境界線は流されない生き方のために・流されて後悔している貴方へ

周囲に流されるのはその時は楽でも

「誰それがそう言ってるから」「皆がそうしてるから」「抗うのが面倒だから」自分がどうしたいか、どうするべきかを考えずに、周囲に流されるのはその時は楽でしょう。しかし、この記事を読もうとされている貴方は、流されてしまったことに後悔したことがあるのかもしれません。

交際相手が避妊をせず、結果女性が妊娠中絶をする。その癒えがたい心の傷を抱えて生きている女性は枚挙に暇がありません。主訴は別のことで来られても、セッションが進むとぽろっと話される。勿論それを私にどうこうして欲しくて話すわけではありません。しかしその心の傷は何年経とうと消えないことが、そのことそのものに現れています。

また、コロナワクチンを薄々「こんなのおかしいな」「でも、まさか・・」と自分に言い聞かせて、或いは嫌だと抗う勇氣を持てずに、打ってしまって今は後悔されている方もおられるでしょう。

こうした後悔は、「まあ生きてればそんなこともある」「また取り戻せばいい」と自分を慰めることはできない類のものです。

人は後悔するのが怖いから、苦痛だから、最初から見て見ぬふりをするのです。非接種者が身近な接種者に、解毒方法を教えようとしても嫌がられるのはそのためです。しかしそれは問題を先送りしているだけで、結局は同じ過ちを繰り返しています。

後悔を口に出すのは辛くても、後悔していることそのものが「問題を問題視している」スタートラインです。自分をごまかし続ける人は、永遠にこのスタートラインにも立てません。後悔するのも勇氣が要るからです。

特に「騙されてしまった自分」を認め、受け入れるのは、「ほれぼれとした自分、瑕疵のない自分しか認めたくない」ナルシシズム、虚栄心があると中々できません。

人を騙して平氣な人は、一生繰り返します。良心の呵責という歯止めがないからです。

素直で人を疑わない、一生懸命人に尽くすお人好しほど、騙され、利用されやすいです。そうした人は、周囲から「もう!しっかりしてよ!」と呆れられることはあっても、心底憎まれることはないでしょう。しかし、歳を取ってもそれを繰り返すのは、やはり賢明とは言えません。上記の流されてしまったことと同様、後悔と反省、「もうこんなことは繰り返したくない」切実な思いが、自分をそれまでとは違う人生へのスタートラインに立たせてくれます。

納得の上の妥協か/責任を負いたくないから流されたのか

人はいつもいつも、自分の信念通りにできるわけではなく、またそれが常に必要だというわけでもありません。

今日のランチのお店選びは「うーん、昨夜はイタリアンだったから、今日はパスタじゃない方が良いんだけど・・」と思いながら、言い出しそびれて皆と一緒にパスタ屋さんに行くこともあるでしょう。自分が「まあ、いちいち波風立てるほどのことでもない」と納得できていれば良いのです。また仕事の交渉事には妥協がつきもので、その際も自社の「譲っても構わない劣位順位」が明確であれば、「交渉決裂するよりも、妥協した方が良い」という納得の上での判断になります。

この納得の上での妥協は、自分の選択に責任を持つ態度なので、自尊感情が下がることはありません。

問題は見出しの通り、責任を負いたくないから流されることです。人は何故「No」を言わない、言えないのか。その最大の理由は「自分が責任を負いたくない」「『だって』にしておきたい」からです。思考停止して盲従する方が楽、まさにそれが流されるということです。相手の機嫌を損ねるのが怖いなどは、それから派生する出来事に過ぎません。

流されてしまった結果に後悔している場合、単に「もうあんな無責任な男性と出会いませんように!」「またワクチン接種の圧力がかかりませんように!」と、自分の外側に起こることに願掛けだけをしていては、また別の何かで繰り返してしまいます。道義的責任は自分にはなくても、起きてしまった結果を引き受けるのは自分しかいません。だからこそ、選択責任を持つことが如何に重要かを、これらの出来事を通じて誰でもない自分自身が教えようとしてくれています。

無責任な人は心理セラピーでは結果は出ない・その理由

ところで、弊社のクライアント様の全ての方が、結果を出せるわけではありません。そもそも依存目的、嫌がらせ目的の場合は結果は出ません。自分と真剣に向き合って、変え難い何かを変えていくという七面倒くさいことをやるつもりなどないからです。

悩ましいのは、一見礼儀正しく常識的で、過剰に依存するわけでもないのに、中々結果が出ないケースです。その場合は、その人の責任感のありようを見ます。自分の都合優先になっていないか、「ついてる/ついてない」の損得だけで判断選択していないか、自分がやるべきことから逃げる癖がついていないか、周囲が傷ついていても知らぬ存ぜぬになっていないかなどです。

無責任にも、大雑把に言えば二通りあり、「キャパオーバーや、優先順位付けの判断間違いや、職場環境がその人に合わず、著しくモチベーションダウンして結果的に責任を果たせない」状況による場合と、状況如何に関わらず、他人の痛みは自分にとっての「厄介ごと、面倒」としか捉えない、人間的に無責任な人の場合です。

前者の「状況のために結果的に責任を果たせない」場合は、一旦その状況から退き、考えを整理したり、正しい優先順位付けをする訓練をすれば解決します。その人自身が無責任な人というわけではないので、視野を広げ、心のゆとりを取り戻せば、責任を果たすことそのものが自分の自信になっていきます。

後者は何故心理セラピーで結果が出ないのでしょうか?この場合の無責任とは、自分の都合しか考えないということです。即ち、「不都合なことからは逃れたい。誰かに押し付けて逃げて当然。もしくは最初から意識のシャッターを下ろして無関心になる」になっています。自分の人生が何か上手くいっていない場合、その人にとって「向き合うのが辛い」考え方やパターンを変えていく必要があります。そしてそれは、往々にしてその人の長所の裏返しであればこそ、簡単には行かないのです。

例えば正義感が強く、情に厚い人ほど、聞く耳持たずの人に「わかれ!いい加減氣づけ!」をやり続けてしまいます。コロナワクチンに猛反対していた人ほどそうなります。啓蒙活動がなければ、知りたい人へ情報は行き届きません。しかし何をどんなに言っても、寧ろ言えば言うほど、自分からバラ色の目隠しを重ね、耳栓の上に大きなヘッドフォンをしてますます知るまいとする人も、残念ながら少なくはありません。この受け入れがたい事実を受け入れ、氣づくまいとする人は手放すことは、言葉で言うほど簡単なことではなく、正義感が強い人ほど他人にはわからない深い葛藤が生じます。セラピストの私は、その氣持ちの整理のお手伝いと、励ますことしかできません。

自分の都合しか考えない人は、この深い葛藤を最初から避けて通ります。「不都合な真実」から眼をそらし続けるのです。不平不満を言い募ると、この深い葛藤は異なります。だからその人がどんなに真面目で、ちゃんとした人のように見えても、結果が出ないのです。

例えを変えれば、「自分の配偶者が我が子を虐待しているのを見て見ぬふりする親」のようなものです。「見て見ぬふりをやめたい、変えたい」とは通常思いません。反射的に無意識的にやることだからです。しかしながら、この最大の課題・責任から眼をそらして、本質的に人生が向上し、自分と他人との深い信頼を築くことは矛盾しています。

日常よく起きがちなことで「No」を言うシュミレーションから

流されないとは適切な「No」が言えること、境界線を引くことです。小さなことだとつい譲りがちで、でも内心鬱憤を溜めていたり、恐怖や罪悪感から操作されていないでしょうか?丁寧に「No」を言っても、「あの人、付き合い悪いわね」などと腐してくる人のことは放っておいて構いません。その代わり「がっかりさせてごめんなさいね」の配慮を、適切にできたかどうかを振り返ってみます。「もう少し、ああ言えば良かったかな、こうすれば良かったかな」と配慮の仕方の反省はしても、迎合して「Yes」を言うのは互いにとって不誠実です。

誰にでも起きがちな、小さな事柄から「No」を言える練習をします。小さなことで「No」が言えないのに、大きなことではもっと「No」は言えないからです。

エクササイズ

過去の出来事で「今だったらこういう風に断れたな、断ればよかったな」と思う出来事を、3つピックアップします。夜中のLINEのやり取りを切り上げたい、横入りの仕事を断りたい、もしくは後回しにしたい、実家や義実家からの誘いを断りたい、などよく起きがちなことで練習します。

断り方の原則は以下の通りです。

  1. まず相手の氣持ちに配慮する。「ごめんなさいね」「申し訳ありません」
  2. 根拠・理由を簡潔に伝える。「明日が早いから/まだお風呂に入っていないし」「今、急ぎの仕事があるので」「生理が重くて、そちらに行くと却って迷惑をかけるから」
  3. できれば代替え案を伝える。「今夜はこの辺で。また今度ね」「この仕事が終わってからで良いでしょうか?」「体調の良い時に、また伺います」

②の根拠・理由は、小さな事なら「嘘も方便」で構いません。毎回生理ネタは使えないなら「持ち帰りの仕事がある」「明日は早出の上、家事が溜まっていて」など複数用意します。

そして具体的に断っている場面をイメージの中でシュミレーションします。「上手くやれた」とホッとする氣持ちや、「やればできる!」の自信をイメージの中で味わいます。シュミレーションであっても、脳は現実と非現実の区別を付けないので、脳の中では「上手くやれた実績」になります。

コロナワクチン接種を強要されて後悔されている方は、「いざとなれば弁護士に相談する」「法務局や労基署に相談する」シュミレーションをしておきましょう。今後も、ワクチン接種の強要がなかったとしても、似たり寄ったりのことは起きるかもしれません。職場だろうと学校だろうと、法律や社会通念上の道義道徳に反すること、自分の心身の健康を害する可能性のあることには、「強制されたから」で従ってはならないのです。

ナカムラクリニック院長ブログ

以前の記事で、『ワクチン駆け込み寺』について紹介した。『駆け込み寺』は、本来コロナワクチンによる身体的被害(死亡を含む後…

「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』と言いなさい」

上記のエクササイズは、他人に対してでした。そしてより大事なことは、自分に対して「No」なのに「Yes」と言っていないかです。それを「だって」でごまかしていないかです。流されるとは「No」なのに「Yes」を言うことに他なりません。

この記事を読まれている方は、花粉症等の理由以外では、既にマスクをして出歩いたりはしていないでしょう。家の中ではマスクをしないのに、何故外ではマスクをするのか。そこにその人が「内面の『No』を自分が無効にする」姿勢が現れています。もし、マスクに感染予防効果があると心底信じているのなら、家族がいる家の中でこそ、もしくは一人暮らしであってもマスクをするべきです。家の中ではウイルスがいなくなるということはありません。そしてそうしないのは、マスクには感染予防効果がなく、健康によくないと本音ではわかっている証拠です。

つまりその時点で、その人は自分で自分を裏切っています。

これをやればやるほど、安心できたような氣分と引き換えに、ここぞと言う時に「No」が言えなくなるのです。「私の『No』は無効である。力がない」という暗示を、日々刻々自分で脳に刷り込み、首尾一貫性を放棄しているからです。

見出しは新約聖書・マタイ福音書のイエス・キリストの言葉です。これはイエスのみならず、聖母マリアの受胎告知の際の「私は主のはしためです。み言葉の通り、この身になりますように」でもありました。

ひたすら神を求めている人とはどういう人なのか。一言で言おうー聖おとめマリが言ったような「はい」を、神に言う人、言い続ける人。二股や三股をかけたりしない、別な目的があったりしない、無条件の「はい」。そして、このことは、共に生活をする人と人との間に嘘や隠蔽や違反がないこと、という誰でもできる基本姿勢に表れる。神という証明されえないものとの関係性の真と偽は、こういう人と人との関係の真と偽によって見えてくる。
高橋たか子「私の通った道」

この無条件の「はい」は、思考停止して盲従することでは勿論ありません。二股や三股をかけないとは、マスクをして遊び歩くなどの美味しいとこどりをしない、何もかも知っているのに知らんぷりをしない、「だって」を言わない、「No」なのに「Yes」と言わないことです。

コロナワクチンが如何に危険かは、多くの医師や専門家が、SNSや動画や、書籍等で警告しています。しかしこのワクチン接種の事実上の強制に疑問を持ち、抗う心がない人には無用の長物です。この疑問を持つ心、抗う心は誰も与えてはくれません。常日頃から「周囲に合わせておいた方が楽で面倒がない」とばかりに、マスクをして出歩いていれば、抗う心を自分が削ぎ落してしまいます。私がマスク着用に反対し続けていたのは、体の健康に有害無益で、子供たちがマスクを外せず心身の発達に有害なだけではなく、首尾一貫性と抗う心、即ち境界線を自分から失うためです。境界線は自尊感情において不可欠な要素です。

I know.の時代・不都合な真実に向き合えてこそ

流されない生き方は、「これさえすれば良い」といった、お手軽なノウハウでは身に着きません。「No」なのに「Yes」を言わない、自分に正直であるとはどういう生き方なのか、その試行錯誤と実践の中で自分が掴み取ることです。

ところで、西洋占星術によると、2024年の11月20日に冥王星がみずがめ座に入ったそうです。今後20年間冥王星はみずがめ座に位置します。みずがめ座は”I know.”「我れ知る」と、人道を象徴するそうです。冥王星は再生と破壊を意味し、「そこに本質的なもの、命が宿っていないものは、20年かけて消し去っていく」のだそうです。

「私ちゃんとしてマスク」のポーズの偽善ではなく、辛くても真実を知る姿勢、不都合な真実に向き合ってこその真の人道を実現できるかどうかが問われる20年がスタートしました。社会においても、個々人においても。

ここまで読まれた方の中には、コロナワクチンの接種を後悔なさっている方もおられるかもしれません。解毒に関しては書籍が複数出ていますので、ご自分に合ったやり方を実践していただければと思います。

コロナワクチンで亡くなった方、その遺族、今も辛い後遺症で苦しんでいる人々、学校へ行けなくなった子供たち。その人達は、貴方の身代わりになって、害を引き受けてくれたとも言えます。

「だってあの時は仕方なかったもん」「私は何ともないから」「もうそのことは触れないで。忘れたいんです」と今度は自分で自分をごまかし騙すよりも、後悔の涙を流せる人の方が、何倍も人間らしいと私は思います。薬害に遭い、今も苦しんでいる人達のことを心に留め、そして二度と流されない人生を歩むきっかけにして頂くことが、私の切なる願いです。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。