望んでいることではなく信じていることが実現する
頭で望んでいることと、本音で信じていることに不一致があると、その望みは実現しません。頭は顕在意識、心の本音は潜在意識です。意識の約9割以上を潜在意識が占めています。潜在意識が信じていることの方が、圧倒的に強大なのです。
ダイエット、収入アップ、人間関係の改善等々、別に嘘偽りを言っているわけではありません。しかし「本当に大丈夫?」「やっぱりこんなこと無理かな・・」と不安や疑いがよぎるのもまた、自然な人情です。しかし不安や疑いが強ければ強いほど、努力をしても叶わない、多くの人に経験があるでしょう。
引き寄せ関係のYouTube動画で「本当に叶った時の感情に浸り切りましょう。脳は現実と非現実の区別を付けません」などと言われています。ですがビジュアライゼーションをしながら感情に浸ろうとすればするほど、却って不安や疑い、以前の嫌な出来事が湧き上がってくるものかもしれません。
営業マンが売り上げを達成した時のイメージをしても「また、嫌なお客さんに振り回されたくないなあ・・」などと、嫌な思いをした時の感情が蘇ってしまうようなものです。
本音の感情は「ああ、嫌だ嫌だ、どうしようどうしよう」だと、感情は身体に直結しているので、身体からその雰囲氣が滲み出てしまいます。誰もそうした雰囲氣の営業さんから、物やサービスを買いたいとは思わないので、結局「売り上げが上がらない」が実現してしまうのです。未消化の感情を解消することが如何に大事かです。
目標達成した自分を想像した時の違和感を見逃さない
目標達成した時の自分をイメージした時「よっしゃ!大丈夫!やれる!」とは思えない方が多いかもしれません。何かざわざわする、モヤモヤするその違和感をごまかさないことが最初の一歩です。
無理に不安や疑いを押し殺しても、そのひずみはやはりどこかに生じます。その時、何に恐れを抱いているのかに正直に向き合うことがとても重要です。
そしてその恐れは
- 自分が対処して解決できるもの
- 自分にはどうにもできないけれど、やはり嫌だと感じているもの
に大別できます。
嫌なお客さんの人格をこちらがどうこうすることはできません。それは②に当たります。
しかし、自分が「丁寧に、そして率直に、堂々と『No』が言える境界線を育てる」ことはできます。これは①です。
そして嫌な感情は正直に出し切ってしまう、これも①です。一人でいる時に「あのお客さん、マジ大嫌い!」と声に出してしまったり、どういうところが嫌いかを紙に書き出すなどです。「あの人のこういうところが嫌い。私には受け入れがたい」これに良い悪いはなく、自分の正直な本音であり、信念の反映でもあります。これを明確にしておかないと、自分の境界線を引くことができません。
しっかり感じ切って外に出してしまうと、意外と「もうどうでもいいや」「私が悩むことじゃないし」などと氣が軽くなることも多いです。
私たちは非常にしばしば、②には「あなたが変わって」をやり、①をサボり続けるのです。これもまたエゴなのですが、中々氣づきません。これをやればやるほど、自分から状況の犠牲者になってしまいます。にっちもさっちも行かない時は、知らず知らずのうちにこれをやっていないかどうかを振り返って頂ければと思います。これを「やらないでください」ではありません。「ああ、しまった、いつの間にかやってる」に氣づけることが、あるがままの自分を受け入れて行くことです。
「執着しないと夢は叶う」のは何が起きているのか
ところで「執着しないと夢は叶う」と聞いたことがあるかもしれません。例えば、婚活を頑張っていたわけではないのに、「友人からの紹介のお見合いを『友人の顔を立てて、ご飯をご馳走になればいいや』くらいの氣持ちで受けたら、あれよあれよとご縁が決まった」という話はそう珍しくありません。
これは「もし~だったらどうしよう」(断られたらどうしよう、魅力がないと思われたらどうしよう)の不安や、「これを逃したら後がないかも!」の執着がなかった上に、結婚そのものには「まあ、良いご縁だったら結婚しても良いかな」とオープンマインドでいたからです。同じ「友人の顔を立てて」でも、「えー、結婚なんて面倒臭い」と本音では思っていたら、縁が実ることはありません。
ですから、強く望めば必ずしも叶うわけでもないのです。大切なのは、頭と心の一致です。
他にも「私は太らない」「私は花粉症にならない」と力まずに思っていると、本当に太らないし、花粉症にもならないのです。
現実的な目標設定は本音の不安や疑いを解消するため
不安や疑いを感じまいとすると、抑圧と言って押し殺すことや、目を向けるべき不安材料を「見て見ぬふり」をしてしまいかねません。いずれも、良い結果にはなりません。
解消するべき課題があれば取り組むとともに、「これならやれそう」の現実的な目標に設定し直すことも効果的です。
例えば、営業の目標は「今月は当初の目標が達成できそうにない」と、月の後半で下方修正するのはどの会社でもやっているでしょう。この時も「これなら頑張れば何とかなりそう」と、自分で思えることが大切です。ただ、会社によっては営業マン本人ではなく、上司が下方修正するかもしれません。その際「えー、やっぱりこれも無理だよ」にならないように、充分にすり合わせるとともに、「数値目標以外の『これなら頑張れる』課題」を見つけます。
顧客への提案の工夫をする、基本の身だしなみや挨拶、報連相(報告・連絡・相談)+確認を再度徹底する、メールの文言や、電話の受け答えを見直すなどです。要は営業のスキルアップを課題に取り入れ、「月末まではこれを意識してやってみる」数値に縛られない目標を持つ、ということです。これも「上司に言われたから」ではなく、自分が「仮に今月は達成できなかったとしても、負け犬根性にはなりたくない。せめてこれくらいはやろう」と動機付けがあることが大事です。
他の例で、ダイエットの目標を「毎月〇㎏減」だけだと、停滞期やリバウンドがあるとめげてしまうかもしれません。「理想体重〇㎏」はあくまで結果の物差しの一つであって、真の現実化するべき目標は「理想の体重をキープできる食生活や生活習慣を身につける」ことでしょう。
「毎月〇㎏減」だけだと、ともすると自分が追い詰められそうになり、結果投げ出してしまいかねません。或いは「○○だけダイエット」に飛びつくのを繰り返し、根本の課題は何も変わっていないなどです。
「理想の食生活はこれこれだけれど、ストレス解消のためについ食べてしまう」などと理想と現実のギャップに、自分が真に取り組むべき課題が浮き彫りになります。自分に合うストレス解消方法を実践したり、そもそもストレスに強い心を作ることが課題になります。「自分は自分で良い」自己受容が不十分だと、不要なイライラを感じやすくなります。この場合は、ダイエットが取り組むべきことではなく、自己受容が本来の課題です。体重が増えてしまったのは、自己受容の不足が招いた結果と捉えると、やるべきことが変わります。
またもしかすると、食生活は問題ないけれど、代謝が低くて太りやすいことが原因かもしれません。その場合は、こまめに歩いたり、できるだけ階段を使ったりして筋肉を鍛える、シャワーだけで済まさず湯船につかって体温を上げるなどが取り組む課題になります。
このような本来の課題に沿った具体的なプロセスへの落とし込みをすると、取り組むことに納得感が得られ、不安や疑いを感じにくくなるのです。
運動をしていない人が、いきなりフルマラソンを完走しようとするのは無理があります。その際まずは「半年後に5㎞完走できる」など、「これなら大丈夫、できる」と不安を感じない、現実的な目標設定をします。「えー、こんなことできるかなあ」の不安を感じていないからこそ、コツコツ取り組む氣になれるものです。これを他の場面でも応用するのが不安を感じずに、「目標は必ず実現する」と信じられるコツです。苦手な上司とのコミュニケーションや、異性への苦手意識を払拭したいなども同じです。
自分が一歩を踏み出す能動性
これらは全て、「自分が小さな一歩を踏み出す」能動性があればこそです。その一歩も、自分が決めたり、人からのアドバイスではあっても「自分が納得の上選んだ」という選択責任が伴ってこそです。
「言われたことだけやっていれば私は怒られない」指示待ちのままだと、何を勉強し、毎日仕事をしたとしても、肝心の自信は育めません。結果、不安に自分から振り回される人生を生きてしまいます。何かを望んでも「でも、やっぱり無理かも」の不安がよぎってしまう⇒望みが叶わない⇒「ほらね、やっぱり」の悪循環に陥ります。
この能動性の大事さは、言葉で、頭でわかっているだけでは自分のものにはなりません。効果的な目標設定と、自分の課題に沿った小さな一歩を踏み出す実践を積み重ねる中で、体得するものです。この能動性が責任ある人格の基礎になります。無責任な人は、どんなに経験を積もうと、お勉強しようと、年齢を重ねようと、人間的には未熟なままです。この未熟さが、また問題を引き起こす温床になります。
成果物(have)よりもあり方(be)の目標と自己承認
お商売は何でも、良い時もあれば悪い時もあります。毎月必ず目標を達成している営業マンがいれば、それは目標が低すぎる可能性があります。「これならやれそう」と自信を持てる目標も、今までやってきたことを繰り返すだけで済むのなら、何の成長もありません。
また、自分の努力だけでは何ともならないことも多いです。だからこそ、結果は結果として受け止め、検証と反省はしながら(後悔と反省は異なります。自分を責めて見せても、反省になっていなければ「自分を責めることに逃げる」をやっています。他人を責めて「正しいことをやっている氣分に浸る」のと実は同じです)、自分が成長できたかどうか、そこを振り返ることが大変重要です。
人が誰かのことを思う時、「こんな素敵なプレゼントをもらった」のhaveではなく、その人の人となりbeを思い出すものでしょう。私たちは結果・成果物haveに振り回されがちです。お金が欲しい、人から注目されたい、悪く思われたくない、等々。しかしその人がお金持ちかどうかを、懐かしく思い出すことはないのです。
人生の終わりに、私たちはhaveがどれくらいあったかを考えるでしょうか・・・?「ああ、貯金ができて、旅行に行けて、美味しいものが食べられて、皆から羨ましがられるいい人生だった」と。
自分がどんな人間でいたいかbeの目標は、他人と比べるものではありません。承認も他人と比べるものではなく「数年前よりかは、いくらか賢く、勇氣ある人間になれた」と自分が認められるかどうかです。このbeの目標は「もし出来なかったらどうしよう」の不安や「こんなの無理」の疑いは湧き上がりようがないのです。