あたしたち。先生、この前言いましたよね、いくら勉強して良い大学や良い会社に入ったってそんなの何の意味もないって。じゃあ、どうして勉強しなくちゃいけないんですか」

「いいかげん目覚めなさい。まだそんなこともわからないの。勉強はしなくてはならないものではありません。したいと思うものです。

これからあなたたちは、知らないものや、理解できないものにたくさん出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにもたくさん出会います。

その時、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。

(略)

好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。
勉強は受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするのです」

TVドラマ「女王の教室」

この「女王の教室」が放映された2005年は、まだ氣骨のあるTVマンがいたのでしょう。今よりも言論統制され切っていなかったのだと思います。

犬猫や猿など、高度な哺乳類にも好奇心はありますが、人間のように、科学や芸術を発展させるような、無限の好奇心は持ち合わせていません。

そして好奇心や探求心が、洗脳サイクルを断ち切るための「疑い、考える」原動力になります。好奇心や探求心を失った子供、そして大人は、変化を起こす氣力がそもそもなくなるので、誰かや何かに言われるがまま、自ら創意工夫をしようとせず、そしてどんなに悪い世の中になっても、それをそのまま疑いも反発もせず受け入れてしまうようになります。

それが人間牧場の家畜になるということです。自尊感情豊かに生きることとは正反対です。高級外車に乗ってようが、タワーマンションに住んでいようが、自覚のない家畜はたくさんいます。

現実と向き合う耐性・「知らぬが仏」のまま自滅しないために

「何を信じていいのかわからない」という言葉を時折聞きます。未来の予測は悲観論から楽観論まで色々ありますし、誰しも神ではないので100%どんぴしゃりの予測はできません。もしそれがあれば、それは予測ではなく計画です。

ただし、「これまで起きたこと」に関しては、事実は一つです。

人は「見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる」ものです。自分の認知と事実にはずれが生じる、その前提に立った上で、認知的不協和の不快に耐える力をつける必要があります。

認知的不協和とは、知らぬが仏でいたい、自分にとって都合の良いことだけを見聞きしておきたい、現実と向き合う不快の耐性が弱いと誰にでも起きてしまうことです。現実と向き合わないまま、知らぬが仏のまま仏さんになる、自滅する。これは野生動物にはない、文明を発明した人間ならではのものでしょう。

例えば、コロナワクチンの危険性を打った後から知るのは怖いでしょうし、「そんなのは頭のおかしい反ワクの妄言だ」ということにしておきたいでしょう。いわゆる反ワクと呼ばれている人達は、そうやって非難されている通り「これが事実じゃなければどんなにいいだろう」と思いながら警鐘を鳴らし続けています。

しかしもう隠しようがありません。2022年12月現在、厚労省に報告されているだけで1900人を超える死者、遺族会が結成され、国を相手取って裁判を起こす準備が進められています。

目を背けておきたい怖いこと、そしてマスコミが決して取り上げないこと、それを言う人が損になっても得をすることは決してなく、命の危険すらありうることこそ「知らなくてはならない事実」です。

コロナなど社会問題だけでなく、個人の人生においても原理は同じです。信じる方がたやすく、脳は快感を覚え、疑う方が脳に負荷がかかります。「何を信じていいのかわからない」言葉の裏には、「信じるに足る何かにすがっておきたい」依存心が見え隠れします。ワクチンの遺族の方が口をそろえて言うのは「TVや政府がこう言ってるから、安心だろう。間違いないだろうと信じていた」です。

次々情報が出てきていますが、コロナワクチンを5回、自分にも患者にも打った医者が、「自分の体調不良はワクチンのせいだ」とようやく最近になって氣づきました。医者であっても何も調べずに、自分や患者に打っていたのです。このお医者は悪意の人ではないにせよ、恐るべき無知不勉強です。こういうことだってあるのです。

(コロナワクチンの解毒に関心がある方は、以下の井上正康先生の動画をご参考にして下さい。そしてまずマスクを外すことです。マスクは低酸素になり、免疫を下げ、却って感染しやすくなり、百害あって一利なしです。どんなに他の解毒法を頑張っても、マスクをしていたら台無しです。)

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2022.7.31 淡路島シンポジウム⑤…

自分のものの見る目を確かなものに

「誰かに正解を教えてもらってその後についていく」生き方は楽です。しかしどうでしょう。日本人の大多数がそれをしてしまったために、世界中でコロナが終わっていないのは日本と中国だけと言う、最下位争いをしています。

自分のものの見る目を確かにするには、

  1. 怖くても事実と向き合う。
  2. 出てきた情報の整合性を取る。辻褄を合わせる。
  3. 「これが続いたらどうなるか」の結果予測、「何のためにこんなことをしているのか」の意図を考える。

ただ闇雲に情報をかき集めるのではなく、こうした頭の体操をして組み立てる作業が必要です。

しかしこれも、思いやりや勇氣と同じく、自尊感情豊かに生きることと同じく、「やろうとすれば誰にでもできる。やらなければできない」類のものなのです。

無料ステップメール「自分を大切にする7日間のレッスン」

自尊感情を高めるとは、自分を大切にすることと言い換えても良いでしょう。
「でも、具体的に何から始めたらいいの・・・?」の声にお応えして7日間のレッスンにまとめました。

《レッスンの一例》

● 体の声は心の声・体の状態に耳を傾ける
● 望まない人間関係に心の中で「No」を言う
● 「今・ここ」を生きるための自分への質問

Pradoの心理セラピー・セッションでお伝えしている内容を含んでいます。

どんな自分も否定せず、そのまま見て、耳を傾けることで「生きやすさ」は増していきます。
自分を大切にすることで、打たれ強く、柔軟で、ぶれない心を・・・!

 

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生きづらい貴方へ

自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。