氣持ちは優しくても思いやりはない人・思いやりは勇氣に比例

「氣持ちが優しい」のと「思いやりがある」のは別物

日本人は真面目で氣持ちが優しい人が大多数でしょう。海外へ行くと、店員さんの方がお客さんより威張っていたり、こちらが迷惑をこうむっても謝らないのが普通です。ですが、日本では「痒い所に手が届く」が当たり前で、いわゆる「おもてなし」に海外の人が感激することも多いです。

ある人が大阪駅周辺で、東南アジアの旅行者風の女性に「阪急百貨店へはどうやって行ったらいいか」と英語で尋ねられ、「どうせ自分もそちら方面へ行くついでだから」と、阪急百貨店の入り口まで一緒に歩いて連れて行ったら、その女性が大感激していた、という話をしてくれました。

道案内をした人にとっては当たり前のことでも、その女性のお国では、当たり前ではなかったのでしょう。多くの日本人にとって、この程度の親切はごく当たり前にやるのではないかと思います。

しかしそれでもなお、「氣持ちが優しい」のと、「思いやりがある」のは全く別物です。このページを今読んでいる方の中には、身近な人で「氣持ちは優しいが、思いやってはいない人」の心当たりがある方もいらっしゃるでしょう。

氣持ちの優しさは持って生まれた性格の影響が大きいです。即ち自然にやれるものであり、意識的な努力は余り必要とされません。一方で思いやりは後天的に育むものであり、想像力と勇氣、時には忍耐や自制心が要る難しいものです。

そして後述しますが「人からどう思われるか」が動機になっていては、思いやりのある態度は取れません。

真の思いやりは、相手に理解されなくても、憎まれてでもやり抜くことです。評価評判が目的になる、即ち「いい人と思われたいから優しくふるまって見せる」は打算であり、思いやりとは対極のものです。その偽善性を、人は心の奥底で感じ取ります。

「窮地に立たされた人の事は他人事」では思いやりに欠けている

「氣持ちは優しいが、思いやってはいない人」をどう見抜くか、一番効果的なのは「窮地に立たされた人の事は他人事」になっていないかどうかです。

普段口では良いことを言っていても、店頭にクレーマーがやってきたら雲隠れする上司、コロナ騒動において、子供たちのマスクや給食時の黙食に心を痛めない、疑問にすら思わない、不必要な休業要請のために閉店に追い込まれても、そこで働く人たちの無念に思いをはせず、「自分には関係ない。そんなことは政治家がどうにかすること。自分の生活さえ滞りなければ構わない」では、思いやりがある人とは言えません。

お客さんや職場の人や友達など直に接する相手には気を遣っても、それ以外の他人には全く無関心、或いは「自分がいい人と思われる範囲で、自分が責任を負ったり傷つかない範囲で善行をする」、日本人に大変多い態度ですが、これも「氣持ちは優しくても、思いやってはいない人」の典型です。コロナワクチンの危険性を知っていても、「反ワクと思われたくない」とばかりにだんまりを決め込む、話が通じそうな相手にそれとなく話すことすらしない、そうした姿勢も同様です。

本音の本音では他人に無関心でも、直に接する相手には多少なりとも氣を遣うのは、「そうしなければ自分が受け入れられない」計算が働くからなのでしょう。

思いやりは計算抜き、損得抜きに実践するものです。つまり時には汚れ役を買う覚悟がなければできません。「こうすれば自分は傷つかない、非難されない、損をしない、楽して得ができる」が生きる動機になっている間は、「氣持ちは優しいが、思いやってはいない人」から抜け出すことはできません。

「この世に他人事はない」「今生きているのはお釣りであり、恩寵」

繰り返しますが、「氣持ちが優しい」のと「思いやりがある」のは異なります。別の角度から言えば、ドライでそう愛想が良いわけではないけれど、人が困った時には必ず助けようとしてくれる、真の思いやりのある人もいます。そうした人に出会ったことのある方もいらっしゃるでしょう。

思いやりとは人の痛みを自分のこととして感じ取れること、それが最初のスタートラインです。

人の痛みを自分のこととして感じ取れる、それは「この世に他人事はない」ということです。

もし運命が少しずつ違っていたら、この窮地に立たされた人は自分だったかもしれない、そう思えるかどうかです。

「何故私ではなく、あなたが?あなたは代わって下さったのだ」

神谷美恵子「生きがいについて」

そして「この世に他人事はない」のなら、今自分が生きているのは当たり前ではない、ということになります。今このページを読まれている方の中には「あの時自分は死んでいてもおかしくなかった。今の人生はお釣りのようなものだ」といった経験をされた方もいらっしゃるでしょう。

震災や事故で亡くなった人は自分だったかもしれない、そしてコロナワクチンを打った人で今は元氣にしている人でも、「もしかしたらワクチンで亡くなったり、重度障害を負ったのは自分だったかもしれない」そう思えれば、「今生きているのは余剰であり、お釣りであり、恩寵。いつ取り上げられて文句は言えない」と氣づける筈です。

コロナワクチンで亡くなった人の事を聞いても「え、〇回打ったけど、私は全然平氣だよ」で終わりにしている人は、仮に氣持ちが優しい人であったとしても、思いやりのある人とは言えません。これも「自分さえ逃げ切れれば、人がどうなっても構わない」エゴの現れです。コロナワクチンを打って、大して利かなかったとしても無害であれば世間的にはそれで逃げ切れる、反ワクと思われなくて済む、そうした打算が見え隠れします。

「今生きているのは恩寵」と思えて初めて、人は本当に何が大事かが見えてきます。自分の体裁や、二度と会う事のない人からどう思われるかなど、全くどうでもよく何の役にも立たない、こんなことに煩わされている場合ではない、ということが。だからこそ、真剣に生きなくてはならない、ということが。

今の日本は核家族化が進み、身近に死を実感することがほとんどありません。また衛生状態が悪い途上国のように「5歳まで生き延びることが一大事」ではありませんから、自分を不死人だと勘違いしているのではないかとすら思えます。コロナ騒動における日本人の過剰反応ぶりは、「人はいつか死ぬ。風邪で死ぬのなら、いずれにせよそれがその人の寿命」と思っていない思い上がりのせいでもあるでしょう。

何でも同情すればいいわけではない・選択責任は自分にある

「思いやりとは人の痛みを自分のこととして感じ取れること」と上述しましたが、これは何でもかんでも同情すればいいというわけではありません。

コロナワクチン接種において、子供や、高齢者施設の入居者で、他に行き場がなく無理やりワクチンを打たれてしまった人は情状酌量しなくてはなりませんが、現役世代は自己責任になります。

ワクチン接種で家族を失った遺族の方々が、勇氣を振り絞って国を相手取った裁判を起こす準備を進めています。薬害は被害に遭った人が声を挙げなければ止められません。ですから、これら遺族の方たちの今生でのお役目なのでしょう。

それでもなお、「TV報道を鵜呑みにし、よく調べず、考えずに飛びついてしまった」重過失責任、選択責任は打ってしまった人達にあります。今現在、傷ついている遺族の方たちに、それを直接言ってしまえば精神的に追い詰めるだけですから、「今はそれは告げない」配慮は必要です。

ですが「二度とこうした悲劇を繰り返さない」ためにこそ、「選択責任は自分にある」これを忘れないことが大変重要です。このことが、天使の仮面を被った腹黒い人間から自分の身を守り、真の自由を手に入れられるからです。何でもかんでも可哀そうがり、「騙した奴が悪いんだよ」で終わりにするのは、真の思いやりとは異なります。

例を変えれば、いじめをする人間に道義的責任はありますが、「いじめられない自分になる」その努力をしなくていいということにはなりません。「いじめられない自分になるために、できることからやってみない?」と適切なタイミングで励ますのが、真の思いやりだと私は考えます。

「人からどう思われるか」の虚栄と保身が勇氣を削ぐ

「人からどう思われるかが氣になる」心理セラピーにおいて、大変多いご相談です。成長過程において、喜怒哀楽そのままの感情や、上手くできたかどうかではなく、どのような動機でそれをやったのかを周囲の大人、特に親から承認されないと、「自分は自分で良い」と思えず、結果人の目を氣にするようになりがちです。

これを解消するには「人からどう思われるか」ではなく、「自分の良心や価値観、品位に基づいて、『これが良い、正しいと思う』ことをやり抜く」その動機で生きる習慣を身に着けることが不可欠です。今の日本人は「どんなに害悪をもたらすことであっても、人から非難されない、悪く思われないことをやり続ける」になっています。それが一億総マスクとして現れています。

「人からどう思われるか」とは、換言すれば「私を悪く思うな」であって、本人は悩んでいるようでも、本当のところは自分の虚栄心に自分が首を締められています。

「人からどう思われるか」は、ベクトルが外側から内側へ向かっています。その時、相手を見ていません。相手は「いないこと」にされています。日本人は氣持ちは優しくても本音では他人に無関心であり、それが引いては思いやりのなさに繋がっています。それがコロナ騒動が始まって3年連続で子供の自殺が戦後最悪を更新し続けるという結果に現れました。それでも「こんなことは一刻も早くやめなくてはならない」と、自分からマスクを外せる人は、1%いるかいないかです。

そして「少しでも悪く思われない、変に見られないためにはどうすればいいか」の質問を無意識的にでもすると、結果的に「皆がするようにしておけばいい」の保身になり、誰もいない道でも、自転車に乗ってもマスクという、外国人から見れば全く奇怪なことをやって疑問に感じません。このことが安易な保身だと、ほぼ100%の日本人は氣づいてすらいないでしょう。

この保身に走る習慣をやめずに、勇氣を養うのは矛盾しています。

ささやかな日常の中で「自分がどうしたいか」

勇氣を育むには、意識的な終わりのない努力、即ち一歩を踏み出し続けることが不可欠です。そしてその小さな一歩がどれほど重要か、意識的にわかって日々実践していたら、その人は既に達人です。

その一歩は、本当に見過ごされやすい、小さなことから始められます。

槇村さとるのコミック「イマジン」で、主人公の飯島有羽(ゆう)は真面目だけれど当たり障りのない、面倒は起こさない代わりに「いなくなっても氣づかれない」タイプのOLでした。

ある昼下がりの、乗客が少ない電車内で、有羽は床に転がっていた空き缶を拾い、降りたホームのゴミ箱に捨てます。それを見ていたヤンキー風のカップルが、揶揄氣味に「自己満足だろ?」「え⁉いい人じゃん」と後ろで囁きクスクス笑いをしているのが聞こえました。

有羽は「いい人‼私っていい人に見られるように動くのが染みついてる?いい人を演じるのが習慣になってる⁉」とショックを受けます。そして「ちがう・・そんなこと考えていない、少なくともさっきは!そうだ、何とでも言えばいいや。知るか!カラカラうるさかったからそうしたの。誰かが踏んだら危ないからそうしたの。誰も拾わないから・・・。私がそうしたかったからそうしたの‼

こうして自ら殻を破った有羽は、人からどう思われるかではなく、自分がどうしたいかで動くようになります。例えば同僚から「○○亭のランチに行かない?」と誘われても「今日はお金がないので社食に行きます」と笑って答え、それでどうということもなかったと経験していきます。

ただ一方で、つまらぬ中傷をする人も中にはいました。昼休み中、給湯室の洗い桶にそのままになっていた茶碗を、有羽が誰に言われたからでもなく、自分が洗いたいからと洗っていると、給湯室の外から「飯島さんって、この頃ちょっと鼻につくよね、『いい人』感が。前は当たりが柔らかくて皆とニコニコできてやさしさも自然だったのに」と噂する声が聞こえてきました。

有羽はショックを受けはしたものの、そのまま給湯室に息をひそめて隠れることを潔しとはしませんでした。給湯室のドアを開け、その噂をしていた女子社員たちに向かって、にっこりと笑いながら「お茶碗漂白中だから。10分たったらあとはお願いね」と爽やかに言ってその場を立ち去りました。

良心に基づいた勇氣に比例して、思いやりは発揮される

言われたことだけやっていればいい、人と同じようにやっていれば自分は目立たず非難されない、そうした責任転嫁ばかりを考えていては、上記の有羽のような態度を取ることはできません。

どんなに氣持ちが優しい、いわゆるいい人であっても、勇氣がなければ逃げ出してしまう、そしてその卑怯さ、思いやりのなさのために、一番立場の弱い人がしわ寄せを受けます。それはしばしば、未来を担う子供たちです。大人達の目先の自己保身のために、3年間子供たちはマスクを外せず、それが如何に罪深いことか「氣持ちの優しい」日本の大人達は考えることすらしませんでした。

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良心に基づいた勇氣に比例して、思いやりは発揮されます。そしてこうした厳しさの伴う思いやりは、今の日本ですっかり忘れ去られ、優しさと甘やかしが履き違えられているかのように私には思えてなりません。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。