子供のマスク強要の罪深さ・尊厳を傷つけるとは魂の殺人

韓国では一足先に子供のマスクの義務化解除

お隣の韓国では一足先に、子供たちのマスク義務化が解除になりました。子供たちの嬉しそうな笑顔を見ると、こんな当たり前のことを禁止されて、本当に可哀そうだったと胸が詰まります。

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マスクに感染予防効果はありません。それは昔から言われてきたことで、厚労省の役人も、政治家たちも知っていてやっています。「(存在証明されていない)コロナが流行っている」という視覚的演出のため、ワクチンという名の毒を何が何でも全国民に打たせるため、国民に死んでもらうために、政府及び厚労省、医師会総出で執拗にマスクを「お願い・推奨と言う名の事実上の強要」をしています。日本人はいつまでたってもこの悪質さを見抜けません。まるで自分を虐待する親を子供自身が庇う一億総ストックホルム症候群が起きているかのようです。

またコロナ騒ぎは命や健康を害するだけでなく、不必要な休業、自粛要請によって中小・零細企業を潰し、ほんの一握りの超富裕層に富が集中するショックドクトリン、貧困化政策だと、まともな社会経験があれば見破れそうなものなのに、全く無関心な大人が大多数のように私には見えます。

人類史上最悪の謀略、人道に対する罪だとわかっていれば、マスクをするのはそれに加担することだとすぐに悟り、人の目が氣になるなど生ぬるいことを言っている場合ではなくなる筈です。

マスクは低酸素になるため却って免疫力を下げ、また自分にも他人にも感染させやすくなります。マスクは雑菌の巣です。マスクを終日外さないのは、雑菌を周囲にまき散らし、また自分も吸い込むということです。そして脳は吸った酸素の20~25%を消費しますから、脳の発育にも悪影響が出ます。

そしてまた、無症状者が他人を感染させることはありません。もしそうだったら、歯科医や風俗産業は感染者だらけになっていないとおかしいです。この世の感染症はコロナだけではありません。結核の方が余程怖い感染症なのに、そして日本は結核中蔓延国なのに、健康な人にマスクを事実上強要することなどありませんでした。

そして大多数の日本人がこうしたことに疑問さえ持たず、テレビのプロパガンダの奴隷になり、ただただ盲従しています。コロナよりワクチンより、私はこのことが恐ろしいです。

マスクは自分が花粉等の粉塵を吸わないため、もしくは咳くしゃみの風邪症状が出ている時に、本来なら家で寝ているのが一番良いのですがそうも言ってられず、咳エチケットが間に合わない時にやむを得ずする、或いはワクチンシェディングの被害が若干和らぐためといった理由以外での着用は、何一つ良いことはありません。

マスクの事実上の強要が何故罪深いか

子供だけがマスクを外せれば良いのではありません。特に幼い子供ほど、相手の表情を読む訓練を積めず、コミュニケーション能力の発達を阻害する危険性は、2020年から専門家の間で指摘されていました。子供の発育は「その年齢の時に」伸ばす必要があり、後から取り戻すのは容易ではありません。

心身の健康と発育、コミュニケーション能力の発達に害があるだけではなく、マスクの事実上の強要が更に罪深いのは「あなたは名無しの権兵衛でいいんです。あなたはカオナシさんでいいんです」を強要することだからです。つまり尊厳を著しく傷つけています。このことは、専門家でも指摘する人はほとんどいないようです。

尊厳とは魂です。即ち魂の殺人に他ならず、マスクをしなくていいと言われた時の子供たちの笑顔は、そのことからの解放であることを如実に表しています。

第二次大戦中のユダヤ人強制収容所で、囚人たちは丸坊主にされ、名前を取り上げられ、囚人番号で呼ばれました。「あなたは名無しの権兵衛でいいんです。カオナシでいいんです。あなたその人でなくていいんです」はまさにこれと同じ、肉体を虐げること以上に、魂を殺してしまいます。そして尊厳の回復は目に見えないために、肉体の回復以上に、はるかに険しい道のりです。

私は、マスクの事実上の強要に死に物狂いで抵抗しなかった心理関係者(セラピスト、カウンセラー、コーチ、セミナー講師等)を一切信用しません。魂の殺人に加担しておいて、また加担していることに氣づきさえせず、共感だとかラポールだとかは笑止千万、片腹痛いとはこのことです。

大人達の事なかれ主義と偽善のために子供の魂を傷つけてきた3年間

ごく少数の親御さんたちが、学校や教育委員会、市役所等に掛け合い、過剰な感染対策を止めさせようと頑張りました。しかし行政の壁は厚く、残念ながら奏功しませんでした。一方で広島県呉市の谷本誠一市会議員が「ノーマスク学校宣言」と題し、「学校にノーマスクを認めさせようとするのではなく、『マスクはしません』とこちらから宣言する」草の根の取り組みを、全国各地で行っています。谷本議員を間接的にでもご存じの方もいらっしゃるでしょう。

マスクはどんな場であっても強要はできません。憲法違反であり、刑法223条の強要罪にも当たります。お願いしかしてはならないのです。寄付や署名を断っても良いように、マスクも断っていいのです。

しかし学校中でマスクをしている中、子供がひとりで「マスクをしません」と宣言し貫くのは並大抵のことではありません。親御さんの理解と協力は勿論、担任の先生にも協力していただき、マスクをしない子をいじめたりしないよう、先生から指導していただく必要があります。ですがそれをしてもなお、先生の目の届かないところでいじめられたりするでしょう。だからこそ、自分に子供がいるいないに関わらず、地域の大人達が率先してマスクを外さなければ、子供たちは安心してマスクを外せません。

ちなみに私は、どこでもマスクはしません。スーパー、コンビニ、郵便局、銀行、電車、ドラッグストア、家電量販店、病院、交番でも「私はマスクはしません」で通ります。「しません」が言いづらければ「健康上の理由でできません」で充分通ります。「どんな健康上の理由ですか?」と聞かれることはまずありませんし、仮に聞かれたとしても「プライバシーの侵害です」と断ればいいのです。

「マスクをして下さい」と言われたことはこの3年間で片手で数えるくらいしかありません。またそう言われた時に、毅然と、かと言ってつんけんせずに断れば、特にその場の雰囲気が悪くなったことは、私の場合は起こりませんでした。言ってる方も、「上からそう言うように言われたから」に過ぎないのです。

日本の大人達は、この程度の努力とも言えない努力さえしようとせず、これは戦争だと最後まで氣づかず、わかろう、知ろうとせず、安易に妥協し当たり前のようにマスクをして出歩く。そして「だって同調圧力が」「マスク警察が怖いし」と責任転嫁する。せめて屋外でマスクをしない人が6、7割にでもなったら、もうマスク警察も威張れないのです。そして小さな事業所から、従業員のマスクをやめることもできたでしょう。実際に個人経営の飲食店や、クリニックではそうしているところもあります。

ノーマスクで出歩く大人が大半になれば、頑迷な学校現場も変わったかもしれなかったのです。日本の大人達のわが身可愛さの事なかれ主義、テレビ報道を鵜呑みにして自分で調べない知的怠慢、目先の世間体と言う虚栄心、そして偽善のために、一番守らなければならない子供たちの尊厳、魂を傷つけ続けました。

そしてそのことに、氣づくことも、反省することも、心を痛めることすらなく、五類下げの5月8日が過ぎて、テレビが「今日の感染者数」を報道しなくなり、「マスク着用のお願い」がされなくなってようやく、日本の大人達は何食わぬ顔をしてマスクを外すのでしょう。

「そのままの自分を大事にされなかった」小さな積み重ねの恐ろしさ

自尊感情を著しく傷つけられると、「どうせ自分は」になってしまいます。子供たちは最初の内はマスクに抵抗し、先生の目を盗んで鼻を出したりしていても、その度ごとに叱られ、また同級生からマスクをしないことでいじめられると自分から諦めてしまいます。

これはマスクだけにとどまりません。「どうせ自分は」になってしまえば、どんなに理不尽な人権侵害であっても、疑問すら抱かずに唯々諾々と従ってしまう。まさにそういう人間を作るために、人間の皮を被った羊にするために、感染対策を口実としてやっているのだと、まともな現役世代なら氣づかなくてはなりません。

後世の社会に負の遺産を残さない、それが大人達の責任です。会社の仕事と家事さえこなせば、昨日と同じように、他の人と同じように今日一日が無事に過ぎれば、自分の責任を果たしたつもりになっていないでしょうか・・・?

今の中国で、登校時に顔認証が要ることに、学生たちは全く疑問を抱かずにただ従っています。人間牧場の成れの果て、管理社会の成れの果てです。感染対策を口実とした様々な人権侵害には、面倒でも一つ一つ戦わなければ、なし崩しに受け入れさせられます。「NO」の意思表示をしなければ、それは「YES」と言ったとみなされるからです。

子供たちは「そのままの自分を大事にされなかった」これが一度や二度ではなく、毎日毎日、3年にもわたって、親や教師だけでなく日本中の大人達が加担してきました。私は子供たちに「大人を決して信じるな」と言いたいです。

民族の命運を左右する自尊感情のあり方

人間の尊厳は、大人は自分自身で命がけで、死に物狂いで守るものです。自分が傷つかない状態がお膳立てされるのを口を開けて待っている、それは楽かもしれませんが、尊厳を守る姿勢では決してありません。

自尊と虚栄は反比例です。命よりも尊厳よりも、健全な社会を後世に残すことよりも、目先の体裁、即ち虚栄を優先した令和の日本の大人達が、如何にだらしなかったか。風邪を引かない人生などないと、毅然とした態度を取れなかったか。これは「私は本当に大事にするべきことを大事にしているか」の問いを、自分にしてこなかった証です。

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虚栄は良心の呵責を伴わないので、自分では氣づかず、明確な悪意よりもたちが悪いです。自尊の心を育むことの重要性、それが大げさでは決してなく民族の命運を左右するのだと、改めて私の骨身にしみた3年間でした。

※アイキャッチ画像は、学校でのマスク義務解除になり、おどけて見せる韓国の男の子

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。