自尊感情にまつわるコラム

不言実行・きれいごとを言う人への違和感とは

きれいごとに違和感を感じるのは

人は口では何とでも言えるものです。「愛が大事」「人を尊重する」「誠実に」等々。

しかし「愛」「尊重」「誠実」という言葉ではなく、それを口にする”人”に対して何か違和感を感じる、そんなことがあります。

その違和感は、相手がそれを生きていない、その不一致感に反応しています。

つまり、相手は「愛を大事にしている人」「人を尊重している人」「誠実に生きている人」ではなく、「それを生きていることに”しておきたい人”」である、これが違和感が訴えていることでしょう。
やたらと感謝アピールする人は、実際には大して感謝してはいないのと同様に。

参考:恩に報いようとする人はやたら感謝をアピールしない 

しかし、後述しますが、それを実践することは並大抵のことではなく、実践しようとすればするほど、自分が如何に「愛から遠いか」を思い知らされるものです。
ですからそれを生きる人ほど、安易に口に出さない、と言うよりも、出せなくなります。

有言実行・不言実行

ところで、有言実行と言う言葉は、元々は不言実行という論語の言葉から派生したものです。

子貢、君子を問う。子曰く、先ず其の言を行ない、しかる後に之に従う。

「子貢が君子たるものの心得をたずねた。先師はこたえられた。君子は、言いたいことがあったら、まずそれを自分でおこなってから言うものだ」

「論語」より

「自分を追い込むため」の有言実行は一つのやり方

有言実行、不言実行、どちらが優れているということはありません。

有言実行の場合、自ら「後に引けないように自分を追い込むため」に、目標を公言する人もいます。これはこれで、覚悟のいることです。そして実際に行動に移して努力している姿を見れば、心ある人なら何も言わなくなるでしょう。

しかしこの場合、目標は「達成したかどうか、客観的な判断が下せるもの」でなければ意味はありません。

「愛」「尊重」「誠実」などは、価値観であって、それを達成したかの客観的な判断を下せる目標ではありません。

例えば「禁煙します!」はそれを達成したかどうか、他人はすぐわかりますが、「愛が大事ですよね~」はその人が愛の実践者かどうか、すぐに判断を下せません。
ですから、実践しようがしまいが、いくらでも逃げ道は作れてしまいます。

そして相手がいかにも感じの良いキャラクターを演じ、人が潜在的に求めている優しさや親切を、その場限りでも与えると、「そうか、この人は愛を大事にしているんだ」ところりと騙されてしまいます。
特に責任の伴わない、浅い関係であればあるほど要注意です。

「それを生きる」ことは一筋縄ではいかない

愛にしろ、人を尊重するにしろ、誠実さにしろ、それを実践し生きることは、その言葉のように麗しいことでは決してありません。

自分にとって快く、都合のよいものを大切にするのなら、子供が気に入ったおもちゃを大事にしているのと一緒で何の努力も要りません。

自分にとって「困った人」でも、相手に巻き込まれず、かと言って相手の体面を傷つけずもせず、「そういう人っているんだ」と事実を受け入れていくのは、どんな人にとっても、そうたやすくできることではないでしょう。

他人なら関係を断ち切ることもできます。そしてそれがお互いのためになる場合もあります。

しかし、親子や配偶者の場合はそう一筋縄ではいきません。信頼していた相手ほど「可愛さ余って憎さ百倍」になる、そしてその傷は簡単には癒えないものです。

それでもなお、家族は自分とは別個の存在です。「生まれてから死ぬまで、24時間一緒」ではありません。離れようと思えば離れられます。

ですが自分自身は否が応でも「生まれてから死ぬまで、24時間一緒」です。
自分自身の限界や未熟さ、時にはエゴをあるがままに見て、ごまかさず、いじめもせず投げ出しもしないことは、気の遠くなるような忍耐が必要です。そしてこの忍耐のない愛は、愛とは言いません。

そしてそれを実践しようとすればするほど、「自分が如何に愛から遠いか」を思い知らされます。なので、それを生きている人ほど軽々しく「愛が大事」と口にできなくなります。

不言実行を結果的に生きざるを得なくなります。

それを生きている人なら、その選択を自分に許すか?

口ではきれいごとを言う人に、何か違和感を感じる時、言葉ではなくその人の行動に注意を向けてみましょう。人間の本音は行動に現れるからです。

参考:人間の本音は行動に現れる・自分の本音を探るヒント

勿論、完璧な人間はいませんから、どんなに優しい人でも行き違いや、行き届かないこともあるでしょう。つい、うっかりをやってしまうのが人間です。
また時には感情的になってしまうことも、度が過ぎていなければ「お互い様」と片目をつぶり合うことも必要です。

ただ、その人の意図的な選択が、「愛」「尊重」「誠実」を生きている人なら、その選択を自分に許すかを考えてみると、口だけの人か、実践しようとしている人かが浮かび上がってくるでしょう。

人が大事と言いながら嘘をついたり、愛が大事と言いながら「誰それさんがあなたのことを△△と言っていたわよー」と万座の前で恥をかかせようとしたり。

愛を実践しようと日々努力を重ねている人が、そのようなことを自分に許せるかどうかです。

品位とは「それをする自分に耐えられない」こと

品位とはマナーやファッションの範疇を超えて、人としての在り方の核となるものでしょう。

品位とは何かとは、難しいところですが「それをする自分に耐えられない」ことと言っても良いかと思います。

例えば、ゴミのポイ捨てをしないこと、常識的なことですが、する人はしますし、やらない人は誰が見てようが見てまいが決してやりません。常識、マナー以前に「それをする自分に耐えられない」からです。

「それをする自分に耐えられない」がその人の品位です。

言葉で説明してわかるものではない、品位

愛が大事と言いながら、自分のエゴのための嘘をつく人は、「嘘をつくこと」を自分に許している人です。人が大事と言いながら、万座の前で人に恥をかかせる人は、それを自分に許しています。それをする自分に耐えられない、とは感じてはいません。

価値観や信念は、言葉を尽くして説明し、「違う」ことを理解し受け入れ合うことは、たやすくはなくても可能です。

しかし品位は言葉で説明して伝わるものではありません。「一体何がいけないの?」になる、最たるものでしょう。

参考:「話せばわかる」「言っても無駄」の見極め

本当にそれを生きている人ほど、きれいごとは口にせず、「私は愛の泉♡」を演出しようともせず、目立とうともしません。無愛想ではないけれど、媚を売るかのような愛想よさはなく、自然体です。ですので一見そうとわからない人が多いようです。

しかし一旦、その本物さ加減が伝わると、得難く忘れ得ぬ存在になります。たとえ短い邂逅であったとしても。

出会いとは、一緒にいた時間の長短や、「何をしてもらった」ではなく、魂が震えるかどうか、魂にインパクトが与えられたかどうかです。
頭や感情をだますことはできても、魂をだますことはできません。

品位は言葉では伝えられませんが、魂にはダイレクトに届き、忘れ難く刻印されるものだと思います。

骨董の目利きになるには、本物を浴びるように見ることと言われています。偽物を見抜くには、チェックリストで照合するのではなく、「一目でわかる」その目を養っておかなくてはなりません。人間も同じです。

品位は社会的立場、収入、年齢とも無関係です。年端が行かなくても、高い品位を持ち合わせている子供もいます。

きれいごとを言う人にころりと騙されないためにも、人間の品位がどこにあるのかを見抜く目を養うことと、自分自身の品位が問われます。

そして自分の品位を高めるためには、「それをすることに耐えられない自分」になっているかどうか、折に触れて自分に問うことが必要になるでしょう。

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