「お前が何を言うか」何故親は子供の訴えを踏みにじるのか

自尊とは自分の考えを持ってこそ

自尊感情を育てるには、良心、価値観、広い視野に基づく自分なりの考えを持ち、できる限りそれに沿って取捨選択することが必須です。言いなり、指示待ち、「だって世間では」「TVがこう言ってる」は楽ですが、それは自ら家畜になることであって、独立自尊とは正反対のあり方です。

私たちが曲がりなりにも自分の考えを持ち始めるのは、思春期に入ってから、大体10歳頃からです。読書も子供向けの本から、大人も読む本を読めるようになります。中学生にもなれば、大人向けの映画やドラマ、ドキュメンタリー番組を好んで見ることも増えてきます。

それは知的にも精神的にも、子供から大人への階段を順調に上っている証です。少々生意氣なませたことを言い始めても、いつまでたっても幼児でいるより、ずっと喜ばしいことです。

思春期の子供は生意氣を言っているようでも、まだまだ心が揺れやすく、不安をたくさん抱えています。大人の不安は仕事や家庭生活などの実際的なものが多く、成長期の子供が抱える漠然とした不安とは異なります。

だからこそ親の方は、時に親子喧嘩をしたとしても、子供が「自分の意見を持つ」ことそのものを喜び、励ませるのが望ましいのです。その意見が、大人の眼から見ればまだまだ未熟であったとしてもです。自分の意見を持つとは、自分の人生を責任を持って切り開こうとする態度そのものだからです。

ですが、子供の意見や、感情的な訴えを事あるごとに踏みにじり、無視したりあざ笑ったりする親は、実はそう珍しくありません。標題の通り「お前が何を言うか」と口に出しても出さなくても、そうした態度を取られて自尊心が傷つかない子供はいません。折角育ち始めた「自分の意見を持つこと」が踏みにじられてしまいます。

心が不健全な親は何故そのようなことをするのでしょうか・・?そしてそれによる子供の人生に起きる弊害について、今回は取り上げます。

親は何故子供の意見を潰そうとするのか

子供が自分の意見を持つことを励ませるとは、別の見方をすれば子供は反抗期らしい反抗期を過ごせることです。心が健全な親は、自分もかつて通ってきた道であることを思い出し「今はそういう時期だから」「何でも言いなりのお利口さんの方が、後々その子のためにならないから」と考えられます。ですので、「親に向かってその口の利き方は何だ!」とは叱っても、内心ではホッとすることができます。

心が不健全な親は、その親も不健全だったり、戦中戦後の混乱期に幼少期を過ごしたなどのため、彼ら自身が充分な愛情をもらえていません。親自身が「そのままの自分で充分価値がある」と思えてなく、自信のなさと焦りに内心苛まれています。

親に限らず、嫉妬深い人は表面上は立派そうにしていても、本音では自信がありません。親が子供に対して脅威を感じ、嫉妬するのは「何があっても無くても、自分は自分で良い」という自己受容に支えられた自信がないからです。「自分は自分で良い」と心底思えている親が、子供の健全な発育よりも、世間体を優先することはありません。

子供の成長を喜びではなく、脅威と感じてしまう、これが威圧であれ、かまい過ぎであれ、必要なことをしないであれ、子供を支配したがる親の主たる動機です。可愛い盛りの幼少期は子供の成長を喜べても、思春期以降、子供が親とは別の人格を現わすようになり、容姿、体力、知力が親をしのぐようになると、それを自分への離反、反逆のように捉えてしまうのです。

それは思春期のみならず、子供が中年になっても続きます。自分の老いや衰えを自然の摂理だと受け入れられないと、働き盛りの子供への嫉妬をますます募らせることすら起きます。

子供の成長を喜べず、脅威と受け取る⇒子供を負かさねばならない

「自分は自分で良い」と心底思えるとは、他人に対して勝ち負けで推し量らないことです。負けず嫌いの全てが悪いのではありません。切磋琢磨するのなら、それは互いを刺激し合い、高め合う姿勢です。ここには互いへの尊重があります。ライバルを尊重すればこそ「私が怠けたい時、くじけそうな時に、あの人は自分に負けずに頑張っているのかもしれない」と自分を奮い立たせられます。結果で「私はあの人より優れている」と相手を見下して、自己満足に浸るのではありません。そうした失礼な態度に自分が耐えられません。

親が子供の成長を喜べず、意見をあざ笑ったりして踏みにじるのには、相手を尊重する姿勢が全くありません。ただただ、相手を負かさなくては自分が不安というエゴだけです。切磋琢磨と、相手を負かさなくては氣が済まないことの違いは、相手への尊重の有無で見分けられます。

思春期になると、それ以前と比べて大人びたことを子供が言い始めます。しかしそれでも、ちょっとした言い間違いや、無知や経験不足はあるのが当たり前です。不健全な親はここぞとばかりにその言い間違いを嘲り、子供に恥をかかせます。その際知恵が廻る親は、「お前は馬鹿だ」とは言わず、あくまで「言い間違いを指摘した」風を装います。自分を正当化できる立ち位置を守るためです。

またある母親は、父親より数か月誕生日が早かったのですが、「自分よりも一日でも早く生まれた人の言うことは、襟を正して聴け」と、子供が中学生になると急に言い始めたそうです。その子供が中年になってから「あれは、子供たちが自分に歯向かわないように、巧妙に刷り込もうとしていたのではないか」と思い当たったそうです。つまり「私に逆らうな」と直接言うと反発されるので、尤もらしい格言風を装っていたのでしょう。まだ中学生の子供にその真意を洞察できる筈もありません。

子供を虚栄心の道具とする⇒都合の悪いことは「ないことにする」

子供が何かを訴えるのは、自分の意見だけではありません。自分の苦しみや悲しみ、孤独、不安も訴えます。幼少期は泣いたりぐずったりすると「よしよし、いい子、いい子」をしても、だんだん大きくなると「一体どうしたの?」と共感をこめて訊こうとはしない親もいます。

或る若い女性は、付き合っている男性から「君、もしかしたら発達障害かもよ」と言われ、自分の生きづらさはそのためかもしれないと考えました。或る精神科医の元でテストをしたところ、発達障害の診断が下りました。しかし、彼女の母親は「そんなテストはいい加減だ」と端から取り合わなかったそうです。

彼女が本当に発達障害なのかどうかが、ここで重要なのではありません。彼女の不安と、その不安を何とか鎮めようとするプロセスを、母親がいきなり「なかったことにする」のが問題なのです。「自分の娘が発達障害だなんて認めたくない」親の見栄が優先されています。

子供を自分の虚栄心の道具、アクセサリーにする親は、子供の不安や悲しみ、動揺に耳を傾けません。自分にとって都合が悪いこと、煩わしいことは「ないことにする」。その口実は何でもいいのです。まだ親ほど経験の引き出しがない子供は、言いくるめられてしまい、その不安や悲しみの出口を失います。

言いくるめようとするだけでなく、最初から意識の外へ追いやって、無関心になってしまう、体はそこに存在していても、心は「いなくなってしまう」ことも多いです。父親にその傾向が強いですが、昨今は母親でもそうした人が増えたように思います。

子供の選択、意見、感情、訴えを踏みにじられることの弊害

心が不健全な上に、世間体大事の親は、子供の学校の成績には拘泥していることが多いです。「我が子の学校の成績が悪く、馬鹿だと周囲から思われるのは嫌。しかし、我が子が自分をしのぐ存在になるのはもっと嫌」口には出さない親の矛盾した本音を、子供は無意識の内に受け取ってしまうので、非常に混乱します。なまじ努力家で、勉強ができる子供ほどそうなるでしょう。相矛盾するメッセージを受け取り、引き裂かれそうになるか、もしくは「だったら親に負けておいて、努力や勉強などしない方が楽だし傷つかずに済む」を学習してしまいます。

子供の選択、意見、感情、訴えを踏みにじられることの弊害を、ダン・ニューハース「不幸にする親 人生を奪われる子供」から抜粋します。

  • 自ら進んで話そうとしなくなる。コミュニケーション能力の発達が遅れる。
  • 自分の感情をどう表現したらよいかについて考えがゆがむ。(足立注:率直かつ適切に表現できなくなる。「どう感じているかは言わずにいるべきだ」と抑圧したり、逆に癇癪を起こしたり、あてこすりを言うなど不適切な表現になる)
  • 物事に興味を持ったり何かを学ぼうとするのではなく、「だれが正しくてだれが正しくないか」にばかり意識が向いてしまう。(足立注:自分の良心や道義心に従って判断するのではなく、「だって誰それがそう言うから」になりがち)
  • 一人の人間として存在していることへの自信が生まれない。
  • 物事を決める力の発達が遅れる。
  • 親の考えに依存しすぎるようになる。

何でも先回りして何でも与えて こうする?ああする?って準備する親なんか やさしくとも何ともないわ
その証拠に あんたは「自分の白鳥」のプランも持てないじゃない

槇村さとる「Do Da Dancin’!」

過保護のかまい過ぎも、子供の考えを嘲り踏みにじるのも、子供の非力さと自分への依存度を高めて、自分の立場を守ろうとする態度の現れです。そしてそれは、子供が成人後も、自分の人生を生きられなくなる大きな要因になってしまいます。

親に負けておいて家庭のバランスを取ろうとしていないか

ここで悩ましいのは、子供にとって家庭は全宇宙であり、「自分はまあまあ常識的で思いやりのある親に、愛され、承認されてきた」と信じたい氣持ちが中々捨てられないことです。切ないことに、親を愛したい子供ほどそうなります。未成年の子供は、家庭から放り出されると生きて行けません。そのために「親に負けておいて家庭のバランスを取ろうとする」生存戦略を学んでしまっていることがあるのです。

成人後、親の経済力に依存しなくて良くなっている筈なのに、「親に負けておく」をやっていないかどうかです。それをしていて、自尊感情が高まることはありません。そうせざるを得なかった子供の頃の自分に「大変だったよね。でも、今はもうそれをする必要はなくなったんだよ」と何度でも優しく言ってあげて頂ければと思います。

「親に負けておく」生存戦略を学んでしまった子供の頃の自分、即ちインナーチャイルドは、理屈だけでは中々納得しません。「今までありがとう。もういいんだよ」と誰でもなく大人の自分が慰め、労ってあげて、インナーチャイルドの感情が納得する必要があるのです。

「精神的に家を出る」分離自立の際の喪失感をどう癒すか

「親の負けておく」をやめるとは、見出しの通り「精神的に家を出て、分離自立を果たす」ことの一環です。

「精神的に家を出る」分離自立は、自尊感情豊かに自分の人生を生きるための、当然の帰結になります。ですがここで、「まるで精神的な孤児になったかのような」喪失感を軽視しない方が良いでしょう。「自分は立派に自立し、周囲の人と良好な関係を育んでいる」自負がある人でもです。

喪失感を軽視してしまうと、「喪失感に本音では耐えかね、また『支配する親』の家に、いつの間にか精神的に戻ってしまう」をやってしまいかねないからです。

精神的に家を出た後の喪失感をどう癒すか、置かれている状況にもよるので、あらかじめ決まった答えはありません。子育て中の方は「子供が自分の意見を持つことを励まし、喜べる親になる。また子供に『ごめんね』が言える親になる」努力そのものが、ご自身を癒していくでしょう。

また、実の親がどうあれ、心の中に「勇敢な父親像」「慈悲深い母親像」「好奇心旺盛な子供像」がバランスよく住んでいるのが望ましいとされています。様々な人々との出会い、また読書経験等を通して、自分の中にこれら三者のイメージを意識的に育むことも、喪失感の癒しになるでしょう。

ところで「親を失う」のは万人にとって、早いか遅いかだけで必ずやってきます。死別のみならず、「親が認知症を患い、我が子である自分をわからなくなった」ということも起きます。その際、仲の良かった親子ほど、子供は非常に動揺し、辛い思いをするでしょう。

「自分はそうした仲の良い親子さんよりも、若干早めに、そして中身は異なる喪失感を味わったのだ」と受け止められると、「どちらが良いとか悪いとかじゃないね」「何が幸か不幸かわからないものだね」と相対化して考えられるかもしれません。

「大草原の小さな家」のような、愛情と信頼で固く結びついた親子でありたかった、その望みを否定する必要はありません。その望みはその人自身だからです。だからこそ、現実はそうなってはいないことを受け入れる際に、勇氣と自分への励まし、そして喪失感を癒すプロセスを軽視してはならないのです。

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。